[03]だって、女の子同士じゃありませんか?
「ところで……」
そう言いながら、身を乗り出してボクの顔を覗き込む黒髪の少女。
「体調は、いかがですか? 気分がすぐれないとか、どこか痛むとか、体に違和感とか、ないですか?」
「う、うん……大丈夫……かな?」
とりあえずそう答える。まぁ、ちょっと顔が熱いくらいで、これといって変なところは無い。というか、ようやく脳内シミュレーションで描いたシチュエーションに近付いてきたって訳だ。
「良かった……姫様に万が一のことがあれば、ワタシ如きの様なそこいらに転がっている石ころに等しい飛沫分子、両足を縛られたまま修練所のグラウンドを10周して、逆立ちしたままスクワットを1万回という我が隊の懲罰フルメニューをこなしてさえ、申し訳が立たないところでした!」
「ごめん。サッパリ良く判らない。そもそも逆立ちしてスクワットってなんの意味があるの?」
我が隊? 懲罰メニュー? というのもグラウンド10周に輪をかけて意味不明だが。
でも……それよりも何よりも、さっきからずっと、彼女の言葉で引っかかっていることがひとつ。この言葉が、ギアが全く噛み合わずに、それでも勢いと謎の超次元対消滅エンジンの有り余る推進力で暴走を続けるドラッグマシンのように、彼女の言動を突き動かす原因であることは間違いない。
ここで一つ、この勘違いを正さないといけない――そう考えたボクは改まった表情で口を開く。
「でさ、君……」
「はい! 何でしょう、姫様」
「姫様って、誰?」
「姫様は姫様ですッ! あ、日本語より英語の方がいいですか? プリンセスですッッ!! 王様と王妃殿下の子供、チルドレンです!!」
「あ、いや……そういうことではなくって……ボクのことを、その姫様って人と勘違いしているみたいだけど……」
「……??……」
「そもそも、姫って高貴な女性を指す言葉でさ?」
「はい、その通りですが」
「ボクは高貴でもなければ、女性でもない訳で……」
「……????……」
何か、これでもかという心底不思議そうな表情を、言葉の代わりに打ちこんでくる。まるで、ボクの方が悪いみたいだ。
「きっと君、誰かと勘違いしているんだと思う……えっと、期待を裏切って悪いんだけど……」
そう、ボクは小心者。誰かの期待とか想いを否定するのがとっても苦手な小市民。違うと思っていても、ついつい相手に話を合わせてしまって――結局、その相手も、自分も傷つけてしまうようなつまらない人間なんだ。
でもここでハッキリとさせないと。この少女のこと――ほんの少し話しただけなんだけど、きっと心のどこかで惹かれてしまったのだと思う。だからこそ、彼女の期待を裏切ったとしても、早めに本当のことを言わないといけない。
「ボクは君の言う姫様じゃない。ボクの名前は……」
「果無 都、ですよね」
「うん」
――うん。うん? その通り。って……え?……えーっっっ??
意を決して発したはずの言葉を遮り、彼女はボクの予想を180度覆す言葉を言ってのけやがったんだ。
「きゃーっ!!! ミヤコ姫ーッッ!! 王様と王妃殿下の一人娘、第一王女にして王位継承者! 姫様は御存じないかもしれませんが、姫様の肖像をあしらった王国発行の硬貨があるんです! ちなみに、ワタシの野望は、その硬貨を買い占めることッッッ!」
「は?」
「あああ……ワタシ、何言っているのだろう? いつもはこんなキャラじゃないんですよ? でも、舞い上がっちゃって!! だってそうですよね? 憧れの姫様、ミヤコ殿下、そのお方と今、肩を並べ、こうしてお話しているんですぅぅ!」
「あのー、すみませーん……」
「ずーーーっと、姫様に憧れていて! あ、ちなみにミヤコ殿下が御幼少の頃、一度だけお会いしたことがあるんですよーっ! それは私が4歳の頃、たぶん、覚えている一番古い記憶っ。もう、感動しちゃって!! それからずっと、姫様一筋!!」
「…………」
止まらない……。なんなんだ、この娘。
「……えっと、ゴメン……」
「あ! 申し訳ありません、ワタシばっかり一方的に……でも、ミヤコ姫の名前。こちらの言語で『都』の字を当てるなんて、さすがは王様。グッジョブです!」
もう駄目だ……何ともならん。この際、少しでも頭をすっきりとさせて、この状況を整理する必要がある。
「……ちょっと頭が混乱してきた……少しシャワーでも浴びてくる……」
「ではワタクシめもご一緒に!! 姫様のお背中、お流しいたしますッ!! うふ……うふふふ……じゅるるる……あ、いけない。よだれが……」
「あああっ! いいから、ちょっと行ってきます! ここで待ってて! 絶対だよ!」
思わず身の危険――貞操の危機とも言う――を本能的に感じ、溶けかけたアイスの様な表情を浮かべたままの少女を一人ソファに残し、ボクは駆け出す。
**
脱衣所の扉を荒々しく閉じると、その扉にもたれかかりながらニ、三度深呼吸を繰り返す。そして、目の前にある洗濯機に向かって独り言。
「なんなんだよぉ……結局、ボクが知りたいことは何も聞き出せていないじゃないか……あの子の名前は? 何処から来たってのさ? 何故、ボクの名前を……」
そんなことを呟きながら紺色のトレーナーを脱ぐ。その時、ちょっと引っかかるというか違和感を覚える――が、巡るめく幾つものクエスチョンマークの中、さしてボクは気に留めなかった。
「待てよ。このトレーナーも、彼女が着せてくれたんだよなぁ。変なこと、されなかっただろうな……そもそも、何でウチの場所を知っていたんだ? あ、魔法少女なら何でもありか。それだったら、自分の服くらい魔法で出せばいいのに……」
それだけじゃない。確認したいことは幾らでもある。ようやく一人になって、少し落ち着いてくると、次から次へと浮かんでは消え――姫? 王様? 強化防護服? まるっきり繋がらないぞ……そもそも、あの怪物って?
そんな考え事で頭がいっぱいだったんだろう。無意識のうちにTシャツとパンツを洗濯かごに放り込むと、浴室へと足を踏み降ろす。
シャワーからお湯を出す。さすがは築20年、給湯機も旧式でちょっとコツがいる。一瞬だけ熱いお湯が出た後、適温のお湯が出るんだ。そんなのも毎日のことなので、特に意識することも無く少し間を置いてから、シャワーを身体に。
そして、これまた無意識のうちに下を向く――下を――え?
「ぎゃ、ぎゃああああぁぁぁぁ!!」
悲鳴――もちろん、ボクのだ。ボクの手から抜け落ち、浴室のタイルに叩きつけられるシャワーヘッド。そこからは、まるで気の抜けた噴水のようにお湯が出続けている。
「か……か……か……からだ……ボクの、身体……」
その時、ボクの頭の中を、少女の言葉がグワングワンとリフレインする。
『だって、女の子同士じゃありませんか?』
『だって、女の子同士じゃありませんか?』
『だって、女の子同士じゃありませんか?』
…………
(ま……まさか)
慌てて脱衣所に戻り、鏡の前に立つ――そこにいたのは、すっぽんぽんの、女の子だった。