[05]ちょっち時間さかのぼりまーす
マーブル模様の空、刺すような風がボク達の体を凪ぐ。
砂塵の向こうに見えるのは巨大な存在、あってはならないはずの怪物。そして、こっちを向いているのは、へたり込んだボクの顔――まだ、女の子になる前の、市立第二高校の制服を着た“果無都”の姿。
そう、それはボクが意識を失う前、あの時の映像だ。
『姫……様……!?』
消え入りそうな少女の声。少しかすれているのは疲れによるものか、それともこみ上げてきた血が呼吸を乱しているからか。
『……お会いしたかった……でも……ごめんなさい……ワタシの力が、及ばなかったせいで……』
ゆっくりと、ボクの顔が近づいてくる。この映像の主観者、つまり視点の持ち主は愛おしげにボクの手を握り、ボクの方へとその体をたぐり寄せていた。
『このままでは……姫様も……姫様の、お力が必要……なのです。申し訳ありません! 本来はまだ覚醒の時期では……でも、これしか、方法が無いのです!』
ボクの顔はどんどんクローズアップしていく。目の前にボクの双眸――と、突然視界が狭まり、映像はブラックアウト――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「きゃんっっ!!! もう、最高ーーーっっ!!」
突然、裏返った声。ボクの隣に座る少女の嬌声。
「キスですよ! キス! 重なる唇、約束された儀式、封印の解除! きゃーっ、感動的ーっっ!!」
ボクと彼女は、二人並んでこの映像を見ていた。そう、この少女が見ていた一部始終を。この直前、この少女は何を思ったかドタバタと2階まで走って行き、手に何やら掴んで戻って来ていた。彼女が掴んでいた物体、それは山吹色のカチューシャだった。
「これはですね! 装着した者の目に映った情景を再生して、上映する装置なんです! 要するに、強化防護服を構成する装備の一つという訳です!」
「……?……」
「まぁ、何でこんな物が必要かって言いますと、例えば偵察任務なんかの途中で攻撃を受けて息絶えちゃったりした場合ですね! これを回収すれば偵察先の情報は得られる訳で……つまり兵士の死を無駄しないためのものだったりします!」
「は……はぁ」
「そういう訳で、兵士本人にとっては、あまり有難くない装備ではあるんですが、今回に限ってはこれ以上は無いという活躍をしてくれました! あ! ほらほら、ここからが素晴らしいんです!!」
カチューシャが廊下の壁に映し出す映像が再開される――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『姫……様……お目覚めを!』
ゆっくりと開かれる瞼。そこにいたのはボク――そして光、旋風。ボクに向かって集まってくる風達。はためく制服、ボクの髪。意識を失っているようだ――目を閉じたまま、静かに項垂れる。
そして、それまでボクの周りを乱舞していた光達は、一旦大きく軌道を変えると、まるで意思を持ったかのような動きで、ボクの体に集まる。まるで、爆発したかのような閃光。直立したままゆっくりと浮かぶ体躯。眩い光の中、一人のシルエット――それは、ボクの体。
――いや、姿を変えた、ボク。やがて湧きあがる光は収まり、その姿が露わになる。
『王女殿下!』
制服は身に着けていなかった――その代わりに少女を覆うのは、真っ白なコスチューム。光と同じくらい眩しくて、一片の汚れも無きもの。それは薄雪草。少女はエーデルワイスの綿毛と花弁を思わせる衣装を纏っていた。
ゆっくりと瞼を開けるエーデルワイスの君――その少女の瞳が燃えさかる。
その瞳は怪物の姿を捉え――そして、それを冷たい表情で見据える。ボク達を圧倒しそうなほど巨大な怪物。しかし、エーデルワイスの花弁を纏った少女の瞳が向ける視線に恐怖の色は全く無かった。
むしろ真逆――まるで取るに足らない、矮小な存在を見下すかのような、あるいは目の前の存在を憐れむような――そんな、気高いものだった。
エーデルワイスの少女、今度はその視線がこちらを向く。その視線はたおやかで、とても温かいものだった。彼女は優しげな表情でほほ笑む――慈愛に満ちた柔らかな光。
不意に、激しい嵐が吹き荒ぶ。はためく髪の毛、そして真っ白なコスチューム。それはまさに、乾いた大地へと可憐に咲き、風に揺られるエーデルワイス。
嵐の正体――それは怪物が繰り出した攻撃、歪な飛礫。それが猛烈な勢いで弾き出されたため生じた風圧。しかし、攻撃の本体――人の頭ほどもある飛礫は目前で弾き飛ばされ、それは遥か遠くに着弾する。
映像の中のボクはいつの間にか錫杖の様なものを手にしていた。長さは3メートルほど。こちらを向いたままの顔は目をそらしもせず、怪物の攻撃をはじき返したのだ。次の瞬間、怪物の方へと向き直る。その目には、再びまるで地獄の業火のような、激しくたゆたう炎が灯っていた。
彼女が持つその武器。絡みつく蔦と薔薇の花のレリーフ、厳かな飾りの付いたそれは古の女神が持つ神器を思わせた。彼女は優美な動作で手にしたロッドを翳すと、その先端を怪物の方へと向ける。
――刹那――
凄まじい閃光が、怪物へと延びていく。それはまるで、質量を伴った光だった。衝撃波が周りの家々や電柱をなぎ倒していく。視界を覆うのは猛烈な光と影、そのコントラスト。そのモノクロームの世界で、周りの物が次々と崩れ落ちていっていることだけが、ハッキリと判った。
あまりにも絶大な力。その攻撃を受けた怪物は、まるで握りつぶされたウェハースの様に粉々となり、はらはらと崩れ落ちていく――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「この術なんですけど! h・e・l・d・u――って言って、もう、超強力なヤツなんです! 意訳すると “邪を滅して均衡を維持せよ、母なる浄罪の力を持ちて”といった感じでしょうか? まさに王家の方々が行使するにふさわしい超大技なんです!」
ポリポリとボテチを頬張りながら、ボクの隣に座る謎の少女が解説。って、そのポテチ……後で食べようと取っておいたボクのやつじゃ?……。
「あ、姫様もどうぞ」
「ん?……うん、ありがとう……」
おいおい、だからそれボクのポテチだって……そんなことを心の中で考えながら、ポテチの袋に手を突っ込む。
「凄いですよねー、やっぱり姫様の強さは別次元、ワタシなんか足元にも及ばないですー」
「キミはこんな攻撃を出せないの?」
「まさか、まさか! だって、見れば判るじゃないですか! 強力すぎて、そこいら中の建物とかなぎ倒しちゃってますよ!! それに、怪物の向こうにあった建物なんて、攻撃に巻き込まれて半壊しちゃいました!!」
「え?」
さらりと言ってのけた彼女の言葉――それって、とんでもないことじゃ?
「……あの?」
「はい、なんでしょう。姫様?」
「建物を巻き込んじゃったって……まぁ、あれだよね? 結界とか張っていて、現実世界には被害は出ていない……んだよね?……」
「はい、そうです。良く御存じで」
良かった……こんな破壊活動、許されるはずもない。もしボクがやったって――いや、この映像に映っている少女が本当にボクだという仮定の下での話だが――仮に犯人がボクだってバレたら、警察に捕まって、刑事告発。
それだけじゃない……御近所から多額の賠償金を請求されて、これからのボクは、その借金を返済するだけの悲惨な人生を送ることに……。
まあ、でも現実世界には被害は出ていない。ホッと胸をなでおろすボク。しかしその直後、少女が口にしたのはあまりにも不吉な言葉――。
「ですが……」
「……です、が?」
「いやぁ……姫様のお力、あまりにも強大過ぎて……ホント、信じられません! まさかあの攻撃、結界を破って本当に建物を半壊させちゃうなんて!!」
「え?」
カチューシャで投影された映像は、一本道の突き当たりにある建物が崩れていく光景を映し出していた。その建物は“市立白梅女学院”――この辺りでは結構有名なお嬢様学校――の校舎。
やがてパステル色の空は青空に戻って行く。きっと、結界が解除されたのだろう。なぎ倒された道沿いの電柱や割れた窓ガラス、落ちた瓦屋根なんかはいつの間にか元に戻っている。つまり結界の反対側――今ボクがいる、この世界は何ともない。
でも、あのお嬢様学校――ちょっとトラディショナルだけど、とっても清楚な制服を着た女の子達が通うあの学校が、三階の辺りを中心に大きく崩れて土煙を上げていた――その場面で映像は終わる。
投射を終えたカチューシャを拾い上げる少女、いつの間にか空っぽになったポテチの袋を覗き込んでいた。
「いやぁ、おいしいお菓子でした! すきっ腹にこういう油っぽいモノって、本当においしく感じるんですよね?」
「う……嘘……」
「はい?」
「学校を……壊しちゃったの?」
「そうですね……で、それでなのですが……」
「うわぁぁぁっ!! どうするんだよ、これ!! っていうか、誰か人はいたよね? 放課後って言っても、部活の人とか結構残って……けが人は?……ひょっとして……誰か死んじゃったとか!」
「それは……」
そう言葉を濁し、暗い顔をする少女……まさか……嘘だよね?……嘘って言って!
ボクは立ち上がり、玄関に走る――居ても立ってもいられなかった。サンダルに足を通して家を飛び出す。
「ああっ! 姫様っ!!」
背中に少女の声を聞く――けれどそれを無視して通りに出て、白亜の壁が眩しいあの校舎、そこが見渡せる道の真ん中へと向かった。