表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

2

 残念ながら僕と武藤は女の子に持てない。いや、武藤はまだマシかもしれない。武藤はそんなに顔立ちが整っているとは言えないにしても、まだ男気があるし、女性に積極的にアピールもできる。実際、武藤にはほんのちょっと前まで付き合っていた恋人もいた。


 だけど、僕は全然ダメだ。さっきも述べたけれど、全然カッコよくないし、武藤みたいに積極的にアピールできるわけでもない。面白いことも言えないし、池田くんみたいにさわやかでもない。従って、必然的に僕は全くといっていいほど女の子に人気がない。そうはいっても人並みに恋人は欲しいと思ってしまうし、だから、これはもう悲しい。恋人が欲しくてでもできなくて悲しいなんて馬鹿みたいだけれど、でも、本人の実感としてはほんとうにそうだ。これは誇張でもなんでもなくてほんとうにときどきあまりにも寂しくて自分という存在がバラバラに解けてしまいそうになることがある。それくらい激しい孤独感に追い詰められることがある。もしかしたら持てるひともそれなりに大変だったりするのかもしれないけれど、持てないというのはかなり辛いものである。


 こんな僕ではあるけれど、でも、過去に一度だけ女の子と付き合ったこともある。それは僕がまだ大学二年生のときことで、相手はアルバイト先で知り合った同い年の女の子だった。そのとき僕はコンビニでアルバイトをしていて、彼女とは一緒の時間帯に入ることが多かった。彼女も僕と同じで本を読むのが好きで、アルバイト中や、アルバイトが終わったあとにお互いが最近感銘を受けり、気に入った本の話をしたりした。そしてそのうちにちょっとずつ僕たちは仲良くなっていった。かけなしの勇気を総動員して僕は彼女を映画に誘い、映画を見終わってからの帰り道に僕は彼女に告白した。こんなことを突然言い出されても困ると思うけれど、実を言うと僕はきみのことが好きなのだ、と。もしできれば付き合ってもらえないだろうか、と。


 信じられないことに、彼女の返事はオッケーだった。それから僕たちは半年あまりのあいだ付き合って別れた。別れることになったのは、彼女が大学を辞めて実家に帰らなければならなくなったからだ。


 彼女は音楽大学に通っていてピアノを専攻していたのだけれど、彼女のお父さんの仕事が上手くいかなくなり、経済的な事情から大学を辞めて実家のある岡山に帰らなければならなくなったのだ。僕としては遠距離でも構わないと思っていたし、彼女も遠距離で続けていこうと言ってくれたのだけれど、結局上手くいかなかった。


 彼女が実家に帰ってからしばらくのあいだはお互いに電話やメールで連絡を取り合い、僕も懐が許す限り、彼女の居る岡山に行くようにしていたのだけれど、そのうちに彼女から別れを切り出されてしまったのだ。もうこんなふうに会うのは最後しよう、と。もう遠距離で続けて行く自信がないし、それに藤田くんの負担になっているみたいで嫌だから、と。僕はそんなことはないと言ったのだけれど、結局彼女の決心を覆すことはできなかった。


 彼女と付き合っているとき、僕はよく彼女が一人暮らしをしているアパートで彼女の演奏するピアノを聴かせてもらった。ピアノの演奏のことはよくわからないけれど、僕は彼女のピアノの演奏を聴いているのが好きだった。静かで、優しくて、透明で、でも、ほんの少しだけ悲しい感じがする。彼女は今頃どこでどうしているのだろうと思う。彼女は今もどこかでピアノを弾いているのだろうか。




 武藤や池田くんたちと会ってから一週間ばかりの時間を僕はほとんどアパートにひきこもって過ごした。好きなときに起きて好きなときに眠ることができるというのはすばらしいことだった。もう込み合った電車に乗って会社に通う必要もないし、毎日のように発生する仕事上のトラブルに身構えている必要もない。仕事が忙しかった関係で読みたい本やDVDがかなり溜まっていたので、そんなふうに部屋にひきこもって過ごしていても全く退屈することはなかった。誰とも会わなかったし、誰とも話さなかった。


 ごくまれに雲が太陽を隠して日が陰るようにふと寂しくなることもあったけれど、基本的には僕はそういった堕落した生活を楽しんでいた。仕事をしていたときの貯金がまだかなりあるので生活の心配をする必要はなかった。もちろん、永遠に今のような生活ができるわけではないけれど、少なくともあと二、三か月のあいだはゆっくりしようと僕は考えていた。


 ところで、肝心の小説はなかなか思うように捗らなかった。僕が仕事を辞めてから一週間ばかりのあいだでどうにか決めることができたのは、何かの賞に応募してみようということくらいのものだった。何の目的もなくやみくもに書くよりは、何か明確な目標のようなものがあった方がいいだろうと思ったのだ。でも、僕にできたのはそれだけだった。一応、毎日最低一時間は机の前に座って小説を書く時間を作るようにしたけれど、どうしても最初の一行を書きだすことができなかった。頭のなかにぼんやりとした雲状の物語のイメージはあるのだけれど、それを具体的な形に置き換えることができないのだ。そんなわけで、僕の小説は少しも先に進んでいなかった。


 そんな状態を打破するべく、というか、そんな大げさなものでもないけれど、ちょっとした気分転換も兼ねて僕はアパートの近くにある図書館に行ってみることにした。僕が一人暮らしをしているアパートの近くには比較的大きな図書館があって、前々からそこに行ってみたいと思っていたのだ。けれど、これまでは仕事が忙しくてそこに図書館があることは知っていてもなかなか訪れる機会がなかった。というか、訪れる気力がわいてこなかった。今度こそ行ってみようと思いながら、いざ休みの日になると、つい面倒になってやめてしまうのだ。


 実際に訪れてみたその図書館は僕が期待していたほどではないにしても、なかなか立派な図書館だった。建物は大きくてゆったりとしたスペースがあり、本の数もざっと見たところかなりの数がある。速読でもマスターしなければたぶん一生かかってもこの図書館に置いてある本を読破することは難しいだろうと思った。


 僕はとりあえずという感じで雑誌のコーナーに行き、まず目についたニュートンという雑誌を手に取った。ニュートンという雑誌は科学雑誌で、最近の新しい科学分野での発見や、理論について素人にもわかりやく解説してくれている。今月はタイムトラベルについての特集をやっていた。


 タイムトラベルを実現するための一番手っ取り早い方法は、光速に近い速さで移動できる乗り物を開発し、その結果起こる、見かけ状の時間の遅れを利用して未来へ行くというものだった。どういうことかというと、高速に近い乗り物のなかではゆっくりと時間が過ぎるのに対して、地球では通常に時間が過ぎる。実際とは違うのだけれど、話をわかりやすくすると、乗り物に乗っているひとにとっての十年が地球上では百年くらいが経っていることになる。この時間の遅れを利用すれば未来に行くことができるらしい。ただし未来へ行くことはできても再び過去に戻ることはできない。あくまで一方通行の時間旅行だ。でも、この方法であれば確実に未来への時間旅行は可能らしい。問題は、光速に近い速度で移動する乗り物を開発することが現段階の地球の科学技術では不可能だということだ。


 それから過去への時間旅行について。これは科学者のあいだでも議論が分かれている(タイムパラドックスの問題。たとえば僕がタイムマシンに乗って自分の親、もしくは先祖を殺したとする。そうすると、僕は存在しなかったことになるのだけれど、今度はそもそも存在していないはずの僕がどうやって親を殺すことができたのか、という問題。このパラドックスを解決する考え方として、パラレルワールドというものがある。現在の僕が過去に戻って両親を殺したとしても、そこから分岐してべつの現実の世界が発生するので矛盾は起こらないという考えである。つまり現在の僕がいた世界がaだとすると、僕が過去に戻って親を殺した世界はaから発生したbという世界になってべつにべつに存在していくので問題はないという考え方である。近年この理論は正しいのではないかという研究結果が出ているらしい。光子を観測するための装置を使って実験した際、どこから飛来したのかわからない光子の痕跡が確認され、もしかすると、この光子は我々がいる世界とはべつに平行して存在しているパラレルワールドから飛来しているのではないかという議論が真面目にされているらしい)理論上は不可能ではないらしい。


 ではどうやって過去へ行くのかというと、ワームホールというものを利用するらしい。ワームホールというのは宇宙を一枚の膜と考えるとそこにできた虫食い穴のようなもので、その出口は過去へと繋がっていて、それを利用すれば過去へ行けるのではないかということだ。ただ問題は山積みで、ワームホールは通常非常に小さなミクロの世界でしか発生せず、またそれは発生したとしてもすぐに消滅してしまうものらしいのだ。そのためそのワームホールを利用するためにはそれを乗り物が通過できるくらいの大きさに拡大する必要があり、なおかつそれが潰れてしまわないように補強する必要があるらしいのだ。でも、もちろん、今のところワームホールを乗り物が通過できるほどの大きさに拡大する方法も、維持補強する方法も全く分かっていない。この方法以外にも過去へのタイムトラベルの方法はいくつか考案されているらしいのだけれど、いずれにしてもそれらはあくまで理論のレベルに留まっていて、当分のあいだ僕たちが時間旅行を楽しむことはできなさそうだった。


 まあ、それはそれとしても、もしかしたら将来的に時間旅行ができるかもしれないというのは非常にわくわくさせられる。もし、時間旅行ができるとしたら僕は過去へ行ってみたい。恐竜が生きて動き回っているのを見てみたいと思う。今見えている視界に重なるようにして、巨大な首長竜がのんびりと木々の葉を食んでいる姿が目に浮かんだような気がした。


 ニュートンを読み終えると、今度は文芸誌のコーナーに移動した。そして気になった文芸誌を手にとってはパラパラとめくり、また棚に戻すという作業を繰り返す。何しろ小説というのは長いので漫画のようにすぐに読み終えてしまうということができない。最初の数行を読んだだけではその小説が面白いかどうかなんてさっぱりわからないのでどうしてもじっくりと腰を据えて読み込む必要が出でくるのだけれど、全く知らない作家の文章は事前の読みたいという衝動が弱いせいか、なかなか頭のなかに入ってこない。結果的にいつくかの小説の最初の数ページを読むだけで満足してしまって、今度は書籍のコーナーに向かうことにした。


 でも、書籍のコーナーに向かったのはいいものの、文芸誌のときの状態は全く同じで、そのタイトルを見ただけではどの小説が面白いかなんて全くわからないので途方に暮れてしまうことになった。本屋さんにみたいにこの小説はお勧めですみたいなコーナーや、その小説に対するポップみたいなものが用意されてあればいいのにとやや不満に思った。そうすればもっと借りたいと思う本を見つけやすいのに。


 とはいえ、全く収穫がなかったわけでもなくて、ちょっと前にベストセラーになっていて前々から読みたいと思っていた本や、興味があってもなかなかお金を出してまでは手に取ろうという気にはなれなかった本を借りることができた。


 それなりに満足して図書館を出ようとして、僕はその出入口に一枚の絵が飾ってあるのを見つけた。それ程大きな絵ではなくて、普通の、僕も昔美術の時間に描いたことがあるような画用紙くらいの大きさの絵だった。


 それは淡い青色の花を描いた絵で、どういうわけか、僕はその絵に強く惹きつけられた。花瓶に活けられたその花の色彩は目に冷たいような感じのする透明感のある青色で、じっと見ていると、綺麗だなと思うのと同時に少し物悲しい気持ちにもなった。


 目の角膜から飛び込んできた花の色彩は僕の意識のなかに入り込むと、夏の日に透明なグラスのなかでゆっくりと溶けていく氷のような静けさで僕の心のなかに広がっていった。


 途端に、僕は何かを思い出しそうになった。でも、結局僕は何も思い出すことができなかった。何かがひっかかっているという感触だけが残った。飾られている絵が誰かが描いた有名な絵なのか僕はすごく気になったけれど、絵の作者に関する情報は何も記されていなかった。いっそ図書館のひとに絵のことについて訊ねてみようかとも思ったけれど、でも図書館のひとはすごく忙しそうに働いていたし、訊くほどのことでもないかと思い直して僕は図書館を出た。


 図書館を出ると、もともと雲行きは怪しかったのだけれど、雨の最初の一滴が僕の頬を濡らした。僕は立ち止まると、灰色の空を見上げた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ