[09]お手洗いは淑女の社交場、だそうです
「ねえ?」
「はい、姫様。何でしょう」
「えっと、トイレ……じゃなかった、お手洗い……」
「あ、はいはい。じゃあ、御一緒に」
こんな風にしてボクがアヤメの耳元に囁きかけたのは、昼休みに入る直前だった。
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チャイムが鳴ると同時に、ボク達は連れ添って教室を後に。二人、肩を並べたまま、廊下を歩きはじめる。
ボクは歩きながら午前中のことを振り返る。“予想違わず”とでも言うのだろうか、休み時間の度にクラスの子たちから質問攻めにあっていた。お陰さまでトイレに行く余裕すらなかったんだ。
そうでなくても慣れない環境、知った顔と言えばアヤメだけ。しかも、そのアヤメさえも金曜日に出会ったばかり。女の子達に囲まれたまま過ごす、落ち着かない授業時間。
何から何まで初めて尽くし、緊張の連続だった。そしてこれから向かう先も未知の領域。ボクは思い出す――それは日曜日の夕方のこと――
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『――では姫様。繰り返しになりますが、決して、お一人でお手洗いへ行かれるような行動はされないよう、くれぐれもご注意願います』
『うん……できる事なら学校の女子トイレなんかに、絶対行きたくは無いのだけど……』
これはこの学園に通う上での注意事項、つまり女の子として学園生活を送るための注意事項について、彼女からレクチャーを受けていた時の会話だ。
というかボクにしてみればトイレどころの話じゃない。この女子高の生徒になるだなんて全く納得なんてしていなかった! しかしアヤメに押し切られ――不承不承のまま――そう、全く不本意ながらボクはこうして、女子生徒として、女子の制服を着て、女子しか居ない白梅女学院の廊下を歩いている。
『――そういう訳には行きません……お手洗いは淑女の社交場です。そのうち、クラスの方からお誘いを受けると思いますが、まずその前にワタシと連れ添って、先程までお教えしたマナーとエチケットの最終確認、そしてその実践を……いいですか、絶対ですよ』
『まぁ、キミが一緒なら心強いと言えば心強いけど、不安と言えば不安な様な……』
『とにかく、絶対に守らなければならない、鉄則です』
『うーん……鉄則、ねぇ……』
そして今度は、自宅のトイレでのやり取りを思い出す。
そう。ウチのトイレに籠ってアヤメと二人、文字通り手取り足取り――うん、手取り足取り。レクチャーという名の羞恥プレイ。その言葉の通り、あんなことや、こんなことを、実践を交えながら……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「――うぎゃあああ――ッ!」
思い出したくなかった光景がフラッシュバックの様に蘇り、思わず小さく悲鳴を上げる。幸いなことに昼休みの廊下は生徒たちでごった返し、廊下中に響く華やかなお喋りに紛れて、ボクの悲鳴は誰にも聞こえなかったはずだ。
でも、その時のことを思い出して、耳まで真っ赤にしながら歩くボクの顔を見た人は、果たしてどんな風に思っただろうか。
「では姫様。ワタシがお教えしたとおりのマナーとエチケット、忘れずに。御武運を!」
アヤメと連れ添って入ったのは、教室から離れた三階のトイレ。放送室や視聴覚室のあるエリアで、昼休み中でも人もまばらだ。きっと初心者のボクを気遣って、ここまで連れて来てくれたんだ――って、なんだよ! 初心者って!?
それでも、もう緊張しっぱなし。だって、女子トイレだよ! もう、足を一歩踏み入れる瞬間なんて、良心の呵責と常識がボクのゴーストを全力で後ろに引っ張ろうとしてくるんだ。
それを意志の力と、怪しまれてはイケないという信念、ここで立ち止まって挙動不審になったらそれこそ変な人扱いされてしまうという恐怖、それとかなりリミット状態に陥っていた膀胱の叫びで振り払い、一直線に一番奥の個室へ。
ホント、こんな状況に陥るとスケベ心やヤマシイ感情なんて起きないものだ。
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「でもさぁ……未だに良くわからない」
「はい、なんでしょう。姫様?」
「なんていうか……“果無美彌子”という架空の人物名義で、この学校に籍が置かれていたってどういうこと? しかもご丁寧にずっと休学扱いで……」
「はあ、そのことですか」
洗面台の前、他の女の子達はトイレから出てき誰もいないことを確認した後、身だしなみチェックの振りをしながら、ボクはアヤメに問いかける。
「元々、高校在学中に姫様の封印を解くお考えだったようです。その時にこちらの学校へっていうのは、最初から計画されていたんです。今回、それが少し早まったっていう感じでしょうか」
「だいいち、ボクがこの学校の入学試験を受けていたなんて、全く納得いかないんだけど」
「いえ、お受けになってたそうですよ。なんでも一時的な封印解除の方法があるということで、“果無美彌子”として試験にめでたく合格されたと伺っています」
「そんなの、記憶にないよ」
「まぁ、一種の催眠術と言いますか、暗示をかけられてそのまま試験会場に向かわれたのでしょう。ほら、先の〈ストリングス〉との戦闘、あの時の記憶も姫様ご自身はお持ちになっていないでしょ?」
「……ああ、そうだったっけ……えっと、どういうこと?」
「覚醒の後、最初の睡眠に入るまでは無意識の行動といいますか、半覚醒状態に近いそうなんです。で、深層意識に刻まれた行動を開始すると……先日の戦闘も、予定外の封印解除は即ち非常事態ということですので、そのような場合はバーサークモードが発動するよう、暗示がかけられていたからなんですよ」
(……バーサークモードって、どこぞのゲームかいな……ああ、そうだ。ドタバタ続きでこの週末、ゲームやってなかったっけ……ちょっと損した気分だよ)
そんなことを思いながら、教室に戻る廊下を歩きはじめる――今度は別の階段を下りるルートだ。




