サンジュンロンの不遇
青龍国の王都
オウロンの次男であるサンジュンロンは、龍族でありながら非常に大人しく控え目な性格の若者であまり目立たない存在だった。容姿は確かに美しく、銀の緩いウエーブの掛かった髪は、キッチリと後ろで三つ編みをされて、前髪は明るい緑の目を覆い隠すように長く、線の細い中性的な青年だった。
国家財政を司る大農令府に所属し、主に官吏の俸給の計算と支給を任される部署で真面目に勤めながら、龍華宮の側にある官舎で一人質素に暮らしをしていた。
同じ部署の同僚達とも、それなりに上手くやっており、順風満帆の生活を送っていたのだが、ある日直属の上司の部屋に呼ばれたのが、それがサンジュンロンの不遇の始まりだった。
否……父親のオウロンから手紙を受け取った時から、それは始まっていたのかもしれない。
上司の部屋に呼ばれたサンジュンロンは、何故呼ばれたのか考えながら廊下を歩く。書類の提出は遅れていない筈だが何か不備があったのかもしれないと戦々恐々としていた。恐らく叱責を受けるのだろうと思うと気が重かった。
上司の執務室の前に立ち一呼吸置いてから声を掛ける。
「サンジュンロンですがお呼びを受けて参りました」
「お入りなさい」
「!?」
中から聞こえて来たのは妙齢の女性の声で驚く。上司は初老の龍族なので明らかに本人では無かった。
疑問に思いつつも、お客様が居るのだろうと思い扉を開けて入室した。
「失礼致します」
「貴方がサンジュンロンですね」
入室した途端に涼やかな声がサンジュンロンの耳を打つ。
「はい、そうですが……貴方様は?」
見るからに身分の高そうな女性が上司の席に座っていた。そして部屋の主である上司の姿が見えず戸惑う。しかも驚いた事に、女性の髪は白金のように美しい金色。それは天帝色と言われ神族でもその色を纏う者は特別な存在――この世界の最高神である天帝の血を引くとも言われていた。
何故金色が天帝色と言われる由縁は、天帝は金の髪に金の瞳を持つ神だからだ。
龍族の中でも天帝色を持つのは、龍王陛下だけだと言われていたので呆気に取られる。
「私は少府の長官ファンニュロン。今日より貴方は少府の預かりとなり直属の上司となります」
抑揚の無い口調で、とんでもない辞令を言い渡されたサンジュンロンは目を見開き口を開けて驚愕するしかなかった。
「あの……つまり異動?」
何故この時期外れに違う部署に異動になるのか分からず狼狽している所為か言葉遣いが普段使いになってしまった。、
(もしや何か失敗を犯したのだろうか!? だけど小府??)
小府とは、後宮の管理や龍王陛下の私財を管理する部署で、しかも長官の直属の部下ならば左遷と言うには当て嵌まらなかった。むしろ破格の昇進と言っていい。
(どういう事だろう?)
益々訳が分からず立ち尽くすしかなかった。
「私に付いてきなさい。新しい仕事場に案内します」
長官は颯爽と立ちあがり、茫然としているサンジュンロンを気にする事無く横を通り抜け、部屋から出ようとするが、一向に微動だにしないのをいぶかしむ。
「何をしているのです? 付いて来なさい」
声を掛けられたサンジュンロンは、ハッとして足を動かし長官の後をついて行くが疑問だらけだった。そもそも、何故長官自ら官位の低い者を直接呼びに来ること自体が可笑しな話し。
(まさか騙されているのだろうか?)
だけど相手は明らかに只者では無いので違う気もした。厄介事に巻き込まれた可能性が高く、逃げ出したい衝動に囚われるが、もし本物なら不敬罪で投獄されるかと思うと、それも怖くて出来ず、後を必死に付いて行くしかない。
目の前の長官は若く、無機質な美しさを持った絶世の美女。神々しい金の髪を高く結い上げ一筋の乱れも無く、牡丹を模った水色の紐の花飾りで飾られ中央には大きな紫水晶の髪留め。服装は高い地位を表す藤色の女性用官位服に薄い紗の布を掛けている。
歩く姿も、まるで水の上を滑るかのように優雅で、背はそんなに変わらないのにサンジュンロンが小走りで歩かなければ置いてかれそうである。
外廊下を幾つも通り王宮本殿に入る。本殿など年に一回の年頭の龍王陛下の謁見の儀でしか入った事が無く、長官は更に王宮深くに入って行くので咎められないか気が気では無い。だが不思議と誰にも会わない上に、見周りの衛兵すら姿が見えなかった。
随分王宮の奥深くに入り込むと、漸く女性の衛兵が両脇を固める大きな龍の装飾が施された大扉の前に来ると立ち止まる。
(どこへの扉だ?)
サンジュンロンは非常に拙い場所に入り込んでいるのを感じ背筋に冷や汗が流れる。
「開けなさい」
長官が命じると、素早く衛兵が扉を開け頭を下げる。その両脇をすり抜けるが不安が増してくる。こんな王宮の深部になど生まれて始めてで、余程の龍族でなければ立ち入れない場所の気がした。サンジュンロンは長官に、ここは何処なのか問いかけたいが、その勇気も無いまま後を仕方なく着いて行くのだった。
廊下の造りは素晴らしく豪華だが、所々に高そうな壺や絵の美術品が飾られているとゆうより無造作に置かれ、白い布を掛けられた物もあり倉庫状態に近い。ついキョロキョロと都会に来た田舎者の様に辺りを見回してしまう。
「早く此方へ」
長官は何時の間にか少し先の扉の前に佇んでいた。
「申し訳ありません!」
慌てて駆け寄り部屋に入る。
案内された部屋は広く豪奢な造りだが、家具は机と椅子とその場では浮いたような古びた戸棚が一つ置かれているのみで一種異様である。
「今日からここが貴方の部屋となります。そしてある仕事をして貰います」
相変わらず無表情で平たんな声で重大な事を言われる所為か人事のように感じてしまう。なんだか現実味が感じられず白昼夢を見てい気がして来た。
「……一体どの様な?」
「主に私の補佐ですが、一番重要なのはこの戸棚です」
「戸棚ですか?」
目が点になる。長官が示したなんの変哲もない古びた戸棚が重要だと言われてもピンと来なかった。
(やっぱり白昼夢を観ているのだろうか……)
疑問は膨らむ一方だが、相手はいたって真面目な様子。
そして長官が両開きの扉を開くと、中に紙が一枚置かれているのを取り出すと紙をサンジュンロンに差し出す。
「その紙を見てみなさい」
「はい」
言われるまま紙を手に取ると何か書かれている。そこには懐かしい字が読み取れ驚いた。
「これは父上の字」
しかし内容は買い物の一覧の走り書きで、謎は増すばかりで疑問符しか湧かない。
「それは、貴方のお父上の希望された品です。それらの品を揃えて、その棚に収めるのが貴方の仕事。この仕事を怠れば、貴方のご両親は死には至らないでしょうが餓え続けるので確り務めなさい」
「……はい??」
要領を得ないサンジュンロンに長官は漸く事の経緯の説明を始めるのだった。
「先日、貴方のお父上から、さるお方の世話をする為に住まいを転居したと知らせが届いたはずです」
その通りだったので頷く。久しぶりに届いた手紙は別れの挨拶と言ってもいい物。さる高貴な少年にお仕えする為に秘密の里で暮らす事になり死ぬまでそこから出れない。よって二度と会えないが心配するなと書かれていた。
それと何故か丞相様の様子を知らせてくれと不思議な言伝もあり、言われるままに調べたが返事を出そうにも宛先が分からず途方に暮れてしまた。両親が心配で兄に相談すると、同様の手紙が送られていて、お互い暫らく様子をみようと言う事になっていたのだ。
「はい、その通りで御座います。 ……何故その事を知っておいでなのでしょうか」
「その手紙を言付かったのが私だからですよ」
「えっえ!?」
それから聞かされた本当の両親の現在の境遇を知らされ唖然とする。まさか龍王陛下の伴侶様のお世話をしていたとは誰が思うだろう。しかもその関係で自分が小府に異動させられるとは青天の霹靂で災いでしかなかった。
超難関の官吏の試験に受かり、それなりの仕事も任され、このままひっそりと静かに暮らして行く人生だったはずなのに予定が狂ってしまったサンジュンロンは憂慮してしまう。
小府に配属されるのはかなりの出世で、将来が約束されたも同然だが、自分の能力には見合っていないし、訳あって目立ちたくなかった。
(何故こんな立場に……一生小役人で終わりたかった……)
「もう一つ言い含めておきますが、ここでの事は一切口外してはなりません。アオイ様の名を何処かに漏らせば、貴方一人の首が飛ぶだけでは無いのを覚悟しなさい」
「……はい」
厳しく言われ兄の顔を思い起こす。自分の手に余り兄に相談しようと考えていたのに釘を刺されてしまった。
「他に質問は?」
「あのー、他の官吏の方は居ないのでしょうか?」
サンジュンロンに与えられた部屋には机が一つしかなく訊いてみる。余程の官位を持ってなければ専用の執務室を与えられないので、自分だけの部屋とは思いもよらない。
「此処には私と貴方の二人だけです。後は世話をしてくれる侍女が三人いるのみ。三人には後ほど紹介しましょう」
「二人だけ……」
(冗談だろうか? やっぱり白昼夢?)
小府は各府とは切り離された特殊な部署の為に実体はあまり知られていなかったが、まさか一人だけとは誰も信じられないだろう。
しかも目の前の人形のように美しく無表情な長官の存在自体が幻の様にしか思えない。しかもその幻は、次々と信じられない事を教えてくれる。
「言い忘れましたが、此処は以前後宮として使われていた場所。衣食住全て此方で生活して貰います。私用の外出は月に一度許可しますが、商品の買い付けには、その都度私の許可を取って下さい。それから後宮の庭園は自由に出入りして良いですよ。今日の処は休みとし自由に過ごして下さって結構です。隣が居室で身の回り品は全て用意してありますが必要な物は遠慮なく言いなさい。それではお茶の時にまた侍女が呼びに来ますから、質問があればその時に受けましょう」
それだけ淡々と言い終えると長官は部屋を出て行き、茫然とするサンジュンロンだけが部屋に残されたのだった。
(以前の後宮という事は、ココは歴代の側室様が使っていたお部屋!)
道理で立派な部屋。廊下に置かれた美術品も、嘗ての側室様が愛用していた品々だと推察できる。それが自分の部屋などとサンジュンロンは恐れ多くなり、一刻も早くこの場から逃げ出したい衝動に駆られるのだった。
「ここが後宮なんて信じられない」
確かに今の龍王陛下は後宮を閉じられ、王妃どころか側室も置かれていないからと言って、長官と自分二人が後宮を占有するなんてあり得ない話。しかもこんな広い部屋を一人で使用するなど贅沢に感じてしまう。
物音一つしない部屋に取り残され心細くなって来る。
「兄上、どうしよう……」
子供の頃から何時も助けてくれる頼もしい兄の顔を思い浮かべるが、今回ばかりは頼れそうになく、「はぁ……っ」と溜息が出て茫然と長時間立ち尽くしていたのだった。
「サンジュンロン様。お茶の御用意が出来ましたので御案内します……」
「!?」
サンジュンロンは突然知らない声を掛けられハッとする。
声のする方に視線を向けると侍女の服を着た女性が居た。
「やっぱり白昼夢だ」思わず呟いてしまう。
「白昼夢? まさかずっと立って寝ていらっしゃったのですか」
少し呆れたように言う侍女――長官と同じ金の髪を持つ艶やかな美女が楽しそうに微笑みかけており、長官と違い表情豊かで自分と同じ緑の瞳の生きた女性だった。
(天帝色の髪を持つ龍族が二人もいるなんて絶対に夢だ)
もし天帝色を持つ龍族の女性が二人も居れば噂にならない筈が無い。しかもいずれも妙齢で非常に美しく龍族の男たちが我さきと求婚されているはず。普通に考えれば龍王の側室と考える方が妥当だが、そんな話も聞いた事が無かった。
「あなたは誰ですか?」
「「「 ファン様にお仕えする侍女です 」」」
「え?」
何故か声が三つ被る。そして目の前に居る侍女さんが何時の間にか三つに分裂した。
「えっえ????」
いずれも金髪を持つ美しい女性だが瞳も顔も違う。
(お化け!? まさか後宮で死んだ側室の幽霊!?)
「ひぃーーーーーーーーっ」
引きつった悲鳴をあげたサンジュンロンは白目をむき、バタンッ!! と卒倒し床にひっくり返ってしまうにだった。次々と起こる理解しがたい事実に小心なサンジュンロンは耐えれずにそのまま気を失うのだった。
三人の金髪の侍女達は床で気を失うサンジュンロンを取り囲んで見下ろしていたが、いずれも人の悪い笑みを浮かべていた。
「まぁ~ 倒れちゃいましたね」
「少々からかい過ぎたでしょうか」
「だけど、とても可愛らしい子だわ~。久しぶりの新顔ですから仲良くして差し上げましょ」
「「 もちろんですわ 」」
侍女の内の一人が軽々とサンジュンロンを持ち上げると隣の寝室の寝台に横たえさせた。
「「「 お休みなさいませサンジュンロン様 」」」
そして静かに扉を閉めて三人は後宮の奥深くに消えて行くのだった。




