鳥と蛇
何も言わずに空を飛び続けるオレに白石さんは黙ってついて来てくれていた。
そうやって長いこと空を飛び続けていると、次第に高度が下がってくる。
そういえば、ギムギムが続けて飛べるのは、およそ15分程度だと言っていた。
盾の中心の嵌められている青い石の光が、まるで充電切れ間近かのように弱まっている。
仕方なく、降り立った場所は鬱蒼とした森の中だった。
朽ちて横たわっている大木に腰を下ろして、ため息をつく。
「白石さんには良い所だけを見せたかったんだけどなぁー・・・」
「ん・・・でも、自分の箱庭だからって、何でも思い通りにはならないよ」
「やっぱり、そうかな?」
「そうだよ。箱庭の管理者だからって少しは優遇されてるけど、私たちは、ただの高校生だもの・・・出来る事には・・・限界があるよ」
確かに気負い過ぎだったのかもしれない。
「そっか、白石さんの言う通りかもしれない・・・。少し気が楽になったよ。ありがと」「・・・うん。それに、ジューゴ君の箱庭は素敵だよ・・・。最初の街で暮らしている人たちを空の上から見てたけど、みんな幸せそうだったし」
「そうかな?」
「ジューゴ君の箱庭なんていい方だと思う・・・私の箱庭は、もっと酷いから・・・」
「そう・・・なの?」
「・・・うん」
オレに代わって今度は白石さんが項垂れる。
そして、自分の箱庭の話をポツリ、ポツリと話し始めた。
「私の箱庭の皆なんて、いつも穴倉の中で怯えて暮らしてるんだから・・・」
「怯えてるって・・・何に?」
「ナーガ族・・・」
「ナーガって、もしかして下半身が蛇の?」
「ジューゴ君、良く知ってるんだね・・・。もしかしてジューゴ君の箱庭にも居るの?」
「いや、想像上の生物でナーガっていうのが居るんだよ。インド神話だったっけな」
「へぇ・・・。インド神話ね・・・。とにかく、そのナーガ族とハーピー側は長い間、宿敵同士で・・・その勢力は拮抗していたんだけど・・・その・・・最近、ハーピー族の戦士が減ってしまって・・・」
「それで不利になったってわけか・・・」
「・・・そう。私も頑張って戦ったんだけど、私の他は小さい子供か、怪我をした戦士ばかりで・・・」
なんとかしてあげたい。そう思った。
だが、良い考えが浮かばない・・・。
箱庭対戦でオレが勝てば、ナーガ族を根こそぎオレの箱庭に移すことも出来る。
だが、移した後が問題だ。それなりに数も居るだろうし・・・。
「・・・オレに出来る事なら言ってよ。いつでも相談に乗るよ」
結局、悩んだものの答えの出せなかったオレが口にしたのは、そんな気休めだけだった。白石さんは、そんなオレに「ありがと」と少し控えめな笑顔を見せてくれた。
その笑顔に胸を締め付けられるような気がした。
その理由までは分からない。もしかしたら後ろめたさかもしれない。
まだ、心のどこかで白石さんを疑っていて、ハーピー族の苦境を聞いても全面的に協力するのを躊躇ってしまう。その後ろめたさ。うん。きっとそうだ。
白石さんがオレの箱庭に来る事になったら見せたかったものが他にも沢山あった。ドラゴンや魔王城の仲間たち・・・。しかし、すっかり気分が萎えてしまった。
結局、そんな気分を変えることが出来ないまま夕刻となり、辺りが暗くなってきたのを切っ掛けにオレ達は箱庭を出ることにした。
「今日はありがと」
「いや、気分の悪いものを見せちゃって・・・ゴメンね」
「私の方こそ・・・気分の悪い話を聞かせちゃったね・・・」
「いやっ!いいんだよ。そういう相談が出来るのは箱庭の管理者同士しかいないから・・・また、何かあったら言ってよ」
「ありがと・・・。それじゃ、またね」
白石さんが口にした「またね」という言葉を思い出すと救われたような気持ちがした。
そうやって考え込んでいたら、気付けば白石さんと別れてから2時間ほどが経っていた
オレは白石さんと別れて真っ先にするべきだったことを思い出した。
ジュンコさんへの、お礼の電話だ。
きっと心配してくれているだろう。
「なかなか可愛い子だったじゃない。もしかして付き合う事になった?」
どこで見ていたのかジュンコさんは、そんな事を言った。
「まだ、そんな間柄じゃありません」
「まだ?」
「そういう意味でも無くて!」
年上の女性特有のペースに乗せられてはいけない。何人も姉が居るオレは、この話の流れが非常に良くない事を経験則で知っていた。
なんとか話題を変えなければ。
「でも、イチ兄やジュンコさんに頼りっぱなしだったオレですけど、頼られるっていうのも悪くないかなって・・・」
「そうやって頼り頼られ・・・いつしか恋心に発展していくのねー」
その程度の方向転換では強制的に元に戻されてしまう。
オレは何とか反撃の糸口を探した。
「そういえば、イチ兄とジュンコさんって、同い年ですよね?どういう関係なのか聞いてませんでしたけど・・・」
「こっちは何てこと無いわ。学生時代からのお友達よ」
「彼氏彼女じゃなくてですか?」
「・・・そうなりそうな時期もあったけど、ハジメさんは箱庭に夢中だから・・・」
そこからは説教だった。
「箱庭もいいけど~」とか「すぐ傍に居る女性を~」とか、そういう話が延々と続く。
どうやら藪蛇だったようだ。オレが取るべき行動は反撃などではなく、耐え忍ぶ事だったらしい。だが、それに気付くのが遅かった。
諦めたオレは相槌を返すだけの機械となり、時が過ぎるのを待つことにした。
それが平和かつ、最速の解決方法ではあったものの、話が終わるまで30分ほど掛かった。
「それじゃ、ジューゴ君。彼女の事、大事にしなさいよ」
最終的にジュンコさんの中で白石さんはオレの彼女になっていた。
反論は無駄だった。この誤報がイチ兄に届くのは、そう遠くないだろう。
学校に行けば白石さんと会う事になる。
ジュンコさんに変なことを言われたせいか妙な気恥しさを感じながら、オレ達は昼休みや学校からの帰り道で箱庭の話をした。
最初こそ共通の話題は箱庭の事だけだったが、少しずつ他の話もするようになった頃には白石さんと出会ってから一月ほどが経っていた。
相変わらず白石さんの箱庭の中の状況は良くならず、その頃にはオレが白石さんに抱く感情が同情なのか恋心なのか区別がつかなくなってきた。
そんな頃だ。
白石さんは2日ほど学校を休んだ。
その後、学校に来た白石さんの顔色は悪く、皆は体調不良を心配していたが、オレにはそれだけには見えなかった。
まるで世界が終わったかのような顔をしている。
オレが何事か聞いても、彼女は唇を噛んだまま何も言わない。
ときたま笑顔を見せる時があるが、明らかに無理をして作った笑顔で何となくはぐらかされてしまう。
「何か有ったんだろう?それって、箱庭の事じゃないの?」
沈黙を肯定と受け取ったオレは放課後、半ば強引に白石さんを自宅まで連れてきた。
オレの部屋まで来て、問い詰めても沈黙を守る白石さんに痺れを切らしたオレは彼女と共に管理者の世界に転移する。
ここなら邪魔をされずに話が出来るし、箱庭の事で悩んでいるなら箱庭の中でなら聞き出しやすいと考えたからだ。
しかし、彼女が語らずとも苦悩の正体は、彼女の箱庭の石碑と彼女の姿が物語っていた。
石碑からは以前は確かに有ったはずの彼女の仲間の名前が消えており、誰の名前も刻まれていない。
そして、彼女の純白の翼は所々が傷つき、彼女自身の血で赤く染まっている。
彼女の箱庭の中で戦いが有ったのか?
彼女の悲しそうな表情は・・・そこで親しい仲間が戦死したから?
いや、それだけならオレに対して口を閉ざす理由にならない。
疑問の答えを求めて彼女に視線を向ける。
その視線に耐えかねたのか、白石さんは少しずつ重い口を開いた。
「・・・取られちゃったの。兄さんに・・・」
「お兄さんも箱庭の管理者だったのか・・・」
「そう・・・すぐに必要だからって言って、無理やり・・・」
「そんな・・・白石さんの箱庭の実情は知ってるはずだろう?」
「でも、兄さん・・・あいつらの命令には逆らえないから」
「あいつら・・・って?」
「ジューゴ君と初めて会った時に居た・・・あいつら」
白石さんに絡んでいた2人組の事か。
そういえば、お兄さんの友人だと言っていたな。
「・・・もしかして、その2人も箱庭の管理者なのか?」
「・・・うん」
「そいつらに言われて、お兄さんが君の仲間を奪ったって言うのか・・・」
一気に頭に血が上るのが感じられた。
そいつらを、ぶちのめしたいという衝動に駆られる。
しかし、僅かに残った冷静な頭で、こうも考えていた。
「これは罠ではないのか?」
つまり、白石さんが餌で彼女の兄を含めた3人がオレを手ぐすね引いて待っている・・・そんな想像が頭をよぎる・・・。
「・・・その傷は・・・?」
「・・・ナーガ族に・・・私・・・1人じゃ、守りきれなくて・・・」
今にも泣きだしそうな表情の白石さん。
唇を噛みしめて、涙をこらえているように見える。
白石さんの石碑に名前が刻まれていたのは、ハーピーの群れの戦士だそうだ。
白石さんを含めた4人で群れを守っていたが、その3人のハーピーが奪われてしまった。そんな時に運悪く、ナーガ族の襲撃にあったそうだ。
白石さんの奮闘により、何とか逃げ切れたもののハーピー達の数は元の半数以下となってしまったらしい。
その話を聞いたオレは罠だろうが関係ないという気分になっていた。
「取り返そう。オレが手伝ってもいい」
そうオレが言い放つと、俯いていたままの白石さんが「駄目だよ」と呟いた。
「何が駄目なんだよ」
「ジューゴ君・・・迂闊だよ・・・罠だとは思わないの?」
まさか白石さん本人の口から、そんな言葉が出るとは思わなかったオレは驚き、言葉に詰まる。
「・・・私、ジューゴ君の事を騙そうとしてたんだよ? ・・・ジューゴ君の事、罠に嵌めようとしてたんだよ?」
「え・・・?」
「私が魔法のピンを・・・首から下げてたのは、そう言う事なんだよ・・・私は箱庭の管理者を釣り上げるエサだったんだ・・・」
薄々、そんな気はしていたものの突然の告白に驚いた。
何故、今になって正体を明かすのか・・・。
正直いって、こっちは罠でも構わないという気分にまでなっていたのに。
「だから、私を助けようなんて・・・思わないで」
「どうして・・・?どうして今更、そんなことを言うんだよ?」
「自分でも分からないよ・・・でも、ジューゴ君には、私みたいになってほしくない・・・」
だからって引き下がれない。オレに出来る事は無いか・・・それを考えるには聞き苦しい事も聞かなければならなかった。
「ハーピー達は・・・今は、どうしてるんだ?」
「今は・・・巣の場所を移したから大丈夫・・・暫くは見つからないと思う」
「でも、いつかは見つかっちゃうかもしれないんだろ?だからって、白石さんが四六時中、見張ってるわけにもいかないんじゃないか?」
「・・・そんなことない・・・私が皆を守る」
「でも、さっき逃げるのがやっとだったって言ってたよね」
「・・・そうだけど」
「やっぱり取り返そう・・・いや、オレが取り返してやる」
オレがそうやって言い切ると、唐突に白石さんはオレに背を向けて走り出した。
翼をバタつかせて飛び立とうとしているが、傷のせいか飛び立てないでいる。
オレは彼女の後を追い、肩を掴んで振り向かせると彼女は泣いていた。
「なっ・・・泣かないって決めてたのに・・・泣いたら、ジューゴ君、きっと同情するから・・・っ、そんなの、ずるいからっ!」
泣きじゃくる白石さんが落ち着くのを待ってから、オレは口を開いた。
「取り返そう。同情なんかじゃない。オレがそうしたいんだ・・・また、空を飛ぼうよ。一緒に。その時、白石さんが笑顔で居てほしい。その為にはハーピー達を取り返す必要があるんだ。白石さんにも協力してほしい。いいよね?」
白石さんは次第に落ち着きを取り戻し、大きく息を吐いた後。
「ありがとう、ジューゴ君」と呟くように言った。




