[70]時間切れっ!
★☆ミヤコ君の男体化ゲージ☆★ ―― あと0時間3分(ピコーン! ピコーン!)。
心身ともに疲れ果てたボクとダチは駅前通りのオープンテラスで休憩していた。
話題ももうあらかた尽きていた。沈黙の中、飲みかけのアイスコーヒーの氷がカキンと動く。
不意にダチは立ち上がった。
「何処行くの?」
「トイレ。ちょいと待っててくれ」
一人残されたボクはストローで丸まった氷を弄ぶ。その時だ。立ち眩みのような感覚が襲ってきたのは。
「――え!?」
身に覚えのあるこの感覚に、ボクは慌てて自分の手を見つめる――女モードの時の、か細い腕と指だった。
「ええっ!? ちょっと待った、まだ時間切れのはずは!?」
しかし窓ガラスに映るボクの顔は、確かに女の“果無美彌子”のものだった。ほっそりした輪郭、つややかな唇、そして緩くウェーブした髪の毛。どこで計算を間違ったのだろう。ええっと……。
「ああっ……そっか、昨日のアレで予想以上に時間を使っちゃったんだ。頭の中がぐちゃぐちゃで、すっかり勘違いしていたよ。困った……どうやって誤魔化そう」
その独り言も1/3オクターブほど高い。慌てて周りを見渡すが、幸いボクの身体の切り替わりに気付いた人はいないようだ。
ボクは立ち上がる。この姿をダチに見られる訳にはいかない。ダボダボの服。ズボンの裾を引き摺らないように両手で持ち上げ、まるでサイズの合わないガボガボの靴をつっかけながら、この場所を後にした。
「ええっと、家まで服を取りに……は無理だ。仕方がない! そこら辺のカジュアルショップに入って!」
みっともない格好のまま、通りを挟んだカジュアルショップに駆けこむ。
「いらっしゃいませ――」
「ええっと、これと、これ! 着て帰ります!」
不思議そうな表情を押し隠せないでいる店員の言葉も待たずに、ボクは適当にスカートとシャツを選び試着室へと入った。男物の下着を履いている状況で、できればボトムスはパンツの方が良かったけど、サイズを確認している余裕は無いから、夏物しか置いてなかったけれど、その中できるだけ長いスカート。
次に靴。ヒール低めのカジュアルシューズ。一応、格好は付いた。ノーブラだけど。
ボクはとんぼ返りし、さっきまでいたオープンテラスをこそこそと覗き込む。ダチはまだテーブルにいた。時々キョロキョロしながら、不思議そうな表情で所在無げに座っている。
(怒ってるんだろうな……)
むしろ腹を立ててとっとと帰ってもらった方が有難かった。こんな律儀に待っているなんて。いっそスマホでメッセージを送ろうか――いや、駄目だ。心配した奴が自宅まで探しに来たりしたら誤魔化しようがない。
(仕方がない……)
ボクは覚悟を決めた。
「ええっと……いいかな?」
ダチの後ろに回り、できるだけさり気なく声をかけた。ひょいと後ろを向いたダチは、まるで幽霊でも見たかのように両目をひん剥き、物凄いリアクションで仰け反った。
ボクはイスから転げ落ちそうになっているダチを見つめたまま、言葉を一つ一つ選びながら語りかけた。
「果無君ね、事情があって出かけてしまったの。ゴメンね? 本人も謝っていたわ」
「あ……? は……? あわわ……」
奴は泡を食ったような表情のまま、言葉も出せないでいる。呆けたようにボクの顔を見つめ、視線すらも定まらない様子。済まない、許せ!
「だから君ももう帰った方がいいわ。彼のことは心配しないでね、大丈夫だから……さよなら!」
ボクはニコリと笑顔を送り、踵を返して走り出した。刹那、顔を真っ赤にしたダチがボクの手を取ろうと、腕を伸ばす様子が視界の片隅に入った。だけど、ボクはその指をするりとすり抜け、奴を後にした――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あああっ、どうしよう……」
自己嫌悪に苛まれたままのボクは、枕を抱いたまま自室のベッドで悶絶していた。
ダチは女モードのボクのことを何と思うだろう。そして、男モードのボクが突然いなくなったことに。
まさか女モードのボクのこと、男モードのボクの彼女だなんて勘違いはしないだろうな……もしそうなったらきっと、完全に絶交だ。
いや、それも仕方がないのかもしれない。友情が永遠だなんて幻想でしか無いこと、ボクだって知っている。だけど、奴の心を砕いてしまったことは紛れもない事実だ。せめてボクのことをズタボロに扱き下ろしてくれれば納得もできるのだけど、傍らのスマホにはメッセージ一つ入ってこない。かと言って、こちらから連絡する勇気も無かった。
でもやはり気になって、もう一度ボクはスマホを拾い上げる。着信の音が鳴ったのはそれと同時だった。ビックリしたボクは思わず取り落としそうになりながら、画面を凝視した。
ダチからのメッセージだった。
恐る恐る、ボクは画面を開く。そこにはこう書かれていた。
『果無。俺は恋をしてしまったらしい』
ボクは画面を消し、それを見なかったことにした。




