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青龍国物語  作者: 瑞佳
第一部 「龍王の伴侶」
8/38

暗転

 人里離れた湖畔に建てられたさる龍族の別荘があった。周囲には美しい森もあり自然に囲まれた静かな場所。しかし別荘内からは、周辺とそぐわない賑やかな音楽に楽しげな女たちの声が漏れ聞こえていた。


 まだ夕暮れだとうのに、広間では既に酒宴が行われており、楽師たちが奏でる音楽に合わせ美しい女たちが舞い、それを見る男がいた。両脇にも胸の大きく開いた衣装を着た美女を侍らせながら酒を飲んでいる。男はこの別荘の主で名をフェンロン――王直属の中央軍の指揮を任された大将軍の地位にある高位の龍族であった。


 フェンロンは、二十代後半の二メートル近くの鍛えられた体を持ち、金茶色の瞳に紅蓮の巻き毛が鮮やかな美丈夫で王都でも大勢の美女たちと浮名が絶えない遊び人。


 何故そんな人物が王都を遠く離れ、こんな片田舎にいるのか?


 理由は簡単で女性問題を起こしまい謹慎を言い渡された為に、この別荘に引っ込んでいるのだ。しかし現状は夜毎何処からか呼び寄せた美女たちと祝宴を開き享楽に勤しんでいた。


 「フェンロン様、お酒をどうぞ」

 「あら、今度は私が注ぐ番よ」


 寵を競うように酒の入った瓶を突き出す二人の艶やかな美女にフェンロンはニヤリと笑い掛け、「こっちの器に二人で注いでくれ」と果物がもってあったガラスの大きな器を空にして差し出す。

 女たちは嬉々として酒を注ぐと一気に飲み干してしまう。そんなフェンロンをうっとりとして見詰める美女たち。そうやって楽しんでいると、遠慮がちに入って来た家令が主の傍に来ると来客を耳打ちした。


 その途端顔を真っ青のして、「なんだとーーー! ユンロンが?」と絶叫をあげる。


 しかも酒がなみなみと注がれていたガラスの器を放り投げてしまい、女たちに酒が掛かり非難の悲鳴が上がる。しかし、女に構う事無く慌ただしく立ち上がると、玄関に一目散に向った。その姿は勝ち目のない戦場に立ち向かうような悲壮感が漂っている。何しろフェンロンにとってユンロンとは、従兄同士で幼少の頃からの付き合いだが、色々と頭が上がらない存在だった。


 「多分……なにも問題を起こしていないよな……大丈夫なはずだ」


 フェンロンは自分を奮い立たせながら玄関に居るユンロンを出迎える。そこには壮絶な美しさを備えた男が、黒い布に包んだ荷物を大事そうに抱えて立っていた。


 「何時まで待たせる気ですか」


 相変わらず不機嫌そうなユンロンに緊張するフェンロンは「久しぶりだなユンロン。俺に会いに来るなんて、どういう風の吹き回しだ」警戒するように訊ねる。

 本来こんな場所に来るなど有り得ない相手。休暇など年に数回しかなく政務漬けの仕事中毒は有名で青龍国で一番多忙な男。しかもフェンロンに関わるのは人生最大の時間浪費だと公言していたのだ。


 「早く一番上等な客室に案内しなさい」

 「はっ? 藪から棒になんだ」


 フェンロンは普段から散々『礼儀がなっていない』と顔を突き合わせるたびに煩く言う男の第一声に、一瞬文句を言おうとしたが反対に急かされる。


 「早くしなさい!」


 ユンロンより遥かに大きく立派な体格を誇っているフェンロンだったが、ユンロンの冷え冷えとした声に身が竦んでしまい「――こっちだ」と自ら部屋に案内するしかない。


 希望通りの一番いい部屋にユンロンを通すが、先ほどからその腕に大事そう抱える荷物が気になって仕方が無かった。恐らく人。その正体を知りたいが不用意に訊けないのを経験上分かっていたので我慢する。


 そしてユンロンは険しい顔で部屋を見渡してから瞬時に部屋に結界を貼ってから、寝台にマントに包まれた少年を横たえさせるのを驚きの目でフェンロンは見る。それは泣き疲れた寝てしまった藍だが、フェンロンは初めて見る黒髪に目が釘づけになった。


 「何だこのガキ? 黒い髪なんて初めて見るぞ…」

 「無礼な。アオイ様とお呼びなさい」

 「はっ? たかが人間のガキをか」


 確かに色持ちで神族の血を引くようだが、フェンロンには一目で人間だと分かる。神族が人間を敬称を付けて呼ぶなど有り得なかった。だがユンロンの凄まじい視線に息を呑んで「アオイ様とお呼びすればいいんだな」と慌てて従う。


 「理解したところで人間の医者を連れてきなさい」

 「医者? なんでそんな者が必要なんだ?」

 「アオイ様の為に決まってるでしょ」

 「何で俺がわざわざそんな事をしなきゃならんのだ! 俺はお前の使用人か!」


 流石に何の説明も無く、次から次へと人間の為に指図されて面白くなく、ついカッとするが、殺気の籠ったユンロンの目に瞬時に後悔して慌てて反撃に身構える。


 「貴方が我家の優秀な使用人ほど使えると思っているのですか。相変わらず図々しい男です。我が家の使用人達は、命じずとも我が意を悟るほど有能ですよ」


 鉄拳は飛んでこなかったが毒舌が繰り出された。完全に馬鹿にされているフェンロンだったが、今更だとグッと我慢する。


 ――何しろユンロンだから。


 そして、言われるままにフェンロンは、自ら遠く離れた街まで医者を問答無用で別荘に連れて来る。だが、そもそも自分たちの神力を使えば、人間の病気や怪我など瞬時で癒せるはずなので医者など不要な筈なのだ。フェンロンには、大いに疑問で理不尽な命令だったが、ユンロンに逆らえなず面倒だと思いつつ従った。

 それから人間の医者に藍を診させるが、只寝ているだけとの診察結果にユンロンが納得しなかった。


 「それでは、何故目覚めないのですか? 寝ているだけなら起せば起きるはずでしょう!」


 鬼気迫る形相で責められた医者はそのまま恐怖で失神してしまった。


 「もう少しましな医者は居なかったのですか。本当に使えない」


 今度は、まるで全ての責任がフェンロンにあるかのように責められて流石に切れてしまった。


 「おいユンロン。いい加減に、この子は何者か説明しろ!!」


 部屋が震えるほど怒声をあげた。軍の頂点に立つ男の怒鳴り声に龍族でも腰を抜かし恐怖に打ち震えるところだが、それで怯むユンロンでは無かった。反対に怒鳴り返されてしまう。


 「そんな大声でどならないで下さい! アオイ様が驚いて起きたらどうするんですか」


 (おいおいユンロンよ……目を覚まさないと心配している奴が言う言葉か)


 フェンロンは呆気に取られ突っ込みたかったが止めておく。それより藍の正体の方が気になった。


 (このアオイとかいうガキにどんな秘密があるんだ?)


 普段の冷静で理路整然としたユンロンらしかぬ様子に何かを感じたフェンロンは、真剣なな顔をしてユンロンの顔を見据える。


 「この国の丞相とあろう者がみっともないぜ。ユンロン、そもそも俺には聞く権利があると思うが?」


 腐っても中央軍の大将軍の顔で睨むと、ユンロンも自分に分が悪いと思ったのか、やっと説明を始めようとするが説教から始まる。


 「全く…アオイ様を見て察する事も出来ないのですか。少し洞察力と言うものを養いなさい。先ず知りたい相手の特徴、話し方、身につけている物を観察するのが基本でしょ」

 「……」


 (お前は何様だ! 俺の師か? サッサと答えろ!)


 心中は苛立ったが無言で流す。


 「それでアオイ様の見て如何ですか?」

 「只の平凡な人間のガキ」

 「真面目に答えなさい!」

 「痛っ!」


 フェンロンが正直な感想を言うとガツっと顔に鉄拳を食らってしまい鼻の骨が折れそうになる。如何にも武人といった風貌のフェンロンが優美で虫も殺せぬ風貌のユンロンに殴られる姿は一種異様でしかない。

 そもそもフェンロンも避けれない訳でないが、避けるともっと面倒になるのを幼少から学習していた。


 「アオイ様の左手を見なさい」


 ユンロンに促され藍の指に嵌る龍の意匠を施された金の指環に漸く気が付いた。


 「おい! これって契約の指環か?!」


 流石に驚く。


 「気が付くのが遅すぎます。――フェンロンだから仕方がないのですが」


 フェンロンはムカつくが『ユンロンだからと仕方がない』と同じように思う事にした。


 「それじゃ、この子は陛下に伴侶として見染められたのか!? 意外だぜ……。 陛下って地味専!!」


 そう言うや否やフェンロンの首筋に氷の刃が当てられて、皮膚が凍りつく。それはユンロンが神力を練って作り出した剣だった。流石のフェンロンもこの剣で切られると、ただでは済まないのでゾッとずる。しかも地を這うような声で脅かされる。


 「不敬罪でこの場で斬首して差し上げましょうか」


 (目がマジだ。 やばい!)


 「すまん! 訂正する。この可愛いらしいお方が陛下の伴侶様なんだな」


 慌てて言い直す。確かに可愛い顔立ちで珍しい黒い髪の少年だが、龍王の隣に立つにはあまりに地味で見栄えがしないのも事実。だがよく考えれば、これまで誰にも興味を示さなかったので好みなど知らなかったが、重臣がどんなに美しい龍族の姫を勧めても一考だにしなかった。なのでフェンロンは、龍王が藍のようなのが好みだったのかと納得しない訳でもない。


 「――そうなのですが問題があります」

 「問題? 男だからか? 別に王なのだから王妃が女であろうが男であろうが構わない筈だろ」

 「アオイ様は陛下が選んだのでは無く、指環が選んだお方なのです」

 「はあっ? そんな馬鹿な。そんな事あり得るのか?」

 「目の前にアオイ様がいるでしょ」


 ユンロンは陰りのある顔で心配げに藍を見るので真実だと分かり、これはややっこしい事態だとフェンロンですら悟った。


 ――何しろあの龍王だ。


 「私はアオイ様が目覚めたら、一旦一人で王都に戻り、アオイ様を迎え入れる準備をして来ようと思います。後宮のあのお方なら何とかしてくれる筈。このまま素直に陛下が伴侶を受け入れるとは思いませんから」

 「そうだな……あの陛下なら十分考えられる」


 (確かに、あの陛下に対抗できるのは、あの女しかいない)


 「だから貴方には暫らくアオイ様を預かって欲しいのです。宜しいですね」


 ユンロンはニッコリ笑いながら、拒否したらただじゃ済ませないぞっとばかりに圧力を掛ける。


 「分かったよ」


 なんて面倒な事を持ち込むんだと恨むフェンロンだったが、ユンロンには逆らえないので了承する。そして龍王の伴侶となってしまった藍の暢気な寝顔を見てある事を思い出した。


 「なぁ……アオイ様が寝むり続けているのは、陛下と伴侶となり、命の契約の負荷の調整をしているんじゃないのか?」


 負荷の調整とは、命の契約を結ぶ二人の間に命の重さの違いにより引き起こるものである。差が大きければ大きい程に受け取る側に負担がかかり、心身と融合するのに眠りが必要となるのだ。

 つまり藍が二,三日の眠りを何度も繰り返すのは、人間でありながら龍王の重い命を受け取ったのが原因と考えるのが妥当だった。

 ユンロンとあろう者が、こんな簡単な事実に気が付かない筈が無いが、一応言ってみるフェンロン。


 「!!」


 しかし、その通りだったらしく、一瞬だけ真っ赤な顔になって羞恥心を顕わにした。それを見逃さなかったフェンロンは小躍する。


 (えっ……マジで気付いてなかったのか!)


 思わず、これは日頃の恨みを返そうと口を開こうとした途端、ピシィ―――――ッ!! 瞬時に冷凍凍結されてしまい、身動きが取れなくなってしまった。

 ユンロンが神力で練った氷はユンロン以上の神力を持つ龍王ぐらいしか溶かす事は出来ず、普通の龍族がそんな目に会ったら完全に凍結し、ただでは済まない。しかしフェンロンはユンロンに及ばないが、青龍国では第三位の龍で、氷に閉じ込められるだけで済んでいたが、極寒は防げない。


 『寒いぃ……何で俺が氷に閉じ込められなきゃならないんだ! 出しやがれユンロン! 』


 あまりの不条理に抗議する。


 「この件について今後一切口にしないなら出して差し上げますよ」


 かなりの上から目線の有り難い言葉に、頭の神経が切れそうになるが、まだ死にたくないのでフェンロンは頷くしかない。ユンロンは氷の戒めを不承不承解くと無言でそのままフェンロンを蹴りだしてしまった。

 締め出されてぞんざいな扱いを受けたたフェンロンだが、思わぬユンロンの姿を面白がる。今一確証が無いのだが、どう見ても藍に懸相しているように思えてならない。


 (あのユンロンがアオイ様に――だったら!? おっ、おもしれ~~~~)


 フェンロンは、一気に顔がニヤつくのを止められない。何時も虐げられて来たので復讐の機会だが、やり過ぎても此方の命が危うくなってしまうので、加減が難しいのが難点だ。取敢えず暇潰しにはなりそうだとフェンロンは人の悪い笑みを浮かべたのだった。






 天蓋付の大きな寝台に寝かされていた藍の目が唐突に開く。既に日が暮れ始め夕日で部屋は赤く染まっていた。


 (赤い部屋? ここは何処?)


 目覚めたばかりの藍は、まるで赤いフィルターの掛かった幻想的な部屋に夢なのか現実なのか混乱してしまっていた。眠る前に何があったか必死に思い起こそうとする。すると水色の髪のユンロンの美しい顔が脳裏に浮かぶ。


 (ユンロンさんは何処?)


 さっきまで一緒に仙鳥に乗って居たはずの相手を、おずおずと起き上がって辺りを伺い姿を探す。寝台は五人は寝れそうなほど広く、紗の薄い布で覆いつくされていたが、そこから透けて見える夕日に染まった部屋は昨晩泊まった宿よりはるかに大きく豪華だった。


 (僕、泣いたまま寝ちゃったんだ)

 

 この世界に来てから泣いてばかりいるので、藍は情緒不安定なのかもと自問自答する。

 きっとユンロンがここまで運んでくれたのだろうと恥ずかしくなる。藍は子どものように泣いて寝てしまうなんて呆れられたと思うとやるせなくなった。何より部屋に一人で寝かされているのが、その証拠のような気がしてしょんぼりとしていると、ドアの開く音と一緒に人の入って来る気配がする。 藍は顔を上げて、その方向に顔を向けるとユンロンが寝台の紗の布を取り払って飛び込んで来た。


 「アオイ様!」


 ユンロンは目覚めたばかりの藍をそのまま抱きしめてしまい、藍の方はユンロンの尋常じゃない態度に何か大変な事でもあったのかと驚く。


 「ユンロンさん、どうかしたのですか??」

 「ユンロンです」


 呼び方を確り訂正された藍は。言い直さないと返事が返ってこない感じなので戸惑いつつ名前を呼ぶ。


 「ユンロン、何かあったのですか?」


 藍の心配そうな声にハッとしたユンロンは、目覚めた藍を見て、つい嬉しく抱きしめてしまったのに気付き、そっと体を離した。そして藍の方も、もう少し抱き締めて欲しくって、離れて行く体を思わず引き留めたくなてしまった。


 「アオイ様は二日間も眠り続けておられたのです。何処か体に不都合はございませんか?」


 藍は、また二日間も寝ていた事より、間近にあるユンロンの麗しい顔に驚きときめいてしまう。そして顔を真っ赤に染めるが、夕日がそれを打ち消してしまってユンロンには分からなかった。


 「大丈夫です」


 元気さをアピールするために藍は微笑んでみると、ユンロンは一瞬目を見開き、次の瞬間見てはいけない物を見たかのように目を逸らしてしまった。それを目の当たりにした藍はショックを受けてしまう。


 (ガ――ン。ユンロンさんの微笑みに比べたら、たいした物じゃないけど、そんなに酷い顔だったんだろうか……)


 思わず謝ろうかと落ち込んでいると知らない声が割って入った。


 「おいおい、ユンロン。アオイ様が落ち込んでるぞ」


 それはフェンロンだった。藍は気が付かなかったが、ユンロンとフェンロンの二人が藍の目覚めた事に気が付いて一緒にやって来たのだ。ユンロンの背後から現れたフェンロンが、パッチンと指を鳴らすと部屋の太陽石の灯りが点く。


 「申し訳ありません! アオイ様の初めて見る笑みについ驚いてしまい、失礼な態度を取ってしまいました」


 必死に取り繕うユンロンの言葉に、自分の笑みは驚くほど変な笑い方だったんだろうかと藍はさらに落ち込む。すると背後のフェンロンが大爆笑しだした。


 「ブッハー 、アハハハッハ、アハハハッハー お前本当にユンロンか?、偽物じゃないのか? イッヒヒヒッヒ~ ヒヒヒッヒ~腹がいたい 」


 お腹を抱えて笑いだすので藍はギョッとする。しかもユンロンを笑うので、何だかとても失礼な人だとムッとしてしまう。だがそれはユンロンも同じで笑い続けるフェンロンに向き直ると、目に留まらぬ速さで鳩尾にドスッと拳を打ち込んだ。フェンロンは「うっ…」と呻きながら腹を苦しそうに抱え身悶えながら跪く――正に瞬殺の一撃。


 藍は、優しい穏やかなユンロンしか知らないので、一瞬ユンロンの行動に我目を疑う。


 「これで腹の痛みは相殺されたのではないですか?」


 冷え冷えとした声で言い捨てるユンロン。


 「痛てーぞ、お前、少し手加減しろ! 一瞬あの世を見たぞ!」

 「アオイ様の前で下品に笑うからです。貴方の下品さが移ったらどうするんですか」

 「おおー 本物のユンロンだったか~」


 普段のユンロンの口調を茶化し軽薄そうにニヤつくフェンロンと、凍てつく視線で見返すユンロン。藍はそんな二人の間でオロオロするしかなかった。


 「貴方のような騒がしい男は、目覚めたばかりのアオイ様の害にしかなりませんから出てお行きなさい」

 「ここは俺の別荘だ」

 「ならば強制的に退去させましょうか」

 

 不穏な二人のやり取りに藍はとうとう間に入る。


 「あの……僕は大丈夫ですから」

 「ほら、お姫様もこう言っておられるぞユンロン」


 お姫様と言われ戸惑う藍にユンロンは謝罪する。


 「お見苦しい所をお見せして申し訳ありませんアオイ様」

 「おい、いい加減俺を紹介したらどうだ。お前の方が余程失礼だ」

 「仕方ありませんね。この下品丸だしの男は、この屋敷の主でフェイロンと申します」

 「宜しくなお姫様。 ユンロンの従弟のフェンロンだ」


 (僕がお姫様? ユンロンさんと全然違う)


 藍は改めてフェンロンを見る。従弟と言うが、とても対照的な二人で共通点は美形な点だけ。フェンロンは燃えるような赤い髪に、金茶の瞳の精悍な顔つきで、身長はユンロンより頭一つ分ぐらい高く、体もかなり鍛えているようで逞しい体――ユンロンが文官タイプならフェンロンは武官タイプだ。

 不躾にフェンロンを見てしまいパチリと視線が合ってしまった藍は、凄くカッコいいので同じ男でもドッキとしてしまった。

 そしてフェンロンも値踏みするように藍を見ると正直な感想を言う。


 「しかし、起きていても陛下の花嫁はえらく地味!!」


 ドッスッという音と共に足を抱え痛がるフェンロン。


 「この失礼な男は無視して下さいアオイ様」


 ニッコリと優しく笑うユンロン。

 藍は、この険悪な遣り取りが二人には通常で、何だかコントを見ているようで可笑しくなり笑ってしまった。


 「クスクス…分かりました」


 すると目を細めて見るユンロン。


 「おっ! 笑うと可愛いな~」


 何時の間にか復活したフェンロンはユンロンの肩越しから覗きこむ。


 「僕は藍です。此方こそ宜しくお願いします」


 改めて藍はぺこりと挨拶すると、突然手が出てきて顎を掴まれ上を向かされる。何時の間にかユンロンが押しのけられていて、前に乗り出すフェンロンに顔を覗きこまれていた。


 「寝ているから分からなかったが、瞳がまるで漆黒の水晶だ。こんなの初めて見るぜ」


 そう言われた藍も、フェンロンの茶色に金の光彩が混じる瞳の方が綺麗だと思っていると、何故かその瞳がどんどん迫って来た。


 「?」


 もう少しで二人の唇同士が触れそうになった瞬間。


 ドッカーーン!! という音と共に吹き飛ばされ、壁とキスをしているフェンロンを見た藍は、何が起こったのか茫然とする。犯人はユンロンだが、一回りも大きいフェンロンを吹き飛ばすなど信じられなかった。そして呆気に取られる藍の顔をユンロンが心配げに覗き込む。


 「唇は大丈夫ですか?」


 漸く自分がキスされそうになった事に気が付いた藍は「はい……未遂です」と真っ赤になって答える。


 心底安心したように息を付くユンロンは、今度は壁にめり込んでいるフェンロンの下に行き、もう一撃背中を蹴りつける。バキっと背骨が折れるような嫌な音が響き藍は「ひぃっ」と小さくうめいてしまった。


 「貴方は陛下の伴侶に手を出そうとは、万死に値しますよ!」


 ユンロンの容赦ない一撃で再起不能になっても可笑しくない状態だが、フェンロンはヨロヨロと立ち上がる。ボキッボキッボキッと音を立てながら体を伸ばして行く。だが鼻と唇が少し切れ、腫れて赤くなり折角の男前なのに痛々しい。そんなフェンロンだったが負けじと言い返す。


 「口付ぐらい挨拶だろが! 俺だから生きてるが普通死んでるぞ! 全く嫉妬に狂った男は見苦しい」


 嫉妬? 藍は首を傾げる。何に対する嫉妬か意味が分からなかった。


 「何かおしゃっいましたか?」


 禍々しい笑みを浮かべるユンロンの体から青白い冷気が上がったかと思うと、周囲に長さ1メートル程の氷の刃が二十本近くが瞬時に発生して鋭い刃先をフェンロンに向けられていた。


 藍は初めて見る神力にファンタジー映画でも見ているような気がしたが、その氷の刃が一斉にフェンロン目がけて射られるのを見て息を呑む。無数の氷の刃はフェンロンを貫くかと思われたが、片手を挙げると一瞬で氷の矢は蒸発する様に消えてしまった。


 (これが神力と言う力! まるで魔法みたい)


 しかし二人は未だに睨み合い、フェンロンの方は不敵に「これぐらいで俺を殺れると思うな。本気ならそこの姫様を巻き込むぐらい全力で来いよ」と一層挑発する。


 だがユンロンはその挑発には乗らなかった。


 「今は止めておきましょう……アオイ様の前で見苦しい貴方の無様な姿を晒しては目が穢れてしまいます。ここは一旦引いて次の機会には再起不能にしてさし上げますよ」

 「それは楽しみだ」


 本来、闘いを好む性質のフェンロンは本気で言う。何しろ自分と同等以上の相手はユンロンと龍王のみで、こんな田舎で欲求不満が溜まっていて思いっ切り戦いたい衝動があった。しかし流石に龍王の伴侶を巻き込む訳にはいかないと言う冷静な判断力は残っていたのだった。

 





 あれから大広間で二人は何事も無くお酒を飲み合っている。しかし美女を侍らせるず、楽師もいない静な宴。豪勢な料理と酒が並ぶ円卓に三人で座り、藍はまるで水でも飲んでいるかの様に次々と消費されて行く酒瓶を眺めながら食事をとっていた。


 (すごい。二人とも全然酔っていないや)


 藍は一向に顔色の変わらない様子に感嘆する。特にフェンロンは良く飲み、良く食べ、見ているだけでお腹が一杯になりそうだ。一方ユンロンは優雅にお酒を飲んでおり、まるで映画のワンシーンのように絵になって大人の色香を放ち藍には目の毒だった。


 そんな藍は、目の前にも色とりどりの料理が並んでいるが、肉料理が多くお腹に重い物ばかりで胃もたれしそう。お願いしてカイリンが作ってくれたミルク粥を作って貰い、それをチビチビと啜っていた。


 それを横目で見ていたフェンロン。


 「アオイ様は、もう少し食べて太らないと夜の生活やっていけないぜ」


 しみじみと助言する。


 「えっ!?」


 突然の爆弾発言で、藍は思わずバッシャッと椀ををとり落としてしまった。すると直ぐ側に控えていた綺麗な侍女が手際よく片付けてくれるが、お礼も言えずその間中茫然自失していた。


 「下品な事をアオイ様に言わないで下さい! 貴方のその心の機微の無さが嫌なんです!!」


 ジロリとフェンロンを睨みつける。


 「でもよ……ユンロン、いくらなんでも細すぎないか?」


 ユンロンはフェンロンの言葉で藍に視線を向けた。美形過ぎる二人にジッと見つめられた藍は、いたたまれず恥ずかしさに真っ赤になってしまう。


 「何時もは…もう少し食べられるんですけど…長時間寝たせいかまだ食欲が無くって……」


 しどろもどろな言い訳をする藍の姿は、確かに少女よりも細く儚げ。これまでの食生活が碌なもので無かったのを伺わせユンロンは心配になって来る。


 「アオイ様。もう少し栄養のある、こちらの果物は如何ですか?」


 ガラスの器に入った桃を剥いた物を差し出されたので、藍はやはり細すぎると思われたのかと落ち込む。だが日本でも藍は無自覚だが痩せており、髪が長ければ女子高生と間違われても不思議では無かった。


 「頂きます」


 藍はユンロンの折角の好意なので受け取り食べる。果物は冷たく冷やされ、一口食べると果汁が広がり甘くて美味しい。しかし何故だか今だに二人にジ―ッと見つめられるので食べずらい。


 「あの……食べずらいんですけど」

 「いや~妙に口元がエロいな~って思いまして」


 藍がそれとなく抗議するとフェンロンがまたしても突拍子も無い事を言い出す。


 「エロいって!?」


 (僕のどこにエロい要素があるんだろう? からかわれているだけかな)


 藍はそう納得するのだがユンロンは怒り出してしまう。


 「貴方はそんな厭らしい目でアオイ様を見てたのですか!!」

 「お前だって同じ目つきだったぞ~」

 「貴方と一緒にしないで下さい!!」


 (うわ…ぁ、また始まっちゃう。仲がいいのか悪いにかどっちだろう)


 なんだかまた喧嘩が勃発しそうな時、「!?」二人はハッと息を飲むように突然黙りみ窓を伺い、既に闇に包まれた外を見詰める。その表情は寝起きの顔へ水をかけられたようだ。


 

 「……」



 どうしたんだろうと藍も大きなテラス窓を見るが、真っ暗で何も映ってはいないので小首を傾げる 。


 「おい……この気は」

 「そんなまさか!!」


 二人は何かを確認するために立ち上がり、テラスの方へ向かおうとした時だった――突然テラスのガラス扉が突風によって開け放たれたようにバン! と解放されるのだった。

 藍は言い知れない不安を感じ椅子から立ち上がると一歩後退る。そのまま外の暗闇を目を凝らして見詰め続ける。漠然と恐怖を感じ目が離せない藍は、開け放たれた扉の向こうの暗闇の中に一人の男が立っているのを確認した。


 (誰?!)


 暗闇の中の男は、白い顔と金色に光る眼だけが浮き上がって、まるで暗闇で獲物を狙う猛禽類のような目で藍を捉えた。視線が合ってしまった藍は、雷に打たれたような衝撃を受け金縛りにあったように体が動かなくなった。


 (何……人間!?)


 男の纏う空気が抜き身の刃のような鋭く冷たく全身に突き刺さり尋常では無かった。とても人間に思えず恐怖心しか湧かない。藍は振り絞るように視線を逸らしてユンロンを見るが、ユンロンとフェンロンは男の両脇に控えるように跪いていた。


 (ユンロンさんの知り合い? でもこの人……恐い)


 突然現れたこの男が怖くて藍は小刻みに体が震え出した。


 (ユンロンさん)


 藍は助けを求めるようにユンロンさんに視線をやるが、頭を下げている為に気づかない。しかも男は一歩一歩近付いて来た。

 そして明るい部屋に入ると男の姿が顕わになり、藍の視線が再び男に戻ってしまう。

 凄まじい美貌の男だった。紫紺の髪を伸ばし、白皙の顔には金色に輝く双眸は少し吊り上がった切れ長、酷薄に引き結ばれた薄い唇、黒衣に包まれたその姿はまるで魔王を彷彿とさせてしまう。


 (来ないで……)


 男は、また一歩、また一歩と藍にに近づき、藍はその度に血の気が引いて真っ青になる。目を逸らしたいのに震えるしかない藍は気を失いたくなる。


 「この者が指環の契約者か?」


 無感情な低い声が部屋に響く。既に藍は恐怖で逃げる事も出来ずに立ち尽くすしかなかった。藍は男と間近で視線を合わせているが、まるで感情の読めない金の瞳に恐怖しか湧かない。


 「アオイ様です。陛下」


 ユンロンの言葉で男が龍王だと知る藍は絶望に近いショックを受ける。


 (王様――この人が僕の相手……この恐ろしげな人が…嫌だ) 


 「ところで何故陛下が王宮を抜け出し、この様な場所に態々いらっしゃるのですか?」


 ユンロンは龍王の注意を自分に引こうとするように立ち上がり龍王に近付きながら少し咎めるよう訊く。


 「余が指環の契約者を迎えに来ては可笑しいか」

 「陛下がその様にお優しい方とは思えませんが」

 「フッ、ハッキリと言う……お前が今宵この者を連れて来ると報告しておいて、なかなか現れぬので私が出向いたまでだ」

 「アオイ様の体調が優れないので延期の知らせは届いてるはずです。何をお考えです?」


 ユンロンは警戒するように龍王の顔を読み取ろうと伺うが、その言葉を無視するかのように、藍のの左手を取り指環を見る。その瞬間、藍は龍王の手から氷のように冷たさが体に伝わるが、それと反対に金の指環が自ら熱を発する様に人差し指だけが熱くなった。


 (離して!)


 藍は心の中で離してと何度も訴えるが声には出来なかった。


 「成程。確かに契約の指環」


 金の指環を確認した龍王は、何の感情もこもらない声でそれだけ言う。そして突然もう一方の手を振り上げると、その手には忽然と鋼の鍛え上げられた剣が握られていた。 


 (え?)


 藍が物騒に光る剣を茫然と見る。すると龍王は何の躊躇いも無く藍の腕目掛けて剣を振り下ろす。


 「陛下!!」


 ユンロンは止めようとするが、既に遅く剣は振り落とされてしまうが、バシッー という音と閃光が部屋を見たし直ぐに消える。次にドスッと剣が弾かれ壁に突き刺さった。


 「アオイ様!」


 一体何が起こったか分からない藍はユンロンの呼びかけにハッとして腰が抜けそうになるが、その体を庇うかのようにユンロンが素早く引き寄せ背後に隠した。


 「全く厄介な指環だ」


 忌々しいげに呟く龍王に対し、怒りを顕わにユンロンが問い詰める。


 「なにを考えてるんですか!!アオイ様を殺す気ですか!!」

 「腕を切り落とそうとしただけだ」


 その言葉を聞いた藍は、さっきの行動の意味を漸く理解するが、恐ろしさのあまりユンロンの背にしがみ付き立っているのが精一杯だった。


 「アオイ様をいかがなさるおつもりですか?」

 「余の意思とは関係なく命の契約がなされた事は異例過ぎるが、この者を契約者として認めるしか無いようだ」


 龍王は諦観しており何処か冷めている。


 「では、アオイ様を伴侶として受け入れて下さるのですね」


 龍王に確約を得るかのように問いかけるユンロンは、必死に藍を受け入れさそうとする。しかし藍には腕を切り落とそうとする恐ろしい龍王と生涯を共にするなんて無理だと絶望感しか湧かない。


 「そこを退け、ユンロン」

 「アオイ様の身の安全と王妃としての地位の確約をしてくれるのであれば退きます」

 「小賢しい」


 龍王は新たな剣を神力を練って出現させると、ユンロンに躊躇いもなく切り付けるが藍をかばいながら自ら腕でそれを受け止める。


 「ぐっ…」


 ユンロンは苦痛で顔を歪め、浅からず腕に剣が食い込む。龍王は無表情に剣を引くと傷口から血が流れ始めて床に滴り落ちて赤く染まる。それを見た藍は息が詰まる。


 「ひぃ……ユンロンさん!!」

 「大丈夫です……それよりお逃げ下さい」


 無傷の片方の手で僕を突き出し逃げるよう促すが、藍はユンロンから離れる事が出来ずに必死に泣きながらしがみ付こうとしたが、ユンロン自ら離れ龍王の前に立ち塞がる。


 「その者を渡さぬつもりか――余に逆らうとは面白い。お前如きが止められると思うのか」


 龍王は手に光の玉を出現させたかと思うとユンロンさんのお腹に押しつけ、同時に体が吹き飛ぶ。

 血を吐き出しながら壁に打ち付けられながら、必死に立ち上がるユンロンだったが、龍王が瞬間移動したかのように側に現れるとその手に持つ剣をユンロンの太ももに突き刺してるでそれは床に縫いとめるかのような行為。「グウッ」僅かに呻いただけのユンロンは苦痛に耐えて龍王を睨む。だが龍王の表情はピクリとも変わらなかった。


 「!!」


 凄まじいユンロンの姿を目の当たりにした藍は、あまりの残虐さに息を止めて見詰め、次々と目から涙が溢れる。


 (酷い。ユンロンさんは何も悪くないのに)


 ユンロンは呻き声も発せず痛みに耐えるが、その顔は蒼白で息も絶え絶えの中で藍に向い逃げるように促す。


 「アオイ…様 逃……げ……て  」


 しかし平和な日本で暮らしてた藍には、あまりの事態に対処しきれずに泣いて立ち尽くしかない。本当は今すぐユンロンに元に駆け寄りたかったが体が言う事を聞かなかった。

 そしてユンロンが折角身を挺して藍を逃がそうとしたが、そのまま龍王は易々と捉えてしまう。


 「やっ……」


 藍は殺されると思ったが体は恐怖で動かず成すがままになる。そのまま藍をまるで荷物を担ぐかのように肩に担ぎあげるとユンロンに無情に告げる。


 「その傷が癒えるまで、王宮に出仕するのを禁ずる」

 「アオイ様は……陛下の伴侶…惨い事はお止め…下さい」


 痛みを堪えながら声を振り絞り藍の身を案じるが、龍王の心にはとても通じている様子はなく、既にユンロンへの興味を失くしたかのように、その場を立ち去る。

 龍王に担がれた藍は、このまま何処かに連れ去られて二度とユンロンに会えない気がした。せめてユンロンに謝りたくて勇気を振り絞り声を出す。


 「御免なさい! ユンロンさん…それから、ありがとう」

 「アオイ様…」


 それだけを泣きながら言う藍の悲痛で精一杯の言葉も龍王は咎めなかった――むしろどうでも良かっただけだ。

 そしてテラスを抜けようとすると「陛下どちらへ」その時初めて、事態を静観して跪いたままのフェンロンが口を開く。


 「……」


 しかし龍王は返事をせず通り過ぎたが、藍とフェンロンの目が合う。


 「ユンロンさんを助けて……お願い」


 フェンロンは床に倒れるユンロンに視線を向け、直ぐ戻し大丈夫だとばかりに無言で頷く。それを見届けた藍は目の前が急に真っ暗な暗闇に包まれ、自分がこれからどうなってしまうのか分からない不安に飲み込まれていった。


 そしてひたすら暗闇で泣き続けユンロンに詫び続けるのだった。






 ――フェンロンの呟き


 陛下とアオイ様が闇に消えると同時に、すぐさまユンロンの下に駆け寄ると、気丈にも意識を失わず天井を睨みつけたまま涙を流していた。


 (ユンロンが泣いている!)


 こいつとは、ガキの頃からの付き合いになるが、泣いているのを見るのは初めてだった。


 正に青天の霹靂とはこの事だ。


 「明日は槍が降りそうだな~~ユンロン」


 軽口を叩くとギロリと睨みつけられるが、流石に憎まれ口は叩けないようだ。


 「こんなお前を見れるとは、長生きするもんだ」


 しみじみと呟く。流石に其のままにして置くには、身内としてあまりにも薄情なので直ぐに手当てをする。先ずは、剣が突き刺さっている右足の下衣を破り捨て、剣が突き刺さった部位が顕わになる。苦痛に耐えて顔を歪め、片方の生足を晒す姿はゾクゾクする程に色っぽい。ユンロンでなければ男でも襲いたくなるほどで、俺以外なら、これ幸いに弱ったユンロンを手ごめにするのは確実だ。


 しかし俺にはユンロンはユンロンでしか無い。ガキの頃から植えつけられた恐怖心は中々根深い物があり、根本的に逆らえないのだ。


 剣は太もも突き抜け床に縫いとめられていたが出血は殆ど見られない。


 「流石に陛下。骨、動脈、静脈を避けていらっしゃる。一応縛ってから抜くぞ」


 剣より上を縛ってから、剣を引き抜くが呻き声一つ挙げないのは流石だ。出血も少なく、直ぐに神力を注ぎ傷を塞ぐと、次に腕の傷を見ると可なりの出血で傷口からは骨が見える。龍族をここまで深手を負わせる事のできるのは、神力を練った武器のみ。普通の剣であれば、かすり傷一つ負わないが、神力による武器の威力はその神力の高さによって大きく変わる。つまり陛下に負わされた傷は不死身に近い龍族でも深刻で傷が治り難く、癒すにも大量の神力を流し込み細胞を再生させなければ活性化せず壊死していく。


 「これは酷いな。太い血管を繋で傷は塞ぐが繊細な治療を要する神経とかは俺じゃあ無理だ。後は専門の奴に任せるしかないな」


 傷口に手を当て、神力を注ぎ血管と傷を塞ぐと、掠れた声でユンロンが話しかける。


 「アオイ様は……?」

 「陛下が何処かにお連れになった。幾らなんでも命を奪わんだろう。アオイ様が死ねば陛下の命も無いからな」

 「アオイ様……」


 安心したのか其のまま目を閉じ、やっと気を失ったようだ。全く世話の焼ける……。だが何時もと立場が逆で楽しくなる。


 ――恋は人を変えると言うが正にその通りだった。


 アオイ様を俺の別荘に連れて来てから、ずっと普通じゃないユンロン。

 夜になっても当然アオイ様は一向に目を覚まさず、ユンロンは必要も無いのに付きっきりで看病しており、偶に俺が顔を出すと如何にも邪魔扱いで俺に冷たい視線を向ける。一方アオイ様に向ける目は、それはそれは愛しい者を見る様な切なげな表情……何か悪い物でも食ったのかと思ったのは内緒だ。


 そもそも、ユンロンは基本人に厳しく己にも厳しい。更に無能で弱い龍族、人間は許せない類。まだ俺がガキの頃、苛められ泣いている俺を更に踏みつけ「泣く前にやる事が有るでしょう」と妖獣の住む森に剣一つを持たされ置いてきぼりにされた時は、こいつの前で二度と泣くまいと心に誓った。


 そんなユンロンが、例えアオイ様が陛下の伴侶だと差し引いても、こんな弱々しい少年を気にかけ、優しく看病するなんて天地が引っくり返るほどの珍事。

 永久凍土とまで謳われるユンロンの心を溶かす者が現れるのかと、龍族の姫から宮廷の女官達にまで噂される程の色恋皆無の仕事人間。まさか、あんな地味な少年が心を射とめるとは……どこにそんな魅力があるのかと疑問だったが、あの吸いこまれそうな黒水晶の瞳には、俺も正直クラりと来た。


 ユンロンの気持ちをハッキリと露わにしたのがあの時だろう。


 アオイ様は薄暗くて気付かなかったが、アオイ様の微笑みを見たユンロンの顔は真っ赤に染まっていた。

 乙女のように赤く頬を染める顔を初めて見た俺は内心爆笑してしまった。

 絶対にユンロンじゃない。

 俺が口付しようとした時の嫉妬丸出しの目。

 実に楽しい体験だった。

 ユンロンの態度は、幼少からの腐れ縁の俺には如何にも愛しいと言う感情をダダ漏れにしているが、本人は自覚してやっているのか、それとも隠しているつもりなのかが、今一分からない。

 あの化け物の様に強い陛下に、万に一つの勝機が無いのを理解しながら、逆らった時は、気が触れたとしか思えない行動だ。


 恋を知らなかった人間が突然目覚めた時に、こうまで愚かになるのかと恐ろしさを感じる。


 従兄殿の恋を応援したいが、恋の小船は既に暗礁に乗り上げ大破してしまっている。


 初恋とは実らない。


 目を覚ましたら一番に教えてやろう~~。


 王都で問題を起こして田舎で謹慎を命じられて退屈していたが、思わない出来事に遭遇し楽しくてワクワクしてくるのは否めない。ユンロンは気の毒だったが、これから面白くなりそうだと気を失って寝るユンロンを見て思うのだった。


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