プロローグ
さざ波が響く闇の中、白い面のようなモノが浮かんでいた。
それは人の顔だった。
目を凝らして見れば、それは闇に溶け込む様な紫紺の髪をたなびかせる黒衣の男。白皙の肌と金色の双眸を光らせているが無表情で精巧な人形のような美しい顔。
だが、この世の全てを拒否するような雰囲気を漂わせており、夜の闇さえも寄せ付けないオーラーを発していた。
ただ微かな波音だけが辺りを満たしていた空間に、雲の合間から月が現れる。すると月光に照らされた男の足元には大海原が広がっており、その光を受けて僅かに発光して男は空中に浮かび上っていた。その姿は幻想的ではあるが、見る者の心を凍てつかせるようにどこか冷たい空気を纏い寒々しい。
海原を金の瞳で見下ろして微動だにしなかった男は、おもむろに懐から一つの金色に輝く指環を取り出したかと思うと、露ほどの躊躇いも見せず海へと落とす。
空中を音も無く暗闇に吸い込まれるように落下していく指環を、じっと見つめた。
ポッチャーン……。
真黒な海の波に呑まれて消えていくのを確認すると、男は婀娜めいた様に口を歪めた。
「我が生涯に伴侶は望まぬ……、忌まわしき契約の指輪よこの異界の海で朽ちるがよい」
憎々しげに、そう言い残すと男はこの世界から忽然と存在を消した――まるでこの世界に初めから存在しなかったように。
深海に消えていく金の指環を残して……。
主に見捨てられた指環は、静かに闇の深海の中に沈んで行き、永遠に深海の底にのまれようとしていた。
だが、その側を偶然にイルカの群れが通り過ぎようとしている。
深海の中で、キラキラと自身を煌めかせる指環の光に誘われるかのように、一頭の好奇心旺盛な若いイルカが近づき、口先で指環を突っつきながら様子を伺う。
何の反応を示さない指環に飽きたのか、イルカは身をひるがえした時、指輪が背びれの先に引っかかる。するとイルカは突然そのまま群れから離れて何処かを目指すように夜の海に消えていったのだった――まるで指環に操られたかのように……。
男が指環を捨てたのが必然ならば
イルカが指環を拾ったのは偶然なのだろうか、それとも必然……?
これは、たった一つの指環によって始まる物語。
指輪が導く愛の軌跡の始まりだった。