[28]エーデルワイスの君と、ヒメサユリの君
彼女の柔らかそうな唇から紡ぎだされる言葉――それは変身魔法。津島さんを光と風が包む。
「えっ……!?」
そこには、魔法少女となった津島さんが立っていた――考えてみれば変身した津島さんのこと、初めて見る。そういえば前回の戦闘時、彼女は傍観者に徹していたっけ。
そして今、そこに立っている魔法少女。ボクはその姿、その衣装を見てハッと息をのむ。今までアヤメ、香純ちゃん、浅見さんと魔法少女の姿を見てきた。でも津島さんの姿には、それまで見てきた魔法少女達とは次元の違う気高さがあった。
津島さんが纏うのは薄紅色のコスチューム。花で例えるなら桜、ツツジ、牡丹――いや、そんなありきたりな比喩では収まりきらない、そんな存在感があった。それらの花々が持つ、儚さと気高さを全て兼ね備えたような――そう、例えるなら――。
「ヒメサユリの君……」
思わず口をついて出た言葉“ヒメサユリ”。それは高原に咲き初夏の風に揺れる花。まるで、その花々が放つ芳しい香りまで漂ってきそうな――その姿に一瞬、見惚れてしまう。そんなボクを横に、浅見さんが感嘆とも軽口ともつかないことを言う。
「スゴいねー、やっぱり存在感があるねー。エーデルワイスの君に、ヒメサユリの君かー……この二人が揃うと、私達フツーの魔法少女なんて霞んじゃうわー」
そう言いながらも、彼女もまた、いつの間にか変身していた。
――浅見さんも津島さんのことをヒメサユリって形容していた。津島さんの変身した姿、やっぱりそう感じるのかな。
それにしても、津島さんとボクなんぞと比べてくれるな――というか、ヒメサユリとエーデルワイスじゃ格が違い過ぎる。ヒメサユリに失礼だ。
そもそも『エーデルワイス』っていうその語感から、高貴な花ってイメージで語られがちけどさ。一部の品種を除いて、とっても地味な花なんだ。日本語で言うと『薄雪草』。その言葉通り、どうってことの無い植物。
要するに暑さに弱くて、その上、特別な土壌じゃないと育たない凄く軟弱な花。生存競争であっという間に他の植物に負けちゃうから、仕方が無く夏の直前まで雪に閉ざされているような高山の荒れ地に咲くんだ――そんなことを頭の片隅で考えながら、ボクは口を開く。
「で……どうする? こっちにはまだ、君達を力づくで屈服させるという手が残っている……」
でも、それはだたの強がり、ハッタリ。いや、圧倒された――と言い換えるべきか。津島さんの姿を見た途端、さっきまで頭に上っていた血の気はすっかり下がり、素に戻ってしまっていた。さっきまでの暴言の数々――それを思い出すと、恥ずかしいやら、情けないやらで、穴があったら入りたい気分。
「そうね……」
小首を傾げ、何やら思案のふりをする津島さん。でも、それも長くは続かなかった。彼女は優しげな声色で、ボクに語りかける。
「とりあえず、紫野さんはお返しするわ。勝手に連れ出してしまって、ごめんなさいね」
「え?……」
全く想像だにしていなかった言葉――その言葉通り、アヤメはそこに座っていた。ボクの目の前、テーブルの席に。
津島さんと正対するような形で席についていたアヤメ。彼女は気を失っているようだった。力無く首を落としている。
「アヤメっ! おい、アヤメ!」
「…………」
アヤメの肩を抱き、彼女のことを軽く揺する――が、目を覚ます気配は無い。
それにしてもおかしい。何で目の前にアヤメがいたってこと、気付かなかったんだ?
「幻惑の魔法……でも、おかしいわね。魔法少女として最初に習う基本中の基本のはずなのに、そのことに思い当たらなかったなんて……本当に不思議な方ね、果無さん」
まるで心の中が読めるように、ボクが思った疑問に答える津島さん。
「幻惑?……津島さん、ボクにその術を?……」
「ええ。貴方が入って来る瞬間に。紫野さんの姿が目に入らないよう、惑わしたの」
「……で……アヤメを……どうした?……目を覚まさないぞ……」
「少し痺れさせただけ。もうそろそろ気が付くんじゃないかしら? 暫くは自由に身体を動かせないと思うけど」
「……何故、こんなことを……」
「彼女に聞こうと思ったの。少し粗っぽい方法だけれどもね。例えば、よ? 先週の金曜日だったわよね? 突然、校舎が崩れ出して……でも、次の瞬間には元通り。あれは何だったのかしら」
「う……」それ、ボクの仕業。
そうだった――アヤメによると、何とかっていう修復術式が発動するまで数秒の時間差があったそうだ。当然、その場に居合わせた人達はその不思議体験をしている。
実際、そのことはクラス中の話題になっていた。けれども、そんなことが実際に起きた証拠なんて何も残っていない。そんな訳で結局、集団ヒステリー的な何かで片付けられ、それ以上不思議に思う人はいなかった――彼女達、魔法少女を除いて。
「もっとも……元通りって言っても、かなりいい加減なものだったわ。机が減ってたり、イスが増えていたり……花瓶の花なんて何やらおぞましいクリーチャーになってたわ……私達が魔法で元に戻したけど。お陰でこの間の週末、かなり大変だったのよ?」
(おい、そんな話聞いてないぞ!?)心の中でそう叫んだとき、耳元でささやく声が。
「……空間のスキャン精度が悪かったのでしょうか……こりゃ、〈ユル・イアル・エア・ソーン〉システムの業者を呼び付けて、思いっきり値引きを迫らないと、ですね……」
「アヤメ!」ボクは声の主に振り向き、声をかける。
彼女はようやく気が付いたようだ。弱弱しい声だったが、意識はしっかりしているようだ。その姿をチラリと見ると、津島さんは話しを続ける。
「その後は、生徒に成り済ました傀儡が現れ出して……でも、いつの間にか傀儡は消えて、生徒達は戻ってきた……私達は混乱したわ。何かの破壊活動? それにしては、どこか変。こんなまだるっこしいことをして、何をしたいの……ってね」
「……そ、それは……」
「いろいろな可能性を考えたわ……でも、答えは出なかった。紫野さんを連れてきたのはね、貴方達の真意……いったい何を目論んでいるのか。それを聞きたいと思ったの……」
津島さんは目を瞑る。その仕草はまるで、何か重大なことを決断しようとしているみたいだった。
「でも、それはもう不要ね」
――え? それって、どういう意味?
「貴方達は、やはり敵……今のでハッキリしたわ」
そう言いながら再び瞼を開ける津島さん――その瞳を見て、ボクはハッと息をのむ。彼女の瞳には昏い炎が宿っていた。
「ë・g・o~~ミズガルズル!」
魔法の呪文。その呪文に呼応して、ボク達の足元から幾筋もの何かが立ち昇る――そう、それはまるで土色の大蛇、地獄の蓋に開いた隙間から鎌首をもたげるようにして。それがボク達に巻きつこうとする。
「うわぁぁぁっ! なんじゃこりゃぁぁ!」
思わずボクは情けない声を上げる。そう、一連のやり取りでボクはすっかり毒気を抜かれていた。声を上げながらも、必死にアヤメを抱え上げ――
「アヤメ、大丈夫? 何ともない?」
「……姫様ぁ……駄目ですぅ。ピリピリ痺れて、体の自由が全く……あああ、ワタシったら全く……本当に、申し訳ないです!」
「説明は後! 逃げるよ、a・r・n・i――」
――慌てて飛行魔法を唱える。が、しかし。
ほんの僅か、遅かった。魔法の大蛇は足首に絡みつき、脚へ、腰へ、体へと、次々に巻き付く。全力で振りほどこうとするボクをあざ笑うかのようだった。まるで強靭な筋肉でできた蔦。その鋼鉄の軛が二人を捕える。
「駄目だ……まるっきり、びくともしない」
「そんな……強化防護服のパワーで振り解けないなんて……あり得ないです!」
がんじがらめにされ、身動き一つ取れないボクとアヤメ。渾身の力を込めても、まるっきり駄目。それどころか、徐々にボク達の体を締め上げる。吐き出したまま、吸い込むことができない息。次第に頭の中が真っ白に――。
抗うことができず、定まらない焦点のまま思わず視線を津島さんに――彼女は憐れむような口調でボク達に語りかける。
「ミズガルズルの楔で締め上げているのに持ちこたえるなんて、やっぱり普通じゃないわね……でも、ごめんなさいね。闇は闇に帰ってもらうわ。s・i・ŋ――」
津島さんの攻撃魔法――術に呼応するように彼女の周りに数十の火球。それらは踊るようにバラバラの軌跡を辿っていた。しかしそれも束の間、火球は振り上げた彼女の右腕へと集う。それはグルグルと廻り、いつしか炎の渦と変わる。
ボクを焼き尽すはずの灼熱の炎、それを彼女は打ち出す。




