04 : 半端者と楽観主義者。2
レウィンの村の森近く、ぽつんと一軒だけ、家がある。その家には、いくらか整備された道が一本あるだけで、近くには農具置き場の小屋しかない。ある意味わかりやすい場所にある家に、マルは迷うことなく足を進め、そうして夕方、扉を叩いた。
「はいはい、どなた?」
扉を開けてくれたのは、マルの同胞たる風詠の魔導師ギアではなかったが、見知った顔ではある。彼女の夫、シゼだ。
「お久しぶりです、公爵」
「公爵やめて。呼ぶなら先生、或いはシゼ。わたしは薬師だよ。って、思わず突っ込んじゃったけど……」
きょとん、と目を丸くした金髪の貴公子は、上から下までマルを眺めて、漸くマルを認識して微笑んだ。
「マナトアじゃないか。なんだ、ひさしぶりだね」
「はい。お元気そうで」
「当然だよ。毎日が充実しているからね。うわぁ、マナトアが来るなんて、ほんと久しぶり。ロザに羨ましがられるかも」
「雷雲も元気そうですね」
「マナトアがなかなか帰ってこないから、いろいろ押しつけられて大変だって、愚痴っているよ。たまには顔を見せて、仕事を手伝ってあげなさいよ」
まあ中に入って、と言ってくれるシゼに、マルは連れがいると言って背に隠れてしまっているリヒトを引っ張り出した。
「おや、おや……マナトアの娘、にしては大きいね。どうしたの」
「魔導師の卵です。国境近くの街にいたところを、拾ってきました」
「ほう、魔導師かい。拾ったということは、これから師団長のところ?」
「そうです」
ほら、とリヒトを促し、自己紹介をさせる。
「り……リヒト・リフィール、です」
「リヒトちゃんか。はじめまして、こんにちは。ああ、こんばんは、だね。薬師のシゼです。この水萍の魔導師とは旧知の仲なんだ。よろしく」
人好きする笑みを浮かべる人なので、その正体はともかく、少し警戒したリヒトを安心させるだけの効力はあった。
「もしかして、ギアが使っているものに用事があるのかな?」
「申し訳ありません」
「謝らなくていいよ。国境なんてまた随分と遠いものね。使いたくなるのもわかる。ギアは今いないけど、それはあるから安心なさい。まずは中に入って、一息つくといい」
どうぞ、と中に促されて、同胞がいないところに失礼するのは気が引けたが、その夫も知らない仲ではないので、多少遠慮しながらも中に入れてもらう。疲れただろうから、と軟らかな長椅子に座らせられると、お茶もいただいた。
「国境に魔導師の卵、か……見逃さなくて幸いだ」
「少し遅かったようにも思いますが」
「それでも、今こうしてマナトアが連れてきた。遅くはないと思うよ。とりあえず急ぐかい?」
「できれば」
「わかった。じゃあ持ってくるから、少しゆっくりしているといい」
それほど急いでいるわけではないが、急ぐ気持ちがないわけではない。シゼはそれを察してくれて、目的のものを取りに行った。
「ま、マル」
「ん?」
「ここに、てんいもん? あるの?」
「ああ」
それほど広い家ではないようなので、リヒトの問いに答え終えるとシゼはすぐに戻ってきた。
「はい、転移門の鍵。返すのはいつでもいいから」
「ありがとうございます」
「本当はゆっくりマナトアの話を聞きたいところだけど、早く魔導師の卵を連れて行ったほうがいいだろうから、今日のところは身を引くよ。けど、時間を見つけてまたわたしのところに来ておくれ。マナトアとは本当に、ゆっくり話がしたいんだ」
これを返すのはそのときがいいかな、と言ったシゼから受け取ったのは、銀細工の、本当に鍵の形をしたものだ。転移門を使うために必要となる呪具の一つで、形はこの鍵型以外にもある。要はそこに必要な力を込めてあるものなので、形はなんでもいいのだ。
お茶を飲みきるまではゆっくりするといいとシゼは言ってくれたが、早々にマルは茶器を空にする。リヒトを待って、すぐに長椅子を離れた。
「またおいでよ、必ずね」
手を振るシゼに頷き、礼を言うと、リヒトの肩を引き寄せる。なにをするのだ、と戸惑うリヒトに、怖いなら目を閉じているよう言って、マルは転移門の鍵に意識を集中した。
それは本当に一瞬だ。
「着いたぞ」
目を閉じ、さらにマルにしがみついていたリヒトに、もうだいじょうぶだと声をかける。おそるおそる目を開けたリヒトは、マルから離れるかと思いきや、さらに強くしがみついてきた。
「こ…っ…ここどこ!」
驚くのも無理はない。マルだって、この転移門が発案され実用化され始めた頃は、ひどく驚いた。それを力の弱い自分が使えることにも驚いた。
転移門とは、名のとおりの転移するための門である。ただし、門と言えどそんな大きなものがあるわけではない。シゼから借りた転移門の鍵が、シゼのいたレウィンの村からここ、王都レンベルの王城下段にある魔導師団棟を繋げる役目を果たしたのだ。転移門の本体は、ここ魔導師団棟にある。
「足許を見なさい」
「あ、あしもと?」
「これが転移門の本体だ。シゼさまからお借りした鍵は、ここに繋がるように力が込められている」
マルとリヒトが立っているのは、人が三人くらい並べるくらいの大きさがある円形の平たい石で、細かな文字や図形が彫られた錬成陣が敷かれている。本体たるこの石が転移門の正体で、鍵を使うことで門がある場所へ瞬間的に移動できるのである。
「今のところ転移門は魔導師団棟と王宮、主要都市に配置されている。使えるのは魔導師だけだが、鍵さえあれば魔導師でなくとも使えるらしい」
「…………っ」
「どうした?」
「だから、ここどこ!」
せっかく転移門を使ったのに、その感想を述べるよりも先に、リヒトは場所が気になって仕方ないらしい。
まあ仕方ない。
体験したほうが早い、と言ったのはマルだ。
「魔導師団棟だ」
「どこ!」
「王都レンベル、王城下段」
「なんで王都まで来てんのっ?」
「師団長に真偽を問う。魔導師になると、きみは言っただろう」
「そうじゃなくて! どうやってここまで来たのさ!」
「転移門だ」
「なにそれ!」
「今しがた体験しただろう」
足許とマル、そしてマルが持つ転移門の鍵をそれぞれ必死な形相で見やって、しばらく沈黙したかと思えば漸くリヒトがマルから離れた。
「びっくりした……」
まあそうだろうな、と思う。マルだって転移門を初めて使ったときは、いきなり景色が変わって驚いたのだ。リヒトに驚くなというほうが難しい。
「これが、てんいもん、なんだ」
「この門と門を移動できる。鍵があればどこからでも転移は可能、らしい」
「らしい?」
「転移門はわたしが発案したものではない。たまに使わせてもらうくらいだ」
「たまに使うの? なら、あのシゼって人に鍵を借りなくても」
よく気づいたものだ。リヒトが言うように、わざわざシゼに転移門の鍵を借りなくても、マルも転移門の鍵は持っている。このところは任務が続いているので、持たせられていたのだ。
懐を探り、シゼの鍵は本当に鍵の形をしていたが、そうではない装飾になる銀細工をマルは取り出す。
「……割れてる」
「壊れたんだ」
「壊したんだね、あのとき」
水浸しにしただけで壊れるものではない。が、山火事を鎮めたときに壊してしまったのは当たっている。おそらく、余所見をしていて膨大な水を、もはや波と言えたそれを引っ被ったとき、転んだ拍子に壊れたのだと思う。意識を集中させても動く気配がなかったので、媒体が一部でも壊れてしまったら役目を果たさないらしいと、知ることはできた。
「修理したら使える?」
「無理だ」
「壊れたらそれきり?」
「いや、わたしには修理できない、という意味だ」
「どうすんの」
「なんとかなる」
もともとこれは、転移門の発案者で協力者の魔導師でなければ、創作できない呪具だ。壊れてもマルにはどうしようもない。むしろ、これをマルに持たせた奴らが悪いのだ。
「シゼって人は簡単にこれ貸してくれたけど、けっこう値打ちものでしょ? 壊したなんて……誰かに怒られない?」
「なぜきみがそんなことを心配する」
「銀細工が値打ちものだからだよ。高価なもの壊したら、自分の責任じゃなくても怖いって」
「確かに銀細工は値打ちものだろうが……」
銀を加工すれば確かに高価なものになるだろう。だが、銀を転移門の鍵とした呪具の創作者は、魔導師である。値はつけられないだろう。つけたとしてどれほどのものになるか、マルにはさっぱりだ。
「雷雲のことだから、まあ素直に治すだろう」
「雷雲?」
「雷雲の魔導師ロザヴィン。これを、呪具と呼ばれるが、創作できる魔導師だ」
「へぇ……魔導師が自ら作るんだ」
「でなければ呪具の意味がない」
「マルも作る?」
「わたしは作れない」
力が弱いのだと、いくら言えば理解してくれるだろう。弱いのだから当然、呪具など創作できようもない。力の使い方を発案したところで、実用化させることなどマルには無理だ。
リヒトを教育する魔導師は大変だろうな、と暢気なことを思いながら、マルは転移門が置かれている部屋の窓から、外の様子を窺う。シゼの家では夕方だったが、もうすっかり日が落ちている。王宮からの照明が洩れてそれほど暗くはないが、夜という雰囲気はしっかりとある。
「今日のところは休むか……」
「疲れた?」
「きみは疲れないのか」
「わりと楽しくマルと歩いてたから、そんなには」
元気な娘だ。もう自分は歳かな、と思ってしまう。いやいや、任務続きで休暇もなかった身なのだ、歳のせいではない。
「師団長へ到着の報告はしておくが、面会は明日以降だ。部屋に案内する。今日はもうゆっくり休みなさい」
「……お腹すいた」
ぐう、とリヒトの腹が盛大に鳴った。部屋に案内するついでに、食事を用意する必要がありそうだ。
「おいで」
「うん!」
警戒心もなくついてくるリヒトに、本当に楽観的な娘だ、と思う。マルが魔導師だからそうなのだろうが、それにしてもシゼの前ではしっかりと警戒していたのだから、それなりに見慣れぬ景色へは警戒しているのだろう。
マルに師匠になってと言ったくらいだから懐かれているのは当然だとして、しかし山火事を鎮めたときのリヒトの様子が引っかかる。なぜあんなにも気軽にマルに話しかけたのか、運命に素直だったにしても、あれは覚悟が過ぎるというものだ。いや、覚悟が本物であったから、マルを警戒する必要がなかったのかもしれない。
なんにしても、リヒトは運命に素直過ぎだ。
「食べたいものはあるか」
「なんでもいい!」
「そうか」
麺麭はあるから宿舎の食堂で野菜か肉をわけてもらうか、と考えながら転移門の部屋を抜ける。
マルが料理すると聞いてリヒトが仰天するのは、それから少し経ってからのことだった。