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花の思い出

僕はおじさんに聞いた話をそっくりそのまま南さんに話して聞かせた。


「へー。なかなか素敵な話じゃない」

 南さんは僕の話を聞き終えると、感心したように微笑んで言った。


「ちなみにおじさんがいつも絵を送っているっていうそのフランスのひとはふたりともまだ元気なの?」

 と、南さんはふと気になったように僕の顔を見ると訊ねてきた。


「うん、ふたりとも元気みたいだよ。おじさんの方はもうかなり歳をとって、あんまり身体が動かなくなってしまったみたいだけど、絵を送るといつもお礼の手紙が送られてくるって言ってた。というか、つい最近、おじさん、ふたりに会いにフランスに行ってきたらしんだ。娘さんの方は当然結婚してて、もう高校生になる子供がふたりいるっていう話だったけど」


「へー」

 南さんは僕の言葉ににっこりと微笑んで頷いた。


 僕は残り少なくてきたアイスコーヒーを思い出してストローで飲んだ。南さんもアイスミルクティーを少し飲んだ。それから、南さんは顔をあげて僕の顔を見ると、

「それで?どう?おじさんのエピソードは何か小説の参考にはなりそう?」

 と、戯けた口調で言ってから軽く笑った。


僕はつられるようにして微笑しながら、

「そうだね」

 と、頷いた。


「まだ漠然とした感じではあるけど、おじさんが僕に話してたくれたことは、これから書く物語に良い刺激を与えてくれそうかな」

 僕は微笑んで言った。


「良かった」

 南さんはにっこりと口角を持ち上げると言った。それから、

「もし、その小説が完成したら、見せてね」

 と、南さんは明るい笑顔で続けて言った。




 その次の週の日曜日、物語の主人公である藤崎花は、藤井由紀の自宅を訪れる。藤井由紀の妹が描いた絵を見させてもらうために。


 その日は朝から雨が降っていて、少し肌寒く、世界は青灰色の色素の、冷たいような色彩に染まっていた。


 藤井由紀は花が訊ねていくと、明るい笑顔で花のことを迎えてくれた。藤井由紀は花を家のリビングに案内すると、紅茶を作って出してくれた。口含んだ紅茶はとても香りが良くて美味しかった。家のなかはしんと静まり返っていて、家の外に降る雨の音がその静寂のなかに降り積もっていくように花には感じられた。


藤井由紀の家の内装は茶色を基調とした落ち着いた感じのもので、ダークブラウンの木材がさらに気品のようなものを与えていた。そして壁のところどころには、やわらかいタッチの、花を描いた絵が飾られていて、その絵に花がなんとなく気を取られていると、

「あの絵も、妹が描いた絵なの」

 と、花と向かい合わせのソファーに腰掛けた藤井由紀は、花の視線の先を辿るようにして絵を見ると言った。藤井由紀の口元は薄く微笑みの形に広げられていて、それとはどことなく寂しそうにも花には感じられた。


「家のなかに飾ってある絵のほとんどがそう。……他の有名な画家の絵はとても高くて手が出せないっていうのもあるんだけど、でも、わたし、単純に、妹の描く絵が好きなのね」

 藤井由紀は絵の方に向けていた顔を花の方に戻すと、微苦笑してそう言った。それから思い出したように彼女は机の上の紅茶を手に取ると、それを口元に運んで一口飲んだ。


「あの絵も素敵だと思います」

 花は絵を見ながら言った。

「上手く言えないんですけど、静かで、優しいような感じがして」


 藤井由紀は花の言葉に軽く頷くと、彼女はもう一度何かを確認するように壁に飾られた絵に眼差しを向けた。


 そのあと、花は藤井由紀に彼女の妹が描いたという絵を見させてもらった。まず最初に家の壁に飾られている絵を見させてもらい、その絵を見終わったあと、残念ながら飾るスペースがなくて部屋のなかに保管されているだけの絵も見させてもらった。藤井由紀の妹が絵を描く際に題材に選んでいたのは、基本的に全て何かの花だった。彼女は様々な花を絵に描いていた。赤いバラの花。ひまわり。百合。菖蒲。なかには花と人物が一緒になって描かれている絵もあった。花束を抱えた女性を正面から描いた絵。またあるいは描かれている人物の着ている洋服のなかに描き込まれた花の絵。どの絵のもやわらかくて、穏やかな感じがし、それでいて、どこか哀しみを含んでいるような感じもした。たとえば透明な水のなかに一滴の水色の滴が混ざりこんだような。


 花が絵について思ったことを口に出すと、藤井由紀は何か思い当たることがあったのか、少しのあいだ何か考え込むように黙っていた。そして少し経ってから、

「それはもしかすると」

 と、いくらか苦しそうな表情で彼女は言った。


 花と藤井由紀は再びリビングのソファーに向かい合わせに腰掛けていた。家の外では相変わらず雨が降っていた。それは激しくも降らなければ弱くも降らない雨だった。


「……それはもしかすると?」

 花は、藤井由紀の科白の続きが気になったので、彼女の顔を見つめて先を促した。藤井由紀は花の顔に視線を向けた。


「……それはもしかすると、あの娘が、学生のときに、好きだったひとを、事故で亡くしているせいかもしれないわね」

 藤井由紀は何か哀しみを堪えるように微かに目を細めて言った。


「妹には、当時付き合っていたひとがいたみたいなのよ。絵の方向性とかも似てたみたいで……でも、そのひとはさっきも言ったように、交通事故で亡くなってしまってね……それからだったかしら?妹が絵の題材に花を選ぶようになったのは……恐らく、恋人の意志のようなものを継ごうとしたんじゃないかしら?……そのひとは、妹が好きだったひとは、花の絵を描くことが多かったみたいだから……」


 花は、藤井由紀の言葉に耳にした途端に、自分の心の中心から、何か水気を含んだ強い感情が迫り上がってくるのを感じた。さっき、藤井由紀の家のなかで目にした様々な花の絵がフラッシュバックするように脳裏に蘇ってきた。藤井由紀の妹が過去に失ったものと、それから彼女が絵のなかに描き出しそうとしていたものが、花の心を強く締め付けた。


「……そんなことがあったんですね」

 花は藤井由紀が口にしたことに小さな声で言った。それから、花はもう一度何かを確認するように、家のリビングに飾られている花の絵に視線を向けた。そして、そうして花が絵を眺めていると、


「そういえば」

 と、藤井由紀がふと思い出したように口を開いて言った。花は絵に向けていた顔を藤井由紀の顔に戻した。


「今、わたしが持っている妹の絵は、さっきあなたに見せたもので全部なんだけど、でも、実は、あと何点か、他のひとにあげたものがあるのよ……その娘は、妹と同じアトリエで働いていた女の子で……確かあなたと同い年くらいだったと思うんだけど……その娘が、妹のお葬式のあとで、どうしても、妹の絵が好きだから譲って欲しいって言ってきたの。だから、わたし、その娘に、妹の絵をいつくか渡してあげたんだけど……だから、もし、あなたが全部妹の絵を見てみたいって言うんだったら、その娘の連絡先を教えてあげることもできるけど?」


花は藤井由紀の提案に、ぜひお願いしますと答えた。花としてはまだ他にも見てない絵があるのなら、全て見てみたいと思った。


 藤井由紀は花の言葉に軽く頷くと、それまで腰掛けていたソファーから立ち上がって、リビングを出でどこかへ歩いていった。そしてまたしばらくしてから戻ってくると、一枚のメモ帳を花に手渡してくれた。


 花がそのメモ帳を確認してみると、なんとそこには、驚いたことに、花が探していた友人の名前が記されてあった。もしかすると、ただの同姓同名の別人である可能性もあったけれど。


 花があまりの偶然の一致にびっくりして言葉を失っていると、

「それがその娘の連絡先。わたしもの方からもその娘に連絡しておくわね」

 藤井由紀は花の顔を見ると、微笑みかけて言った。

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