[52]アヤメが遅れて来た理由
香純ちゃんの勢いに面食らったのだろう。彼女を見つめたままのキノコが答えを返したのは、暫く経ってからだった。
『済まぬがそのトールケルの魔女とやらのこと、拙者は知らぬでござる』
「だって、さっき……」
『そう語ったのは親分でござろう? 親分は以前にその者と出会ったのでござろうが……』
混乱してきたボクは口を挟んだ。
「どういうこと? 君達キノコは記憶を共有しているんじゃないの?」
『そうではござらぬ。意志疎通やリアルタイムの体験であればまだしも、記憶までは無理でござる。ましてや親分は我等とは違う世界から来たキノコ故、拙者の与り知らぬところ……』
うなだれる香純ちゃん。そんな彼女にアヤメが尋ねた。
「あの……香純さん。ヘメロカリスって?」
香純ちゃんはいっそう淋しそうな表情になった。
「あ、いえ……無理にという訳では」
アヤメは自分の質問を取り下げた。香純ちゃんの尋常じゃない様子から、彼女もこれ以上聞くのは悪いような気がしたのだろう。けれど香純ちゃんは口を開いた。
「私の……お姉ちゃんです……」
ボクとアヤメは目を見合わせた。香純ちゃんにお姉さんがいたなんて初耳だった。
「……お姉ちゃん、〈トールケルの魔女〉の称号を与えられるほど優秀な魔法少女だったらしいのですが……あ、変ですよね……姉妹なのに『らしいです』なんて。でもその頃は私、魔法少女どころか、魔法があることさえ知らなくて……でも、とても優しいお姉ちゃんだった……でも三年前、突然いなくなってしまったの……」
ちょっとヘヴィな話っぽい。ボクは返す言葉が見つからず、それでも何とか当たり障りのない言葉を選んで香純ちゃんに返した。
「津島さん達は香純ちゃんのお姉さんのこと、知っているの?」
「はい……でもお姉ちゃんのことは誰も口にしません。何か事情があるみたいで……」
それっきり黙りこくってしまう香純ちゃん。
ボクもアヤメも、これ以上聞くことができなかった。
まるで香純ちゃんの言葉を理解しているかのように、再び霧と闇が音もたてず忍び込んできた。気付くと、ボク達を包んでいる透明な球体は、あちこちに亀裂が入っていた。繋いだ手に力が入る。
『そろそろ時間のようでござるな。かような話の後では憚られるが……どうでござろう。無限の時を虚無の中を彷徨う位なら、いっそのこと拙者のことを食してひと思いに……拙者も毒キノコ故……』
「馬鹿言わないで!」
その残酷な好意が許せず、感情が昂ったボクは再び声を荒げていた。
まるでボクらしくなかった。こんなきつい言葉も。諦めが悪いのも。
ボクはすがるようにアヤメのことを見つめた。充満してくる闇のせいで、魔法の灯りも切れ切れだった。
「ねえアヤメ。やっぱりここから抜け出すことはできないのかな?」
答えは決まっている。『ノー』以外あり得ない。でも聞かずにはいられなかった。
彼女は口を開いた。
「いえ、できると思いますよ?」
「……え?」
今なんて言ったアヤメ?
あまりに唐突な言葉にボクは口を閉じるのも忘れていた。この瞬間、きっと間抜けな顔をしていたに違いない。
でも、面食らったのはボクだけでは無かったはずだ。香純ちゃんも見る見るうちに表情を変え、キノコはキノコで、表情は分からないもののやはりアヤメのことをじっと見ている。
「抜け……出せる?」
「はい」
「ここはニヴルヘイムでは無い……ということでしょうかぁ?」
「その質問に答えられるだけの博識をワタシは持ち合わせていません。ですが、一つだけ言えることがあります。少なくともここは亜空間の一種のはずです。少なくともオカルトちっくな神話の世界では無いと思いますよ」
「ちょっとアヤメ、焦らしてないで教えてよ」
「ああっ……スミマセン、姫様。焦らしている訳では無いです。では順を追って説明しますね? よろしいですか」
「早くしてよ!」
「いやあん。姫様ったらせっかち」
空気読んでねアヤメ? ボクはあらん限りの笑顔を彼女に振り撒いた。
「……ああっ、そんな怖い顔しないで姫様! ごほん。ではご説明を。ちょっと前のことですが……登校中、『急用ができたので姫様だけ先に行って』とお願いしたことがありますよね?」
「ああ……うん」
そうだった。いつもは行動を共にしているボクとアヤメだったけど、その日に限ってボクは一人で教室に入り、好奇の目に晒されながら香純ちゃんと席に付いたのだ。
「実はですね。あの日、システムが空間の小さな綻びを検知したのです。その場所がたまたま通学路の近くだったため、ワタシがその足で調査に出向いたという訳なのです」
「つまり、異世界から何かが侵入してきたってこと?」
「ええ。ところが調査の結果、システムは異形のモノがこじ開けたものでは無いと判断したのです。とても小さな解れで、もしこの隙間を何かがすり抜けて来たとしても、せいぜいケシ粒程度の大きさでしかない……つまり、ストリングスが侵入してきた可能性はゼロ、という結論だったのです」
なるほど。話が見えてきた。
「だけどその日、ケシ粒程度のモノが侵入してきた……例えばキノコの胞子のような……」
「はい!」
嬉しそうに頷くとアヤメはキノコに視線を振った。当のキノコもアヤメが何を知りたがっているのか理解しているみたいだった。
『いかにも。我ら孤高のキノコブラザーズが親分と融合したのはつい先日、親分がこの世界に来てからのこと。異世界から空間を渡って来たと申していたでござる』
「やっぱり。これで合点がいきました」
「で、それとこの空間から脱出できることと、どう結びつくの?」
「かなり込み入った技術的な話になるので九割方端折りますが、要するに――」
固唾をのんで見守る視線。その視線の先にいるアヤメは高らかに言った。
「――計算したら分かったのです!」
「は?」
いや、九割方というかほぼ100%端折っているような気がする。さっぱり意味不明。
「あ、皆様! 豆鉄砲を喰らったハトさんのようなお顔をしていますね! いやぁ我ながら素晴らしい説明です! 虚飾を排し要点だけを掻い摘んだ解説。感動の嵐。全校集会の校長先生にも見習って……って……あわわ……!?」
「いくらなんでも分からないよ! 要点? 今の君の言葉の中の何処にそれがある!? ご都合主義過ぎるだろ?」
彼女の肩を掴み前後させるボク。彼女の頭はカックンカックン。久しぶりのボクとアヤメのじゃれあい。
「……ひ、姫様……はい……えっと、ちょっとタンマです! 先日の空間ホツレと、この空間へとジャンプした時に集めた情報を照らし合わせのです。異空間ジャンプには色々と制約があるのですが、同時に数式で言い表すことができまして……つまりとても複雑な演算が必要ではあるのですが、パターンマッチングさえできれば逆算……つまり戻り方向にトレース可能なのです!」
アヤメは精巧な細工が施された胸のブローチを、誇らしげにぽんと叩いてみせた。それは彼女に支給された中でも最も高価な装備、強力な演算装置ということだった。
「と言う訳で解析完了です。システムとのリンケージも再開できました。では元の世界、懐かしの現実世界へと戻りましょう……æftiR・alu・leta・|territorium!」
はい。アヤメ嬢の100%端折った説明、ご都合主義に走ったのは作者のせいです。
最初は結論に至るまでのSF的考証やら解説やらを、会話文も交えて載せるつもりだったのですが…そしたら文章量が倍近くに膨れ上がるという凶悪な状況に。もう慌てて消したという次第です。




