[41]ほぼ犯罪的なそれ
「で、一体どうしたの?」
淹れたてのコーヒーのカフェインが身体中に染み渡り、一日の緊張がほぐれて行くのを感じながら、ボクは津島さんに尋ねた。ずっと前にスーパーの特売で売っていた12パック入り398円のコーヒーは、香りこそちょっとぼやけていたけれど、ボクにはこれで十分。心を落ち着かせるにはこれが一番だ。
一方の津島さんは、お歳暮の残りものとおぼしきティーバック。誰かがリサイクルで持ちこんだのだろうか。彼女は砂糖とミルクをたっぷり入れ、とても美味しそうにそれに口をしていた。
しかし!
津島お嬢様ともあろうお方がそれで良いのか! イギリスから直輸入した王室御用達のお茶っ葉を、これまた本格的なティーポットで淹れるんじゃなくていいのかよ!! それが由緒正しきテンプレだろ? と思わないでもないが、本人曰く「学校でそんなこれ見よがしな、まるで成金趣味みたいな事をするのは嫌」とのことらしい。
――ま、今彼女の飲んでいる、ミルクティーというより、紅茶風味砂糖ミルク溶液と言った方が似つかわしいその液体なら、確かにダージリンもアールグレイも無いとは思うけど。
さて。音も立てずにティーカップをソーサーに置いた津島さんは、ボクの目をじっと見つめながらさっきの質問に答えた。
「盗撮魔よ」
ちょっと待ったぁぁぁっ!
ボクが盗撮魔だってか? 変な言いがかりは止めて欲しい。世の中には推定無罪という言葉がある。そりゃ、怪しいだろう。ずっと病欠していた少女M……つまりボクが、突然編入してきた転校生を引き連れて突然現れ……しかも地元出身だというのに、クラスにも学年にも知り合いは誰もいないという謎人物。
ちなみに、何故かボクはクラスの中でアヤメとセット扱いされていて、北欧のどこか小さな国からやって来たハーフの帰国子女だとか、いやいや、実はその国の王女がお忍びで日本に来ているだとか、そういうことになっているらしいのだけど――って、どんな設定だよ。
それに体は女の子でも、中身は男だ。きっと言動の隅々にガサツさが顔を覗かせているだろう。女の子だったら誰でも知っているような、ちょっとしたマナーでさえ、一人っ子のボクには想像もつかない。
一応、一通り女の子のアレやコレやについてレクチャーは受けている。受けてはいるけど、手取り足取り教えてくれたのは、よりによって、ボクの隣に座っているアヤメだ。そう、アヤメだよ!?
女子とはいえ、ある意味、ボク以上にこの世界とはまるっきり無縁の存在である彼女の語る内容は、一から十まで全部胡散臭くてしょうがない。実際、かなりヒヤリとした場面も少なくなかった。
そう考えてみると確かに、ボクとアヤメがスパイよろしくこの学園に送り込まれた要注意人物として彼女達にマークされていたとしても、仕方がないのかもしれない。
しかし! 盗撮魔としてあらぬ疑いをかけられるとは言語道断。そう言いかけた時、津島さんは続けた。
「学校に盗撮魔が侵入しているみたいなの」
「えっと……ボクのこと、じゃないよね?」
「何言ってるの、果無さん?」
そう言いながら、心底不思議そうな目で小首をかしげる津島さん。良かった、どうやらボクが疑われている訳では無いようだ。
ホッとしたボクは心の内を吐露した。
「だって津島さん、ボクの目を見ながらそんな事言うのだもの」
津島さんは急に下を向いて、それでも耐えられなくなったのか、ぷすりと笑い出した。
「本当に何を言ってるのよ、果無さん。なんでそう思うのよ、もう……。果無さんを見てたのは、貴方を頼りにしているからってだけ。疑う訳無いわ。そうでしょ、『エーデルワイスの君』?」
こそばゆいと言うか、何というか……。こんな仕草の津島さん、少し可愛かった。ごめんなさい、津島さん。君のことを誤解して。
――というか『エーデルワイスの君』は止めてください。どうして、そんな変なあだ名がつくかなあ。
つられる様にして、浅見さんがボクをからかいだした。
「そうだよねー。そもそも、『エーデルワイスの君』が少しボケの入ったボクっ娘だなんて、キャラ錯誤もいいところじゃん。ファンの子達が今の会話を聞いたら、一体なんて思うやら」
「いえいえ、こっちがボクの地ですから」
「聞いたわよー。今朝、香純ちゃんに向かって『あら、リボン曲がっているわ』ってかましたんでしょ? 最高よね。『私にもやって欲しいーっ』って、昼休みにそこらじゅうで話題になってたわよ?」
「ああああっ、ボクの黒歴史に新たな一ページが書き加えられたってことですかっ!」
香純ちゃんも顔を真っ赤にして下を向いてしまった。ボクは助けを求めるように津島さんへと振り向き、さっきの言葉を問いただした。
「それで、盗撮魔が潜入ってどういうこと?」
ボクを含めて四人の視線を浴びる津島さん。注目されるのが嬉しいのだろうか、彼女は我が意を得たりといった感じで、またまた少し気取った身のこなしで立ち上がった。
「更衣室とか部室棟のシャワー室が、隠しカメラで撮られているみたいなの」
「何で分かるの?」
彼女は答える代わりに、無造作に置いてあったタブレットを拾い上げて操作すると、テーブルの向こうからそれを滑らした。
何かやたら芝居がかった仕草。でも何故かばっちり板についていた。それはたぶん津島さんだから。もしもボクが同じことをやったら、滑稽過ぎる自分に自ら噴き出してしまうことだろう。
ボクら四人は、さして広くないテーブルの反対側でそれを受け取り画面に見入った。そのタイミングに合わせるようにして彼女は言った。
「生徒の盗撮画像がネットの裏サイトで流れているのよ」
うん。裏サイトと言うにふさわしい、かなりアングラというか痛々しいページだ。
しかしそれを津島さんの言う盗撮画像と結びつけて考えるのは、言ってみれば味覚を音で表現するのに匹敵する位、難しいことのように思えた。
他の三人も、これをどう深読みして、津島さんにリアクションを返してしていいのか分からない様子だった。何か特別なトリックでもあるのだろうか。まるで答えの無いミステリーを突き付けられたみたいに、ボク達は固まったままだ。
アヤメも香純ちゃんも、浅見さんでさえ、瞳で「どういうこと?」「さあ?」と交わし合っていた。だけど三人とも、自信満々の津島さんに対して、面と向かって問い質すことに気後れしているみたいで、何も言い出せないでいる。
仕方が無い。代表してボクが聞くことにした。
「えっと……これのどこが盗撮画像?」
「え?」
「というか、画像さえ無いんだけど」
「そ、そんな筈……」
自信満々に仁王立ちしている津島さんの表情に、小さな動揺が浮かぶ。
ボクらが目にしているのは、淡いピンク色の背景に蔦とか薔薇が絡まったフレームという、やたら凝った画面。今時こんなデザインのサイトは珍しい。そのフレームの中には可愛らしいフォントで、こんな文字の羅列が整然と並んでいる訳なんだけど――。
『
駅の改札で待っていたの。
貴方が故郷に帰ってくるという風の便り。
一年ぶりの再会に心ときめかせてね。
ああ、私の胸ははちきれそう。
卒業式以来ね。
どんな素敵になっているのかしら。
私になんて声をかけてくれるの?
列車が来たみたい。
改札口を行き交う人達。
一人佇むストレイ・シープ。
そんな私のこと、ちゃんと見つけてね。
あれから一年。もう十五歳よ。
ちょっとだけ、大人になった私。
……
』
――何と言うのだろう。喉のあたりから脳天にかけて突き上げて来る甘ったるさというか、背中の辺りがむずむずする感じというか。ボクは思わず「ぅぐ」と小さく呻いた。
ひょっとしてこれ、ポエムというやつ? しかも、かなり痛い系統の。
ちなみに、これの続きはまだまだあるのだけど、これ以上は恥ずかしくて、とても直視できない。その時、ボクのすぐ傍で悲鳴が上がった。
「あわわわぁっ!? 何でこのページが」
「うわ、津島さん?」
さっきまでテーブルの向こうで仁王立ちしていた津島さんは、いつの間にか僕とアヤメの間から首を出していた。そう。彼女はまるでバネが仕掛けられたかのように飛び出し、猛ダッシュで会議用テーブルを一周してこっちまで走ってきたのだ。いつものお淑やかな津島お嬢様からは想像もできないドタバタという足取りで。
もしもテーブル周回競争なんて競技があったとしたら、きっと津島さんは世界チャンピオンを取れていただろう。そんなキレッキレな高速機動だった。
ところがタブレットの画面を見た途端、今度は、油の切れた機械のようにギクシャクとした動きに変わっていた。津島さんはタブレットに手を伸ばすと、いきなりそれをむんずと掴み、胸元に抱え込んだ。
「み、み、み……見たの?」
「見たから聞いたんだけど?」
ボクは正直に答えた。
津島さんは耳まで真っ赤にして、遂にしゃがみ込んでしまった。
うーん、なるほど。要するにこういうこと? ボク達がここに来るまでの津島さんを想像してみた――。
一人白梅会の小部屋で待つ津島さん。きっと暇を持て余して、自分のポエムを眺めていたのだろう。つまりさっきのは彼女の作ったサイト。で、その画面からボク達に見せるため別の画面に切り替えたつもりが、なんかの拍子でさっきまでの画面に戻ってしまった。それをボク達が見てしまったという訳。
それにしても何と分かりやすいリアクションなのだろう。津島さんはしゃがみ込んだまま頭を抱えて悶絶している。傍目からは完璧美少女に見える津島さんだったが、見た目によらずそんな可愛らしさというか、実は相当なドジっ娘属性を持っているのだ。
もちろんそれは、全校生徒の中でもごく限られた人間しか知らない真実。
それにしてもこのポエムには驚いた。津島さんってこんな趣味を持っていたんだ。
津島さんのポエム、「ありがちというか絶対どこかで見たことあるよね、これ?」感を狙ったのですが、まさか本当にそのモノずばりの歌詞が世の中に存在しているなんてこと、無いですよね。少し不安ではあります。
むしろ作品的には、もっと狂気に満ちたポエムにしたいところだったのですが、都合良く思い浮かびませんでした。才能の無さに泣けてきます。何か思いついたら、ポエムの部分は差し替えるかもしれません。




