[00]遭遇(いわゆるプロローグ的な何か)
地響き、舞い上がる砂塵、震える空気。
それは週末前の学校帰り。何のことは無い、片側2車線道路の歩道から裏通りに入ったちょうどその時。あと300メートルほどで築20年の自宅に到着。さて、帰ったらまず何をしよう。買い置きのポテチをつまみながらゲームでもしようか、それとも読みかけの小説の続きでも読もうか、なんて考えていた時のことだ。
一瞬間を置いてやって来たのは熱風、カランカランという空き缶の転がる音、容赦なく叩きつけてくる砂粒。そして見上げると渦巻くパステル色のマーブル模様。
そう。空を埋め尽くしているのは、パステル色のマーブル模様……って……え?
何が起こったのか訳も分からないまま、思わず両腕でガードしていた顔を進行方向に戻す。そこでようやく気が付く――得体のしれない何かが、この先にある交差点の辺り、そのど真ん中で怪しげな動きを繰り返しているってことに。
風向きが変わる。背中を押すのはちょっと強めの追い風。その陣風が、ボクの辺りに巻き上がっていた土埃を少しずつ向こうの方へと流していく。ちょっとボサボサ気味の髪の毛が、この風に煽られて頬に纏わりつく。次第に戻ってくる視界。
なんかいます、はい。うねうねと卑猥な動き繰り返す変な物体が。
目に映るアレの姿は次第にハッキリとしてくる。でも、それとは逆にボクの思考は少しずつ混沌としてくる……何なの、あれ?
狂い咲き、乱れ舞い、生贄の儀式。
とにかくそんな言葉が浮かんでは消え。思いっきり気持ち悪い動きを繰り返す物体。生理的な恐怖とでも言えばいいのだろうか。このビビり具合、体験してみないことには説明すらおぼつかない代物だ。
さて、ここで質問です。
●いきなり目の前にバケモノが現れました。
●あなたは特殊能力も何もない一般市民です。
●しかも何かとてもファンシーな空間にいます。
さあ、どうします?
答え。とりあえず全力で逃げます……当たり前だよね。
でもね、一つ言っておきたい。
突然こんな状況に投げ出された時、“全力で逃げる”という唯一の選択肢さえ頭からすっぽりと抜け落ちちゃうものみたいだ。まぁ“腰を抜かす”って奴?
腰を抜かしたまま、逃げもせず、そんな自問自答をずっとボクはずっとやっていたって訳。我ながら大物だと思う。
で、そんな中ふとボクは気が付く。制服の裾を掴む誰かの手に。
キュンと縮こまるのはいわゆる肝っ玉というヤツだろうか。恐る恐るそちらの方に視線を動かす。そこにいたのは地面に横たわる少女。
彼女は左手でボクの制服を握りしめ、右目でボクのことをじっと見つめていた。その事に気が付いた瞬間、ボクの肝っ玉は極限まで縮退する。きっと、シュバルツシルト半径を超えて縮こまったに違いない。
来たね。来ましたよ。物語の始まり、ボーイミーツガール。突然現れた謎の敵と、(たぶん)7次元空間、そして魔法少女。窮地に立つ彼女を救うべく、執り行われるは血の契約、重なり合う唇と唇――あ、これは今読んでいる小説の内容。ありきたり過ぎて笑っちゃうけど、ボクがリアルで体験しているのも、まさにその冒頭部と同じ状況。
でもね、実際のところ『彼女を救おう』なんて一瞬たりとも思い浮かばなかった。ただ、へなへなと力なく崩れ落ちただけだった。情けないよね。でも、そんなことを考える余裕すらなかった。
(――そういえば、何で彼女のことを魔法少女なんて思ったのだろう?)
その理由は彼女が纏っている衣装。とっても変わった形で、ひらひらしていて、リボンとかマントとか付いていて――思い浮かべたのは、シャガの花。そう、家の裏庭に群生していてちょうど今、咲き誇っているシャガの花だった。彼女の姿から感じたのは白鷺が翼を広げた様な、その羽根を思い浮かべるような優雅で伸びやかな姿。
そしてその色は純白――いや、少し薄紫がかった白だろうか。山吹色と薄紫のアクセント。きっと、そんなカラーリングのコスチュームのはずだ。でも、ボクはその衣装の本当の色を知らない。
そんな魔法少女っぽいコスチュームを身に纏った女の子――それはたぶん、美少女なのだろう。そう――たぶん、だけど。
(――何故“たぶん”が付くかって? だって、彼女は――)
その衣装も、可憐な姿も、全部真っ赤な血に染まっていたんだ。
右腕は根元から千切れていた……肩の辺りからどくどくと流れ出す血。すぐ傍に転がっている右足。白くて、スラリとした綺麗な右足。まるでマネキンのような。
血塗れのコスチューム、あちこち裂けている。特にお腹の辺りがザックリと。そして、そこから見えるのははみ出した臓――嘘でしょ?
血だらけの顔。乾いた血の上を、額から流れる真っ赤な鮮血が伝う。しっとりとした黒髪、肩のあたりまである髪の毛から滴る血、左目は瞑っているの? それとも、まさか――。
左目とは対照的に大きく見開かれた右目――じっとボクを見つめている。悲しそうな、驚いた様な。でもどうしてだろう、その瞳にはどこか希望を見出したような、そんな光が宿っていた。
そんな姿を見て能天気に『美少女が降って来たぞ、さあ、彼女と一緒に戦うんだ!』なんて立ち上がれると思うかい? 少なくともボクには無理だ。
その少女は、へたり込んだボクの方へ――まるで最後の力を振り絞るかのように。ボクの胸の辺りから、じっと見上げる顔。
(――ああ、とっても優しそうな女の子じゃないか)
ボクの視線は釘付け。ボクの目を惹きつけて離さない彼女の唇が動く。可愛らしい口が一言、何かをささやく。漏れ出る言葉――でも、なんて言っているのかわからない。
『ごめんね』? それとも『逢えたね』? ひょっとして『大好き』?――いや、それは無いか。
いずれにしても、彼女の二言目をボクが聞くことは無かった。そのまま、意識を失ってしまったんだ――。