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[20]魔法少女、現る

 五月の嵐。今朝の天気予報で夕方は猛烈に荒れると言っていた。アナウンサーが『上空の寒気と暖かく湿った空気がぶつかり合い、場所によってはひょうが降るでしょう』なんて、まるで脅しをかけるような声で喋っていたことを思い出す。


 幸いこの辺りでは雹は降っていないけど、大粒の雨が学校の窓ガラスを激しく叩いている。その音があまりにうるさくて、いつしかボク達二人は大声で言葉を交わしていた。


「では姫様! 急いで実験室へ。ちょうど今、ターゲットのお二人がいるはずです」

「うん、科学部の二人だね。実験準備室に物を取りに行った時に巻き込まれちゃった」

「そうです! 校舎の崩れた部分に実験準備室が含まれていました。放課後、実験室を使っていたのは科学部の方々。一年生の仲良し二人組が、運悪く実験準備室にいたようです」

「で、今日も二人、上級生が来る前に実験室で準備をしているんだね!」

「はい!」


 情報収集の甲斐あって、ボク達は科学部の同級生が体育の時間、なんと県大会レベルのタイムを叩きだした、という噂を耳にすることができた。

 その子たちはまぁ、運動不足気味の科学オタクらしく、体育の授業は『参加することに意義がある(内容については問わないでね?)っっ!』的スタンスの持ち主だったため、突然の好タイムというニュースが、ひとしきり噂になったって訳。


「――要するに、戦闘用アンドロイドが本人達の運動レベルを認識しないまま、その運動能力を発揮して、思わず『イチバーン!』をやっちゃったと」

「ええ……〈デュープ・パペット〉としては、かなり押さえたつもりだったのでしょうが所詮は人工知能、そこまでは頭が回らなかったようです」

「じゃあ、実験室に入るよ!」


 ドアを開けると、シンとした実験室がボク達の目の前に広がる。薬品の微かな臭いと、整然と並べられた実験机。二人の姿は見当たらない。


 分厚く真っ黒い雲に覆われた外は暗くて、ちょっと気味が悪い。ガタガタと風に揺れる窓ガラス、相変わらず大きな雨粒の音。思わず、嫌な感じが頭をもたげる。その不安を振り払うように、ボクはアヤメに話しかける。


「準備室にいるのかな?」

「とりあえず、入りましょう」


 ボクとアヤメは連れ立って実験室の中へ――その時、立ち眩みのような感覚に襲われる。


「あれ、おかしいな?」と思ったのも束の間、次の瞬間には立ち眩みは収まる。


 少し気になりアヤメの方へと振り向く。彼女も同じように感じたのだろうか、何か言いたそうな目でボクの顔を覗き込んでいる。そして、視線を実験室に戻した時。


「えっ!? どういうこと?」


 そこは、実験室では無かった。ただの、だだっ広い空間。そして、その空は――


「パステル色のマーブル模様!? え……結界の中!?」

「……姫……様?……」


 地平線の向こうまで並ぶ実験机と窓、備品棚。それだけが現実世界の残滓、まるっきり現実味のない空間。ボクの隣にはアヤメのぽかんとした表情。それだけが、この空間の中でボクにとって現実味のある存在。雨粒の音は、いつの間にか消えていた。


「アヤメ……結界を展開したの?」

「いえ……〈ギョーフウルラグラグイス〉は発動させていないです……これって……どういうことです? 姫様……」


 ボクに聞かれても……思わず不安に駆られたボクはアヤメの手を握る――アヤメもボクの手を強く握り返してくる。

 訳も判らずボク達は歩みを進める。今しがた入ってきた入口も、どこへ行ってしまったのか分からない。その時だ。


「――妙なところでお会いするのね、お二人さん」


 その声はボク達の背中から聞こえてきた。思わず振り向くボクとアヤメ。そこには、津島深央さんが立っていた。


「結界の中に、どうして入ってこられたのかしら?」


 どうしてって聞かれてもこっちが困る。むしろボクが聞きたいくらいだ。


 混乱した頭から何とか答えを引き出そうと足掻いていたその時だ。空間の一角に扉があることに気が付く。そして、その扉が不意に開く。それはきっと、実験準備室へ通じるドア。そこから出てきたのは――


「深央ー、この子たち、やっぱそうだったよー。って、あら?」

「浅見さん!?」


 昨日生徒会室で出会ったボーイッシュガールが、二つの驚愕を引き連れて目の前に現れる。


「どういうこと? その格好?」「嘘……!?」ボクとアヤメの声。


 間違いない。魔法少女の衣装を纏った浅見さんだった。彼女のコスチュームがただのコスプレで無いことは、雰囲気を見ればわかる。

 その衣装は青みがかった紫色を主体テーマにしたカラーリング。その中に散りばめられた白や深緑のアクセントが映える。それはミヤマリンドウをモチーフにしたような。

 そのデザインは変身したボクやアヤメに相通ずるものがあった。そう、どっからどう見ても、目の前にいるのは紛うことなき魔法少女。


 しかしボクを驚かせたのは、浅見さんの姿だけじゃなかった。二つ目の驚き――それは彼女が抱えていた人形。


「何で〈デュープ・パペット〉を!? どうやって、エクセプション・モードに?」

「ふぅ……ん」


 アヤメが思わず漏らした言葉に津島さんが反応する。そのことに気付いたのかどうか分からなかったが、同じタイミングで浅見さんが津島さんに声をかける。


「深央の言う通り、この子たち、傀儡くぐつだったよー」

「そう。やっぱり入れ替わっていたのね」

「で、どうするー? これから」

「そうね……」津島さんはボク達に振りかえる。「とりあえず、お話を聞こうかしら?」


(話を聞きたいって、何を!? というか、こっちの方が状況を説明して欲しいよ!)そう心の中で叫んだ時、三つ目の驚きがボク達の前に現れる。さっきの扉からもう一人、出てきたのは――


「香純ちゃん!? 何で、キミが!」

「……果無さん?……紫野さん?……」


 風見香純ちゃん――この少女もまた、魔法少女だった。彼女のは黄色をテーマにした衣装。薄い黄色を基調に、白と、山吹色。橙色のアクセント。そして彼女もまた、等身大の人形を抱えている。

 立ち尽くすボクとアヤメ。その姿を津島さんがじっと見つめている。


「学校の破壊、生徒達と入れ替わり紛れ込んできた傀儡。そして、それと前後してやって来た貴方達……関係無いと思う方が無理ね。教えてくださる? 何を企んでいるのかしら」

「そ、それは……」


 津島さんは優しく、しかし冷たい言葉でボク達を締め上げる。しかし何も答えられない。今度は、浅見さんが追い打ちをかけるように言葉をかけてきた。


「実はさー、月曜日に屋上でキミ達を見ちゃったんだよねー。理沙りさっち、何かいつもと違う、おかしいなー、と思って様子を見に行ったんだ。そこにキミらがいたって訳」


 ……そうだった、井澤さんいいんちょうと合唱部の女の子達を取り戻した時、屋上に続く階段で人の気配がしたんだっけ……それは委員長の様子を見に来た浅見さんだったんだ。

 つまりボク達が彼女の結界に入り込んでしまったように、彼女もまたアヤメの結界に入ってこられるということ。そのことにたった今、気がつく。


「――で、キミら何者? これって、傀儡だよね? 傀儡を使って、何をしようとしてるのかなー?」

「さあ、答えて。場合によっては、貴方達を許さないかもしれない。だって、生徒達をこんな目にあわせているんですもの……」


 そう言うと、津島さんの視線は二人が抱えている人形の方へと向かう。


(そっか……ボク達が悪意を持って女の子を人形に入れ替えたと、誤解しているんだ……)


 ようやく状況が少しずつ分かってきた。しかし――さぁ、何から話せばいい?


「……えっと……」


 あからさまに疑いの目を向ける津島さんと浅見さん。一体どうやれば彼女達を説得できるんだろう……というか、説明責任はアヤメにあるんじゃないか? そう思い、アヤメの方に振り向くが……。


「………………」


 おい、アヤメ!? 彼女ったら、口をぽかんと開け、心ここにあらずといった表情。ちょっと古い表現だけど『おったまげた!』というのがしっくりくる、そんな感じ。

 参った……じゃあやっぱり、ボクが説明しなきゃ駄目? さぁ、どこから説明しよう――必死に頭を巡らせる――その時だった。


「あ、こいつ!」


 人形が浅見さんの腕をすり抜け、大きく跳躍する――その先にいたのは、津島さん。人形は攻撃態勢を取り、津島さんに襲い掛かる――あっ、と思う時間すら無かった。しかし、津島さんに危害を加える直前、その人形は別の方向に飛びのく。


「ハスティグリット!」


 それは浅見さんが放った攻撃魔法。光のつむじ風――そう、まるで赤熱した鋼線を螺旋状に巻き上げて、それを一気に放ったような感じ。人形はその攻撃を感じ取り、回避したのだ。


 しかし攻撃魔法もまた、人形を穿つべく軌道を変える。『バシッ!』という鋭い音と共に、人形の片足が吹き飛ぶ――残った方の足で何度もジャンプを繰り返し、大きく退く人形。


「ちっ。素早いなー」舌打ちする浅見さん。


 そして津島さん。彼女は背筋を伸ばしたまま、表情一つ変えずにその様子を見ていた。スカートと、綺麗な髪をなびかせただけ。目の前に迫ってきた人形、そして魔法攻撃による風圧。しかし彼女は全く怖気ついていなかった。

 まるで『この程度の相手では、例え髪の毛一本でさえも、自分を卑しめることなど決してできない。そんなあり得ないことのために、この私が自ら動く必要があって?』――そう言っているかのようだ。


 それはこの人形の攻撃をかわすことなど雑作もない、という絶対の自信か。それとも、浅見さんの援護に対する絶対的な信頼なのか。とにかく、とんでもない肝っ玉だ――まるで、ボクとは正反対。


 ボクの隣でアヤメが突然騒ぎ出したのは、そんなことを考えていた時のことだった。


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