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それはどこかで願われた。  作者: 津森太壱。
【それはどこかで願われた。】
18/32

16 : 幾度も言ったのに。3

*シリーズ中の物語のネタばれがあります。

 ごめんなさい。





 集まった者たちが、マルが次に発する言葉を待って、静寂を保つ。いっそ騒いでくれていたほうが気持ちは楽だ。居心地の悪さに、ますます言葉が思い浮かばない。


「ヒューの力は……」


 困っていたら、やはりカヤが口を出してくれた。


「その、ヒュー、って? マルのこと……ですよね? 前から気にはなってたんだけど。堅氷さまだけ、マルをヒューって呼ぶから」

「ヒュエス・ホロクロアだからだ」

「マルが?」

「マナトア・ルーク=ヒュエス・ホロクロアだと、聞いているだろう」


 このところよく聞かされる己れの名に、どうでもいいが長いなと思う。


「ルーク家のマナトア、ホロクロア家のヒュエス。ヒューには名が二つある。面倒だからと省略して、ヒューはマル・ホロクロアと名乗っているが」

「マナトアって、呼ばれてたことあった……けど」

「血筋から言えば、マナトアと呼ばれるべきだ。ルーク家の生まれだからな」

「生まれ……じゃあ、ホロクロアは?」


 止めたい、と思った。

 無駄に長い名前は、その説明にも長い時間がかかる。ちょっと待て、そんなことはどうでもいいだろう、と言いたいが、リヒトは名前に拘っていたようなところがあったので、止めるに止められない。自分で説明する手間を考えれば、ここでカヤに話してもらったほうが楽だろう。


「ホロクロアは……父方の姓だ」

「ルークのほうが、母方ってこと? お母さんのほうで、マルは呼ばれるの?」

「ヒューの母親は、産まれてすぐルーク家に引き取られて養女となった王族だが、そもそもルーク家は王族が降嫁した公爵家だ。血統でいえば、王族としての血が濃い。だから血筋で母親のほうが優先される」

「……。王族?」

「ああ」

「……マル、王族?」

「その血が濃い」


 面倒な家系図の下に自分がいることを、マルはよく知っている。だから名前などどうでもいいと思うのだ。説明が面倒になる名前であればなおさら、適当になるのも仕方ないと思って欲しい。


「ま、マル……え、えら、偉いひと」

「違う。王族の血が混じっている、というだけだ。そもそもわたしはルーク家の跡取りではない。だからマル・ホロクロアと名乗っている」


 王族の血が混じっているせいで、その姓と名を与えられているだけだ。

 そうリヒトに言ったが、恐々とした表情は消えない。血筋のほうで恐怖を覚えてもらいたかったわけではないので、不本意だ。


「ヒュー、って……堅氷さまが呼ぶ、のは?」


 そこにもまだなにかあるのか、と恐れているリヒトに、違う意味で、マルもカヤも少し黙る。しかし、ここは自分で話すべきかと、マルは諦めて口を開いた。


「ヒュエス・ホロクロア。それが本来、わたしが名乗るべき名だろう」

「名乗る、べき?」

「マナトア・ルークは、いわば王族に連なる者の名だ。わたしが魔導師にならなければ、その名で呼ばれることを是としていただろう」

「……魔導師になったから、ヒューってほうなの?」

「魔導師であるなら、そう、名乗るべきだ」

「でも……マルって」

「ヒュエス、という名は……父につけられた名だ。わたしはあまり、それを使いたくない」


 自嘲にも似た笑みが、無意識にこぼれる。


「どういう、こと?」

「あのひとと同じ、魔導師になった」

「え……お父さんも魔導師なの?」

「ああ。わたしが産まれてすぐ、ガディアンの名を継いでいる」

「ガディアン……って、堅氷さまの」


 リヒトが、ちらりとカヤを見上げた。カヤは淡々とした表情で、マルを見ている。


「大魔導師イーヴェ・ガディアン」

「その名前知ってる。本で読ん……え、まさか」

「わたしの父だ」


 その瞬間だけ、辺りがざわめいた。


 当然だ。

 マルが、今は亡き大魔導師の息子だというのは、知られているようで知られていない。自分という確固たるものがわかる前、つまり物心がつくあたり、おそらく三歳か四歳くらいのときだと思ったが、マルは魔導師に育てられるべくアノイに引き取られている。幼くして両親と離れたマルにとって、実の両親よりもアノイのほうが親だ。それは自分だけでなく、周りにもそう見えるようになっていった。大魔導師イーヴェ・ガディアンの遺児は、その弟子であったカヤだけという認識が一般的になったのだ。それはカヤが、ガディアンの名を継いだからこそ、強まった認識でもある。


「姓が……違うよ」

「ガディアンは、国の守護者をいう。血縁や師弟に関係なく、相応しいとされる魔導師がガディアンの名を継ぐ。カヤの場合は、父が初めからその力を見て判断し、継がせるべく弟子にした」

「じゃあ……」

「イーヴェ・ホロクロア。それが、ガディアンの名を継ぐ前までの、あのひとの名だ」


 もっともマルにとって、イーヴェは父親というよりも、大魔導師としての印象が強く、親だと言われてもそんな気がしない。

 カヤが殊マルを気にかけ、気遣い、なにくれとなくそばに寄ってくるのは、マルが師の息子だからで、またマルがアノイを親と思うようにカヤはイーヴェを親のように思っているからだ。カヤにとってマルは、つまり兄みたいなものなのである。


「カヤがわたしをヒューと、ヒュエスと呼ぶのは、父がその名をわたしに与えたからだ。わたしとしては、やめて欲しいところだがな」

「……ヒューって、呼ばれたくないの?」

「わたしはあのひとのような魔導師にはなれないし、力も弱い。そもそも……そのせいでわたしは、あのひとを救えなかった」

「あ……」

「あのひとから与えられた名で呼ばれる資格など、わたしにはない」


 前に話しているからリヒトもわかるだろう。

 マルは罪人だ。だから罪を裁く魔導師だ。幸か不幸か、そんな仕事に向いている力を持っている。


「あなたはまだ、あのときのことを引き摺っているのか」

「ひとのことが言えるのか、カヤ」

「……やはりおれが、イーヴェを殺すべきだった」


 物騒なことを口にしてくれるカヤに、マルは苦笑する。


「きみにあのひとは殺せない。わたしにとってあのひとは親ではなかったが、きみにとっては、唯一の親だったんだ。むしろ、きみが手をかけるようなことがなくて、わたしはホッとしている」


 大魔導師イーヴェは、誰に知られることもなく呪術師に堕ちていた。唯一知っていたのは、カヤと、そしてマルだ。だからカヤは責任を感じるのだろう。マルが昇華できずにいる心が、カヤをそうさせている。だが、違うのだ。カヤが気に病む必要はない。


「あなたに罪を感じさせている。そんなことはないのに」

「罪だよ、カヤ。わたしはあのひとを救えなかった。あんなに……あんなに無力さを感じたことは、なかった」

「ヒュー……」

「どうしてわたしは、こんな中途半端な力を、譲られたんだろうな」


 指先に付着した、凝固した血の塊を見つめる。意識すれば、凝固していたはずの血は指先から落ち、また新たな血が一滴ずつ動き出す。


「ま、マル……っ」


 またなにをする気だと、リヒトが怯えた声を出す。それは力に対する怯えではなかった。視界が霞んで、身体だってひどく冷たくなって、もはや寒いという感覚も薄くなっているマルの、そのあまりにも投げやりな身体の扱いを、リヒトは心配している。


 もう一つ、カヤがマルを気遣う理由が、この力だった。


「王族の血と、大魔導師の血は、混じると不思議な作用が働くらしい」


 リヒトが国と国の混血であるように。

 マルはこの国の、王族と魔導師の混血だ。

 マルのような混血は今、この国に、マルを除いて四人いる。カヤの子どもたちだ。その中で魔導師の力を発現させているのは、長子のアリヤ王子のみ。だが王子は、魔導師の力がある代わりに、王族が持つ特有の異能がひどく弱い。それは、マルとは真逆の現象だった。


「ヒューのそれは、王族の異能だ」


 だから魔導師としての力は弱い。むしろ、魔導師の力はないのかもしれない。

 魔導師の力は王族の異能から派生したと言われている、万緑に力を借りる力だ。力の境界線は曖昧で、はっきりとしているのは、魔導師が万緑に囚われるという特徴くらいだろう。王族が国土を護るための犠牲、或いは基盤、それが魔導師だという説もある。

 ゆえに、マルのこれが、魔導師の力とは限らない。いや、これを知っているものは、マルのこれは王族の異能だと言う。恵みの雨をもたらたす、水の化身だとも言う。

 だがマルは、わからない、と済ませ、力が弱いと嘯いていた。ただ、王族の異能なのだろうなという気は、していた。なにせ、封じられていなければ、そこかしことかまわず雨を降らせるような力だ。自分で制御できたらいいのだが、せいぜい雨の量を安定させることしかできない。だから弱いとも、マルは口にしていた。


「中途半端な力だ。魔導師の力でもなければ、王族の異能とも違う。自分の血までこうして操れると知った日には、とんだバケモノだと思った」


 封じる、と言っても、催眠のようなものでこの力は封じられているので、解除の言葉を発すれば力は勝手に動き出す。だがそのまま力を放出させていると国土に水害をもたらすので、血を流すことで自分を限界に追い詰め、封印状態に持ちこむのだ。

 これまで幾度血を流したことか、もはや憶えていない。

 血を操れると知った日から、流すことで力を調整するようになった。それしか方法がなかったから、生きていくためには必要なことだった。いつもそばに在った水が離れていってしまう寂しさはあったけれども、仕方のないことだった。


「マルが、師に向かないって、言うのは……」

「王族の血が濃く、それゆえか王族の異能らしいものを持ち、かつ魔導師の力らしいものを持っている。どちらともつかない力を持つわたしは、厳密に言えば魔導師ではない。だから水萍、浮草の魔導師、そんなわたしが魔導師を育てることはできない」


 リヒトが、ひどく、傷ついた顔をした。マルの出自や、その力のことを知っても、師にはなれないという言葉のほうが、リヒトには痛い言葉だったらしい。

 変な娘だ、と思った。ふつうならこんな、わけのわからない力を持つ人間を、好意的に受け入れられるわけもない。

 いや、違うのか。

 バケモノと、リヒトも言われたことがあるだろう。混血ゆえに、迫害された過去がある。とすれば、リヒトはマルに己れの過去を重ねたとも限らない。苦しみを、悲しみを、寂しさを、マルの話で身に染みて感じていたかもしれない。

 そんなことを、ちらりと思ったせいだろうか。


「それでも、きみはわたしの弟子と、なるか」


 滑らせるように、問うてしまった。

 師には向かない、無理だと、幾度も言ったのに。

 それを覆すようなことを、するりと、滑らせてしまった。


 もし例えば、リヒトが力を暴走させるようなことがあったとき、マルはリヒトの抑え込むことができず、異能で殺してしまうかもしれないのに。


「あたし……っ」


 目許に溜まっていた涙が、ぽとりと落ちた。


「マルの弟子になる」


 いつか異能でリヒトを殺してしまうかもしれない。その恐怖はずっとつきまとっていた。


 けれども。


「……そうか」


 なぜだろう、そばに在ることを選んだリヒトに、マルは安堵していた。







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