表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
それはどこかで願われた。  作者: 津森太壱。
【それをわたしは、願ったから。】
27/32

25 : 黒衣の意味。2





 とぼとぼと、歩いていたときだった。

 なんでもない小石に躓いて、情けなくも転んで、砂埃まみれになって、なんだかバカらしくなった。

 はは、と空笑いする。

 マルが誰を想っていようが、誰を悼んでいようが、その黒衣が意味するところなど、リヒトには関係ない。なんて図太いのだろう。言い方を変えれば、単に諦めが悪い。いや、諦める必要なんてないのだ。

 手のひらの砂汚れを払い、リヒトは手を叩く。


「今を生きているのは、あたしだ」


 マルがどうして今も黒衣をまとっているのか、その理由は知りたい。知ったところで、なにかが変わるとも思えない。今を生きているのはリヒトで、これからマルのそばにいられるのもリヒトだ。


 なにを悩み、迷うことがあろう。


「だいじょうぶか?」


 ハッと、顔を上げる。


「あ……堅氷さま」


 白い髪、森色の双眸、マルのように背の高いこの魔導師の特徴は忘れられない印象を残す。

 女王の夫にしてユシュベル王国最強の魔導師、カヤ・ガディアン。

 リヒトは未だその力を間近にしたことはないが、感覚的にカヤの桁違いな力はわかる。おそらくはその冷めた双眸が、人間の本能的な恐怖を煽るのだと思う。

 怖いな、と思うのと同時に、こんな人がマルの弟みたいな人なのか、と暢気にも思った。


「……立てるか?」


 そっと差しのべられた手のひらに、そういえば転んだままだったことを思い出し、失礼して手を借り、リヒトは立ち上がる。砂埃を払って、改めて背の高い堅氷の魔導師カヤを見上げた。


「ありがとうございます」

「こんなところにひとりで、どうした。ヒューは?」


 カヤは、カヤだけは、マルを「ヒュー」と呼ぶ。ヒュエス・ホロクロアという名が、マルの魔導師としての本来の名であるからだ。


「マルなら師団長のところに。溜まっていた書類整理とか、提出書類とか、机仕事に追われているので」

「ああ……雷雲が押しつけていたな、そういえば」


 ふむ、と首を捻ったカヤは、見上げていたリヒトから視線を逸らしてそっぽを向く。見つめ過ぎただろうかと思ったが、そうではなかった。そのまま身体の向きを変え、魔導師団棟のほうへと歩いていく。


「堅氷さま?」


 リヒトは、歩き出したカヤを追った。追いかけるつもりはなかったのだが、もともとリヒトも師団棟に帰る途中であったので、方向が一緒になったのだ。


「ヒューに話がある。ロルガルーンのところなら、師団棟だろう?」

「そうですけど……マルに話?」

「渡すものがある」


 渡したいものがあるなら預かるけれども、と思ったが、カヤの頭にそれはないらしい。リヒトに振り向くこともない。

 ふと、ロザヴィンに言われたことを思い出した。

 堅氷に訊け。

 マルのことを一番よく知っているのは、師であるアノイのほかには、カヤであるという。マルの父親である大魔導師を師に持つカヤなら、それは当然なのだろう。


「堅氷さま」

「なんだ」


 リヒトを振り向くことはないが、無視するつもりはないようで、カヤは呼びかけると返事をしてくれた。人を近づけさせない雰囲気を持つ魔導師だが、なにくれとなく同胞をかまう魔導師のその気質は持っているのだろう。


「マルの官服のことなんですが……」

「官服……あれは魔導師の喪服だ」


 やはりカヤも、マルがまとっている黒衣が、魔導師のふつうの官服ではないということを知っている。いや、リヒトを除いた魔導師たちは、マルが常に着用している官服が喪に服した黒衣であることを、知っている。


「なぜ、マルは喪服を?」

「理由を挙げれば数限りない」


 あっさりと、そして淡々と、カヤは答えてくれた。


「魔導師を牽制する魔導師の、その役目を知らぬ魔導師はいない。ヒューがなにをしているか、きみも知っているだろう」

「……はい」

「多くはないが、魔導師も人間だ、間違いは起こす。ヒューはそれを諌める立場にある」


 マルの黒衣の意味には、それがあることはわかっている。誰かのためではなく、すべてのために、その黒衣には意味があった。

 バカだ、と思った。

 自分は愚かだ。マルの性格を考えれば、その眼差しや仕草を見れば、マルがたったひとりの誰かのために、その心を捧げられるわけがない。マルが背負ったものは、リヒトが考えているものよりも、すっと深く重いのだ。


「初めに諌めることができなかった、というのも……理由の一つだろう」

「初め?」


 ふと、カヤが立ち止まる。目前に魔導師団棟が迫っていたが、その入り口からマルが出てきたところだった。


「救えなかったと言うが……本当のところは違うだろう。最期は笑っていたと、ヒューは言ったのだから」

「え?」


 立ち止まっていたカヤが、「ヒュー」とマルをその名で呼びながら再び歩き始める。だから、リヒトの頭に過ぎった疑問に、カヤは答えてくれなかった。


 こちらに気づいたマルが、首を傾げた。


「カヤ? と……リヒト?」


 気が抜けているのだろうか、いつもならカヤを「堅氷」と呼ぶマルが、名で呼んでいる。リヒトと一緒に現われたのが意外だったのだろう。そんな顔をしていた。


「そこで転んでいた」

「リヒトが? ……どうした」


 リヒトを名で呼んでくれるようになったマルは、少し埃っぽくなっているリヒトに小首を傾げ、怪我はないかと心配してくれる。無意識だったにせよ、好きだと告白してしまったリヒトのそれを、すっかり忘れているようないつものマルだ。


「考えごとして歩いてたから、躓いて転んだだけ。怪我はしてないよ」

「アノイにしごかれたか」

「ん、まあね」

「きついようなら、はっきりと言いなさい。無理をするとアノイが調子に乗る」

「それは知ってる」


 師よりも師らしいアノイのそれには、厳しいしつらいところもあるが、力の暴走の一件から軟化はしている。重要な部分を身を以て教えられたせいか、リヒト自身も力の使い方がわかってきたところだ。無理はしていないし、させられてもいない。

 転んだのは、マルのことを考えていて、足元が疎かになっていたからだ。


「カヤは……どうした?」

「おれはあなたに渡すものがある。今、時間は?」

「リヒトの様子を見に行こうと思って出てきただけだから時間はいいが……渡すもの?」


 ひとりでどこかに出かけるつもりではなかったようで、リヒトが帰ってきたならそれでいいらしいマルは、カヤからの「渡すもの」とやらに目を丸くした。


「忘れているようだが、これがなければ移動に不便だろう」


 不便だろうと言いながらカヤがマルに差し出したのは、腕環だった。

 リヒトは差し出されているそれを覗き見、あ、と口を開ける。


「それ、マルが腕にしてたことあるよね」

「よく憶えているな」


 カヤから腕を受け取ったマルは、意外そうな顔をする。自分でもよく憶えていたなと思うが、魔導師は銀細工の呪具を使うと聞いたから、そのときちらりとマルのそれを見ていたのだ。


「それ、なに? 銀細工だし、呪具なんだろうけど」

「転移門の鍵だ」


 リヒトの問いに答えたのはマルではなく、マルにそれを渡したカヤだった。


「転移門の? これが……鍵なの?」


 未だ一度しか使ったことはないが、転移門という移動にとても便利な呪具のことは知っている。その転移門には鍵が必要であることも、一度使ったときに教えてもらった。マルが転移門の鍵を壊していたときだったので、マルの知り合いから鍵を借りて転移門を使ったのだ。


「前に見た鍵は、本当に鍵の形してたけど……」

「決まった形はない。要は、力の器だからな」

「へぇ……」


 転移門の鍵に、魔導師たちは拘りの形を持っていないらしい。


「そういえば、借りた鍵は返したの?」

「ん、ああ。風詠に逢ったときに」

「風詠さま? あ、あのシゼって人、風詠さまの旦那さまなんだっけ」


 借りた鍵を返しに行く暇がマルにはあったように見えなかったが、それは間違っていなかったらしく、人づてに頼んでちゃんと返していたようだ。


「もう壊すなよ」

「そう言われても……」

「壊すな」

「……。難しいことを言う」

「なにも難しくない」


 転移門の鍵は、そうそう簡単に作れるものではないらしい。壊すな、と念押しされたマルは、しかしそんな転移門の鍵をしょっちゅう壊すのだという。リヒトを王都に連れてくるときに壊れていたのも、それが初めてのことではなかったようだ。

 念には念を押してカヤは「壊すな」と幾度も繰り返すと、用事は本当にそれだけだったらしく、マルの腕にそれが装着されたことを確認したあとはさっさと王城のほうへと帰っていった。


「……。もう壊したら駄目だよ」

「きみまでそんな難しいことを……」

「この前はどうやって壊したの」

「……。ぶつけた」


 マルは、基本的に所作が優しく丁寧だが、どこか大雑把なところがある。自分のことに関して適当なのだ。

 壊すな、とカヤが念押しするのも頷ける。そしてそれが無理であろうことも、頷けてしまう。

 カヤが、リヒトにそれを預けることなくマルに直接渡したのは、無理であろうとわかっていても念押ししなければならなかったからだろう。


「気をつけようね」

「これでも気をつけている」


 壊さないようにする、と言うと、マルはふと視線をリヒトに真っ直ぐ向けてきた。


「きみの分も、堅氷に頼んでいる」

「あたしの分?」

「そのうち届く。あれば便利だろう」


 嬉しいことにリヒトも転移門の鍵を持てるようだが、少し心配だ。


「あたしに使えるかな……」

「使えるようになってもらわないと困る」

「う」

「心配ない。鍵は、魔導師でなくても使えるものにはなっている」

「そうなの?」

「あれば便利だからな」


 転移門が置かれているところならどこにでも移動が可能になるので、転移門という呪具が創作されてからは、魔導師全員が鍵を持つようになったという。あれば便利、とマルが言ったように、どの魔導師もそう思ったことらしい。だから、魔導師の家族も、転移門の鍵を持っていることがあるそうだ。


「なんだか、家族の証、みたいだね」

「……そうだな」


 ふっと笑ったマルに、どうしてそこで笑むのかわからなかったが、その理由を後日、リヒトは知ることになる。

 けっきょくその日は、マル自身に黒衣の意味を問うことは、なかった。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ