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 物語の主人公である藤崎花もやはり図書館に飾られている絵のことについて知りたくて再び図書館を訪れる。そこに飾られている青色の花の絵。


 藤崎花が図書館の職員に絵のことについて訊ねると、飾られている絵について説明してくれたのは、四十代前半くらいの眼鏡をかけた優しそうな女性だった。藤崎花は図書館の事務室のような場所に通されて、その四十代前半くらいの女性と向い合せに腰かけた。彼女の名前は藤井由紀といい、図書館の館長をしているということだった。


 藤崎花は藤井由紀と名乗った女性に事情を説明した。この前たまたまこの図書館で絵を観かけて強く興味を惹かれたこと。実を言うと中学生のときの同級生に絵を描いている友達がいたこと。その友達は彼女が中学生のときに転校していき、それ以来会っていないこと。飾られている絵の雰囲気がそのときの友達の絵の雰囲気に似ていて、だから、あるいはもしかすると飾られている絵は友達が描いたものなんじゃないかと気になったこと。



「残念ながらその可能性は低いと思うわね」

 藤井由紀と名乗った職員は微笑んで言った。

「だって、この絵を描いた人間があなたの同級生だったとしたら、あなたは今、三十七歳でなくちゃいけないもの。でも、あなたは三十七歳じゃないでしょ?」


 藤崎花は彼女の言葉に頷いた。藤崎花は今年まだ二十六歳になったばかりだった。

「この絵はね、わたしの妹が描いた絵なの」

 そう言った藤井由紀の瞳のなかには淡い光があった。


「わたしの妹はアトリエで絵を教えていたの。それで最近図書館の入り口が殺風景だから何か絵を飾ろうっていう話になって、それで何の絵を飾ろうかっていう話になった際に、まあ、予算の問題とか色々あって、手ごろで良い絵っていうのがわたしの妹の絵だったっていうわけ」

 藤井由紀は冗談めかして言うと、軽く口角をあげて微笑みの形を作った。でも、どうしてかその笑顔は水気を含んでいるように藤崎花には感じられた。飾られている水色の花のような。


「それで、あの、藤井さんの妹さんは今どうされているんですか?わたし、もっと妹さんの絵が見てみたいんですけど。妹さんの絵、すごく素敵だから」


 藤崎花の問いに、藤井由紀は悲しげに眼差しを伏せると、

「もう妹はいないの」

 と、小さな声で言った。

 藤崎花が言葉の意味がよくわからずに藤井由紀の顔を見つめていると、

「去年、妹は亡くなったの」

 藤井由紀は眼差しを伏せたまま告げた。


 藤崎花は藤井由紀が口にした事実があまりにも唐突で深刻だったので、咄嗟になんて言ったらいいのかわからなかった。藤崎花が適切な言葉を見つけられずにいると、

「風邪を拗らせてね・・・今時珍しいでしょ?」

 藤井由紀はそう言うと、それまで伏せていた眼差しをあげて藤崎花の顔を見ると、いくらか無理に口角をあげてしょうがない娘よねというふうに微笑んでみせた。


「・・・すいません。あの、わたし、知らなかったものだから」

 藤崎花は慌てて謝った。


藤井由紀は口元に浮かべた微笑みをそのままに僅かに首を振った。そして五秒間くらい黙っていてから、

「あの絵は妹が最後に描いた絵なの」

 と、藤井由紀はポツリと言った。


「妹、誕生日のたびに毎年一枚ずつわたしに絵をプレゼントしてくれてたんだけど、最後、自分が風邪で身体がきついのに無理してかきあげたのよ。わたしの誕生日までに描きあげようとして。それで自分が死んじゃったら元も子もないじゃない、ね?」

 藤井由紀はそう言うと、藤崎花の顔を泣き笑いのような顔で見た。


「・・・そうですね」

 藤崎花は図書館の玄関口飾ってある綺麗な青色の花を思い浮かべた。


「ごめんなさい」

 藤井由紀はふと何かに気が付いたように苦笑すると謝った。藤崎花がなんのことかわらからずに藤井由紀の顔に視線を向けると、

「勝手にひとりでべらべらしゃべっちゃって」

 と、申し訳なさそうに藤井由紀は言った。


 藤崎花は慌てて彼女の科白に首を振った。わたしこそ悲しいことを思い出させてしまったすいませんと謝った。


 藤井由紀は藤崎花の言葉に首を振った。そして、

「妹の絵に興味を持ってもらえて嬉しかったの」

 と、静かに微笑んで言った。

「もしほんとうにもっと妹の絵が見てみたいって思ってくれるんだったら、今度ぜひわたしの家に遊びにいらっしゃい。わたしの家には全部というわけじゃないけど、妹の絵がたくさん置いてあるから」


 藤崎花は彼女の言葉にぜひそうさせてもらいますと微笑んで答えた。



 と、僕がそこまで小説を書き進めたところで、ケータイの着信音が鳴った。ひょっとして例によってまた武藤からだろうかと思って電話に出てみると、案の定、それは武藤からの電話だった。

「藤田、お前、今、暇?」

 と、武藤は僕が電話に出るなり言った。


「いや、暇じゃない。今、小説を書いてるところなんだ」

「じゃ、暇ってことじゃん」

 と、武藤は僕の科白を無視して続けた。


「今さ、飲んでるんだよ。良かったらお前も来ない?」

 僕は部屋の時計に目を向けてみた。時計の針はもう夜の九時半を回っていた。これから出かける準備をすることを考えると面倒だった。

「いや、俺はいいよ」

 僕はそう言おうとした。でも、その瞬間、武藤が僕を誘惑するような言葉を口にした。

「ああ、そうそう、今ね、池田とね、南さんも一緒にいるよ」



 我ながらアホだなと呆れながら僕は出かける準備をすると、自転車でみんなが飲んでいるという吉祥寺の飲み屋まで向かった。断る気満々でいた僕の気持ちを一変させたのはもちろん武藤の最後の科白だった。南さんもいるよというあの一言。南さんにはもう既に特定の付き合っている恋人がいるわけだし、それにそもそも僕なんて相手してもらえるはずもないとわかっているのに、それでも僕はつい南さんに会えると思って条件反射のように武藤の誘いを承諾してしまった。


 でも、まあ、久しぶりにみんなと飲むのも悪くないかもしれない。このところ僕は引きこもりがちだったし、いい気分転換になるかもしれない、そう僕は自分の気持ちに弁解するように思った。


 乗ってきた自転車を止めると、僕は歩いてそのみんなが飲んでいるという居酒屋に向かった。居酒屋に入って店員に武藤の名前を告げると、店員は僕を武藤たちが集まっている席まで通してくれた。


「よっ、待ってました」

 と、武藤は僕の顔を見ると、バカでかい声で言った。すっかり酔っぱらっているのかかなり顔が赤かった。

「藤田くん、久しぶりだね」

 と、池田くんは僕の顔を見ると、いつもと変わらないさわやかな笑顔で言った。池田くんも少し顔は赤いけれど、まだ飲み過ぎてはいないようだった。

「久しぶり」

 と、南さんも笑顔で言ってくれた。


 僕は空いている席に腰を下ろすと、とりあえずという感じでコーラを注文した。僕は全くお酒が飲めないのだ。


「あれ?飲まないの?」

 と、僕のとなりに席に座っている池田くんは僕の顔を見ると不思議そうに言った。僕は苦笑すると自分が下戸であることを説明した。

「そうなんだ。じゃ、飲めないぶん、一杯色んな物食べてよ」

 と、池田くんは優しい口調で言ってくれた。


「藤田!」

 と、ほとんど泥酔状態にある武藤が無意味に大きな声で僕の名前を呼んだ。

「今日はどうしたの?」

と、僕は酩酊している武藤を無視して、池田くんと南さんのふたりに訊ねてみた。

 僕が無視すると、武藤は何かを口のなかでごにょごにょと呟くように言うと、そのまま畳のうえにひっくりかえって眠りはじめた。だめだこりゃ、と、僕は呆れた。


「みんなで飲もうって約束してたの?」

 僕は武藤の方に向けていた注意を南さんと池田くんの方に戻すと、改めて訊ねてみた。

「いや、そういうわけでもないんだ」

 と、池田くんは僕の問いに微笑して答えた。

「すごい偶然でさ、会社帰りに電車に乗るために電車を待ってたら、そこでばったり武藤くんに会ったんだよ。それで今日は金曜日だし、飲みにいかないみたいな話になってね。で、ふたりだけで飲むっていうのもあれだし、南さんと藤田くんも誘ってみたというわけなんだ」


「なるほど」

 と、僕は頷いた。そして僕が納得するのとほぼ同時にさっき注文していたコーラが運ばれてきた。僕は運ばれてきたコーラを一口飲んだ。


「でも、藤田くんってお酒飲めないんだ」

 と、それまで黙っていた南さんが口を開いて言った。

「うん、無理に飲むと頭が痛くなっちゃうんだ」

 僕は苦笑して答えた。

「大変だね」

 南さんは心から同情しているような目で僕の顔を見つめた。僕は照れくさくなって視線を逸らした。


「その点、南さんは酒豪だからね」

 と、池田くんは南さんの顔を見ると、からかうように言って少し笑った。

「べつに酒豪じゃないよ」

 と、南さんは池田くん科白を笑って否定した。

「いや、ざるだよ。俺、南さんが酔っぱらってるところ、見たことないもの」


「南さん、お酒強いんだ?」

 と、僕は南さんの顔を見ると訊ねてみた。

「強いっていうか、嫌いではないかも」

 南さんは穏当な表現に直して言った。


「いいなぁ。僕もお酒飲めたら良かったんだけどね」

 僕は本心から思って言った。社会人になると何かというと飲もうという話になることが多く、そういうときお酒が飲めないと上手く楽しめないし、何かと不都合な点が多く、お酒が飲めるひとが少し羨ましかった。


「いや、飲めなくて正解だよ。余計なお金使わなくて済むし」

 南さんは僕の顔を見ると、慰めるように言ってくれた。


「ところで、藤田くん、小説は順調なの?」

 と、池田くんは僕の顔を見ると、微笑みかけて言った。

「南さんからちょっと訊いたけど、絵をテーマにした小説を書いてるって」

「あ、そうそう。どう?あれから順調?」

 と、南さんも興味を惹かれたのか、好奇心に満ちた瞳で僕の顔を見つめてきた。


「まあ、一応書いてることは書いてるけどね」

 僕は恥ずかしくなって頭を掻きながら答えた。お酒を飲んでいるわけでもないのに顔が熱くなるのを感じた。


「どんな話を書いてるの?」

 池田くんはカシスソーダを一口飲むと訊ねてきた。僕は池田くんと南さんに今自分が描いている物語を簡単に説明した。女性の主人公が図書館でたまたま一枚の絵を見つけて。その絵について調べているうちに思いがけず様々な絵にまつわるエピソードに触れることになっていくという物語だということ。


「へー。面白そう」

 南さんはほんとうにそう思ってくれているようで、口角をあげると、明るい眼差しで僕の顔を見つめて言った。

「確かに面白そうだな」

 と、池田くんも微笑んで言った。

「完成したらぜひ読ませてよ」

「うん、そうだね。完成したらね」

 お酒を飲んでもいないのに僕の顔はますます赤くなっていた。


「そういえば、その図書館の絵で思い出したけど、この前言ってた図書館の絵のことについてあれから何かわかったりしたの?」

 南さんは僕の顔を見ると、ふと思いついたように言った。


 僕が南さんの言ったことを上手く呑み込めずにいると、

「ほら、この前公園でばったり会って話をしたことがあったでしょ?それでそのとき藤田くん、図書館で綺麗な絵を観かけたって言ってたじゃない?」

 と、南さんは補足して説明してくれた。


 それで僕はようやく思い出した。僕が公園でぼんやりしているとそこでばったり南さんと遭遇して、それから一緒に昼食を食べに行ったことがあった。そしてそのときそんな話をしたのだ。確か。図書館に飾られている青色の絵のことついて。


「よく覚えてるね」

 と、僕は微苦笑して言った。

「わたしもその絵、観てみたいなって思ってたから覚えたの」

 南さんはにっこりと微笑んで言った。


「いや、実を言うとこの前早速、あの図書館の絵のことについて調べてみたんだ。あの図書館の絵が小説のヒントになるような気がしたから」

 僕は言った。

「それで何かわかったの?」

 と、南さんは真剣な口調で訊ねてきた。

 池田くんも興味を惹かれた様子で僕の顔を注視していた。


 僕はふたりに簡単に話して聞かせた。この前図書館を訪れたときのこと。絵を描いたのは図書館の館長のお父さんで、その絵がかつて奥さんにプレゼントされたものであったこと。


「・・・なんか悲しいけど、でもちょっといい話だね」

 と、池田くん僕の話を聞き終えると、いくらか寂しそうな笑顔で言った。

「・・・そのまま小説のエピソードになりそうな話ね」

 南さんは図書館に飾られている絵について想いを巡らせいるような表情で言った。僕もついこのあいだ観てきたばかりの図書館の絵を思い浮かべた。


「でも、そうやって実際の絵にまつわるエピソードを集めていくっていのも面白いかもね」

 と、南さんはしばらくしてから口を開くと言った。それから、南さんは僕の顔を見つめると、

「藤田くん」

 と、南さんは何やら改まった口調で僕の名前を呼んだ。

「わたし、今、すごく良いアイデアが浮かんじゃった」

 と、南さんは悪戯っぽい表情で言った。


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