[100]裸の付き合いもイイもの…なのか?
「はい、姫様。お背中、お流ししますね?」
ざばぁ。
ボクのすぐ脇にいるのは、浴槽の縁で膝をついているアヤメ。彼女は黄色い洗い桶になみなみとお湯を掬い、そっとボクの肩に掛け流した。
お湯と一緒に流れていくしゃぼんを背中で感じながら、ふと目が合ったアヤメの瞳から目を逸らした。すると今度は、同じような体勢で同じようなことをしている二人組が目に飛び込んできた。
「miwa姫。さ、お背中お流しします」
「はーい!」
ちゃぽん。
ベルさんもアヤメのように浴槽の縁で膝をつき、ユラユラと波立つお湯の中に洗い桶をそっと差し入れた。三つ編みを解いた彼女の髪は、うなじの上で綺麗に纏められている。思いのほか長い栗色の髪。しっとりと濡れた髪と伏せ気味の視線。そんな彼女の放つ艶やかさに心臓がドキリと脈打つ。
さっきまでのおちゃらけキャラとは、まるで別人だった。
さばぁ。
そんな音と共に、miwa姫の身体が洗い流される。ベルさんは愛おしそうな手つきでmiwa姫の白く美しい腕を取り、呟くように囁いた。
「miwa姫……今日はお疲れになったでしょう? 変な人が続々とやってきて、あーでもないこーでもないと大騒ぎになって……。さ、私めがマッサージを」
恭しい手つきでmiwa姫の腕を揉み解し始めるベルさん。仲睦まじくそっと身を寄せ合う二人。耽美という言葉がしっくりくる、退廃的な百合な気配が濃厚で。
そんな二人を凝視するだなんて、とても気まずくて。ボクは居た堪れずに目を伏せる。
ところが。
一緒にそんな二人のやり取りを見ていたはずのアヤメは、何やらボクとは違う衝動に突き動かされたらしい。何を思ったか猛然とボクの腕を引っ張り始めた。
「姫様! ワタシ達もマッサージです!! さ、腕をこちらへ!」
「おいコラ腕を引っ張るなよ」
「うにうにうにうに……」
「止めろコラ! 気持ち悪い、くすぐったい、痛、イタタタタ!」
チラリとこちらを伺うベルさん。彼女はアヤメから視線を外すと、何を思ったか、今度ははち切れんばかりの笑顔をmiwa姫に差し向けた。
「miwa姫? 私達も。さ、お身体もマッサージしましょうね」
もみもみもみもみ……。
うわ、マジか。凄いことやってる。てかエロ禁止なんだろ? 強制退場なんだろ? ビリビリって来るんだろ? ……なんでこの人、大丈夫なんだよ!? あんな所やそんな所を……め、目に毒過ぎる……。
目の前で繰り広げられるスペクタクルにドギマギしたのは、どうやらボクだけじゃないらしい。
「ッ!?」
そんな声にならない声を発したのはアヤメだった。
「どうしたアヤメ」
「ひ、ひ、姫様! マッサージです! 全身マッサージです!」
「なに触発されてるんだ……正気かおい!? ちょっとぉっ!? ぐぎゃぁぁぁっ、そ、そんなところ触るなよ……張り合ってどうする!? ああっ、勘弁してぇっ!」
「いやぁ……イイ体してますなぁ姫様……ムニムニ。ワタシと姫様、いつも一緒ですよォ……今度はこんなトコロ、イカガでしょう?」
「ふひゃぁっ、ギブ、ギブアップ!」
助けを求めるように、ボクの視線はベルさん達の方へ。ところがそんなボクの目と耳は、さらに過激で刺激的な光景と音声に晒されることとなる。
「むぬぅ……私も負けてられないわッ! miwa姫……いつもながらマシュマロのようなお肌、素敵です。えい、スリスリ」
「きゃ! いやぁん、ベルさん」
「!? ぐぬぬ……姫様! ワタシ達も……」
エスカレートしていくアヤメとベルさん。一体いくつの目がこっちを見つめているのか、二人とも知らない訳は無いだろう。
津島さんに、NPCプリンス軍団に、その他ギャラリー多数。とゆーか、いつの間にかギャラリーが増えているような。イモ洗い状態の大浴場。まんじりともせず、遠巻きにこっちを見つめている彼等の息を飲む音さえ聞こえてきそう。
もちろん、謎の湯けむりで防御されているといっても、この醜態はだいたい見えちゃっている訳で。むしろ中途半端に隠しちゃうという行為は、むしろ人間の想像力を逞しくするということは、ボク自身、経験が無い訳でもなくて。もちろん、その対象の中にボク自身が入っているのはちょっと想像もつかないけれど、そうは言っても、気遅れするなという方が無理な相談だ。
「み、美彌子……さん!?」
目をやると、眩しそうにこっちを見たまま立ちすくんでいる津島さん。いくら謎の湯けむりで防御されているといっても、すぐそこに憧れの君、超絶美少女の津島さんがマッパで立っている。こんな夢の様なシチュエーション、かつてのボクなら想像しただけで悶絶しそうな代物だけれども、今この瞬間、この状況を楽しめる程には、今のボクに心の余裕は無いみたい。
冷静な口調――だけど信じられない、といった顔つきで彼女は言った。
「ふぅん……美彌子さんに柴野さん……そうなのね?」
「ちょっと津島さん!? そうなのねって、どういう意味です……いえ、大体想像はつくのですが……違うんです多分!」
「お二人のご関係、想像以上だわ」
「あー違う違う! 誤解です! アヤメったらふざけて うわ!」
身体と身体がもつれて、濡れた大理石の上で思わずバランスを崩すボクとアヤメ。勢い身体が圧し掛かるような体制になって――
「きゃあっ、姫様! 押し倒さないでくださいぃ……いやぁん!」
「違う正当防衛! いい加減にしろよぉアヤメ」
――そう、正当防衛。だけど津島さんの瞳は、さっきにも増して熱っぽくなる。
「いつも、このようなこと……を……しているの? まるで百合ロマンス小説みたい……」
「だから違うって! アヤメからも言ってくれよ」
「お湯あみで姫様のお身体をお流しするのは、臣下たる者として当然の務めです!」
「さすが魔法の国のお姫様とお付きの人ね……高貴な方々の赤裸々な生態……小説に書かれていたアレとかコレとか、本当だったのね。はぁぁ……私のような一般人とは、住む世界が違うわ」
いえいえ、納得しないでください。少なくともボクに関しては津島さんと住む世界は同じだと思います……むしろ津島お嬢様の方が高貴な雲上のお人だと思います。
「あちらの世界ではこれが普通なのね。また一つ、物知りになったわ」
違う!
「いえ、勝手に知識を深めたような事を言わないでください! それ、間違いですから! ちょっとベルさん! ベルさんからも言ってください! ゲームの中だからちょっとふざけているだけだって……」
「うふ。これしき、侍従として当然の務めです!」
ベルさんは胸を張ってそう言うと、miwa姫の手を取りゆっくりとお湯の中へと入っていった。つまり肯定ってこと? ああ、やっぱりこの人をコントロールするなんてこと、ボクにはできそうにない――そんな想いはさて置いて、二人につられる様にしてボクとアヤメもお湯の中へ。津島さんのそばに寄ると、彼女は肩までお湯につかり、気持ち良さそうに背伸びした。
目の前にはそんな津島さんの、しっとりとお湯に濡れた肌。言葉では言い表せないくらい艶やかで、いつも以上に彼女を、魅惑的な深窓の令嬢に仕立て上げていた。
ここにあるのは情緒あふれる温泉風景――静寂を引き裂き、響き渡る浅見さんの声を除けば。
「何!? さっきからあられの無い声が……ひょっとしてエッチなイベント? 私、蚊帳の外かよー! こんなところで声だけ聞かされて、生殺しすぎるわー……わ、私も仲間に入れてーッ……こうしては居られない! さあ、根性を見せるのよ私……ギャッ……!」
ビリビリ。
「あわわぁ……浅見さん、またビリビリって来ましたぁ……無理し過ぎですぅ」
壁の向こうからエコーがかった浅見さんと香純ちゃんの声。浅見さん、どうやら諦め切れず突撃してこようとしたらしい。ガッツだけは誰にも負けないスポーツ万能系魔法少女だった。
「――よっ。あんたの拳、ズシリと来たぜ。あんな重い拳、何年ぶりだろうなぁ……」
渋い声に振り返ると、お洒落髭を顎に蓄えたワイルド極まりない貴公子が仁王立ちしていた。あれ、見覚えのある顔だなぁ……と、記憶を呼び起こすと、さっき津島さんにいい様にヤラレタ社交界の若き師子王だった。
というかコイツもマッパです。ああ、嫌だデリカシーが無い男。ちゃんとタオルで隠せよ……幸い、湯けむりと謎の光線で見たくないものは視野に入らず済んでいるけど。
「おねーちゃん、強かったよ! また闘ってよ!」
その隣には紅顔のショタ王子。これも津島さんが攻略予定だったNPCだ。このゲーム、腐女子のいろんな趣向に対応しているらしい。まるで女の子のような髪形をした華奢な少年の顔が笑顔で弾ける。そして津島さんは。
「ええ、望むところよ!」
イカガワシイ裸の男の出現に、一瞬、びくりと身構えた津島さんだったけど、彼女も屈託のない笑顔を返すと拳を作り、さっき熾烈な一戦を交えた好敵手と友情を確かめ合うように、その拳を軽くぶつけ合った。
その瞬間、言葉無き熱い言葉が交わされたのだろう。彼女と彼等の、湯けむり以外阻むのが何もない魂の邂逅をきっかけに、続々とやってくるさっきの対戦相手達。津島さんとイケメン達は、和気あいあいとした雰囲気で相手を称える賛辞の言葉を交わし、次なる戦いを約束し合った。戦いの中で芽生える友情。まるで少年マンガのような光景。
とゆーか。
ずいぶんオープンな態度の津島さん。こんなマッパの男共を前にして、平然としているのが信じられない。てか津島さん、どうして大丈夫なの? 平気なの? 堂々と自分の裸を見られて?
いやまぁ、確かに中の人は居ないし、ただのAIだけどさ? それに何とかフィールドのお陰で襲われる心配は無いって言うけど……さっきまで男のことをあんな嫌がってたのに……。
もちろん、現実世界で温泉の中に裸の若い男女なんてまずあり得ないし、見たことも無いけれど、少なくともボクが知っているアニメやマンガでさえ、こんな反応をする女の子というシチュエーションは記憶が無い。
アヤメの言う様に、ゲームの中だとタガが外れてあけっぴろげになっちゃうのかなぁ。それとも、温泉効果で気持ちがゆったり大きくなったせいかなぁ。ボクには到底理解でき無さそうな乙女心。こんなのを乙女心と言うのなら、だけど。
そんなボクの思いをよそに、見る目麗しき高貴な出自という設定のナイスガイは、あろうことかこっちに流し目を送ってきやがった。
「それにしても、こっちのmiwa姫のそっくりさんにもびっくりしたぜ……あンた、マジでプレイヤーなの?」
「あはは……あまりこっち見ないでください」
「おおっ、恥じらう姿も色っぽいね! グッときちゃうぜ」
「嫌だ! 男は嫌だッ!」
心の叫びと共に、この自信過剰気味な王子様の視線を避けるべく、思わずアヤメの後ろに回る。ひょっとして、こんな仕草が男の嗜虐性に火をつけるのではなかったかと思い出し、小声でアヤメに呟いた。
「だ、大丈夫だよね……?」
「はい姫様! 安心仕様ですから! 皆さん紳士ですから!」
安心仕様というのが良く分からないけど。そんなアヤメに呼応してイケメン軍団がうんうんと頷く。
「おう、そうだぜ? 俺ら紳士だからさ」
「くうっ、こんなクールな形して可愛らしいねぇ。俺のハート直撃だぜ。くそっ、人畜無害なNPCなのが悔やまれるぜ畜生」
「気を付けなよ、金髪のおねえちゃん? お姫さまを食べちゃおうっていう狼もゴロゴロしてるんだからさ? ……ま、その時はボクらが守ってあげるけどさ!」
うぎゃぁぁッッ……止めてくれ。媚びてるつもりか。そんな言葉で靡くと思ってるのか。それにしても、まさか自分がそんな色香を放つなんてこと有り得ないと思いたいのか、実感が湧かないのか。そんな風に言われると、自分自身が何やら得体の知れない存在に変わってしまったような感じで、何となく落ち着かない。できれば違うと言って欲しい。
「ちょっとあんた達! ここ女の子エリアよ! 女の子の場所にずかずかと入ってくるんじゃないわよ! キタナイモノ見せつけてるんじゃないわよ!」
そんな温泉の王子達に噛みつくベルさん。しかも、もろストレートな言葉で。こんなな言いよう、とてもボクには真似できない。だけど王子様達は王子様だけあって、こんなタイプの女性のイチャモンにも慣れている模様。チャラい言葉で難なくいなす。
「えー、いいだろ? 俺達NPCだしさ、変なことしないって」
「そうだよ! ベルおばちゃんったら堅苦しいよな」
「うぎぃ……ッ! おばちゃんですって! 聞き捨てならないわ、私まだ22よ……」
え、ベルさん。22歳なんだ……てっきり、ボクと同じ位だとばかり思っていた。それにしてはちょっと幼過ぎるような気がします。
「あの……ベルさん?」
「何ッ、ニセモノっ!」
「……これからはベルお姉さんとお呼びしましょうか?」
「シャラッッップ!!」
はい。却下されました。
でも、下心とかスケベ心とか抜きにして、こんな風に見ず知らずの人達とワイワイとお湯に浸かるのって、案外と楽しいかもしれない――そう思い当たったボクだった。




