[99]温泉に黄色い洗い桶は付きものらしくて
「香純ちゃん!?」
「ああっ、美彌子っちまで行かないで!」
「……はい?」
逃げる香純ちゃんを追おうとするボクの腕を、浅見さんががっしと掴む。
「どしたの浅見さん? 早く香純ちゃんを追いかけないと」
「やだー! 美彌子っちとお風呂入るのーっ」
「でも……」
「せっかく美彌子っちと裸のお付き合いができるチャンスなのにー」
え?
裸のお付き合い?
「じゃなかった! ほら、せっかく温泉に入れるんだよー? ゲームの醍醐味だよー? こんなチャンス滅多に無いよー」
まるで取って付けたように、パタパタと手を振り否定のジェスチャーを送る浅見さん。でも、とってもわざとらしい。
「それはエロゲーのイベント的な意味でしょうか? 浅見さんそーゆーの好きなんですか?」
「違う違う! 違うんだってー。ほら、『あったかいお湯につかってリラックスー』みたいの、VRでどんな風に再現できてるか、体感してみたいじゃんー?」
「まあ、ちょっと興味はあるけど」
「でしょ? 美彌子っちには楽しんでもらいたいんだよー」
「でも香純ちゃん……」
「香純はほらー、超シャイじゃん? いくらゲームの中でも、大勢の前で脱ぐのは嫌なんでしょー。まー残念だけどさー。でも、せめて美彌子っちには楽しんでもらいたいわけよー」
うーん……だけど……。
「香純なら大丈夫だってー。そこら辺でこっち見てるって。試してみよっかー? おーい、香純ーっ!」
「はぃぃー……」
少し間をおいて消え入るような頼りない声。目を凝らすと、曲がり角からひょこりと顔を出している香純ちゃんがいた。浅見さんの言う通り、遠くへは行っていなかったみたい。さっきからコッソリとこっちを見ていたのだろう。
「ほら_ 私の言う通りでしょー? 付き合いが長いんだから香純のことは良く知ってるってー」
「付き合いが長いって、高校に入ってから知り合ったんじゃなかったっけ? ボクと2ヶ月も違わないじゃないか」
「まーまー、細かいことは気にしない」
「美彌子さん……浅見さんの言う通り、私のことは構わず楽しんできてくださぃ……」
怯えたような縋るような目をしたままこっちを見つめる香純ちゃん。まぁ、香純ちゃんがそう言うなら。とゆーか、恥じらう香純ちゃんカワイイよ香純ちゃん。
「分かったよ。それじゃ行こっか?」
「やったー! この日が来るのをどれだけ待ち焦がれていたかー……すっぽんぽんの美彌子っち……ぐふふ……美彌子っちったらこんな色白でキメの細かい肌してるんだもん……反則だよー。脱いだらどんな凄いことになるやら……さぁ……おねーさんが、うーんと愛でてあげるから、一緒にお風呂入ろー!」
ボクの手を取りスリスリと頬ずりを始める浅見さん。やっぱりちょっと、間違った決断を下してしまったような気がしてきた。
「あのー……浅見さん?」
「憧れの『ヒメサユリの君』に『エーデルワイスの君』……学園の天使、全校生徒羨望の的、そんな雲上のお二人とお風呂っ! さぁ、おねーさん、攻略しちゃうぞー? 覚悟はイイ? 美彌子っちー」
「少しは下心を隠してください浅見さん。てゆーか、そのイヤラシイ手つき何ですか」
「違う違う! 誤解しないで! 私、そんなだらしない子じゃないのよー? こう見えて、身持ちは超堅いし、とーっても真面目なんだからー! さー、脱ぎ脱ぎしましょうねー」
ニヘリと蕩けた表情の浅見さん。今度は指をクネクネさせボクの胸元に触ろうとしている。これはヤバい。
さっきから変態チックな単語を並べ立てる浅見さん。この緑系魔法少女……そういう趣味の持ち主だったの!? 女の子とのボディタッチが心持ち多かったり、エッチなことに興味津々っぽいところは、確かにちょっとあったような気がするけど、マジもんかこの人!?
スポーツ万能サバサバ系美少女で通っている彼女が、こんな変態性を内に秘めていたなんて。白状するとボクも下心全開だった……さっきまでは。だけど、こんなむき出し欲望の目の当たりにすると、心の底に秘めていたはずの甘酸っぱい願望でさえ、完全に萎んでしまうみたいだ。
人の振り見て我が振り直せ。冷静になるということはきっとイイ事……だぶん、だけど。
とゆーか浅見さん、そんなスケベな目で見ないで欲しいです。完全に理性のタガが外れちゃってる。ゲームの怖さというのはこういう所にあるんだな。
「何だよー美彌子っちー? イケメン君の裸見れて嬉しくないのー?」
「全ッッ然、嬉しくないです!」
強調しておきます。見たくないです。視界にさえ入れたくないです。
「じゃー、深央の裸は見たくないのー?」
「あ、それは見たいです」
偽らざる心の叫びです。
「よし、行こー! やべーぜ深央と美彌子っちの裸だー」
「ああっ、だけど心の準備が……ちょっと待って……」
罪悪感と好奇心のせめぎ合いの中、浅見さんはボクを引きずっていく。そして、そのまま大浴場の入り口に差し掛かった時だ。
「ギャッ!?」
浅見さんの悲鳴。今、ビシビシって電気が走ったような……どうしたんだ!?
「あ、浅見さん……ど、どうされましたぁ……?」
向こうの曲がり角からのんびりとした緊迫の声。香純ちゃんのだ。
「ホントどうしたの浅見さん?」
尻もちをついたままの彼女に手を貸しながら尋ねるけど、ガタガタ震え目をグルグルさせるばかり。そんな浅見さんの代わりに答えたのはアヤメだった。
「ありゃりゃー、ブラインドガーディアン・プロテクションを発動させちゃいませたねぇ」
「ブラインドガーディアン・プロテクション?」
「はい! お風呂場には一種の防護フィールドが張り巡らされていて、エロいことをしようとしますと、ビリビリって来るんです!」
「ちょっとー、エロいことって、エッチなことなんて、何もしてないじゃないかー」
「はぁ。そうは言われましても……システムがプレイヤーの深層心理をモニタしてるんです。一線を越えますと、防護措置が発動されるのですよ……」
「何だよそれー、くそー、負けないぞー!」
再び果敢にチャレンジ。だけど再びビシビシっと電撃が走り跳ね返されて――そんなことを3、4度繰り返す浅見さん。見るからに痛そうだったけど、彼女は負けなかった。それはストイックな彼女の生き方がなせる業か、あるいは彼女の下心がそれだけ強いことの証左か――。さすがスポーツ系少女、根性だけはあるみたいだ。
だけど結局、浅見さんは運命に打ち勝つことはできなかった。
「……しくしく。美彌子っちの裸を見たいよぉ……深央とイチャイチャしたかったよォ……イケメン軍団をチラチラとのぞき見したり、この私のナイスバデーでそんなイケメン軍団を誘惑してからかったりしたかったよー……」
ボロボロになった浅見さんは悔しそうに顔をゆがませ、遂に泣き崩れた。いつの間にか戻ってきた香純ちゃんとボクに背中を抱かれたまま、彼女はさめざめと泣き続ける。
「浅見さん……そんな辛そうな顔をしちゃ駄目ですぅ……」
「何で私は駄目なんだよー……ちょっとしたワクワクドキドキは人生の潤いだろー? 心のトキメキは人間的活動の原動力だろー? ちょっとした下心さえダメなのかよー……」
「かなり厳しいですが、これも健全なゲーム運営のためでして。アレです、何しろゲームですから、あんなことやこんなことが自由自在にできちゃいますから、こういったシステムを入れないと、歯止めが効かないんです」
あー、なんか分かるような気がする。
「油断してるとプレイヤーがエロ方面に突き進んじゃうってこと?」
「有り体に言いますとそーゆーことでしょうか? エロは文明の原動力などと言いますけどね。まぁ、これがイワユル全年齢版の限界ってやつでしょうかねぇ?」
年齢制約版ですか。てことは18禁版ってのもあるんでしょうか? でもどーせ、『ライトエディションですから! 18禁はアルティメットエディションでどーぞ!』ってオチなんだろうね。
「なお、ライトエディション関係なくこのゲームに18禁版はありません! 念のため」
「あ、そうなの?」
「え?」
「いやいや、何でもない」
ちっ、フェイントで来やがったか。
「残念だけど……私たちは外で待ってるからー。私の分まで目の保養に勤しんでね! 楽しんでね! 美彌子っちー……」
「ですぅ……」
「後は託したわー! 頼んだぞー美彌子っちー」
本当に名残惜しそうな浅見さん。
「それではお二人、後ほど合流いたしましょう! さ、姫様!」
浅見さんと香純ちゃんに見送られて、チョッチ後ろ髪を引かれる想いも抱きつつ、今度こそボクはアヤメと大浴場へと入って行く。
「ねぇアヤメ?」
「ハイどうされました姫様? どうも釈然としないご様子で?」
「何でボクはビリビリって来ないの?」
「はい?」
「いや、だって。こう見えても十分、下心たっぷりのつもりなんだけど?」
「そのことですか!」
アヤメは『なんだそんな事ですか』と言いたげな表情で笑顔を見せた。
「姫様は大丈夫です! 何しろ姫様ですから!」
予想通り答えにならない答えを従えながら、ボクとアヤメは脱ぎ始める。
「このアバターって、リアルなボクらを正確に再現してるんでしょ?」
「はい! そりゃもう、外見だけじゃなく、あんな所やこんなところまで! ヤバいっすよ姫様! 内臓までバッチリです」
「内臓っておいこら……」
「あ、ちなみにこの技術は医療法面にも応用されていて、王国民の健康のためにも活用されているんですよ?」
「ふぅ……ん。でもさ、プライバシーは大丈夫? それこそハッキングされたデータを元にクローンみたいのが量産されてエロ方面に使われたりとかって、とても有りがちなような気がするんだけど……」
「昔はそんな事件がよくありましたね!」
あったのかよ。ヤバいじゃんそれ。
「あ、姫様! 苦虫を噛み潰したようなお顔をしないでください! 大丈夫です、今はちゃんとセキュリティーがしっかりしてますから!」
信用できない信用できない。
「ましてや姫様の生体データ、その市場価値たるや天文学的数値となるはずです! 万が一流出などしてしまった日には、天地がひっくり返る大騒ぎですし、王宮としてもそこんところはチャンと認識してますから、どーんと大船に乗った気分でお任せしてください!」
「うーん、何か矛盾しているような。そこまでするなら、わざわざこんな正確なモデリングなんてしなくて、適当に手を抜けば丸く収まるような……」
「いえいえ! そこんところは運営の拘りでして。要するにアレです、技術者の矜持ってヤツです!」
そんな他愛の無い会話を繰り返しながら、ちょっと落ち着かないけど、アヤメとボクは壁の方を向いて服を脱いでいく。
「――あ、髪の毛をお湯に浸けるのも禁止!」
バチャバチャ。
「それにしても全く何なの? どんなお手入れをすれば、そんな腰まである黒髪をこんな綺麗にできるのかしら……あーこら! 泳いじゃダメでしょう! あんた小学生!?」
バチャバチャ。
「miwa姫つーかまえたっ!」
「きゃ! ツシマさん、そんな所を触らないでください!」
バチャバチャ。
耳に入ってくるのは、ベルさんのガミガミ声と、はしゃぐ津島さんとmiwa姫の声、そして水音。先にお風呂へと入っている三人は無邪気に楽しんでいるらしい。てか、ドコ触ってるんだ津島さん……早く視界に収めたい。
やっぱり津島さんも理性のリミットが若干外れかかってるようだ。これがゲームの魔性か……津島さんまでビリビリって来なければいいけど。
そんな三人の様子を背中で感じながら、最後の一枚を脱ぎ、折り畳んだセーラー服とスカートの間に忍び込ませる。しかしパンツの布の質感まで再現って、いったいどんな矜持だよ。それにアヤメの言葉通り、どうやらボクの身体についても、人には見せないあんな所もきちんと再現されているっぽい。
一瞬、手を伸ばして確認してみたいという衝動に駆られたけれど、いくらゲームの中でも人の見ている前でそんなハシタナイ真似はできないと、すんでのところで留まるけれど。
さあ。
ここまで色々あったけど、ようやくこの時が来ました。遠慮なく津島さんとお風呂に入れます。学園一の美少女の裸体が拝めます。素敵な世界を視界に収めることができます。心ときめく一瞬。期待に胸が躍る。
「そ……それじゃ、お邪魔します」
「あら、美彌子さん。浅見さんと香純は?」
「あはは……色々あってね」
くるりと向きを変えると、視界に広がる大浴場。湯船の中では、あられも無い格好でmiwa姫ともつれ合っている津島さん。そんなシチュエーションだけでお腹いっぱいって感じ。
そして彼女はザバァと立ち上がる。遂に露となった、一糸まとわぬ津島さん……だけど。
「…………」
「どうされました姫様? 口をあんぐりと開けてしまわれて?」
はい。この状況、想定して然るべきでした。世の中そう都合良くできていないと考えておくべきでした。
ボクはがっくりと肩を落とし、独り言のようにアヤメへと問いかけた。
「……謎の光とか謎の湯気って、万国共通……とゆーかアヤメの世界のゲームでもあるんだね?」
「はい?」
大事な所はしっかりと、エフェクトでガードされた津島さんの身体。
「凄いわよ。ゲームなのに本当にお風呂に入っているみたい! さあ、一緒に泳ぎましょう?」
「だから泳いじゃダメってさっきから言って……」
「ベルさん怒りんぼですね!」
バシャバシャとこちらへやってくる津島さん。謎の光も彼女の動きに合わせて移動する。
「……ライトエディションですから! 全年齢版ですから!」
アヤメの声をうわの空で聞きながら、ポカリと空いた心の隙間にさっきまでの胸の高鳴りを押し捨てて、ボクは津島さん達が待つ湯船へと歩みを進めた。
「……ちゃんとかけ湯をするのですよ! マナーですからね!」
はいはい、分かってますって。
そんな風に心の中で応えながら、ボクは湯船の縁に置かれた黄色い洗い桶に手を伸ばした。物凄くステロタイプな例のやつ。大きさと言い形と言いまさにアレ。少なくともローマ風の石造りの大浴場には似合わないと思うけど。
「このデザイン……万国共通? いや、何でアヤメの世界に?」
「いやー、やっぱり温泉といえばこの洗い桶ですね! これも姫様の世界からの影響なのですよ? 今やワタシ達の世界でも定番だったりするのですよ!」
どうせ『ケロ〇ン』と書かれてるんでしょ? と思いながら内側をのぞくと、そこに『イサバのカッチャ』のイラストが描かれていた。妙なところでマニア好みなチョイスをするアヤメの世界だ。
ちょっと引き伸ばし過ぎですね。思い付いたことを考え無しにどんどん突っ込んじゃったかもしれません。反省反省。ですがそろそろ物語も動く予定です。もうしばらくお付き合いくださいませ。




