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[59]姫様はトランクス一丁で何を考える

 ドタバタと言う足音と共に、ドアをノックもせず入ってきたのはアヤメだった。洗い物のお手伝いを済ませた彼女は、さっきのアニメ談義の続きをするためボクの部屋に入ってきたのだろう。


 アヤメとボクの関係は言葉にすると難しい。


 彼女の本名はアヤメ・ジーノ。こちらでの名前は紫野しの菖蒲あやめ。父さんと母さんが家を留守にする間、ボクの身辺を護衛するために送られて来た少女。第一近衛師団所属の近衛兵、肩書きは第一等王宮親衛騎士。本人曰く、王国最強の機動歩兵の一員だそうだ。


 両親が帰って来てからも、女の姿に戻った――言ってくれる。正確には“戻った”、じゃなくて“変えられた”、だ――ボクの周囲警護と、身の回りの世話をする付き人の兼任という名目で、彼女はボクの傍に残った。この近衛師団の決定に、両親の後押しがあったのは言わずもがな。


 そのことを知らされた時、彼女は大泣きしてボクに抱きついてきた。よほど嬉しかったのだろう。そして、同じような感情を抱いたボクも、アヤメのことをありったけの力で抱きしめた。


 こんな七面倒臭い経緯は確かにあるけれど、ではアヤメとボク、実際のところ二人の関係ってどうなんだろう。時々自問することがある。


 主人と付き人? ――いや、それは無いと思う。


 ボクら一家は、向こう(異世界)に行けばやんごとなき家系の一族らしいが、ここでは、一般庶民として自活している。メイドやら侍女やらが必要な立場では無し。さりとて、さしあたって警護が必要な環境に置かれてもいない。もちろん、王様だ何だという、その与太話が真実と仮定した場合の話だけど。


 一番しっくりくるのは、やはり仲の良い姉妹、だろうか。だけどボクとしては、彼女とはできれば恋人関係でいたかった。だからこそ、ボクは男に戻らなければならない。


 もっとも、当のアヤメは彼女の初恋のお相手、王女ミヤコ・ハート・テナンシーにお熱。何しろ、その想いが乗じてはるばるこっちの世界にまでやってきた位なのだから。

 そう。このボク、果無はてなしみやこにとって最大のライバルは、今、鏡に映っているこの少女、果無はてなし美彌子みやこなのだ。



 さて。そのアヤメは、ボクの姿を見て目をまん丸にすると、その透き通るような色白な顔をみるみる紅潮させていった。


 彼女の容姿のイメージを一言で表すなら“武家の血を引くお家の箱入り娘”。端正で優しげな顔立ち、どちらかと言うと華奢な体、姫カットの黒髪。でも、筋を曲げない芯の強さとか、真面目さや教養の深さといった内面が、飾らない素朴な表情や立ち居振る舞いから滲み出ていた。


 実際、彼女はかなり高貴な家の出らしかった。彼女自身が言うには、王族に仕えることができる格式を持つギリギリの家柄で、内情は庶民と変わらない貧乏一族とのことだが、会話の中で父さんや母さんがアヤメの親族を呼ぶ時、『ジーノ卿』とか『何某だれそれジーノ殿』とか、とても敬意の籠った口調で話しているのにボクは気付いていた。


 そんな彼女はようやく口を開いた。


「姫様!? どうされたのです、その格好……」


 そりゃそう思うだろう。何しろ今のボクはパンツ一丁の半裸状態で突っ立っている。

 しかもそのパンツは男物だ。


「決まってるじゃないか。ようやく溜まったんだ! 明日は思いっきり羽を伸ばすぞお。さ、アヤメ。恥ずかしいからそっち向いて!」


 溜まったと言っても決して卑猥な意味では無い。そもそも今の状態で、ボクに卑猥な意味で溜められる物なんて何もないのだ。

 ポカンとしたままのアヤメが顔をそむけるのも待たず、ボクは呪文を唱えた。


エオールイスニイドニイドイス!」


 視界がホワイトアウトし、ぞわぞわっとした感覚が全身を襲う。

 それが収まった時、ボクの肉体は変わっていた。


 本来の姿、男のボクへと。


「ええっと……前の学校の御学友と遊びに出掛けられるんでしたっけ? でもそれは明日のことですよね?」


 両手で顔を覆い慌てて目を逸らすアヤメは、恥ずかしそうな表情でそう言った。

 間違いなく男の姿に戻ったことを確認したボクは、用意していたKISSのTシャツサイコ・サーカスと、ショートのカーゴパンツを履きながら答える。


「一カ月間もずっと女子のフリをしていたんだよ? ちょっとした仕草とか歩き方とか、女っぽくなってるかも知れないじゃないか! 少し予行演習をして勘を取り戻さないと」

「でも確か、男の姿でいられるのは8時間ちょっとでしたよね? よろしいのですか、今使っちゃって?」

「ダチにキモく思われるよりはましだよ。それにすぐ帰って来るし」


 上はTシャツだけでもいいかな――と少し悩んでから、夜の街は少し冷えるかも、と考え直し袖無しパーカーをひっかける。季節は夏に片足を突っ込んだとはいえ、七月も中旬に入らないと夜は肌寒い。北国の夜は寒いのだ。


「ではワタシもご一緒に」

「ボク一人でいいよ! 付いて来ないで」

「えええっ姫様!? でも……」

「大丈夫だって。今は男の姿だし、治安の悪いところには近付かないから」


 そう言うと、まだ何か言いたそうな様子のアヤメを後にしたまま、足早に部屋を後にする。

 女のボクを断ち切るには、ここ一カ月の習慣を断ち切る必要があるんだ。ごめん、アヤメ。埋め合わせに明後日は、駅向こうのショッピングセンターで一緒させてもらうから。


 ボクは玄関を飛び出し、ポツリポツリと立つ街灯を頼りに、梅雨の合間の乾いた夜道を歩き始めた。見上げると雲の切れ目の星空と、ビルの隙間から空に漏れ出る中心街の灯り。ボクは、ぼんやりとしたその光を目印に、繁華街の方へと足を進めた。


★☆ミヤコ君の男体化ゲージ☆★ ―― あと8時間30分。

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