02 : どこに行けばいいのかも、わからないなら。
山火事の事後処理は、マルが湖を作るという結果のせいでいろいろと面倒なことを招き寄せたが、最終的には山火事は収まったのだからと国からのお咎めはなかった。ただし、あとでその湖を埋めるための魔導師が派遣されることにはなった。なぜマルが自分でやらないのかというと、それはマルが持つ属性にある。
マルは『水萍の魔導師』と渾名される、言葉の意味とは遠からず近からず水を操る魔導師だ。火事や日照りには重宝される属性の力を持っているが、その反面、水と相対する属性も水以外の属性の力も使えないという、少々癖のある魔導師だった。
「ユシュベルって、貴族に翼があるって聞いたんだけど」
「翼種族がユシュベルの根源だ」
「へえ……あんたにもある? 魔導師だから貴族なんだよね?」
翼ある者が貴族、その中から魔導師は生まれる。マルが魔導師なら、それは貴族であることを意味していた。そのことを彼女は知っているらしい。
「残念ながら」
「貴族じゃないの?」
「飛べない」
「? どういうこと」
「翼はあるが、わたしは飛べない」
マルは確かに貴族だ。背に翼もある。だが、マルの背にある翼は、その自由を得ようとは思わなかったらしい。翼があるのに勿体ない、と思うことはあるが、べつに困ってもいないのがマルである。
「なんか、悪いこと訊いちゃった気がする……ごめん」
「? なにを謝る」
「その……飛べないって」
「わたしは困らない」
「でも、あんた貴族で……魔導師でしょ」
気にしてくれたらしい彼女に、マルは小さく息をつく。
「魔導師に身分は意味がない」
「え……そうなの?」
「そもそも興味がないからな」
身分に興味がないから、そういう態度だから、彼女も気軽な様子でマルに声をかけたと思うのだが、考えてみれば彼女は自分の運命に対してどこか楽観的な部分が多い。だが、だからこそ、貴族に不遜な態度を取ったことで殺されることも予想していたと思う。彼女の死への覚悟は、本気だったとしか思えない。
「こっちの人たち、優しいな……うん」
「やさしい?」
「ほら、あたしっていかにも混血、でしょ? ジェサントスでは、けっこう、目立って……母さんが死んで居場所がなくなって、風あたりがきつくなって……ユシュベルに来てみたら、ジェサントスとはちょっと違って……珍しいなって見られるくらいで済んだ」
「……仕事を解雇されたのはその容姿のせいではないのか?」
「大部分はそうだけど、言ったでしょ、これまでの人生と向き合いたかったって。妙な力のことが気になって……母さんはあたしの力のこと、なにも言わなかったけど、それはジェサントスにいたからだし。ユシュベルに来て、もしかしたらこれって魔導師の力なのかなって思っただけだし。もし魔導師が来たら訊いてみようって、前から思ってたんだよ」
どうやら、彼女が仕事を解雇されたのは、彼女が持つ魔導師の力が原因らしい。
当然だな、と思う。
受け入れられはする魔導師の力は、けれども力なき者にすれば、バケモノと変わらない。マルはそう思っている。だから魔導師は国の管理下にあって、統括されている。さまざまなことから護るために、護られるために、そして力の使い方を誤らないようにするために、魔導師は育てられるのだ。
「きみはいくつだ?」
「歳? ええと……十三のときに母さんの伝手でユシュベルに来てから、季節が六つか七つくらい過ぎたから……たぶん十九あたり」
遅い、と思う。魔導師の力を持ってその教育を受けるには、むしろ彼女がユシュベルに来たという十三歳のときがよかっただろう。もっと早くになぜ彼女を見つけられなかったのだと、自分たち魔導師に少々呆れる。
「力の自覚を持ったのはいつだ?」
「六歳くらい、かな」
力の目覚めから十年以上も経っている。これでは、今からの教育はもしかしたら難しいかもしれない。彼女の師には、熟練の魔導師か、或いは魔導師団長が一番だろう。
「ここから王都まで、しばらくかかる。その間に、本当に魔導師になるかどうか、決めるといい」
「? なんで選択肢があるの?」
「魔導師に関して、大きな事件は聞こえてこない。それはつまり、きみが特に面倒を起こしていないということだ」
「騒がれるくらいの力はない、ってこと?」
「言い方は悪いが、そうだ」
「騒ぎを起こしたほうがよかった?」
「起こしたくなくても起こるものだ、と言い直そう。魔導師の力は、そうだと言われなければわかる力ではない」
くしゃ、と彼女の表情が歪む。よくわからなかったのだろう。
マルは腕を水平に持ち上げ、握っていた手のひらをゆっくりと開く。彼女の視線がそこに移るのを確認してから、意識を手のひらに集中させた。
「わ……っ」
最初は小さな水滴が一つ、それが徐々に増えていき、一つの水塊になる。両手に収まるほどの大きさになったら空に放り、戻れと命じる。留めておく力を失った水塊は一気に蒸発し、それまであった水気を消失した。
「い、今の……!」
「空気に混じる水に呼びかけた。これくらいなら錬成陣や詠唱は不要だ。だが、こんな力がその辺に溢れているか?」
「あたし初めて見た!」
「きみは好奇心にかられるようだが、一般的には好奇心よりも、人ならざる力に恐れるものだ」
「え、なんで? ただ水を手のひらに集めただけで……」
「わたしはこの力で、なにをしていた?」
「山火事を鎮めて……湖を」
彼女が、ハッとしたような顔をする。どうやら頭の回転は速い。
「わたしは魔導師だから、咎められることはない。だが、魔導師という肩書きがなければ、どんな視線をもらっていたことだろうな」
「そんな……だって、山火事を鎮めて、街の人を助けたのに」
「魔導師だから、助けた、ということになる。だが魔導師でなければ、それはただの暴力にも等しい」
魔導師、という肩書きは、さまざまなものから魔導師を護る。同時に、その力を持った者を戒める。魔導師の力だ、と言われなければ、その力はただ危険なものにしかならないのだ。
「これまできみは、おそらく数多の奇異な視線を受けたことだろう。魔導師の力は間近で見ても理解し難い。バケモノと謗られたこともあるだろう。だが、きみが魔導師になることで、われわれはきみを護れるようになる」
「……魔導師、ていう肩書きが?」
「ああ」
本来は、そういったものから護るために、力の目覚めからすぐに魔導師のもとへ導かれる。その庇護下に入ることで、力のない人々からの言われなき暴力から護るのだ。それは自己防衛のようなものでもある。
恨みや憎しみが生まれる前に、その根を絶つことを優先された仕組みが、ユシュベル王直下魔導師団だ。
「……騒がれるくらいの力があたしにはないなら、魔導師になる必要はない?」
「力の大小は関係ない。ただ魔導師になるということは、国に護られるということだ。国に縛られると言ってもいい。これまでの自由はどこにもない」
言うなれば、混血である彼女の場合、もう二度とジェサントスへは帰られないということだ。ジェサントスを故郷と呼ぶことはできるだろうが、魔導師の肩書きを持つ以上、ジェサントスで暮らすことは難しくなる。
だがそれ以前に、魔導師の力を完全に受け入れてしまったら、そんなことすら考えていられなくなるだろう。きっと、周りの人々の言葉や目など、気にしていられなくなる。いや、気にする必要がなくなる。
魔導師になる、ということは、ある意味、人間を捨てるということだ。
だから、魔導師という肩書きで、護られる。人間から遠くなってしまった魔導師は、人間の世界に関心を失ってしまうのだ。それがもし、その関心が人間に向いてしまったとき、いったいどんな破滅が待ち受けていることだろう。力なき人々はきっと、魔導師に滅ぼされる運命にある。
そんな世界があってはならない。
ユシュベルという国は、よくそれをわかっているとマルは常々思う。
「あたし、居場所がないの」
ぽつりと、彼女がこぼした。
「どこに行っても、あたしには居場所がないんだよ……ユシュベルに来ても、あたしの居場所はなかった。外見の問題でも、妙な力の問題でもない。ただ、あたしには居場所がない。どこに行けばいいのかも、わからないの」
どこか遠い場所を眺めるような彼女の視線に、ああこれはもしや手遅れか、と思う。居場所がない、というのがマルの思っているようなことなら、彼女はもはや魔導師になるしか道はない。
彼女はもう、魔導師が囚われてしまうものに、囚われている。
「……魔導師になるか?」
早計だと、思わなくもないが、居場所がないというのは魔導師の力のせいとしか思えない。いや、魔導師の力のせいだ。
彼女は視線をマルに戻すと、深い緑色の双眸で見つめてきた。
「あたし、魔導師になれる?」
なにかが変わるなら、変わりたい。これまでの人生がなんなのか、知りたい。
彼女の瞳が語るものに、マルは目を細めた。