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青龍国物語  作者: 瑞佳
第一部 「龍王の伴侶」
35/38

5年後 -髪紐ー

 ――雨季


 妖獣の森に雨期がやって来た。

 朝から夜まで決して降り止むことのない雨が家と庭を遮断してしまい、藍の行動範囲は、更に狭くなってしまう。小さな家に閉じ込められてしまうので、少し気分が鬱積してしまうが、今年は違った。

 あの告白の夜の翌日から、藍はモンに教えを乞いながら、組み紐を練習する毎日だった。

 練習をし始めた当初は上手くいかずに何度も投げ出しそうになった藍だが、ユンロンを想いながら必死に練習に励んだ。


 そして組紐をし始めてから二ヶ月経つ藍だったが、思ったより自分は不器用だった事に気が付いた。

 組紐をするには、先ず玉とよばれる駒に5本の糸を依り巻いたものを使用するのだが、一本組むのに、この玉を16個を丸台に置き順番に動かし組んで行く。一見簡単そうに思えるが、順番を間違えたり、力加減を間違えると歪な部分が出来て、綺麗に仕上がらない。


 「おばあちゃん…また失敗しちゃった」

 「あらあら…時間はあるんだから手が覚えるまで何度も繰り返すしかないわ。練習あるのみよアオイ」


 藍を励ましながらもモンの手は90個の玉を手元も見ずに動かす神業を披露していた。モンの組紐の玉には一本の糸しか巻かれていないので、より精密な強い組紐が作られる。


 「すごい、なんでそんな事が出来るの」


 感嘆の溜息しか出ない。


 「私も最初から出来たのでは無いのよ。これ位になるには五十年は頑張らないと」


 藍は五十年と聞いて、初歩で躓いている自分いは、その域に達するのは無理だと早々諦める。


 「まともに仕上げれない僕に、そんなの絶対に無理。こんなんで今年中に出来るかな…」


 手元のよれよれにこじれた組紐を見詰めながら、「はぁ……」とため息が零れる。


 「大丈夫よ。根気よく丁寧にを心がけて行く内に自然と手が動くようになるから頑張って」

 「うん」


 モンにそう言われ、止まっていた手を再開した藍は、根気よく糸の玉を動かし始じめる。単調な作業だけどユンロンさんに贈る為だと思うと苦痛は薄れて行った。


 「アオイ、お茶にしましょう」


 声を掛けられ藍はハッとする。そして丸台から顔を上げると、何時の間にかお茶を運んできてくれたモンだった。かなり集中していたのか、モンが席を立っていたのにも気付かなかったらしい。


 「ありがとう。でも結構時間が経ったけど、小指一本分しか出来て無いなんてめげそう」


 藍は、ようとして進まない作業に投げ出したくなり、つい弱音を吐いてしまった。そんな藍にモンは花の香りのする茶器を差し出す。


 「そう言う時こそお茶を飲んで心を休めるの。 今日のお茶は沈静作用があるから飲んでみて」

 「うん、ありがとう」


 白い茶器を受け取ると、綺麗な赤いお茶が満たされていた。花の香りを楽しみながお茶を飲むと心がホッとする。


 「そう言えば、おじいちゃんは如何したの? 雨が降ってるのに外なの」


 お昼御飯を食べた後から姿を見ていないのでモンに訊いてみた。


 「あの人は部屋で手紙を書いてるわ」


 何時もなら居間で書くのに、どうしてだろうと不思議に思っていると「トゥロンのお嫁さんになるランさんへの返事を書いてるんだけど、難航しているみたいよ」とウフッフッフッフと笑いながら面白がりながらモンが教えた。


 「そっか、おじいちゃんも大変だね。でもお目出度い話だから嬉しい悲鳴だね」


 オウロンは手紙など文章を考えるのが苦手で苦労している様子だ。

 

 「私の髪紐が出来る頃には書きあげるんじゃないかしら」


本気とも冗談とも取れるようににモンが言う。


 「それはないんじゃないかな、アハハッハ…」


 何故こんな事態になったかというと、先日、突然オウロンの長男であるトゥロンから手紙が届く。内容は結婚の許可を貰う為の手紙で、オウロンはその返事を書いていた。

 勿論、結婚の許可と二人を祝福するためだ。

 トゥロンは最近まで徐州で州軍の再編を行っていたが、漸く任務を終えて王都に戻って来たのだ。しかも徐州で州知事の侍女をしていたランを見初めて婚約者として連れ帰って来たのだ。嘗て兄に許されぬ想いを抱いていたサンジュンロンも、今はフェンロンという存在が出来て、トゥロンの結婚を心から祝福していた。

 そして今モンが作っている髪紐は、その二人の婚礼のためのモノだ。

 本来はサンジュンロンの髪紐を作ろうと腕慣らしの心算が、兄のトゥロンの方になってしまったのだ。その為に大忙しになってしまったモンだが嬉しい悲鳴だった。


 二人でのお茶の休憩が終わると、次にモンはオウロンに「あの人の場合、お酒を少し飲んだ方が筆が進むはずだから」とお酒を運んで行った。

 なんだかんだと言ってもオウロンに甘い。歳を重ねても仲睦まじい姿の二人を見る度に藍は羨ましくなる。藍も地球に居た頃は、大学卒業後は家を出て就職し、ささやかでも愛する女性と幸せな家庭を築く夢を見ていた。二人はまさに理想の夫婦像で自分には一生無理なモノだった。


 「はぁ――… 」


 思わず深い溜息が洩れる。

 藍の周囲を見渡せば、愛する人と幸せを掴んだ者ばかりだ。


 「おじいちゃん、おばあちゃん、サンジュンロンさん、トゥロンさん、おまけにソンまで生涯を共にする相手が居るのに、僕の生涯の相手が王様なんてあり得ない… はぁ――っ 」


 藍は二度目の深いため息を付くと、それ以上は思い悩まずに組み紐の練習に取り掛かる。

 最近此処での生活を送る為の三カ条を藍は作った。


 一、王様の事を考えたら直ぐ思考を切り替える。

 二、人の幸せを羨ましがらない。

 三、ユンロンさんは良い思い出にする。


 実行するには、なかなか難しいが、少しは暗い思考に囚われずに済む。


 (ユンロンさんへ贈るのに十分なレベルの髪紐は、まだ数カ月かかりそうだな。でも僕の気持の整理をするのには丁度いいや)


 これらの事が、全て懐かしい思い出になるのだろうと藍はそう考えるようにした。なにしろ藍の未来には途方も無い時間が待っているのだ。






 ――雨期明け


 一月程の長い雨期が漸く終わり、藍は久しぶりの日差しを堪能しながら、オウロンの畑を手伝う。

 流石に家にこもりっ放しは辛く、なまった体を動かすのは気持ちが良かった。

 畑に植えられていた作物の多くは痛んだり、生育が悪く、相変わらず惨憺たる惨状で、それらを引っこ抜いて片付ける。


 「やはり、雨期の間は作物は無理のなようだのー 」

 「殆ど駄目だけど、トウモロコシは大丈夫だよ」


 取り寄せた何種類かのトウモロコシの種を、五株づつ作付けした中の一種類だけが見事に実らせていた。

 そのトウモロコシには、幾つか実がなり、それを取って皮をむいてみると、黄色い小さな粒がギッシリ詰まっており美味しそうだ。

 それをオウロンに渡すと、しげしげと見ながら、生のまま齧り付く。


 「ムシャ、ムシャ…… 甘いのー。これをもう少し長雨に耐えれるようすれば、何とかなるかもな……」

 「別に今のままでいいんじゃないの?」

 「確かに、この土地ではこれでもいいが、雨期は地方によって、二の月にまたがる事もある。そこで暮らす者達に雨に強い作物が有れば、少しは助けになるからな~」


 オウロンは軍を引退し田舎で貧しい人間の為に役立とうと農業を本格的に研究していた。それを結界のこの狭い畑で細々と続けていたのだ。


 「おじいちゃん凄い!」


 藍が尊敬の眼差しで見ると、オウロンは照れくさそうに頭を掻く。


 「アオイ、それじゃートウモロコシを収穫してモンに届けてくれ」

 「分かった」


 トウモロコシは試しに植えているので五本程しかないが、全部で十五本ほど収穫出来たのを籠に入れ運ぶ。その途中で久しぶりにやって来たソン達に呼び止められたのだった。


 「キュイーキッー」


 鳴き声の方を見ると、二匹が仲良さそうに寄り添い、ソンが手を振っている。


 「ソン、ナナ! 二人とも元気そうだね、雨大丈夫だった?」


 二匹に変わりはなさそうだが、ソンが藍の籠を物欲しそうにジーッと見ているので、離れて畑を耕すオウロンに呼びかける。


 「おじいちゃん!ソン達にトウモロコシをあげてもいい?」

 「四本ならいいぞ」


 藍はは籠からトウモロコシを四本取りだし、ソンとナナに二本づつ直に渡す。物ならば結界を通せるのを知ったのだ。


「もっと畑で採れるようになったら、沢山あげるから、これで我慢してね」


 渡した途端に二匹は美味しそうに、あっという間に芯まで食べてしまう。雨季の間餌が少なく結構お腹をすかしてたんだろうかと可哀想になった。


 「待ってて、台所に他に何かないか見てくるから」


 オウロンは、頻繁に餌を与えてはいけないと注意されてるが、お腹を空かせてるのを見ると、藍はつい食べさせたくなる。勝手口から入り、台所に籠を置いて辺りを物色すると、朝焼いたナンに似たパンが数枚置いてあったので、居間に居るモンに許可を取って四枚貰う。

 急いで戻ると、毛繕いし合う二匹がなんとも可愛いく微笑ましい。ソンは大きくなりすぎ可愛げが無くなったが、ナナとじゃれあう姿にホノボノするのだ。


 「これを二人で分けて食べるんだよ」


 ソンはパンを受け取り、嬉しそうにナナにも渡すと、トウモロコシを食べたばかりだが、直ぐに一枚ずつ食べ始める。


 雨期にはやっぱり食料が少ないのだろうと、藍は美味しそうに食べる二匹を眺めていると、ソンの肩にかけている剣に目をやる。


 「そう言えば、剣は錆びて無いか、見せてごらん」


 群れに属さない片手のソンにとって、剣が無ければこの妖獣がはびこる森で生き残るのは難しい。それに今は守るべきナナがいるので剣が錆びていては生きて行くのが難しかった。

 そして人間の言葉をちゃんと理解するソンは、剣を背中に革紐で括り付けている鞘から抜き藍に手渡す。

 藍は剣を受け取り刃を見ると、刃こぼれも無く綺麗な刀身が光っていた。この剣は、オウロンが名のある鍛冶師に打たせた一品である。やはり、普通の剣では妖獣を斬れないそうだ。


 「大丈夫そうだね。剣が壊れたら直ぐ持って来るんだよ」


 剣を返しながら、そう言うと頷きながら「キッキー 」と鳴く。

 それから残したパンを持って、森に二匹仲良く帰っていく。その後姿を眺めながら、早く可愛い赤ちゃんが加わると嬉しいなーと思いながら藍は見送るのだった。


 お昼は、取れたてのトウモロコシを塩で茹でた物のと、肉と野菜を炒めバンに挟んだものだ。藍は早速茹でたてのトウモロコシに噛り付く。


 「甘くて美味しい! ソン達も芯まで食べてたよ」

 「本当に美味しいわね」


 二人の賞賛にオウロンも満足げに食べている。


 「余ったのは如何するの」

 「少し種として残すが、余り量が無いから、乾燥させて製粉するにも少なすぎるし、茹でて食べるしかないか」

 「それなら余ったのは僕に貰えない」

 「別にいいが、何にするんだ?」

 「出来てからのお楽しみ」

 

 藍は乾燥させたコーンを火で油と炒めると、確かポップコーンになったはずだと日本の知識を思い出した。上手く出来るか自信は無かったが、お昼を食べ終わると、早速余ったトウモロコシを紐でくくり、家の軒先に吊下げておいた。


 今から食べるのが楽しみで、つい顔がゆるんでくる。ポップコーンは、中学校の時に友達と映画館で食べて以来。その時にその友人が自慢げにポップコーンのミニ知識として教えてくれたのだ。あの時は塩味で無く、キャラメル味で甘くて美味しかったのを思い起こす。


 (そう言えば、キャラメルってどうやって作るのかな?)


 藍は日本で普通に食べていた物が、どうやって作られていたか本当に知らなかったと、今更気が付いてばかりで後悔する。知っていればオウロン達にもっと美味しい物を食べさせられたのだ。普通は、こんな境遇に陥るなんて考えもしないので、知ろうとも思わなかった。


 「どうせなら向こうの知識を此処で活かせたらいいのに」


 だが十七歳の藍は学校の勉強ばかりして来て、生活に役に立ちそうな知識は少ない上に、こんな所に閉じ込められていては、何も出来ない実情だった。


 午後からは組紐の練習にあて着実に上達して来ている。今では五日もあれば1本作れるまで来たのだが、後はいかに綺麗に仕上げるかだった。


 「おばあちゃん、出来たんだけど見てくれる」


 さっき出来たばかりに組紐を渡してチェックして貰う。


 「二月でこれだけ出来ればマズマズよ。でも所々力の偏りで引き攣った処もあるから、とてもユンロン様には差し上げれないわね…。一定の速さで糸を動かしてみて」

 「分かった…ありがとう」


 モンの目は厳しくなかなか合格点を貰えない。

 どうやらユンロンに渡すにはまだまだ練習が必要だ。一方モンの組紐は金色の物が出来上がり、今は銀色の紐に取り組んでいる。金糸も銀糸もとても高価なもので一本作るにもかなりの金額になり、宝飾品と変わらない。


 「何度見ても凄く綺麗ー、それに僕のより大分長いよね?」


 銀の組紐は繊細な銀の鎖のようにキラキラと光っている。


 「これは飾り紐にするの」

 「飾り紐?」

 「そうね実際に見せてあげるから、ちょっと待ていて」


 モンはイソイソと部屋から出て行くと、直ぐに赤の髪紐を持って戻って来ると、その紐を結んだり輪に潜らせたりと複雑に結んでいき、最後に赤い花が出来上がる。


 「これが飾り紐よ。綺麗でしょ。こうやって髪飾りにしたり腰留めにしたりするの」


 赤い花を藍の三つ編みにしている根もとの方に結び付ける。


 「似合うわよアオイ」


 藍は男なので花飾りはチョット遠慮したいが、モンが折角してくれたのでそのままにする。


 「婚礼にはもっと複雑な物をするんだけど、男は金、女は銀を結んで愛を誓うのよ」

 「おばあちゃんも付けたんだ」

 「それが…以前も話したけど私達の婚儀は正式な物はしてないの。攫われた私を助けに来たあの人とその場で龍王様が強行で婚姻を結んで頂いたから……だからトゥロンとランさんにはちゃんとした婚儀を上げて欲しい」


 久しぶりに龍王と聞き藍は眉をしかめそうになるが、モンの手前いやな顔は出来ない。


 「きっと二人も、この髪紐を贈れば大喜びだよ」

 「ウッフッフフフ そうねー」


 微笑むモンだが少しだけ寂しげに見えてしまう藍。


 (やっぱり、おばあちゃんも息子さんの結婚式を見たいんだろうな……だけど僕のせいで、此処から出る事は出来ない。せめて一目見せてあげたい)


 藍は、自分の所為でこの結界で暮らす事になった二人にの為に、結婚式に出席させてあげたかった。そうなると、龍王にお願いの手紙を書き頼むしかない。しかしその願いを聞き届けて貰えるか自信が無かった。


 (そもそも僕の事なんか忘れているかもしれない)


 藍が龍王を見たのは後にも先にも最初の一度っきり。あれ以来、姿も見せず手紙すらなく、藍の存在など記憶から喪失しているに違いなかった。二度と会いたくない相手だが、自分ばかりが空回りしているようで悔しかった。


 (でも……おじいちゃん、おばあちゃんに少しでも恩返しをしたい)


 藍は大事な二人の為にと思い藍は、駄目もとで手紙を出してみようと決心する。






 夜になり藍は、今夜は疲れたからと組紐の練習を早々に終わらせ、自分の部屋に引っ込む。そして机に向かって手紙を書こうとするが、何を最初に書けばいいか思い付かない。


 「初めましても可笑しいし、お久しぶりですも変だよね…」


 これがユンロンへの手紙なら、書く事が一杯あるんだけどと思いながら、藍は無難に時候の挨拶で始めようと決め、用件を簡潔に書き、一生に一度だけのお願いの言葉を書き添えた。


 (一応、僕は伴侶なんだから一つぐらい我儘が許されてもいいはずだ! ……でも無視されたらどうしよう)


 自分の手紙など中身も見て貰え無い可能性もある。


 「弱気になっちゃ駄目だ。返事が来るまで何百通でも送り続けるくらいしてやる」


 婚儀まで時間は十分ある。藍は数百通も送り続けるなんて嫌がらせみたいだと思うと何故か楽しくなって来る。


それからサンジュンロンさんに、手紙の内容と王様に渡して欲しい事と、二人には内緒にして欲しい事を手紙に書き添えて、二人が寝静まるのを待った。


 そして二人が寝静まり灯りの消えた居間を通り闇の中を進む。目的の戸棚にそっと開け、王様に送る文箱とサンジュンロンへの手紙を入れる。


 (そう言えば妖獣にあった晩にも、こうやって手紙を出しに来たっけ)


 あれ以来怖くて、夜は部屋からも出ないようにしているが、これからは返事の手紙は、夜に返信を返して欲しいと書いたので、確認する為に当分通わないといけなさそうだ。それから急いでベッドに潜り込み目を閉じながら、藍はどうか龍王が許してくれるよう願わずにはいられなかった。



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