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青龍国物語  作者: 瑞佳
第一部 「龍王の伴侶」
5/38

龍族の使者


 藍は楽しい夕食を終えて、おしゃべりな双子の相手をしていると誰かが訪れて来た。玄関の戸をドン!ドン!と慌ただしく叩く音にカイリンが縫物の手を止めて立ち上がる。


「こんな夜に来るなんて一体誰だろうね」


 警戒せずに戸のかんぬきを外して戸を開けると村長のバンチェが飛びこんで来た。カイリンには目もくれず、家の主のタオにすら挨拶をせずに真っ直ぐ藍に声を掛ける。


 「アオイ、用があるから直ぐに来てくれ」

 「えっ……」


 バンチェの深刻な声と難しい表情に藍は嫌な予感がする。


 「藪から棒に何があったんだい」


 カイリンは、ただならぬ様子に問いただそうとするが、バンチェは無視するように中に入るとグイと藍の腕を取って連れ出そうとした。


 「取敢えず来て欲しんだ」


 それまで静かに酒を飲んでいたタオは、酒を飲むのを止めて立ち上がり「訳を聞かねえと行かせられん」低い声でぼそりと言うと、バンチェは仕方なさそうに話しだす。


 「龍族様が来た」

 「!?」


 その一言でカイリン夫婦は息をのみ蒼白になった。


 「村の者はまだ誰も知らない。内密にアオイを連れて来いと命じられちゃ逆らえない。渡すしかないだろ」


 藍はバンチェの手が小刻みに震えているのに気付き、顔を見上げると化け物にでも会ったような様子に恐怖で引きつっていた。それを見て龍族という存在がそれ程に畏怖されているのかと感じてしまう。


 「それじゃ、アオイはどうなるんだい」


 カイリンが震える声で聞き、事態はかなり深刻なんだと感じる藍は、自分がどうなってしまうんだろうと不安に駆られた。


 「分からん。俺なんかが、おいそれと話し掛けれる相手じゃねえ。 命じられた事に頷く事しか出来なかった。 人間が逆らえる相手じゃないんだ」

 「龍族様がなんでこんな村なんかに来るんだい。おかしいよ絶対に。渡したらアオイが酷い目に遭うんじゃないかい」


 カイリンは龍族になどお目にかかった事は無く、雲の上の存在でまさに神だった。龍族は天帝が人間を治めるために遣わした神族で、人間は龍族に支配されていた。前龍王が悪逆非道を尽し人間は迫害された話が未だに語り継れて恐ろしい存在。既に藍に対して深い情を傾けているカイリンは、そんな恐ろしい相手に渡すことが出来なかった。


 だが藍はカイリンたちの様子に、ただならぬ状況なのを感じ自分がここには居られないと諦めた。見ず知らずの藍を親切に助けてくれた上に、家に迎え入れてくれようとした人達を困らせたくはなかった。


 「僕、行きます」


 きっぱりとした口調で藍がそう言うと、カイリンはとんでもないとばかりに反対する。


 「アオイ!? 行ったら酷い目に遭うかもしれないよ。 それくらいなら今からお逃げ! 外は暗いし分からない。その方がいい」


 カイリンは藍の体をひっぱり外に連れ出そうとするが、タオが妻の肩を掴み制止し無言で首を振る。


 「龍族から逃げれる筈ないだろ……こんな小さな村を消すなんて赤子の手を捻るより簡単だ。人間は神に逆らえないんだ」


 バンチェも重苦しそうに説得すると、カイリンはそのまま泣き崩れるようにその場に座り込んでしまう。夫のタオはそんな妻を慰めるように肩を抱いた。

 藍はそんなカイリンを見て、実の母が笑っていた姿と比べてしまう。赤の他人で知り合って間もない自分の為に、こんなに泣いてくれる存在が嬉しかった。それだけで十分だった。カイリンが座り込む横に膝をついて、家事で荒れた手を取って礼を言う。


 「カイリンさん短い間だったけど有難う。それにこの指環を返せば許してくれると思うから心配しないで」

 「アオイ……ごめんよ」

 「僕の方こそゴメンなさい。ご飯美味しかった」


 カイリンは泣きながら最後に藍を抱きしめると藍も抱きしめ返し別れを惜しんだ。それから立ち上がり、タオ達にペコリと頭を下げるとタオは「すまん」そう言って藍の髪をかき混ぜるように撫ぜてくれた。大きなごつごつした手は温かくそれだけでも不器用な気持ちが伝わった。此処に居れば本当の家族を持てたのかもしれないが、それは儚い夢で終わってしまたのだ。


 藍は悲しかったけど泣けない。泣けばこの優しい人達を苦しめてしまうから無理にニッコリと笑う。


 「タオさんお世話になりました。 バンチェさん連れてって下さい」

 「ああ…」


 申し訳なさそうな村長のバンチェと外に出ると、泣くカイリンをタオが支えて、双子達も外に出で静かに見送っていた。藍は初めてカイリンの家から出るが、もう二度と戻れないのが切なくて振り返れず、バンチェに腕を取られて歩き出す。


 外は暗く月明かりすらなく、まばらに建つ家の窓から漏れる灯りを辿るように歩く。街灯の無い夜道に慣れない藍は手を引かれて必死に歩く。バンチェにガッチリと手を掴まれ急かせられる様子は、まるで藍が逃げ出さない様にしているかのようだ。


 「先に謝っておく。すまん」


 沈黙が続く中で居た堪れないように口を開くバンチェに藍は首を横に振った。


 「誰も悪い訳じゃないと思います。それにバンチェさん達は僕を助けて感謝しているくらいですから謝らないで下さい」

 「本当にすまねえ……俺には村を守らなくちゃなれねえ。まさか龍族様が御出でになる程の大事になるなんて――役所に届けるんじゃ無かった」


 バンチェにとっても龍族が来るのは想定外で一生お目にかかりたくない相手。大柄な街の役人でさえ面倒で避けたい人種だが、龍族となると大災厄に等しかった。藍を恨むのはお門違いだと分かっていたが愚痴りたくなる。

 藍は自分の立場は分かっている。実際問題、よそ者を庇う義理なんて村には無く、厄介者でしか無いと理解していた。謝ってくれるだけでも救われる。


 「会う前に知りたいんですけど、龍族ってなんです?」


 龍族と言う言葉は何度も聞いたが、具体的に聞いた事が無い藍は事前にどんな存在か知っておきたかった。


 「簡単にいえばこの国の支配階級で神だ。普段は人間の姿をしているが、本性は龍。不思議な神力を持っていて人間が何万と掛かっても、一人の龍族も倒せやしない化け物だ。人間は虫けらで逆らう事は死を意味する」

 「やっぱり、この指環の所為ですか……この村に来た理由」

 「そうだ、チョッと前に突然現れて、指環を嵌めた者を差し出せと言って来た。今は俺の家で待ってる」

 「僕は、どうなるんでしょ」


 人間が龍の意匠を身に着ければ、死罪だと言う言葉を思い出す。


 「分からん…庶民には龍族は雲の上の存在――人間で謁見できるのは極僅かなお偉い官吏だけだ。俺ら下賤な人間は商人や旅芸人の話しでしか知らんが、酷い話ばかり聞く。さっき会った龍族は、どんな奴か分からんが、ゾッとする圧迫感で恐ろしくて顔も見られなかった……」

 「そうですか」


 バンチェンは思い出したのが再び手が震えだしていた。その手から恐怖が伝わり藍まで恐ろしくなって来た。そしてある一軒の家の前に立ち止る。

 どうやら此処がバンチェの家らしい。暗くて良く分からないが、カイリンの家より大きく立派な様子。


 「アオイ、龍族様には逆らうな……指環を返せば幾等なんでも命までは取らないはずだ」

 「はっ、はい……」


 藍は恐怖と緊張で体が強張っていたがバンチェが玄関の扉を開くと、藍の背を押して中に促す。恐る恐る藍は家に入ると、そこに一人の人が立っていたが恐怖を忘れ一瞬で目を奪われてしまう。


 (綺麗な人……)


 藍の目の前にはまるで水の女神のように美しい人間が静謐な空気を纏い佇んでいた。人間では有り得ない水色の髪は流れる清流のように膝近くまで伸ばされ、アイスブルーの双眸が大理石のような白い肌に宝石ののように煌めいていた。藍はそのまま直視してはいけないような気がして慌てて目を伏せる。


 (この人が龍族――確かに神々しい美しさで目が潰れそう)


 一方のバンチェは、顔を下に向けて家に入り直ぐ様戸口で平伏して畏まった言葉で呼掛けるが、声は緊張したように震えていた。


 「長らくお待たせして申し訳ありません。申し付けの者をお連れしました」


 藍も立っているのが無礼な行為だと気が付き、慌てて平伏しようと屈もうとするが龍族が制止する。


 「貴方はそのままで」

 「えっ?!」


 龍族の涼やかな声を聞いた藍は思わず顔を上げると、直ぐ前に龍族の顔があり驚いてしまう。先程まで6mは距離があった筈なのに、動いた気配すら無く間近に龍族の顔が現れたので目を見張る。


 「!!」


 間近で見る顔は、更に直視出来ない程に美しいが、今度は魂を吸い取られるように視線が逸らせないのだった。まさに人間では有り得ない美貌。精緻な氷の彫像な顔は冷たい雰囲気で男性と分かるがまるで氷の女王みたいだと藍は思った。

 着ている衣装も村人達とは違い、光沢のある絹のような青い生地を使用しており、襟と袖口に銀糸で刺しゅうが施された中華風のデザインだった。

 確かに容姿だけでも神様だと言われれば信じてしまうほど。

 龍族の方も藍を見詰め少し驚いた様に目を見開くが、すぐさま優しく華が綻ぶように微笑み冷たい雰囲気が払拭してしまう。


 (うわぁーー綺麗過ぎて目が眩しい)


 「私は龍王に仕えるユンロンと申します。貴方のお名前をお教え下さいませんか?」


 龍族の美貌に圧倒されていた藍は突然話しかけられてハッとし、最初何を言われたか聞き逃してしまった。


 「あっ……」最後に確か名前を聞かれたんだと思い「はっ、はい……藍です」とぎこちなく何とか答える。


 「アオイ様ですね。貴方がしている指環を拝見させて下さいませんか?」


 龍族の話し方は丁寧で傲慢さも感じず、それどころか人間の自分に対し様づけで呼ばれてしまった。藍は変な気がしたが、思ったより恐くない柔らかな声に安堵し、恐る恐る左手を差し出す。


 (人間の僕が龍の指環をしている所為で、もしかして不敬罪で殺されるんだろうか……)


 内心ビクビクと怯えて震える藍の手を恭しく取った龍族は、目を竦めてじーっと指環を検分し始めるが、独り言のように低い声で呟く。


 「間違いありません。これは龍王の伴侶の証――契約の指環……信じられない……陛下がこの少年を選ばれた?」


 ユンロンと名乗った龍族が、とんでもない意味合の言葉を言ったが、殺されるかもしれない恐怖で一杯の藍の耳に入るが頭に入る余裕が無い。ただ立ち尽くすしかない藍の足元に、突然龍族は膝を折り、まるで騎士がお姫様に跪くと藍の左手を取ったまま指に嵌る指環に口づけを落とした。


 「なっ、何なの!?」

 「この指環は本物であるのは歴然。アオイ様を龍王の伴侶として迎え入れましょう」


 口付けに混乱した藍は思考が真っ白になりユンロンの言葉をまたしても聞き逃す。


 「さあーアオイ様。陛下の下にお連れ致します」


 ユンロンは優雅に立ち上がりながら藍に手を差し出すが、反応できずに茫然としたままだった。


 「どうかされましたか」

 「ぼ、僕はどうなるんでしょう」

 「陛下の元にお連れするだけです」

 「陛下? それって王様ですか」

 「はい」


 この国を治める龍王の前に連れて行かれと聞いた藍は、この指環をしている事はそんなに大変な事なのかと更に青ざめてしまう。


 「それはどういう事です……そこで僕は殺されるんですか? この指環は盗んだじゃないんです! 返しますから命だけは助けて下さい」


 恐怖に駆られた藍は、震える声を振り絞りって訴えるが、ユンロンはクスクスと笑い出す。


 「何か勘違いしておられるようですが、如何なる者もアオイ様を害をなす事は出来ません」

 「へ?」

 「詳しいお話は後ほど致します。では参りましょうか」


 ユンロンは藍の体に手を回すと、ふわりと体が浮いたかと思うと藍を軽々と横抱きにした。


 「なっ、!?」


 男でありながら、いわゆるお姫様抱っこをされてしまい恥ずかしさのあまり藍は思わず大声を出してしまう。


 「 おっ、降ろして下さい! 僕は男です」


 この世界に来てから男と言うより女の子扱いされている藍は、もしかして勘違いしているのではと一応断っておく。


 「急いでいるので、お許し下さい」


 だが藍の意志など無視して横抱きにしたまま歩き出そうとするが、足下のバンチェに今更に気が付いたように声を掛けた。


 「アオイ様の事は今後一切他言してはなりません。もし何処かでアオイ様の名を聞き及んだ時は覚悟して下さい」


 言葉は丁寧だが冷え冷えとした声は藍の時とはまるで違った。怯えきったバンチェは額を床に擦り付け「はっ、はー」と言うのが誠意杯の様子だ。逆らうなと言われていた藍だが、自分の所為で村の人たちが酷い目に遭うのは堪らず抗議する。


 「村の人に酷い事をしないで下さい。 此処の人達は僕を助けてくれただけなんです。罰を受けるのは僕だけにして下さい」


 死を覚悟した藍の必死な言葉に、怪訝そうに眉をひそめるユンロンは、話が噛み合っていないのに気が付いた。


 「先程からかなり勘違いをされているようですね。私が陛下の大事なアオイ様に手を掛けるなど大罪、それこそ死に値します」

 「なんの話です……」


 優しげに微笑みながらながら次にとんでもない事を言う。


 「それだけアオイ様は青龍国にとって重要なお方なのですよ。アオイ様の情報はまだ重要機密で漏洩を許せません。それを確実にする為にも小さな漁村を消した方が簡単なのですが…」


 それを聞いて可哀想なぐらい体をびくつかせるダンチェは大きな体を縮こませた。藍は冗談か本気か分からない口調に怖くなる。


 「止めて下さい! そこまでする必要なんてありません。それなら僕を殺して……カイリンさんたちを殺さないで、ううっう…うぇんーんん」


 藍は感極まった藍は子供のように泣きじゃくってしまう。それを見たユンロンは狼狽えてしまい機嫌を取るように優しく囁いた。


 「少し脅しているだけですからお泣きにならないで下さいアオイ様」

 「本当に…」

 「彼らが秘密を厳守する限り、決して手出しは致しません」


 真摯なユンロンの口調に漸く藍は安堵した。


 「はい……貴方を信じます」

 「有難う御座います。それでは、村の外に仙鳥を待たせてますので急ぎましょう」

 「仙鳥?」

 「口を開くと舌を噛みますよ」

 「えっ?」


 風が吹き抜けたように感じたかと思うと瞬時に外に出て村の外に出ていたのをユンロンの背後に見える幾つかの明かりで藍は知る。


 (しゅっ、瞬間移動!?)


 藍を抱いたまま凄い早さで暗闇を移動しているユンロンだが、涼しい顔で水色の長い髪すら乱さずに空気を滑るようであった。藍は目を白黒させている内に潮の香りが近付き、あっという間に浜辺に出てしまい驚く。

 辺りは暗い闇で覆われて、さざ波の音と潮の匂いで浜辺だと分かる。そこに漸く月が出てきて辺りを照らす。すると大きな山のような黒い塊が一つ砂浜に丸まっていた。それは大きな鳥で翼ををたたみ顔を羽の中に埋めていた。ユンロンが言っていた仙鳥だった。


 (まさかあれに乗るのだろうか?)


 藍は馬にすら乗った事が無いので、落ちないかと心配になって来る。このまま龍王の下に連れて行かれる藍だが、この龍族が何か勘違いしている気がしてならない。この訳の分からない状況を何時まで甘受している訳にもいかず、藍は左手の指環さえ外せれば粗方の問題は解決するはずだと思い立つ。


 藍はユンロンの言葉を半分も聞いていなかった為に、未だ自分の置かれた立場に気付かないでいた。


 ユンロンに抱き上げられたままで藍は懸命に指環を抜こうと何度か頑張ってみるが、矢張り抜けずに指が痛くなるだけで思わず溜息が洩れる。


 「はぁ……」

 「どうかなさいましたか?アオイ様」

 「指環を返そうと思って引っ張ってるですが、どうしても抜けないんです」


 肩を落とし落ち込む藍を見てユンロンは目を瞬かせ、何かに耐えかねたように笑う。


 「クスクスッ 面白い方ですね。普通ならこの国の全ての女性が望む指環ですよ」

 「僕は男ですから指環なんていりません。それにこの指環は僕のじゃない。貴方に差し上げますから取って下さい」

 「いいえ、私もあの方の花嫁なんて御免こうむります」


 突然、不穏な単語が飛び出し、流石に藍は聞き捨てできなかった。


 「はっ、花嫁? どうして花嫁なんですか?」

 「何を今さら……。アオイ様は陛下に花嫁として選ばれたのではないですか?」

 「王様に一度も会ったことありません」

 「指環を渡す時にあの方は龍王と名乗らなかったのですか?」

 「そもそもそこから違います。この指環は海で拾っただけです」

 「拾ったのですか」

 「はい」


 ユンロンは藍が嘘を言っている風には見えなかった。だが少年の指に嵌る金の指環は契約が成されており、拾って嵌めただけでは結ばれない。世にも珍し黒を持つ不思議な少年で如何にも訳ありに見える。


 「どうやら詳しい経緯をお尋ねした方が良さそうですね。アオイ様の事をお教え下さい」


 ユンロンは静かに藍を砂浜に降ろす。

 藍は漸く誤解が解けると懸命に自分の事を話した。この世界では無い地球で、誤って崖から落ちて海の中で金色の光を掴んだのがこの指環だった事、気が付くとこの異界の砂浜に流れ着いて村の人たちに助けれた事や、何時の間にか指環をしていた事を説明する。

 話しが進むにつれユンロンの壮絶な顔に怒りのオーラを感じた藍は徐々に自分の立場が危うくしている気がしたが正直に話し切った。

 全てを無言で聞き終えたユンロンは目を瞑り「成程……、大体の事情は分かりました」と底冷えのする冷たい声を響かせた。

 すっかり怯えてしまった藍はユンロンを直視できず俯いて震えながらも訴える。


 「あのーそれで……指環をお返ししたいのです」


 勇気を振り絞ってお願いする藍に対し、ユンロンは沈黙したままだった。


 怯えて俯いた藍の旋毛を見下ろす美しい顔には奇妙な表情が浮かぶ――それは戸惑いだった。藍の話しを聞きながら龍王への怒りが沸々と湧き上がったのだが、自分に怯え始める藍を見ている内に奇妙な感情が優って来る。その感情が何なのか分からずに戸惑っていたのだった。

 そんな事を知らない藍は、ユンロンが声にも出来ないほど怒り心頭で、その怒りが何時爆発するのかと戦々恐々だった。

 気まずい沈黙が続く中でユンロンが漸く口を開いた。


 「この契約の指環を外せるのは天帝様だけ……既にアオイ様の指に嵌った時点で契約は結ばれましたので諦めて下さい」

 「そんな……第一、男の僕が花嫁になるなんて無理な話です。王様って男性なんでしょ?」


 しかし、そんな抗議も無碍無く返されてしまう。


 「大丈夫ですよ。その契約の指環があれば、花嫁が男であろうと女であろうと問題はありません。むしろ問題は陛下にあるようです。アオイ様の件を此処まで秘密裏にする意味が分かりませんでしたが、これで大凡の予想がつきました」


 再びユンロンの怒りをあらわにした壮絶な美しい顔に藍は背筋がゾクリとしてしまう。しかも体から黒い冷気の様なオーラがにじみ出ており恐ろしくて、藍は今にでも気を失いたくなる。そんな藍をおもんばかったユンロンは怒りを抑えるようにニッコリと笑い掛ける。


 「アオイ様、お疲れでしょう。街に宿をご用意してありますので出発致しましょうか」

 

 事情を話せば龍王の下に行かなくてもよくなると考えていた藍の読みは甘かった。更に嫌だと言う勇気も無く唯々諾々と「はい……」と頷く。


 「ズイセン、起きて街まで飛んで下さい」


 砂浜にうずくまる巨大な鳥にユンロンが呼びかけると、羽の間の頭をニョキッと起こして立ち上がる。それと同時に「クェーーッ」と鳴き大きな翼を広げて軽く羽ばたく。その所為で砂埃が起こるが藍たちに振りかかる事は無かった。

 翼を広げ、更に数倍も大きく見える鳥に威圧された藍は、思わず後ずさろうとするがユンロンに体を抱きとめられて逃げられない。飛ぶ準備を終えた鳥は翼を納めると、猛禽類の鋭い目つきが藍たちを見下ろした。


 「ひぃーーっ」


 まるで怪獣に睨まれたようで恐ろしくなり藍はユンロンにしがみ付いてしまった。


 「見た目に反して大人しい鳥ですからご安心下さい」


 そう言われても体長4メートルは有る鷹の様な鳥に見降ろされ、藍は捕食される小動物になった気分だった。


 「本当に、これに乗るんですか……」


 恐ろしくて足が竦んでしまう。


 「私がいるので危ない目には決して合わせません」


 ユンロンの優しげな口調の中に甘さが加わるが、藍は気付かず顔を青ざめさせたまま頷いた。

 仙鳥は乗りやすいように身を屈めると、背中に鞍の様なものが載せてあり、ユンロンは再び横抱きにすると、全く藍の体重を感じていないかのようにヒラリと跨る。

 経験した事のない高い視界に身がすくんだ藍は、ユンロンの胸にしがみ付き恐る恐る聞いてみる。


 「本当に…大丈夫なんですか?鳥って夜は目が見えないんじゃ……」

 「私を信じて下さい」

 「は……い」


 藍の不安をよそに鳥はバサバサと羽ばたき始め、すごい風が起こり砂が舞い上がる。視界が白く曇る藍フワリと体が持ちあがると同時に舞い上がる。一瞬すごい風圧を感じるが直ぐに無くなり、あっという間に空高く飛んでいた。

 藍の眼下には月の明かりに照らされた海岸線は波が銀色にさざめいて美しかった。仙鳥は暫く海岸線に沿って飛んでいたが、右に少し旋回し陸の上を飛行する。すると下は暗い森が続き、月が雲に隠れてしまうと視界が一気に闇に閉ざされてしまった。


 「あの……本当に大丈夫ですか」


 暗闇の飛行は無謀としか思えず、藍は背後にいるユンロンに振り返って確認してしまった。


 「私には神力があります。現に飛んでいるのに風圧を感じないでしょ」

 「そう言えば飛んでいるのに風を感じない」

 「私が結界を張り、風と音を消しているんですよ」

 「魔法ですか?」

 「今使っている力は神力と言いますが、精霊を使役する精霊術もありますよ」


 神を名乗るだけに不思議な神力を持つ龍族、その上に精霊まで存在するなんて本当にファンタジーの世界だと藍は素直に納得した。


 「僕の世界には無い力です」

 「アオイ様の世界には神や精霊は居ないのですか」

 「多分。あの……僕が異世界から来た話を信じてくれたんですか」

 「勿論です。この世界で黒い髪に瞳を持つ者は神族でも人間でも稀な存在なのです。それにアオイ様が嘘を言う人間には見えません」


 藍の耳元でそう囁かれドキッとする。酷く距離が近い事に今気が付いてしまった。話している内に藍の緊張感はほどけて行くと、今度は背後から抱き締めるようにいるユンロを意識し始める。信じられない程に綺麗な顔を思い出すと心臓が高鳴る。しかも密着した今の状態が恥ずかしくなり居た堪れない。


 (もう少し離れたいけど無理だよね)


 少しでも接触を少なくしようと、もじもじと身を縮める藍に、ユンロンはまだ飛行が恐ろしいのかと気遣い確りと体を引き寄せてしまう。


 「!!」

 「もう直ぐ街の明かりが見えてくるはずです。宿に着けばゆっくり出来ますから、もうしばらくご辛抱下さい」

 「はっ、はい」


 頬を染める藍は街に到着するまでドキドキが止まら無いのだった。





 月明かりの無い夜空を仙鳥は一切の迷いもなく翼をはばたかせて空気を切り裂きながら進む中、遠くに微かな明かりが見え始めたと思うと、一瞬のうちに大きな街の上空を旋回していた。実際のスピードと体感スピードが違うため、藍は瞬間移動した様な奇妙な感覚に陥る。

 街は村とは明らかに違い建物が建ち並び、しかも炎の明かりでは無く電気の様な人工的な明かりが街を覆っている。中央には城壁に囲まれた大きな立派なな建物が建っており、そこを中心に建物が立ち並んでいた。

 仙鳥は街の端にある大きな広場に舞い降りた。ユンロンは藍のひざ下に手をいれ横抱きにされると、乗る時と同様に軽々と仙鳥の背から飛び降りる。まるで羽が生えているかのようにふわりと地面に着地するが藍は全く衝撃を感じなかった。


 「ご苦労様。明日の朝まで羽を休めなさい。」


 ユンロンが仙鳥にねぎらいの言葉を掛けると、大きな翼を羽ばたかせ静かに夜空に消えていった。

 深夜の所為か石畳の広場には人の気配は無く、周囲の家は木造だが3階建の大きな建物が整然と建ち並んでいる。道路も舗装されており都市として整備され、広場には幾つかの街灯が周りを照らすように取り囲んでいた。藍が考えているより文明が進んでいるのに驚かされる。

 特に石柱の街灯にともる明かりが日本の街灯に匹敵する程で、藍は光源に何を使っているのか気になり、街灯を指さしながら聞いてみる。


 「あの明かりは電気ですか」


 村ではロウソクを灯りにしていたので、生活水準の差があるようだ。


 「電気?、それは知りませんが、あれは太陽石を使用しているんですよ」

 「太陽石?」

 「昼間に太陽の光を蓄えて、夜になると光る石です。大きな都市では街灯に使用したり、裕福層には家の照明として普通に使われています」

 「エコで便利ですね」


 藍の基準からすると不思議な世界なのは分かっていても驚いてしまい思わず呟いてしまう。


 「エコとはどういう意味です?」

 「環境を汚さない、クリーンなエネルギーという事かな……」

 「……やはりアオイ様は異界の方なのですね。不思議な言葉を使う」

 「そ、そうですか」


 街灯の光がユンロンの水色の髪が透けて煌めかせ、アイスブルーの深い瞳が藍の数十センチ間近で見詰めているのにハッとする藍。仙鳥から降りたのに未だにユンロンに横抱きをされていた。傍目から見れば恋人同士の様な恥ずかしい体制。しかも男同士なので藍は人が来ない内に降ろして欲しかった。

 そして呼びかけようとして初めて自分がこの人の名前を覚えていないのに気が付いてしまった。


 (どうしよう、今さら聞けないよ……)


 「あの……そろそろ降ろして下さい。僕一人で歩けますから」


 仕方なく名前を訊くのを諦めて言う。


 「宿はすぐ近くですから、このままでご容赦ください」


 何故か歩かせて貰えない藍は、まさかこの人も自分を小さな子供と勘違いしてるのかもと心配になる。実際カイリンも十歳だと勘違いしていたのだから有り得る。ちゃんと年齢を伝えた方がいいのだろうかと藍がグルグル悩んでいる内に、二人は大通りから狭い路地に進み白い壁の立派な建物の裏口から中に入る。

 藍は中に入れば降ろしてくるかもと期待していたが、ユンロンは、そのまま抱き上げたまま当然のように移動し始める。藍は諦めて成すがままに体を預けるしかなかった。


 裏口から細い廊下を抜けると赤い絨毯を敷いた広い廊下に出る。そこは街灯と同じ太陽石の照明が灯り、染み一つない白壁には絵が飾ってあり、立派な壺も置かれていた。だが他の泊り客の気配も無く従業員すらおらず、深夜で寝静まっている様子だった。


 (一体今は何時なんだろう?)


 そんな物珍しそうんに、きょろきょろと辺りを見渡している藍を大事そうに抱えるユンロンの姿は宗教画の聖母ように慈愛に満ちていた。ユンロンは、そのまま三階まで藍を運ぶが、重さを全く気にしておらず、まるで羽でも運んでいるように軽やかな足取りで一番奥の部屋に入った。そこでやっとベッドの上に藍を静かに下ろした。


 「田舎街で、あまりいい部屋をご用意できず申し訳ありません」

 「僕には十分立派ですけど」


 部屋は一人で泊るには十分広すぎ二十畳はある。そして室内にもあの太陽石を使った照明が吊るされており、電気と変わらない明るさで照らしていた。カイリンの家とは比べ物にならない家具が設えられ、ベットは初めて見る天蓋付きで貴族の邸宅のような豪華さ。正直藍は腰が引ける。


 「急なお迎えだったので準備が整っておらず御不自由をおかけします。今夜は湯あみは無理ですが、軽い食事ならご用意出来ますがどういたしますか?」

 「お腹はすいてないので大丈夫です」

 「それでは、もう遅いのでお休み下さい。私は隣の部屋に居ますので何かあったらこの呼び鈴を鳴らせば、すぐにお伺い致します」


 枕元に置かれた金のベルを示しながら説明してくれ、寝やすいように照明の明るさを落としてくれた。


 「それでは、ごゆっくりお休みなさいませアオイ様」

 「はい。お休みなさい」


 ユンロンは軽く会釈をすると部屋から出て行くのを見送った藍は、やっと一人になリ肩の力が抜ける。壮絶に綺麗な男性にお姫様抱っこをされ、変に意識してしまい気疲れをしてしまった。


 「あんな綺麗な人がいるなんて信じられないや」


 ユンロンの美貌を思い出して一人頬を染める藍は、綿の入ったふかふかの布団に倒れ込む。するとカイリンの家の粗末な寝具を思い出した藍は複雑な気分になる。


 「カイリンさんたちにも、こんな布団で寝て欲しいな」


 きっとまだ藍を心配しているに違いないと思うと、自分だけが豪華な部屋のふかふかの布団で寝る事に罪悪感が湧いてしまった。


 「疲れた……」


 藍はは急激な疲れを感じ、ベッドに腰掛け直してシューズを脱ぐ。体操服はカイリンの家に忘れて来たので、地球の物はこのシューズだけになってしまった。そしてそのまま布団に潜り込むと同時に意識が切れたように藍は寝てしまう。崖から落ちてから、信じられない事が次々と身に降りかかるのだから無理もないだろう。


 静まりかえる部屋に藍の安らかな寝息だけがせめてもの慰めだった。





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