[57]女子高の教師は百合がお好き?
「ねえ、アヤメ?」
「なんでしょう、姫様」
「みんな何やっているの?」
いつも通りアヤメと連れ立って教室に入った時のことだった。ボクが彼女に素朴な疑問を投げかけたのには訳がある。
そこに、世にも珍妙な光景が広がっていたんだ。
例えば教室の真ん中。顔を寄せ合う女生徒がにっこりと微笑み、涼しげな声でこんな言葉を交わしている。
「ごきげんよう。今日も良いお天気ね」
「あら、ごきげんよう。でも暑くなりそう。憂鬱だわ」
とても楽しげな二人。
視線を移すと、あちらでも向かい合った少女が愛情を確かめ合っていた。
「あら、リボンが曲がっているわ……はい、これでいいわね」
そこらじゅうで繰り広げられているのは、同級生のとても百合的なやり取りだった。
〈セーラー服のタイは夢見る乙女の象徴。同級生の胸元に手を伸ばした少女は、愛おしげな手つきで彼女のタイを直した。半袖のセーラー服は、お嬢様学校らしく清楚な色合い。爽やかな空気を引き連れ、見つめ合い談笑する少女達。それはまるで、キラキラと輝く色取り取りのガラスビーズを散りばめたかのよう〉
――青表紙の何とか文庫に出てきてもおかしくない、こんなポエミーちっくな情景描写が、思わず脳裏に浮かんできたりして。
アヤメも感心した様子で、ボクの脳内描写とは別の表現でそれを言語化した。
「皆さん、仲良さそうにしてますねぇ」
「うん……新しい遊び?」
ボクにとって、女の子というのは不思議な生き物だった。
何の前触れもなく、いきなり突拍子の無いことに熱を上げる。それは瞬く間に広がり、気が付くと、その突拍子の無いことが当たり前の日常に変わってしまう。
しかも殆どの場合、それはボクの価値観に照らし合わせると、とても意味不明なものだったり。
一体、何が彼女達の心の琴線に触れるのだろう――理解するというのが無駄な努力だと分かってはいても、考えずにはいられない。
そんな中、クラスメイトの一人が声をかけてきた。
「おはよう、果無さん、紫野さん」
「あ、おはよう。委員長」
「おはようございますなのです井澤さん!」
ボク達に続き教室に入ってきたのはクラス委員長の井澤理沙さん。あだ名はずばり『委員長』。
人あたりが良い上に面倒見も良くて、誰からも好かれるタイプの可愛い女の子だ。
当然のことながら彼女はクラスの子たちから人望を集めている。こういう不可思議な現象を確かめるのに彼女はうってつけだと気が付いたボクは、この小ざっぱりとした美少女に、今ここで何が起きているのか尋ねることにした。
「ねえ委員長。クラスのみんな、一体どうしたの?」
「え?」
「リボンを直す遊びでも流行ってるの?」
「…………」
しばし無言の彼女だったが、やがて溜息交じりに言った。
「貴方が言うの? ……エーデルワイスの君」
エーデルワイスの君というのは、ここでのボクのあだ名。
何故ボクがエーデルワイスなのか、良く分からないところもあるのだけど、心当たりが無い訳でも無い。
エーデルワイスの和名は『薄雪草』。その名の通り、超塩基性蛇紋岩質の貧相な土壌、しかも寒冷な場所でしか育たないという、変わり者でしかも影の薄い植物。そんなボクのことを揶揄しているとか、きっとそんな理由。
だけれども、『貴方が言うの?』という言葉の方はまるで意味不明だった。ボクは聞き返す。
「は? どういうこと?」
「これ、貴方が流行らせたのでしょう?」
「……え?」
身に覚えのないことを言われ軽く混乱するボク。一方、そんなボクに呆れた様子の委員長。まるで意味が分からない。
そんな時、聞き慣れたほんわかとした声が背中の方から聞こえてきた。
「おはようございます、ですぅ……」
「あ、おはよう香純ちゃん!」
教室に入ってきたは風見香純ちゃん。彼女はこの学校に来て初めての友人。今ではボクにとって数少ない親友の一人だと思っている。優しそうな目元、柔らかそうな肌、おっとりとした口調。ちょっとマシュマロを思わせる、少し小柄なふわふわ系美少女だ。
香純ちゃんはアヤメや委員長とも挨拶を交わすと、手にした花瓶を教室の後ろにあるロッカーの上に置いた。花の水やりは彼女の日課だった。
その姿を目で追いながら、ボクは彼女に声をかけた。
「ねえ香純ちゃん?」
「なんですかぁ、美彌子さん」
「不思議な遊びが流行ってるね」
「え?」
ボクの視線に引きずられるようにして香純ちゃんが教室を見渡す。
相変わらずイチャついているクラスメイト。中には唇が付きそうなくらい至近距離で見つめ合い、お互いのリボンを指で弄びながら、『今日も素敵ですわ』『あら、貴方こそ……』なんて、そんな幸せそうなやり取りをしている二人も。
その様子を目の当たりにした香純ちゃんが、ボクのことをじっと見て、ほんのりと顔を赤らめる。突然、黄色い声が教室を震わしたのは、まさにその時だった。
「き、き、キマシタワーッッ!!」
声の主は、ちょうど教室にやってきたクラス担任の先生。かなり昔に流行った言葉を叫んだ先生は、信じられないという表情で立ち尽くしていた。
彼女は落としそうになった出席簿を抱え直すと、マシンガンのように言葉を乱射し始める。
「私……夢でも見ているの!? お嬢様学校の百合百合ワールド!! そんなの、やっぱりただのフィクションだと諦めかけていたの! 非情な現実。でも……でも、夢じゃなくて現実なのよね!? ああっ、なんて美しい少女達の愛! ついに来たわ私の時代。ああっ、百合ってなんて素晴らしいのかしら!!」
この感極まったように瞳を輝かせているの先生の名は五味葉月。生徒目線で接するのがポリシーと自称する、若い女の先生だ。
美人か美人で無いか、と問われれば美人の方に入るだろう。ただし、言動はリアル高校生と同等レベルという、あまり教師っぽくないちょっとお茶目な先生だ。
裏を返せば、もしもここが共学か男子校なら、間違いなく男子生徒から性的な目で見られたり、時に言い寄られたりしてそうな先生でもあるのだけど。まあ、少なくともその位には素敵な雰囲気を持つ先生だったりする。
そんな五味先生の興奮気味な言葉はまだ続いていた。
「――さあ、クラスのみんな! もっと百合しなさい! そして次は……そう、ロザリオの交換よ!! マリア様の前で、ロザリオの交換!」
先生、何を言ってるんだろう。マリア様? ここはミッション系の学校じゃないし。世間では歴史あるお嬢様学校と言われてはいるけど、ごく普通の市立の女子高。
呆気に取られるクラスメイト達。むしろ先生の言葉で魔法から解け、素に戻ったという感じ。シラケた空気が教室を満たしていた。
ところが、狂喜する先生はそんな教室の空気の変化にまるで気付かない。そんな中、まるでタイミングを見計らったかのようにチャイムが鳴り始める。
「ホームルーム始めまーす」
まだ言い足りない様子の先生だったけど、すかさずその言葉を遮る委員長。置き去りにされた先生は、所在無さげな様子で教壇に立っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ボクの名は果無都。とある事情で女の姿に変えられてしまったけれど、れっきとした男だ。そんなボクの高校生活は続いている。
今日は金曜日――明日から週末だ。今度の週末は珍しく予定が入っている。
それが今から待ち遠しく、先生の言葉は右の耳から左の耳へ。気もそぞろなボクは頭の中で、貴重な一日を有効活用すべく綿密なタイムテーブルを組み立てていた。
★☆ミヤコ君の男体化ゲージ☆★ ―― あと8時間24分。




