兄弟たち
イチ兄が何かを話そうとしている。
喉に詰まった言葉を何とか吐き出そうとするかのように、ミネラルウォーターを飲み下したり、そこらじゅうを歩き回ったりしている。
立花さんが意味ありげに言い残していった「オレには資格がある」という言葉の意味や、「親父が帰ってくる」というイチ兄の言葉・・・そして、この沈黙の意味を計りかねていた。ジューシ姉ちゃんもオレと同じく怪訝な表情でイチ兄を見つめている。
六花姉さんは・・・笑っていた。
「いよいよ・・・やっと、取り返せる」
そう言いながら爪を噛み、笑みを浮かべている六花姉さんは、どこかそら恐ろしく。
イチ兄は苦悶の表情で沈黙を守っている。
その居心地の悪さに耐えられなくなったオレは「親父・・・帰ってくるんだ」と問いかけた。
「あ、あぁ、ジューゴは会うの久しぶりだろう?」
「まあね。母さんも喜ぶよ」
「うん・・・そう・・・だね。でも、とりあえず、今回は家には寄らないと思う」
「えっ・・・そうなの?」
再び沈黙。
今度は別の者が沈黙に耐えられなくなった。六花姉さんだ。
「ハジメ兄さん。早く言っちゃいなさいよ。あの話なんでしょう?」
「う、うん。そうだ。どうやって話したらいいものか・・・いや、そうだ。問題はどこまで話せばいいか、かな・・・」
「まどろっこしいわね。ワタクシが代わってあげても良くってよ?」
「あ、いや!私から話すよ。ジューゴ、ジューシ・・・良く聞いてくれ」
イチ兄が覚悟を決めたかのように話し出す。
「なに、大したことじゃない。父が・・・杉崎大吾が帰ってくる。それを出迎えに行こう」
「え、それだけ?」
「ん・・・まぁ、それだけだ」
重苦しい空気の中、イチ兄が何を言い出すかと思ったら、10年近く音沙汰の無かった父親を空港まで迎えに行こうという提案だった。
普通の家なら「いいね行こう」となるかもしれないが、ウチではそうは行かない。
数える程しか会った事が無い父親の存在は空気のようなものだ。
いや、オレや母親を放ったらかしている事を考えれば憎悪してもおかしくない。
オレの場合、母親があっけらかんとしているからオレも同じように気にしていないだけだ。
オレにとっては空気でも六花姉さんには明らかな憎悪の対象だろうし、イチ兄にだって複雑な感情がありそうだ。
そんな父を出迎えに行く。今更?
しかも、イチ兄も六花姉さんも何やら思いつめたような表情をして。
「何か理由でもあるの?」
それは何故今更そんなことをしなくてはいけないのか?という疑問は勿論、その程度の事を言い出すにしては様子のおかしいイチ兄と六花姉さんの事だった。
だがイチ兄は「今は言えない。話すことが出来る時は必ず来ると思う」とだけ答えた。
「それは・・・断る事も出来るのよね。私、今更・・・父には会いたくないし」
「そうだね。無理にとは言わない」
「じゃあ・・・」
ジューシ姉ちゃんの言葉を遮るように六花姉さんが口を挟んだ。
「駄目よ!どうしても来てもらうわ」
「なんでアンタにそんな事を指示されなきゃいけないのよ。わざわざ会いに行く理由が無いなら、私、行きたくないわ」
「それはそうだけど・・・」
「何か理由があるなら話してよ。何か訳があるんでしょう?」
「今は言えないって言ってるじゃない・・・」
「なら、やっぱり協力できないわ」
ジューシ姉ちゃんがオレの服の袖を引っ張って自分の方に引き寄せる。
まるで、オレも同意見だと言うかのように。
オレ自身は「行くのは構わないが、理由くらいは知りたい」というのが本当のところだ。だが、ジューシ姉ちゃんが嫌がるのもよく分かる。
なんだか嫌な予感がするのだ。
「・・・お願い。手を貸して」
六花姉さんがしおらしく頭を下げた。
後から思えば、これが無かったらオレ達はきっと空港には行かなかったのだと思う。
六花姉さんの隣ではイチ兄が悲痛な表情を浮かべている。
「なにか事情があるみたいね」
「あぁ、終わったら必ず全て話す。それに、キミたちの安全はボクが保証する」
「分かったわ。イチ兄にそんな顔されたら断れないじゃない。ねぇ、ジューゴ」
ジューシ姉ちゃんが一足先に折れた。
次いでオレも「そういう事なら」と参加する事にした。
「ありがとう。2人とも」
安堵の表情を浮かべるイチ兄がオレとジューシ姉ちゃんにそれぞれメモを渡した。
開いてみると、日時と場所が記されていた。
「これは?」
「うん。とにかくメモに記されている通りにその場所で待機していてくれ。それから先の指示は携帯電話で伝えるから」
記された日時は3日後だった。
場所は空港の中に有るファーストフード店だ。
「あぁ、そうだ、箱庭のピンは必ず持ってきてくれ」
最後にイチ兄がそう言った。
何となく察してはいたが、やはり箱庭が関係するようだ。
約束の日までの間に、オレは箱庭の中の仲間たちに事情を説明しておいた。
「もしかしたら皆の力を借りる事があるかもしれない」と。
それから何ごとも無く約束の日はやってきた。
指定された場所に着き、せっかくだからと注文したフライドポテトを口に詰め込みながら、辺りを見渡す。
平穏な風景。皆、基本的に忙しい素振りをしている。
空港というのは殆どの場合、飛行機を利用する為に来る場所なのでオレのようにノンビリしている人は少ないのではないかと思う。
暫くしてジューシ姉ちゃんもやってきた。
約束の時間まで、あと15分はある。
オレのポテトを横取りしながら話すジューシ姉ちゃんは普段よりも口数が少なかった。
2人して約束の時間になるのを待つ。
メモの通りなら約束の時間になったら携帯に連絡が来るはずだ。
約束の時間から10分程度が過ぎた時、携帯がけたたましく鳴った。
普段はマナーモードにしたままにしているうえ、待っている間は必ず電話に出られるよう、音が鳴るようにしておくようにイチ兄に言われていたのを忘れていたので、余計に驚いてしまった。
焦りながら電話に出ると「到着ロビーまで来い」とだけ言って切れてしまった。
ナンバーディスプレイに表示されていたのは確かにイチ兄の名だったが、その声は聞き覚えのないものだった。
「イチ兄?何だって?」と不安そうに聞くジューシ姉ちゃん。
オレは肩をすくめながら「到着ロビーに来いってさ」と答えた。
「でも・・・聞いた事の無い人の声だった」
「父さんじゃない?聞きなれてないでしょう?」
「うーん・・・そうかも」
訝しみながら言われた通りに到着ロビーを目指す。
到着ロビーに着いたものの、この後どうしていいか分からずに2人で困っていると、男に声を掛けられた。
それは先ほど電話口の向こう側から聞こえてきた声と同じに聞こえた。
男は筋骨隆々の黒人だ。勿論、知り合いにそう言う人物は居ない。
「ついてこい」と、またもぶっきら棒に言うと勝手に歩いて行ってしまった。
そんな不審な人物についていくのは不安があったが、ここで途方に暮れていても仕方ないので言われた通りにする。
暫く歩くと、床に見覚えの有る物が広がっていた。
箱庭だ。
「お前らが最後だ。さっさと入れ」
「ちょ、ちょっと待って、イチ兄は?あんた誰?」
「良いから早く入れ。ハジメは、もう中に入ってる。戦いはもう始まってるんだ」
え?戦い?
そう聞き返そうとした時、黒人はオレとジューシ姉ちゃんの腕を強引に掴み、それを片手で纏めて持つと、もう一方の手で箱庭にピンを刺した。
箱庭の中に引き摺りこまれると同時に轟音に頭を揺さぶられた。
少ししてから、それが何かの爆発音だと分かった。
黒人が言った通り、目の前では戦いが繰り広げられていた。
「これはいったい・・・」
何が起きているのかと黒人に説明を求めるが、黒豹の獣人の姿をした彼は「さっさと箱庭の連中を呼び出して、お前らも参加しろ!」とだけ言って走り去ってしまった。
その行く先には石碑が乱立している。
その数は20を超えていた。
つまり、ここには20人以上の箱庭の管理人が居て、戦いを繰り広げているというわけだ。
誰が誰と戦っていて、自分が何をすればいいのかさっぱり分からない。
それはジューシ姉ちゃんも同じなようでお互いに顔を見合わせていると、頭の中に声が響いた。
「やあ、ジューゴ、ジューシ来てくれたね。少し手違いがあったが、とにかく箱庭の仲間たちを召喚してくれ。事情はそれから説明する」
言われた通りに石碑が乱立する場所に走り、自分の石碑を探し出して仲間を召喚した。
仲間たちには何ごとかと問われるが、その解を持っていないオレは戸惑いの表情を見せることしか出来ない。
仲間たちの疑問は再び頭の中に響いたイチ兄の声が解決してくれた。
「まず初めに事情も説明せずに戦いに巻き込んだことを謝罪する。とにかく流れ弾に当たって怪我をするようなことが無いようにして、話を聞いてくれ」
その時、空を高速で飛び回っていた何かが、こちらに飛来した。
塵旋風の中、一瞬、その姿が目に入る。
金色の羽の生えた何かだ。
それを複数の天使や悪魔やモンスターたちが群れを成して追いかけている。
「どうやら敵はアレみたいだね」
金色の空飛ぶ何を指しながらレヴェインが言う。
「なんで、そんな事が分かるんだ?」と聞くと、「あの金色の何かを追っている天使たちの中にハジメ殿の箱庭の者が居るのが見えたんだ」と冷静に返してきた。
全ての攻撃は空飛ぶ金色のモノに集中しているように見えた。
空を飛べるものは、金色を相手に空中戦を繰り広げ、それ以外の者は地上から様々な方法で援護する。相手は金色ただ一人。
「大丈夫だったかい?では改めて説明させてもらうよ」とイチ兄の声と同時に情報が流れ込んできた。
そして送られてきた敵の情報や仲間の数。戦いの情勢。
それらが映像などの明確なイメージになって頭の中に広げられる。
意識共有領域・・・瞬時に膨大な情報をやり取りするイチ兄の能力だ。
それで分かったのが、まず敵の正体。
敵は箱庭ランキングの1位であるエドワード・レオンという箱庭の管理者ただ一人。
エドワード・レオンという名から男性を想像したが、その姿は有名なニケ像の様な、天使とか女神を象ったような黄金の彫像のような姿だった。
続いて仲間たちの情報も送られてくる。
味方の箱庭の管理人の数はおよそ20人。
その仲間はそれぞれ50ほど居るはずだ。
合わせて1000を超す軍勢が、この場に居て、たった1体の敵を相手に戦っているのだ。
「敵はエドワード・レオンという男だ。本来、選ばれた者しか挑戦することが出来ない箱庭ランキング1位の管理者だ。そいつが日本にやってくるという情報を得て、空港で待ち伏せにしたという訳だ。キミたちに事情を話せなかったのは情報の漏えいを防ぐためだった」
「親父も参戦してるのか?」
「あぁ、そうだ」
頭の中に親父らしき者の姿が映し出される。
それは3つ目で2対の腕を持つ異形の姿だった。
傍らには象のような頭部を持つ者が傅いていた。
「六花姉さんも居るんだね」
「あぁ、勿論だ」
戦いの場に目をやれば、思うさま枝葉を広げたイグドラシルの姿が有った。
「まさか、1対1じゃない箱庭対戦があるとは思わなかった」
「これは特別だ。卑怯と思うかもしれないが事情がある。この戦いは決して負ける訳にはいかないんだ」
改めて戦いに目を移す。
お互いをよく知らないはずの異なる箱庭の戦士たちが、イチ兄の意識共有領域能力によって一糸乱れぬ作戦行動を促されていた。
敵は弾丸の様に高速で空を飛び回り、追い縋る集団を振り払うように光弾をまき散らす。そのうちの一つが近くに着弾し、地面に大穴をあける。
その威力を目の当たりにして自分の出る幕が無い事を痛感する。
ふと後ろを振り返ると遠距離攻撃の手段を持つシルキスとリーディア、そしてゴーレム達は戦いに参加していた。どうやらイチ兄から直接、命令が来たらしい。
自分の箱庭の仲間が戦いに参加しているのを見て、自分が此処に来た意味が全くないという訳じゃない事に安堵しつつ、自分自身が何も出来ていない事に歯痒さを覚える。
「しかし、ハジメ殿の力は凄いな。まさか、ここまでとは」
唐突にレヴェインが声を上げた。
そして、オレに同意を求める様に見つめてくる。
「オレも前に聞いた時は、ここまでのモノだとは思わなかった。せいぜい戦闘中の連絡が容易になる程度かと・・・」
「それどころじゃないな。この場に居る者の情報を統合しているのだろう。あらゆる問いに瞬時に答えが返ってくる。戦術予報もかなり正確だ。今の所、予想通りに敵を追い詰めつつある。止めはキミの父上が担うらしい。止めの一撃はかなり強力そうだ。街1つ壊滅させるような攻撃を範囲を限定して放つようだ」
興奮しながら喋り続けるレヴェインに苦笑いしながら、オレも今後の戦術予報とやらを問い合わせてみる事にした。
敵が取る行動や、追い詰める場所、止めの一撃を放つタイミングなどがイメージとなって頭に浮かぶ。
「ん?これは・・・」
「どうしたレヴェイン?」
「ジューゴ、見てみろ、あそこで戦っているのはキミの兄らしいぞ?」
レヴェインに言われるままに指さす方を見てみると、象の頭部を持った何者かが敵を圧倒していた。誰だろう。見覚えが無い。
「えーと、彼の名はエークというらしいが知ってるかい?」
「いや・・・聞いた事ない。それって本名?」
「そうらしい・・・インドという国で生まれたようだ。彼の他にドー、ティーン、チャールという兄弟が居る・・・いや、ジューゴ、キミの兄弟は15人なんてものじゃないらしいぞ?ウーノ、ドゥーエ・・・アインス、ツヴァイ・・・ここに居る管理者は、ほとんどキミの兄か姉だ」
「え?」
どうやらオレが知っていたのは日本に居る15人の兄や姉だけで、他にも様々な国にオレの兄や姉が居るらしい。
オレをこの場に案内したのはチャールというインド人だった。
あの流暢な日本語を操る黒豹の獣人はオレの兄にあたる人物だった。
「・・・もうじきだ。イリアの防御シールドの影に隠れていた方が良さそうだよ?」
「あ・・・あぁ」
敵に浴びせられていた砲火が、まるで花火のフィナーレが近いかのように激しさを増す。それを観覧しているだけの自分に苛立ちを感じながら、レヴェインと共にイリアの方に歩き出した。
「苛立っているね」
「・・・あぁ。自分でも驚いてる」
「ハジメ殿の意識共有領域のおかげで、キミのメンタルも手に取るように解る。ボクも同じさ。あの戦いに出る幕が無いのはボクも口惜しいよ。それにしても、ボクがそう思うのはともかく、ジューゴにもそういう気持ちがあったとはね」
「やっぱり・・・六花姉さんには勝ったけど、オレってまだまだなんだなぁ・・・」
凄まじい光が目を焼いたかと思うと、遅れて聞いた事もない轟音が耳を劈く。
親父の止めの一撃が敵に下されたのだった。
味方を守るための防壁が展開され、更にイリアの防御シールドに守られているにも関わらず、その衝撃と熱は凄まじかった。
写真でしか見た事の無いキノコ雲が目の前で立ち上っている。
これでオレの出る幕も無いまま勝敗は決したのだろう。
「無事に勝てたみたいだけど、この戦いは何だったんだろう」
「ふむ。それはボクも問い合わせてみたけど、答えは返ってこなかった。情報が共有されているのは、あくまで戦いの内の事・・・敵味方の情報や状況だけみたいだね。この能力は凄まじいけど負担も激しいだろう。その為に情報を限定したんじゃないかな」
ならば、直接イチ兄に聞けばいい。
きっと全て終わったのだろうから。




