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それはどこかで願われた。  作者: 津森太壱。
【それをわたしは、願ったから。】
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27 : それをわたしは、願ったから。

*前半リヒト視点、後半マル視点です。




 ゆったりと歩く、凛とした背中を見つけて、リヒトは思わず飛びついた。アノイより先に見つけることができたのは幸いだ。


「ぅわ……っ」


 リヒトに飛びつかれたマルは、目を真ん丸にして振り向いた。飛びついて来たのがリヒトだとわかると、怪訝そうに首を傾げる。


「……どうした?」


 両腕には、雷雲の魔導師ロザヴィンに押しつけられている書類が抱えられていて、飛びついたリヒトを引き剥がせずにいる。それをいいことに、リヒトはぐいぐいと背中に顔を押しつけた。

 この感情、気持ち、喜びをどう伝えたらいいのか、わからない。


「なにか……あったのか?」


 案じるようなマルの声音に、そうではない、と首を左右に振る。いや、なにかあったのは確かだが、心配されるようなことではないから否定しておいた。


「……どうしたんだ、リヒト」


 名を呼ぶ声が優しい。


「マル……っ」


 ああこの声は、いつでもどんなときでも、優しく柔らかだった。


「ん?」


 リヒトの気持ちを、心を、無視したことなんて一度もなかったのにと、今になって気づく。師になれない、なりたくないと言っていたときでさえ、マルはリヒトを拒絶することはなかった。いつだって、リヒトを想ってくれていた。


「マル、あたし…っ…マルが好き」


 背中に押しつけていた顔を上げてマルを見ると、そこには柔らかな双眸を少しだけ細めたマルがいた。


「それはもう聞いた」


 マルらしい答えに、ああそうか、と思った。

 マルは、気づいていなかったわけではなかった。無視していたわけではなかった。聞いていなかったわけではなかった。

 リヒトが言うから、きちんと聞いていた。

 リヒトが繰り返すから、頷いて返事をしてくれていた。


「好きなんだよ…っ…マルだけ、なんだよ」

「ああ」

「あたしは、マルが好きなの」

「……ああ、知っている。聞いたからな」


 聞かなかったことにも、聞いていなかったことにも、していなかった。

 マルはちゃんと、考えてくれていた。


「腕環っ」

「ん?」

「腕環、意味、聞いた」

「……ああ、なんだ、知らなかったのか」


 知っているとばかり思っていた、と言うあたり、ちょっととぼけた性格をしていると思うけれども。


「まあ……知っていたら、転移門が便利だと、あんなに嬉々として使うわけがないか」


 くす、と苦笑したマルは、少しだけ身を捩り、書類を片手に持つとリヒトに正面から抱きつかせた。ぽん、と頭にマルの手のひらが乗る。


「返事は?」

「え……?」

「わたしはきみの返事を聞いていない」


 腕環の意味を知らなかったときは、ただ普通に転移門が使えることに喜び、その感謝を伝えた。

 マルが「返事は」と訊いているのは、腕環のその意味を知ってからのことだ。


「あたしはマルが好きだよ」

「それは聞いた」

「あたし、マルからは聞いてない。マルは? マルはあたしのこと、どう想ってるの?」


 腕環があるのだから、答えは一つだとわかっていた。それでも、マルから直接、その言葉を聞いたわけではない。

 言うのが恥ずかしいなら一度だけでもいいからと、リヒトはマルを見上げて懇願する。


 マルのその心が知りたい。


「わたしは……言葉に、しようがないな」

「して。言葉に」

「難しいことを……」


 苦笑するマルのそこに、リヒトが考えた最悪の言葉は見当たらない。もうその姿を見ているだけで、さすがのリヒトも察しはつく。


「マル、お願い。あたし、マルの口から聞きたい」


 すり寄って強くしがみつけば、困ったように笑んだマルはふっと息をつく。


「……魔導師という生きものは、ひどく厄介なんだ」

「うん」

「悲しい生きものだ。許された自由に、永遠に囚われる」

「……知ってる」


 リヒトの心は、許された自由は、マルに囚われた。


「わたしが囚われたのは、きみのようだ」


 リヒトの頭の上に乗せられていたマルの手のひらが、するりと滑り落ち、リヒトの頬をくすぐる。


「マル……っ」


 鈍色の双眸が、じっと、リヒトを見つめてきた。


「わたしを愛してくれるか、リヒト」


 その、言葉に。

 その双眸に。

 その心に。

 その、暖かさに。


「愛してるもんっ」


 好きだ。

 マルが、どうしたって、好きだ。

 リヒトにとってマルは、太陽だった。月みたいな容姿をしているけれども、確かな明かりを見せてくれたことには変わりない。太陽のようで、月のような人だ。

 リヒトに、それを与えてくれた。


「それをわたしは、願ったから……きみは、叶えてくれるだけでいい」


 片手に抱えていた書類をはらりと手放したマルは、両腕で、リヒトを抱きしめてくれた。


「わたしの願いを、叶えるだけでいいんだ」


 ぎゅっと、今までにない強さで抱きしめられて。


「マル……マル、マルぅ」


 込み上げてくる感情に、心に、苦しいと思うほどの喜びを感じた。


「よく、わたしを見つけたな」


 それは一度、前に聞いた言葉。


「見つけてもらったのはあたしだよ……っ」

「いいや。きみが、わたしを見つけたんだ」


 互いに見つけたのだと、思う。めぐり合うべくして、めぐり合ったのだと。


「リヒト……リヒト、ありがとう」


 お礼なんて、言う必要なんてないと思ったけれども。


「あたしも…っ…あたしも、ありがとう」


 あなたに出逢うことができたこの人生を、わたしはいとしく思うことができる。








 いつから、ということはない。

 それは出逢ったときから、始まっていた。


「……ヒュー」


 少し変わったな、と堅氷の魔導師カヤに言われたとき、ああついに自分もその道を歩み始めたのかと思った。


「あなたにとっては……あの娘が、そうだったのか」

「……そのようだな」

「冷静だな?」

「わたしも魔導師だ」


 己れのことくらいわかる。無駄に歳を重ねたわけではない。


「鈍感だと、笑われているようだが?」

「きみでもあるまいに……さすがに気づいている」

「おれは……」

「故意にそうしている、というのはわかっているが、たまには自分の噂も拾え。その耳を閉じ過ぎていると、本当に大切なことを見落とすぞ」

「……わかっている」


 可愛い弟は、いつだって飄々としている兄が、少し心配らしい。いろいろな人に心配されるが、そこまで自分は頼りないだろうかと、マルは苦笑した。


「考えることや立場を、放棄したわけではないのだが……どうもわたしの態度は、ひとからすると曖昧なのだな」

「自分のことに適当だからだ」

「これでも大事に扱っているつもりだ」

「……信じられない」


 疎かにした覚えはないのに、と肩を竦めると、訝しげな視線をカヤからもらう羽目になった。


「まだあのことを引き摺っている時点で、信じられたものではない」

「それはきみも同じだと思うが。それに、事実わたしは、あのひとを救えなかった」

「だから断罪者として、償っているつもりか?」

「そういうわけでもないが……」


 はは、と苦笑する。


「あの悲しみを知っているのは、わたしだけだろう」

「それは……」

「いや、違うな。あの悲しみを知っているのは、わたしだけで充分だ。もう二度と、わたしのような魔導師を生み出してはならない。そう思うから……わたしは断罪し続ける」


 父であった大魔導師を救うことができなかった。呪術師に堕ちてしまった魔導師を、父であったひとを、救いもなく逝かせてしまった。どれが救いかなんてわかるものではないけれども、マルにとってあのときのことは、なんの救いもなかったことだった。


 けれども。


 今なら、救いがどんなものであるのか、わかる気がする。


「……カヤ」

「なんだ」

「わたしは……愛する自由を得たようだ」

「……ああ」

「よかったと、思う。わたしは、魔導師でよかった」


 微笑むと、カヤは眩しそうに目を細めた。


「そうか」

「ああ、よかった」


 魔導師でなければ、なんて思ったことは一度もないけれども、心の底から魔導師でよかったと思ったこともない。

 それが今なら、心の奥底から、魔導師でよかったと言える。


「わたしは……あの子がいとしい」


 いとしさで胸がいっぱいになる日が、やってくるなんて思っていなかった。







これにて【それをわたしは、願ったから。】は終幕となります。

読んでくださりありがとうございました。

お気に入り登録してくださった皆さま、ありがとうございます。


津森太壱。

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