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それはどこかで願われた。  作者: 津森太壱。
【それはどこかで願われた。】
17/32

15 : 幾度も言ったのに。2

*流血描写があります。ご注意ください。





 リヒトが青褪め、見えない壁を叩いている。アノイはリヒトの手のひらが傷つかないよう、やんわりと壁を叩く手を抑えたが、それでもリヒトは叫ぶ。


「やめさせてよ! なんでこんなことになってるんだ!」


 アノイは黙する。アノイだけでなくレムニスや集まった魔導師たちも、黙して見つめている。その表情はさまざまだ。アノイのように静観を決め込んでいる者もいれば、リヒトのように青褪めながら驚いている者もいる。両者には決定的に違う部分があった。


「誰もあなたが最弱だなどとは思っていない。理由は、見たことがないからだ」


 見てもいないのにそんなことは言えない、とカヤが体勢を整えつつ言う。

 マルはただ静かに、そんなカヤやアノイたちを見ていた。


「見ても見なくても、変わらないことだ」


 マルの力を真に知っている者は、アノイのように静観している。知らない者は、リヒトのように青褪めて驚いている。

 だが、だからなんだというのか。

 この力を見て、なにか変わるというのだろうか。

 この力を見ていなかったからとて、なにも変わることはない。

 そこにあるのは事実だけだ。

 だからこそ願う。

 離れてくれ、と。

 わたしの近くに、いないでくれと。

 わたしに人のぬくもりを感じさせないでくれ、と。


「ヒュー、もういい。あなたの力は知れ渡った」

「わたしは言った。どうなろうが知らない」

「ヒュー」

「力を見せろと師が言った。こうなることはわかっていただろう」

「ヒュー!」

「わたしは力が弱い」


 ひんやりとした冷たい感覚は、もう慣れた。指先から凍りつくような、身体の奥から冷えていくような、そんな感覚はもはや幼い頃から慣れ親しんだものだ。嫌悪感などない。

 マルにとってそれは当たり前のことで、誰もがこの感覚を知っているのだと思っていた。

 違う、と知ったのはいつのことだっただろう。

 指先から滴る赤いものを見つめながら、考えることもなく本能的に、赤いものを小さな球状にする。それをいくつも作り、やはりなにも考えることなく前方のカヤに投げつけた。それはあっさりとカヤに防がれる攻撃のようなものだったが、赤いものは辺り一面をその色に染め上げていた。


「ヒュー、ここまでしろとは誰も言ってない」

「力を見せろとは、こうなることだ。だが、そうだな……そろそろ疲れてきた。終わりにするか」

「そうしてくれ」


 最後にたくさんの赤い球状を作り、それを空に放る。ふっと意識を反らせば、赤い雨になって降り注いだ。


「やめて、マルぅ!」


 赤い雨にリヒトが叫んだ。マルの相手をしていたカヤもさすがに青褪めた。静観していたアノイも顔色を変えた。ただただ驚いていた者たちも、慌て始めた。

 不気味だっただろうかと、マルは暢気に考える。

 赤い雨は血の雨でもある。さすがに気持ちが悪いかと思ったところで、ばったりと後ろに倒れた。そのまま疲れた身体から力を抜き、瞼を閉じる。


「マル、マル、マル!」


 よく通る声に耳を傾けると、身体を揺さぶられた。億劫だったが目を開ける。


「なんだ」

「なんだじゃない! なにしてんの、マル!」

「なに……力の封印を解除していただけだ」

「い、いっぱい血、流してる!」

「当たり前だ。わたしは水萍の魔導師だぞ」

「水萍の意味は浮草だって聞いた!」

「水面に浮く草、転じてその意味にはなるが、水の意がないわけではない」

「だからって、なんで…っ…なんで血が流れるの」


 ぽたぽたと、透明な雫が降ってくる。それがリヒトの涙だというのは、朧になり始めた視界でも見えた。


「……わたしがきみの師には向かない理由がわかっただろう」

「わか、わかんないぃ……っ」


 せっかく見せたのに、と深々とため息をついた。くらりと眩暈がして、さすがに血を流し過ぎたかと思う。


「相変わらず、おまえは、極端だな」


 アノイが顔を覗かせ、呆れた眼差しを寄越してくる。アノイの隣にはレムニスもいたが、こちらは苦笑していた。


「見せろと言ったのは、あなただ」

「リヒトは知る必要があった。そして今一度、おまえの力を皆が知る必要もあった」

「べつに、隠しているわけではないぞ」


 そんな無意味なことはしない、と言えば、新たな顔が一つ増え、眉間に皺を寄せていた。


「あんた、とんでもねぇ魔導師だったんだな」


 そう言った雷雲の魔導師ロザヴィンに、マルも同じように眉間に皺を寄せた。


「ひとのことを言えるのか」

「まあおれも自分の身体に帯電させることはよくやるが」

「そちらのほうがよほど毒だ」

「あんたも相当だよ。自分の血を、ああまで操作すんだから」


 どっちもどっちだ、という声は、カヤから発せられた。アノイとレムニスが場所を譲り、顔を覗かせてくる。

 見世物ではないと言ったはずなのに、見ていた者たちは未だ解散していないようだ。


「やり過ぎだ、ヒュー」

「どうなろうが知らないと言ったはずだ」

「なにも限界まで使わなくてもいいだろう」

「面倒なことをするより簡単な説明だ」

「またしばらく任務から離れることになるぞ」

「使いものにならないほうがいいだろう」


 中途半端なことをするより確実だ、と言うと、カヤはため息をついた。

 呆れられてばかりのような気がするが、いったい誰のせいでこうなったと思っているのか、その矛先を間違えて欲しくない。アノイが力を見せろと命令しなければ、こうはならなかったのだ。


「ま、マル、手当て、手当てしないと」

「必要ない」

「でも血が……っ」

「自分で出したんだ。怪我はしていない」

「え……怪我、してないの……?」


 差し出されたカヤの手を借りて身体を起こし、それでも地べたに座り込んだまま、動転しているリヒトに指先を見せる。


「怪我らしい怪我は、これくらいだ」


 人差し指の腹には、なにか鋭いもので引っ掻いたような小さな裂傷がある。血は止まっていて、凝固も始まっていた。


「……なにが、起こったの」


 やはり説明は必要だよなと思いながら、どこから話せばいいのかわからなくて少し黙った。

 マルからの説明はリヒトだけでなく集まっていた者たちも聞きたいようで、さっさと解散すればいいのになぜかマルの周りに寄ってくる。

 居心地の悪さに、この状況を作ったアノイとカヤを睨んだ。ふたりとも白々しい顔をしてくれる。


「ねえマル、なにが起こったの? なにをしたの? 堅氷さまが突風を起こして、それから……マルはいきなり血を流した。見る見るうちに血だらけになって……怪我をするようなことがあったんじゃないの? 本当に怪我してないの?」


 矢継ぎ早に寄越されるリヒトからの問いに、なんのために力を見せたのかわからなくなった。

 マルが望んでいた結末は、リヒトから心配されることではない。むしろ、リヒトに心配されたことに驚いてしまう。

 マルのこの力は、驚くようなものではあるだろうが、心配されるようなものではなかった。


「……きみが、不気味に思って、わたしから離れてくれることを望んでいた」

「え……?」

「恐怖を感じてくれたらいいと、思っていた」

「……そんなの、マルが血だらけになったんだから、怖いに決まってるでしょ! し、死ぬかもって、思っ……!」

「その恐怖ではない。こうまで己れの血を操るわたしの力に、恐怖を感じればいいと思った」


 ぼろぼろ静かに涙をこぼすリヒトの、その涙がなんだか綺麗で、汚れていないほうの指先で涙を拭う。

 人の涙は温かい。

 ふとそう感じたら、指先に乗せた涙の雫がふわっと浮き、つられるように寄ってきた一滴のマルの血と混ざった。


「ヒュー……っ」


 カヤがなにをする気だと少々焦り気味の声を上げたが、だいじょうぶだと首を左右に振る。

 赤くもない、だが透明でもない、涙と血が混じった雫を指に転がし、あっさりと地面に放り投げた。


「……なに、今の」

「水はわたしにとって、誰よりもなによりも近しい、遊び相手だ」

「遊び相手?」

「なんの力も必要としない。ただ水は、どんなときでもそばに在ってくれた。常に、わたしの味方だった」


 本当に、いったいどこから語れば、この場にいる者たちは気が済むのだろう。珍しい力を前にして好奇心を煽られるのはわかるが、この力の説明はつまり、マルの半生を語るのと同じだ。ひとの人生、それも三十年ちょっとのことを語らせようなど、悪趣味としか思えない。

 それでも。

 必要なのだろうというのは、そっと静かに見守っているアノイやレムニスを見れば、わからなくもない。

 いつまでも抱えている、昇華させられない心を、もう自由にしてやれということなのだろう。


 はあ、と息をつく。


 血を流し過ぎて頭がくらくらする。







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