後悔してもしきれない結末
イチ兄がやってきたのは土曜日の夜だった。
用事とやらは既に済ませた後らしい。
挨拶もそこそこに箱庭の管理者の世界に移る。
「さて、この間貰った電話は本当にビックリしたよ」
「心配かけてゴメン・・・。でも、シルキスの事が心配でさ・・・」
「まぁ、それについては電話口で散々言ったから分かって貰えたと思うし、そもそも悪いのはジューゴじゃなくて田崎という男だからね」
イチ兄はさらに続ける。その表情は険しい。
「しかし、田崎という男を退けたとはいえ、君がいまだにビギナーの域に居るのは間違いない。次はもしかしたら、私もジューゴも後悔してもしきれない結末を迎えるかもしれない。だから今日、私は来たんだよジューゴ」
「後悔してもしきれない・・・?」
「あぁ、そうだよジューゴ。田崎と総力戦をしたんだよね?私も総力戦については説明していなかったけど、総力戦には箱庭の管理者も含まれるのだよ」
あぁ、それなら知ってる。オレもクーデルが田崎を攻撃するまでは考えもしなかったが・・・。
「そして、総力戦は管理者が戦闘不能になると無条件で負けとなってしまうんだ。それが、どんなに恐ろしい事か分かるかい?」
オレは少し考えるが、イチ兄が言わんとしている事がイマイチ理解できないまま、当てずっぽうな答えを返す。
「オレみたいな弱い管理者が足を引っ張っちゃうとか?」
「・・・違う。いいかい、ここで受けた傷は戦いの後で完治する。死んでしまうような傷でもだ。それは管理者も同様。そこが、私が言いたい恐ろしい点だ」
「え?傷が治る事が恐ろしい?」
「そうだ、つまり私が言いたいのは、この箱庭の管理者の世界では誰も死ねないんだ。いいかい、死なない。ではなく、死ねない・・・だ」
話を続けながら近づいてくるイチ兄に圧倒されながら後退りしていたが、遂に追いつめられてしまった。背後にはイチ兄の石碑がある。
「例えば私がジューゴに悪意を持っていたとする。殺しても飽き足らない程の悪意だ。
そうしたらどうすると思う?まず、総力戦で勝利を納めたらジューゴの石碑の住人を奪うだろう?それでジューゴは一人きりだ。次の総力戦でも敗北するだろう。でも、ジューゴ、君は戦いを止めることが出来ない。何度も何度も私に殺され続けるんだ」
イチ兄の顔が近い。そして怖い。
「そうやって、何度も死を味わった君は、きっと精神を病んでしまうだろう・・・。それが、私やジューゴが後悔してもしきれない結末・・・というわけだ」
スッと身を引いたイチ兄は、いつもの柔和な表情に戻っていた。
「お、オレは浅はかだったんだな・・・」
「それを自覚できる者は、本当に浅はかという訳ではないよジューゴ」
「そうかな・・・?オレ、イチ兄みたいに上手く管理者やってく自身が無くなってきたよ・・・いや、元から自信が有ってやってたわけじゃないけどさ」
「・・・分かるよ、ジューゴ。私も最初はそうだった。だが、仲間や先人の助けがあって、今の私になり得たんだ。そして今度は私がジューゴの助けになろう。それこそが今日の本題なんだ」
イチ兄は石碑に手を当てて、何者かを呼び出した。
それは1人の女性だった。タイトな衣服で身を包んでおり、確かに美しい部類の顔立ちなのだが、美しさよりも先に厳しそうな印象を受けてしまうのは、手にしている鞭のせいだけではないだろう。
一言で例えるならば、美しいが厳しい女教師と言った印象だ。
そして、イチ兄の箱庭の住人である彼女の背には他の例にもれず、純白の翼がはためいていた。
「紹介するよジューゴ、彼女はナクア。彼女は新兵の教育を取り仕切ってくれている、言わば教育のプロだ」
「君がハジメ様の弟君か・・・私は主天使ドミニオンズのナクアだ。宜しく」
「よ、宜しくお願いします」
「ふむ。声が小さいな」
「え?」
そう言うと、ナクアは握手した手を離すどころか力を込めてきた。
「痛っ!いたた!よっ、宜しくお願いしますっ!」
「うむ。宜しい」
オレが叫ぶように言うと、ようやくナクアは手を離してくれた。
・・・やばい、嫌な予感しかしない。部活にもろくに参加していないオレは体育会系は苦手なのだ。
「イチ兄・・・もしかして、この人に戦いを習えって事?」
「ふふ。そんな顔をするなジューゴ。まだ、君が習うと決まったわけじゃない」
「えっ!?違うの?」
「まぁ、とりあえず今はね」
「どういう事・・・?」
「彼女が指導する相手は、これから決めるんだ。君が選んだ箱庭の者とナクアが戦い、ナクアが負ければ彼女が君の箱庭に出張して、ジューゴを鍛えてもらう。
もしも、ナクアが勝てば負けた者は私の箱庭に来てもらって、そこで強くなってもらう」
これには2つの狙いがあった。
オレの仲間の力を見る事と、鍛える対象を選ぶ事だ
もし、オレの仲間がイチ兄の想像よりも強く、ナクアが負ける事があればイチ兄は、その者に安心してオレの事を任せることが出来る。
そして、負けたナクアはオレの箱庭に来ることになるから、ナクアから指導を受ける対象はオレという事になる。
もし、ナクアが勝てば、負けた者はイチ兄の箱庭に行く事になり、その者は強者が溢れかえるイチ兄の箱庭で強くなってもらうという事になる。その間、オレは自主練だそうだ。
・・・問題は誰をナクアの相手として召喚するかだ。
悩んでいると、イチ兄が出来れば魔王に会ってみたいと言うのでオレは魔王たちに声を掛けてみる事にした。
2人を召喚して事情を説明すると、レヴェインは乗り気だが、リーディアはそうでもないと言った感じだった。純粋に戦いを好むレヴェインなら当然かもしれない。
「ならばお主が戦えばよかろう。レヴェイン。2人揃って留守にする訳にはいかんからな」
「それもそうだね。ジューゴ、そういうわけだからボクが参戦するよ」
そうして、ナクアとレヴェインが対峙する事になった。
「初めまして、ナクアさんだったかな?君は、その鞭で戦うのかな?」
「そういう貴様は徒手か?ならば、同じく徒手でお相手しよう」
「そうかい。別に遠慮せずに好きな武器を使ってくれて良いのだけど・・・」
「直ぐに分かるさ、武器など必要ないって事が」
ナクアは手にしていた鞭を無造作に投げ捨ててレヴェインの目の前に歩み寄る。
今にも噛みつきそうな距離まで近づくと、レヴェインを睨みつけた。
長身のナクアがレヴェインを見下ろす形だ。
「箱庭対戦を開始する。対戦者はレヴェインとナクア!では、開始!」
イチ兄の宣言で戦いが始まった。
先制はナクアだった。レヴェインが後ろに飛んで躱したため、振り下ろした拳が地面を抉る。
一瞬でレヴェインの表情が険しいものになる。
ナクアが削った地面の穴の大きさを見たからだ。
何かの爆心地のような大穴からナクアがレヴェインを見据える。
「どうした?かかってこないのか?」
レヴェインは挑発に乗らない。いや、乗れないのか。
その後もナクアは無造作に拳を振り続ける。やや大げさにかわすレヴェイン。
明らかにナクアの破壊力に警戒を示していた。
「・・・随分と力自慢のようだね」
「力自慢?まさか、この私はハジメ様の兵の中でも非力な部類だよ。なにより、まだ力なんて籠めていないぞ?」
その言葉にオレも驚く。
ハッタリなんかじゃないよな。そんな心理戦を仕掛ける必要なんてないはずだし、何よりイチ兄の箱庭の中に行ったことの有るオレは、それが真実である事を何となく感じていた。
「どうした?もう降参するのか?」
ゆっくりとレヴェインに迫るナクア。
「まさか、ボクが敵の接近を恐れる日が来るなんてね。初めてだよ。姉さんの斥力のスキルが羨ましく感じるのは・・・しかし、このまま良い所なしで終わる訳にはいかない。ボクにもプライドが有るのでね」
地を蹴り、ナクアに向かって突進するレヴェイン。
ナクアは、それを難なく躱す。
攻撃を躱されたレヴェインは再びナクアに向かって突進する。
それが何度も繰り返される。その度にレヴェインの突進する速度が加速されていく。
どうやら、引力のスキルを利用する事で攻撃を加速させているようだった。
その速度は、もはや弾丸のような域に達していて、オレの目では追い切れなかった。
しかし、相変わらずレヴェインの攻撃は当たらない。
「そろそろ限界かな・・・」
そう呟いたのはオレの隣に立っていたイチ兄だった。
イチ兄の言うとおり、攻撃を繰り返していたレヴェインが目に見えて失速してゆく。
そして最後には、その場に倒れこんでしまった。
「な、なんで?レヴェイン?」
勝敗は決した。勝者はナクアで、敗者はレヴェインだ。
だが、その理由がオレには分からなかった。
「イチ兄、何が起きたのか、オレには分からないよ。レヴェインが一方的に攻撃をしていたように見えたけど・・・」
「ナクアがすれ違いざまにカウンターで攻撃を入れていたんだ。彼も良く耐えたが・・・」
え?全然見えなかった。
だが、結果だけを見れば信じざるを得ない。
リーディアの方を見ると、彼女も信じられないと言ったような表情を浮かべている。
「それでは、彼には私の箱庭に来てもらう。いいね、ジューゴ」
レヴェインの方を見ると、既に起き上がっていた。
対戦が終わり、ダメージが帳消しになったのだろう。
だが、呆然と立ち尽くしたままだった。よほどショックだったのだろう。
そんなレヴェインに声を掛けるのは躊躇われた、しかし、放っておくわけにもいかない。
「・・・大丈夫か?」
「ジューゴ・・・見ていたかい。ボクはとんだ井の中の蛙だったようだよ」
「レヴェイン・・・何て言っていいか・・・」
「何を言う必要がある?慰めるつもりか?それなら必要ない。
もっと強くなる機会を与えられたんだ、ボクにとっては望ましい事だよ」
そうしてレヴェインはイチ兄の元へと向かった。
イチ兄と何か言葉を交わした後、ナクアと共に消えた。早速、修業が始まるそうだ。
「そう浮かない顔をするなジューゴ。奴も望んだことだ」
リーディアが声を掛けてくれた。
まさか、リーディアが慰めてくれるとは思っていなかった。
「浮かない顔なんてしていないよ。オレも強くならなきゃいけないと思って、その方法を考えていただけだ」
「そうか、ならば魔王城に来い。我やディーバスが手解きをしてやろう」
ディーバス・・・四本腕のスケルトンだ。
あいつ、おっかないんだよなぁ・・・。オレは発言を少しだけ後悔した。
「ジューゴ、では部屋に戻ろうか。リーディアさん、弟さんを預かりますよ。必ず無事に返しますから安心して下さい」
「うむ。宜しく頼む。その、ハジメ殿・・・?」
「なんでしょうか?」
「レヴェインが済んだら我にも修行の機会を与えてもらえないだろうか?弟ばかり強くなっては、我も立場が無いのでな」
「えぇ、勿論。では、一か月後、またここでお会いしましょう」
リーディアに別れを告げて部屋に戻ると、イチ兄はそそくさを帰り支度を始めた。
「・・・もう帰るの?」
「あぁ、次に来るのは一か月後だ。ジューゴもレヴェインさんに負けないように鍛錬しておけよ。それと、他の箱庭の管理者と接触しないように十分に気を付けておけよ?」
「あぁ、気を付けるよ。イチ兄、今日は本当にありがとう。レヴェインの事、宜しくね」
オレはイチ兄を玄関から見送ると、早速、魔法のピンで魔王城に赴いた。
ディーバスに魔剣を使った戦い方を教わりに行くのだ。




