龍王の出奔 二
ルェイロンは商隊を離れたその足で、適当な宿をとり汗を流した。そして途中で買った服に着替えれば、以前の粗末な護衛服でも十分目立ったのだが、絹の服をまとえば正に秀麗な顔を更に引き立て、何処かの龍族のお忍びと言った風情だ。しかし茶色の髪と緑の瞳がそれを否定してしまい、どこかの良家の龍族の血を引く庶子として周囲が見ていた。
日が完全に落ちるのを宿で待ち、夜の町に繰り出すと、呆れた事に街の中心の大通りがそのまま花街になっていた。街灯の太陽石が煌々と光る大通りには人で溢れ、日中より賑わっており、男達の喧騒と女の呼び声が飛び交っている。細い路地に入れば、暗闇の中、怪しげなが店が立ち並び、正に享楽の街の態だ。
道端には、既に酔いつぶれた男や、物乞いの姿も多い。中には煙管をふかしながら虚ろな目で座り込んでいる者もおり、明らかに阿片の中毒者だ。阿片は青龍国では使用は禁止されており、医療に僅かに許されるのみ。それを道端で堂々と吸っているのだから腐敗ぶりはあからさまだ。
ルェイロンが歓楽街の雑踏を歩けば、遊女達の目が一斉に注ぎうっとりと見つめ、男どもは妬み睨む。歩く人々も避けるように道を開けて、人ならざる美貌の男を見送るだけで、声を掛ける気概のある者は誰もいなかった。
そんな雑踏の中でルェイロンは聞き知った声が背後から声を掛けられる。
「ヘイカ見つけ~」
背後から声をかけられ振り向くと髪を布を巻いて隠したフェンロンが両脇に綺麗な女を侍らせている。
「そなたか」
「気配を消しているので探すのに苦労したんですから。あちらの娼館に部屋を取ってありますので行きましょう」
「……」
徐州に入ってひと騒動起し、フェンロンがやって来るとは予想はしていたので驚かない。
しかし問題を起こした豪周辺を捜さずに、この州都の歓楽街で羽を伸ばして待ちかまえているとは思わなかった。相変わらずとしか言えず、ユンロンとは正反対のふざけた男だと呆れるのだった。
フェンロンに案内され入ったのは高級娼館らしく、まるで王宮の様な豪華な造りになっていた。柱は全て朱塗りで、白壁には艶やかな花の絵が飾られて、甘い香が娼館全体に漂ていた。美しい娼姫が二人を二階の個室に案内する。
案内の娼姫は、自分より美しい男の客に目を潤ませ頬を染めるが、部屋に入るなりフェンロンに下がるよう言われると悲しげに出て行った。そして漸く二人きりになるのだった。
ルェイロンが長椅子に座ると、フェンロンは床に跪き早速泣きつく。
「陛下が家出したせいで、こっちはユンロンにこき使われ大変ですよ。サッサと帰りましょう~ お願いしますから~」
豪主を殺してから十日は過ぎているのを考えると、十分ここで楽しんでいるはずの男の言葉に、あまり悲壮感は感じない。そんなフェンロンにルェイロンは、どんな時も人生を楽しむこの男が酷く羨ましく感じてしまった。
「まだ帰らぬ。徐州を見て来た限り、かなりの悪政がはびこっている。此処の始末が終わってからだ……そなたも手伝え」
「駄目です!そんな事したユンロンがブチ切れますよー。徐州の豪族を惨殺したのでさえ、凄い剣幕で次は俺が殺されます」
フェンロンは大きな体を縮めて土下座しながら帰る事を勧める。
明らかにルェイロンよりユンロンに怯えていた。
「そなたは誰の臣下だ」
「勿論、陛下ですが…分かりした……手伝えばいいんでしょ…手伝えば……。その代わりユンロンから守って下さい!」
「……善処しよう」
かなり不安な返答だが龍王の命に逆らえる龍族はいない。
「ところで陛下、州知事の始末は明日にして折角ですから今夜は此処で遊んでからにしませんか」
手伝うと腹を据えると切り返しの速い男は、まだここで楽しみたいらしい。
「今からだ」
無常な言葉にガックリとフェンロンは項垂れてしまった。既に六日前から遊び倒していたのだから、嫌も何もあったものではない。
「お前が見て、この歓楽街はどうだ」
「王都より規模が大きいんじゃないですか~。しかも闇では色~んな事をしてくれますし、奴隷の売買も行われています。堂々と阿片や賭博が蔓延していて、街中が廃人や浮浪者が溢れるのは、そう遠い未来じゃないでしょう。それに女は矢張り王都が一番です!」
相変わらずのふざけた意見は無視する。
「州知事は?」
「四十年ほど前に、父親から州知事の座を譲り受けたのですが、父親が存命時には大人しくしていたようです。死んでからは徐々に搾取に励んだ様ですね。しかもかなりの色好みで、処女を無理やり犯すのが趣味とか。悪趣味の極みですよ…女は大事にせねば!」
「州軍の方は如何だ」
「此方も軍とは名ばかりで街のごろつきと同じですよ。民衆から小金をせびるのが任務みたいなもので、いざという有事に役に立つかは愚問ですね…昼間から酒を飲んでいますから。陛下が殺した豪族が治めていた一帯の州兵は、龍王印を見て、直ぐ王都に連絡をして来るくらいですから、我が身かわいさの小悪党レベルです」
どうやら州都には、ルェイロンが行った虐殺は、伝わっていないらしい。
それから行政の汚職も横行し、高官は贅沢な暮らしぶりなど、次から次へと悪行がフェンロンの口から報告された。どうやら遊んでばかりいた訳でなく少しは働いていたようだ。
「そうか。ならば潰しても何の問題は無いな」
「いえ、それは如何なものかと……」
思慮に欠けると定評のあるフェンロンに突っ込まれるが、ルェイロンは此処まで来て引き返すのは、気が済まない。――と言うよりは、王宮に戻ればユンロンの責めが待ちかえているかと思うと、此処で憂さ晴らしをしておかねば、とても戻る気にはなれそうもなかった。
「ついて参れ」
フェンロンは諦めたように肩を落とす。
「御意」
そして二階の窓から二人は州知事が住む宮殿へと気配を消しながら夜空に飛び立ったのだった。
――徐州宮殿
今宵、州知事チェンチュウロンは機嫌が良かった。毎夜行われている宴も早々に引き揚げ、大浴場で侍女達に体を洗わせていた。
チェンチュウロンは、でっぷりとした体を湯に浸からせ、銀色に光る長い髪を美しい裸体を惜しげもなく晒す三人の侍女に洗わせながら、側に控える家令に声を掛ける。
「あの娘の用意は出来たか」
「はいチェンチュウロン様。既に禊を済ませて寝所に待たせております」
それを聞き、不摂生と淫欲にまみれ、醜くゆがんだ顔をニヤ付かせる。
「髪はもう良い!早くすすげ」
「申し訳ありません。チェンチュウロン様」
顔を青ざめさせた侍女は、急いで湯を掛け濯ぐが、待ち切れず途中でチェンチュウロンは立ち上がり、そのまま侍女の体をなぎ払う。バキッと壁に体が吹き飛んだかと思うと、女の首があらぬ方向に曲がり白眼を?いていた。
「うすのろめ!」
側に控えていた他の侍女達は、真っ青になりながらも、チェンチュウロンの体を拭く為に側により、丁寧に拭き終わると素早く衣を着せて行く。
「今夜の相手は、珍しい黒い髪の美しい娘だ。今まで数え切れぬ程の女を抱いて来たが、黒い髪の娘は初めて。よく手に入れられた」
「はい。正に稀な娘。闇商人には、かなり買いたたかれましたが、それほどの価値があるかと思います」
「早く味わいたいものだ、クックックックー」
厭らしく笑いながら、上機嫌で先程殺した女の事など既に記憶にすら残っていない様子だった。
チェンチュウロンは夜着を着ると、足早に寝室に急ぎ、扉の前に立つ衛兵に扉を開けさせると、飛び込むように部屋に入る。そして興奮を隠しきれず寝台の覆い布を乱暴に捲るのだったが、
「!?」
しかしそこには誰も居なかった。
「どういう事だ! 何故娘が居らん!」
部屋を見渡せば窓が開いており、そこから逃げた様子。チェンチュウロンは怒りも顕わに扉を開け衛兵を怒鳴りつける。
「娘が逃げた!しらみつぶしに探せ!! 見つけ次第直ぐ連れてくるのだ!」
「はっ」
「窓から逃げた。外を重点的に探せ。だが娘には傷一つ負わすな」
衛兵に指示を出すと、卓に用意された酒を瓶のまま一気に飲み干し、そのまま空き瓶を床に投げつけるとガッチャン!と床で割れる。床に瓶の欠片が散乱したが構わず、まだ納まらない怒りを収めるために人抱えはある重厚なテーブルを素手でいとも簡単に叩きわる。
「おのれー見つけ出したらただでは済まさんぞ……イヒッヒッ」
淀んだ暗い青い目は狂気が宿っており、誰もがゾッとする陰湿な光を湛えていた。徐州を私物のように扱い、好き勝手に振舞うこの男に、逆らえる者はいなかった。最悪なことに人格に反し神力は徐州で一番高い。だが欲望だけがそれに比例して高く、母親に甘やかされ育った傲慢な子供。それがこの徐州の州知事の正体。
父親の州知事ソジュンロンが築き上げた豊かな州は失われて、嘗ての前龍王の時代に戻りつつあるのを誰も止められない。州都の宮殿にいる殆どの者がチェンチュウロンの意に沿う龍族ばかりで固めらるようになって行き、父親の代に仕えていた龍族の臣下は州政から遠ざけられていたのだ。
衛兵が宮殿の外を捜しまわる頃、部屋から逃げ出した少女は、まだ屋根を伝いながら逃げようとていた。
この世界でも滅多に見られな藍と同じ黒い髪だが、瞳は翡翠のような緑で人間にありふれた色。華奢な肢体で幼さが残るが非常に美しい少女。薄い絹一枚を羽織っただけで素足で白い肌が闇夜に浮きだっていた。
足元は瓦が敷かれていて歩き難く、しかも下を見れば地面が遠くに見えて足が竦んで中々進めないでいた。着せられた薄い夜着は、瓦に引っ掛かり所々破れ、胸元が肌蹴ていても、逃げるのに精いっぱいで気にしていられない様子。
「助けて……お母さん、お父さん、怖いよ…」
少女は長い髪を振り乱し、真っ青な顔に涙を浮かべて遠くに住む両親に助けを求めた。
屋根に逃げたが何処にも降りらせそうな場所は無く、ただ闇雲に歩いているだけであったが、とうとう足がもつれてしまい、屋根から滑り落ちてしまう。
「キャーッアーァーー!」
必死に手を伸ばし何処かに掴まろうとするが、手が震えて滑っててしまい、ついに落下してしまうしかなかった。
一方、ルェイロンはフェンロンを伴い煌々と太陽石の光が灯る宮殿の上空に到着すると、何かあったのか宮殿の周りは衛兵達が駆けずり回っているのを見下ろしていた。
「何かあったようですね」
「放置しておけ。それよりこの宮殿には龍族は何人いるのだ」
「老若男女合わせれば二十三人になりますが」
「全て首を討ち取れ」
「えっえーー!」
龍族全てを殺せと命じられたフェンロンは、真っ先に恐ろしい顔のユンロンが思い浮かんでしまい、即答できない。何とか龍王を思いとどまらせようと思案していると、僅かに女の悲鳴を聞きとり、その方向に目を向けると人が屋根から滑り落ちていた。
ルェイロンも同時に気が付く。
(黒髪!!)
ルェイロンは咄嗟に黒い髪を見て、瞬時にその場所に移動し、落下する人間を受け止める。
受け止めホッとし、腕の中にいる者を見ると違った。
同じ黒髪だが丈が長い。
そして明らかに性別が違った。
「アオイ様じゃ無かったんですね。黒髪なんで、てっきりアオイ様かと思いました」
直ぐ追いついたフェンロンが抱きとめた娘を見て誰かの名を言う。
「アオイ?」
「……陛下。まさか伴侶様の名前を知らなかったんですか!?」
「……」
(そう言えばユンロンが良くその名を出していたような気がする……)
漸くこの娘を結界に閉じ込めた少年と勘違いしたのに気が付く。
(あの者の名はアオイであったか……。だが、名を知ったからといってどうなる訳でもない)
アレが天帝が導いた伴侶なら、絶対に受け入れてはならないとルェイロンの心は頑なに拒む。
そして腕にいる同じ黒髪の娘が酷く面倒になり、無造作にフェンロンに渡した。
「この娘を何処かに置いておけ」
「そんな可哀そうですよ陛下」
フェンロンは確りと受け取り、じっくり少女を眺める。そして人間でありながら、少女は龍族の姫でも稀な美しさを持っているのに気が付く。目の肥えたフェンロでさえ溜息が漏れそうになった。
「ほぉ……綺麗な娘ですよ! アオイ様以外で黒髪の人間がいると思わなかった。そうだ~~面白そうだから連れて帰ろうかな~」
フェンロンは、ある目的のために少女を王都に連れて帰る事を思いついた。
「邪魔だ。捨て置け」
しかしルェイロンに反対される。
「そんな勿体ない~。それに多分、衛兵が探してるのは、この娘ですよ」
ルェイロンは下らない事で揉めるのは時間の無駄とばかりに、フェンロンの好きにさせる事にする。
「それならば、そなたが最後まで面倒をみるのだぞ」
「喜んで!」
フェンロンの女好きには呆れたルェイロンには、女など面倒で何処が良いのか気がしれない。ユンロンや重臣たちが送り込んで来る女や男に手は出さないが、ルェイロンにも欲望はある。年に数回、人間に化けて王都から離れた花街に行き女を買う事はしている。肉体的に満たされるだけで満足で、女と深い情を結びたいとは思わなかった。
後宮に誰も入れる気はないが、何時かユンロンがファンニュロンと結託して側室を入れるのではと頭が痛い。誰でもいいから、高位の龍を産んでくれれば、少しは気が楽になるのだがと思わずにはいられなかった。そして目の前にいる少女を抱き上げているフェンロンに目が留まる。
「その娘を娶り強い龍を産んでくれ」
つい最も適任者に願ってしまった。
「はぁっ?」
唐突な龍王の発言に戸惑うフェンロンをよそに、ルェイロンはチェンチュウロンを探すべく、大きな龍気を探りながら移動する。
「陛下、一人で行かないで下さい~」
黒髪の娘を大事に抱きかかえたままフェンロンは主を追いかけて行く。
しかしルェイロンは振り返る事無く、宮殿にある大きな龍気を感じる窓に迷う事無く降り立つのだった。




