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それはどこかで願われた。  作者: 津森太壱。
【それをわたしは、願ったから。】
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22 : 善と悪の意。3





 発動最中の錬成陣は、たとえ地面に描いてあったとしても、消すことはできない。だが、稀に描き変えることはできた。錬成陣の発動条件に干渉し、そこから強制的に描かれた紋様を描き変えていくのである。しかしこれは荒技のようなもので、錬成陣を描いた本人にしかできないことだった。


 リヒトはなにかを思う暇もなくマルの腕の中に収まって、淡々と錬成陣を描き変えていくその姿を涙目で見つめた。


「ま、マル……血が」

「いいから。きみはそこにいなさい」


 ぽすりと、後頭部を押されてマルの胸に顔を埋める。表情は見えなくなったが、いつもゆっくりな鼓動が速い音は聞こえた。マルの腕は温かくて、優しくて、我慢しきれず涙が頬を伝い、マルの胸を濡らしていく。


「ごめんなさ…っ…ごめんなさい」

「ん」


 ぽんぽん、と頭を撫でられる。そうされると不思議なことに、荒れ狂うようだった胸の熱が引いていった。


 どれくらいそうしていたのか、気づくと錬成陣は鎮まり、ふわりと風が舞ってなにごともなかったかのような状態に、錬成陣を発動させる前の静かな状態に戻っていた。

 リヒトはそろそろと顔を上げ、マルを窺う。

 未だ錬成陣を警戒していたマルは、ほっと息をついてからリヒトの視線に気づいた。


「ん?」


 どうした、という顔が、あまりにもいつもと変わらなくて。


「ご……ごめんなさいぃ」


 また涙が溢れて、マルの胸に逆戻りした。しがみついてわんわんと泣き、怖かったと、ごめんなさいと、痛かったし苦しかったと、感じたあらゆることを言葉にしてマルにぶつけた。


 泣くだけ泣いて、嗚咽も収まってハッとわれに返り、慌ててマルの顔に両手を伸ばした。


「怪我……っ」

「……漸く落ち着いたか」


 マルは頬や首に、線のような怪我をしていて、それはほかの場所にもあって、魔導師の外套はボロボロだった。幸いにも血は止まっていて、簡単な治療ですぐに治りそうな傷だが、その数は多い。午前中の作業で傷ついた手の包帯も、すっかり解けてしまっている。


「これ、あたし、が……っ」

「いや、陣を描き変えた反動だ。外套のおかげでこれといった傷はない」

「ごめ、なさ……っ」

「それは聞いた」


 もうだいじょうぶだな、とマルが離れていく。離れがたくて、無意識に外套の袖を掴んでしまった。ハッとして離そうとしたら、なにを思ったのか外套をばさりと広げたマルに、その中に入れられた、


「マル……」


 マルの外套の中で、ぴったりとマルの側面にくっつく状態になったリヒトは、とくに表情も変えないマルを見上げる。そのときにはすでにマルの視線は別のところにあった。


「よくもやってくれたな、アノイ」


 と、マルが言うから、リヒトはそれを思い出しておそるおそる、目を向ける。

 吃驚した。思わずマルに強くしがみついた。


「誰かと思ったら水萍のおじ上でしたかぁ」


 アノイが口を開くより先に、金髪王子アリヤが意外そうな顔をこちらに向けていた。その隣にはもちろん王子づきである瞬花の魔導師イチカもいて、さらには堅氷の魔導師カヤまでいる。また、魔導師団長ロルガルーン、名前は知らないが見かけたことはある魔導師など、揃いもそろってアノイの後ろに控えていた。

 マルの外套の中に入れてもらってよかったと、つくづく思った。


「力の暴走は、一度、経験したほうがいい」


 アノイがそう、口を開いた。


「自然発生させず、強制的に暴走状態にして、わざわざ?」

「知るべきだ。善と悪を」

「これはあまりにも強引だろう」

「リヒトは始まりが遅い。頃合いは今がいい」


 アノイが、ふん、と表情も変えずに言うものだから、マルが呆れた。

 つまり、とリヒトは考える。あれが力の暴走状態であるらしい。しかもそれは、アノイが故意に促した暴走で、善と悪を知るためのことだったようだ。まあ言うなれば、アノイのせいでああなった、というわけである。


「あ、あたし……」

「きみに責任はない。アノイが故意にやった。だが、憶えておきなさい。あれが、力の暴走だ」

「……そ、なんだ」


 以前、言われたことがある。暴走してくれるな、と。わたしが死ぬ、とマルは言っていた。

 さっと青褪める。

 たとえアノイが故意に促した暴走とはいえ、リヒトは、マルの命を危険に曝した。あの言葉が嘘であったならそれでいいのだが、マルの力を知っている以上、嘘とは思えない。それに、ひどくはないが今のマルは怪我だらけだ。午前の間に貧血になるほど力を消耗したあとにこれというのは、もっとも状況が悪い。


「マル、ごめんなさい……あたし、言われてたのに」

「責任はアノイにある。きみが気に病む必要は……そうだな、あの感覚は憶えてもらいたい。今回はアノイが故意にやったとはいえ、いずれは知ることになる感覚だ」

「う、うん……怖かった」

「それを知り、経験したのなら、無駄ではない」


 それでいいのだと、マルは言ってくれた。肩に置かれていたマルの手のひらが、またもぽんぽんと頭を撫で、自身に引き寄せてくれる。無事でよかった、と囁かれ、距離の近さと声と温度に、気恥かしくなって顔が火照る。こんなときでも、リヒトの恋心は疼くものらしい。


「これでわかったと思うが……」


 アノイが再び、今度はリヒトに向けて口を開く。


「リヒト、他の魔導師が使う錬成陣には、無闇に干渉してはならない」

「……うん」

「錬成陣に限らず、他の魔導師に干渉することも、控えなければならない」

「わかった」

「魔導師の力を、強く感じたことだろう。この力は絶対に、なにがあろうとも、人に向けてはならない。たとえ己れがいかに卑下されようと、侮辱されようと、屈辱を味わおうとも、この力はただ万緑にのみ使うことを許されている」


 アノイのまっすぐな双眸を、リヒトも見つめ返した。

 知るべきだ、と言われた意味が漸く理解できた。


「この力は、神さまのために、あるんだね」


 リヒトが、マルのそばでその居場所を見つけられたのも、忌避され続けた力が認められるようになったのも、それは言うなれば神の采配だろう。


「わたしたちの神は、万緑だ」


 魔導師は万緑に、緑の自然に囚われる。只人にはない力を得たがゆえに、まるで別の種であるかのように、魔導師は万緑の法則に従いながら人々と生きていく。


 ふと、ではこの恋情はなんだろう、と思った。

 この、ひどくいとしい想いは、いったいどうして抱かれるのだろう。


「……マル」


 リヒトが恋い焦がれる人もまた、リヒトと同じ魔導師、万緑の法則に従いながら人々と生きる。

 マルにもこんな気持ちがあるのだろうか。たとえばアノイがレムニスに焦がれるように、堅氷の魔導師が女王に焦がれるように、魔導師の中にも人との繋がりを欲するなにかがあるのだとしたら、それはきっとマルの中にもある。


 善を知った。

 悪を知った。

 魔導師の力を知った。

 魔導師が囚われるものを知った。


 リヒトが焦がれる人は、いったいどんな心を持っているのだろう。







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