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 果たして、そのおじさんが描いたという絵の写メは、翌日の夕食前には届いた。僕が家で夕食の準備をしていると、メールが届いたことを告げる着信音が鳴った。僕は料理の手を止めると(料理といっても大したものではないけれど)歩いていって机のうえの携帯を手にとった。メールを確認してみると、それは南さんからのメールで、そこにはお母さんが撮ってくれたという写メが添付されていた。


早速、添付されていた写真を開いてみると、そこは南さんが言っていた通りの、海辺に咲いた、微かに青色の色素を含んだ白い花を描いた絵があった。いかんせん携帯で取ったものなので詳細がわかりづらい部分もあったけれど、でもおおよその雰囲気はつかむことはできた。なんというか涼しげで透明感のある絵だった。季節は夏に入る一歩手前、六月くらいだろうか、少し肌寒いくらいの気温が絵を見ていると伝わってくるようだった。そして、海辺に咲いた白い花に微かに含まれた青色の色素。それはなんとなく僕に失われた記憶のようなものを連想させた。遠い夏の記憶のようなもの。淡い悲しみのようなもの。


僕は絵を見た感想を早速南さんに送った。想像していた以上に綺麗な絵で、ほんとうに一度実物が見てみたくなった。この絵を見ていたら良い小説が書けそうな気がしてきたと僕は書いてメールを南さんに送信した。


 メールを送信し終えると、僕は再び料理の続きに取りかかった。そしてその出来上がった、おおよそ料理はといえない代物(冷凍のシューマイを電子レンジで温めたものとご飯とお味噌汁)を口に運びながら物語の続きを考えた。


 物語の主人子である藤崎花は図書館に飾ってある絵に強く興味を惹かれる。それは淡い青色の花を描いた絵だった。彼女はその絵の作者について知りたいと思うけれど、絵の作者に関する情報は何もない。いっそ図書館のひとに絵のことについて訊いてみようかと思うのだけれど、そこまでするほどのことでもないかと思い直して彼女は家に帰る。


 でも、家に帰ってからも彼女はなかなか絵のことが忘れられてないでいる。夜寝るときにふいに彼女が思い出したのは、中学校のときに転校していった友達のことだった。その友達も絵を描いていた。藤崎花は絵のことはよくわからなかったけれど、その友達が描く絵のことが好きだった。そして今日図書館で見かけた絵と友達の絵はどことなく似ているような気がした。静かで、優しくて、透明で、でも、少しだけ悲しみを含んだような絵。


 そんなことはあり得ないとわかっていながら、あるいはもしかしたら、と、藤崎花は想像する。あの図書館に飾れていた絵は、友達が描いたものなんじゃないか、と。色んな経緯を経てたまたまあの図書館に友達が描いた絵が飾られることになったんじゃないか、と。そもそも彼女は今頃どこどうしているのだろうと藤崎花は友達のことを懐かしく思い出す。友達が引っ越していたのは、両親の離婚が原因だった。そして友達はお母さんの家に行くことになったのだ。確か。それから・・・。


 そこまで考えたところで、僕の想像力は限界を向かえた。思考に集中し過ぎたせいで軽く頭が痛んだ。僕は冷めて不味くなり始めた料理を慌てて口に運んだ。そして料理を食べ終えて僕が狭いキッチンで食べ終えたあとの食器を洗っていると、ふいに携帯の着信音が鳴った。もしかしたら南さんからメールの返信があったのかもしれないと思って慌てて部屋まで歩いていき、携帯を確認すると、期待は大きく外れて、武藤からのメールであることが判明した。


 武藤には悪いけれど、なんだ、と落胆しながら僕は武藤から届いたメールを開いた。するとそこに書かれていたのは、今度妹が個展を開くので一度見に行ってやってくれないかというものだった。そういえば、武藤の妹さんはおおよそ武藤のイメージからは大きくかけ離れた美術大学に通っていて絵を描いているのだ。確か今大学二年生になったばかりだと武藤が話していたような気かずる。武藤の妹さんは今友達と一緒に個展を開いているようだった。いつもだったら仕事が忙しいと断りのメールを入れるところだけれど、今僕は無職でいくらでも時間なら都合することができるので了解した旨のメールを武藤に対して送った。


 それにしても、絵にまつわる小説を書こうと決めた途端、色んな絵にまつわる情報が集まってくるなと奇妙な気がした。ただの偶然なのかもしれないけれど、何か神様のような存在にぜひ小説を書くべきだと後押しされている気がした。ひょっとして、このまま小説で賞が取れるんじゃね?的な?



 しかし、まあ、そんなに現実は甘くはなく、頭のなかに思い描いた物語を文章に起こそうとすると上手くいかず、僕は苦戦することになった。主人公である藤崎花が図書館で偶然美しい一枚の絵を見つけるところまでは書けるのだけれど、そこからがどうも上手くいかない。無理に書こうと思えば書けるのだけれど、そうすると、今度は無理に書いている感じが文章に滲みでてくる。あとで自分の文章を読み返すと納得できない。だから、削除してまた書き直す。でも、それもまた気に食わない。実にそんな感じだった。


 その日も僕はなんとか物語の続きを書こうとして、でも結局納得する形にならずに諦めてパソコンをシャットダウンした。ふと時計の針に目を向けてみると、もう既に時刻は午前の十一時を少し過ぎていた。僕は焦った。待ち合わせの時間が十三時なのだ。今日は武藤の妹さんの個展を見に行く約束になっていた。個展には武藤も一緒に行くことになっていて、その武藤と最寄り駅に十三時に集合することになっていたのだ。僕は文字通り家を飛び出すと、駅までの道のりをダッシュした。集合時間まで時間があったので小説を書きはじめたのがいけなかった。自分でも予想外に集中してしまって、時間の経過に気が付かなかった。今からだと待ち合わせ時間にぎりぎり間に合うかどうかというところである。べつに待ち合わせをしているのが武藤だけならまあ遅刻してもいいかとも思えるのだけれど、今回は武藤と一緒に妹さんもいるのでそういうわけにもいかない。僕は可能な限り急いだ。

 

 そして、そのかいあって、僕にはどうにか約束の時間に遅刻せずに済んだ。どうやら僕の方が早く到着できたようで、待ち合わせ場所の改札口付近にまだ武藤の姿はなかった。僕がいくらかほっとして改札出口で待っていると、やがて武藤がこちらに向かって歩いていて来るのが見えた。その後ろには何故か池田くんと南さんの姿も一緒にあった。


「池田くんと南さんも一緒なんだ」

 僕は三人が改札を抜けて出で来ると言った。僕は池田くんと南さんが一緒に来ることになっていたことを武藤から知らされていなかったのだ。


「ダメ元でふたりも誘ってみたら、いってもいいて言ってくれてさ」

 僕の科白に、武藤は嬉しそうな笑顔で言った。

「武藤くんの妹さんがどんな絵を描いてるのかちょっと興味があって」

 南さんは僕の顔を見ると、小さく微笑して言った。

「絵描きの妹さんって、全然武藤くんのイメージじゃないよね」

 池田くんがからかうように言って軽く笑った。


「ところで、妹さんはどうしたの?」

 僕は気になったので武藤の顔を見ると訊ねてみた。まだ肝心の武藤の妹さんが姿を見せていなかった。

「妹なら、もうさきに会場にいってるよ」

 と、武藤は僕の問いに答えて言った。

「ほんとうは一緒に行く予定だったんだけど、今日会場で受付をする予定になってた娘が風邪で急に休むことになったらしくてさ、だから、妹がその娘の代わりに今受付してる」

「なるほど」

 僕は頷いた。


 僕たち四人は駅を出ると、そのまま十分ほど歩いて個展会場にたどり着いた。個展会場は繁華街と住宅街の境目くらいにあった。白っぽい二階建ての洋風の建物で、一見すると、カフェか雑貨屋さんのようにも見える。入り口のガラスの扉を開くと、その出入口付近に机を出して座っていた娘が立ち上がってこんにちはと言いかけて、ぱっと表情を輝かせた。


「いらっしゃい」

 小柄で可愛らしい顔立ちをした娘だった。芸大生らしいというべきなのか、白っぽい、ふわりとやわらかそうな生地の服を着ている。

「妹の沙紀だよ。よろしく」

 武藤は僕たちの方を振り向くと、照れくさそうな、どんな表情を浮かべたらいいのか戸惑っているよう表情で言った。

「沙紀ちゃん、よろしく」

 と、南さんは武藤に沙紀と紹介された女の子の顔を見ると、優しく微笑んで言った。

「よろしく」

 と、池田くんがさわやかな笑顔で続けた。

「よろしく」

 僕も微笑んで言った。

「よろしくお願いします。どうぞゆっくり見ていってください」

 武藤の妹さんは恥ずかしいのか、いくらか頬を紅く染めて、それでも嬉しそうな笑顔で言った。


 個展会場は土曜日ということもあってそれなりに賑わっていた。二十代くらいの若いカップルの他にも、三十代後半と思われる主婦ぽい女性客や、老夫婦まで実にいろんなひとたちがいた。あるひとは難しい表情を浮かべながら、またあるひとは友達同士で談笑しながら作品を見て回っている。みんなそれぞれに作品を楽しんでいるようだった。


 僕たちも順番に作品を見て回った。武藤の妹さんは絵を描いていると聞いていたので、僕はてっきりと絵だけの個展なのかと思っていたのだけれど、実はそんなこともないようで、個展会場には絵以外も様々な作品があった。ネックレスや指輪といった作品もあれば、お皿や花瓶といった作品もある。僕は芸術のことはよくわからないけれど、どの作品もかなり洗練されていて魅力的なように思えた。普通に雑貨屋さんなどで売られていたりしたとしても全く不思議じゃないと思う。


 武藤の妹さん、沙紀さんの作品は二階の一番奥のスペースに展示されていた。いつくかの絵が展示されていたけれど、なかでも僕が興味を惹きつけられたのは、ひとりの女性を描いた絵だった。


 その絵は、女性を真横から捉えて描いていた。年齢は十代後半くらいから二十代前半くらい。色の白い、比較的な顔立ちの整った娘だ。青色のノースリーブを着て海辺に素足で立っている。時刻はたぶん明け方の早い時間帯で、生まれたて太陽の光と夜の光がやわらかく混ざり合っている。海辺に立った女性は軽く目を細めるようにして海の向こうの景色を見つめている。まるで何か挑むような表情で、あるいは遠い昔のことを思い出しているような表情で。彼女の長い黒髪が海からの透き通った冷たい風が吹かれて微かに揺れている。


 僕は沙紀さんの描いたその絵を放心したようにじっと見つめていた。どうしてかは自分でもよくわからなかったけれど、僕はその絵から目が離せなくなっていた。目から入り込んだその絵は微かに黒色の色素を含んだ冷たい青い液体となり、それはやがて僕の意識のなかに入り込むと、浅く広がって静かにそこを濡らしていった。


 途端に、何かの光が明滅するように、僕は聡が描いた絵と、図書館で見かけた絵のことを思い出した。そしてそれから僕は何かを思い出しそうになった。でも、結局、それが僕の意識のなかで具体的なイメージを形作ることはなかった。ただ何かがひっかかっている感触だけが残った。


「綺麗な絵だよね」

 いつの間にそこにいたのか、ふいに隣で南さんの声が響いた。僕は目の前の絵に意識を奪われていたので軽く驚いて隣を振り向いた。南さんは心持目を細めるようにして、僕がさっきまで見ていた絵を眺めていた。

「青色の色彩が多用されているせいかな・・・なんとなく、静かで、哀しい感じがする」

 南さんは小さな声で言った。

 僕は南さんの科白に相槌を打った。それからまたもう一度目の前の絵に目を向けてみた。


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