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それはどこかで願われた。  作者: 津森太壱。
【それはどこかで願われた。】
13/32

11 : いつまでも耳に残って。






 神殿の鐘が鳴っている。それは時刻を知らせるものではなくて、誰かを祝福し、そして追悼する響きだった。

 今日も誰かが、喜びと悲しみの涙を流している。


「人の世は儚い……とは、よく言ったものだ」


 鐘の音一つで人の一生が語られるわけではないけれども、そのときどきの感情は密やかに語られる。

 響き一つでこうまで感情を語る鐘の音は好きだった。


「人の儚さなど、わたしの知ったところではない」


 ただ呟いただけだったのに、それは聞こえてしまっていたのか、マルに背を向けて椅子に座る魔導師が、冷ややかな瞳をちらりと寄越した。

 マルはふっと苦笑する。

 ここにも涙を流している者がいた。


「悲しいな……陽春(ようしゅん)の魔導師」

「……おまえに言われたくない」


 椅子に座っていた魔導師、陽春の魔導師と渾名されているアシュリー・パドヴァンは、マルに一瞥をくれると正面を向き直り、椅子から立ち上がった。そのまま横へ歩を進め、マルの正面に位置する部屋の中央で立ち止まると、マルのほうへと身体を向けた。


「終わりに死神が訪れるとは噂で聞いていたが、まさか本当に現われるとはね」


 陽春、と渾名されるゆえか、アシュリーの表情は、ひどく冷めている。酷薄さが感じられるのは、もはや魔導師とは言えなくなってしまったからだろう。それでも官服を身につけ、陽春の魔導師と呼ばれることに異を唱えない。皮肉でしかない渾名なのに、自身に起きた異変もわかっているだろうに、それは覚悟ゆえのものだろうか。


「死神とはまた、風流なことだ……雷雲が来ると思っていたか」

「有名だからね、雷雲は。この鎖が発動したときに、あの口の悪い魔導師がわたしを裁きに来るとは思っていた。だが……やって来たのは本当に死神だった。おまえが死神でよかったよ」


 耳に不快な金属音が、アシュリーが腕を動かすと共鳴する。鐘の音とちがうそれが、マルはわりと嫌いだった。

 あちら側へ渡ってしまった魔導師、呪術師と対峙するのは、これで幾度めのことだろう。


「わたしは死神などではない。ただの、魔導師だ」

「ただの、とは謙虚だね。わたしは知っているよ」

「……なにを?」

「弱い弱いと己れを称する水萍の魔導師が、実はとんでもないバケモノであることを」


 冷やりとした空気が、手や顔などの露出している肌にちくちくと刺さる。これが絶対的な死を予感させるものでないことが幸いだ。


「おまえは力を封じられているそうだね、水萍の魔導師マル・ホロクロア……いや、ヒュエス・ガディアンか」

「……だから、なんだ?」

「封じられた力を解放し、わたしを殺すのだろう?」


 にこりと、アシュリーは微笑む。それは待ち望んでいる、漸く得られる希望に喜んでいる、美しい笑みだった。

 はあ、と息をつく。

 身体が重いのは、心が重くなっているからだ。

 なにもかもが煩わしいと思うのは、目の前の現実を否定したいからだ。

 叫びたくなるのは、自分では堕ちた魔導師を救えないからだ。

 泣いて許しを得たい。

 どうしてこんなにも、わたしは無力なのだろう。


「水萍。わたしを殺す前に、一つ、頼みを聞いてくれないか」

「……聞こう」

「娘を頼む」


 アシュリーは一際優しげに、笑みを浮かべた。そんな優しさがあるのに、なぜ、こんな事態を招き寄せたのだろう。その心にいとしさがありながら、なぜ、絶望に身を委ねたのだろう。


「わたしは(ルシアン)のもとへ逝く」


 ああ、だからか。

 いとしさゆえに、耐えられなくなったのか。


「陛下に伝えてくれ。魔導師とはなぜ、こんなにも悲しいのだろうなと。だがそれでも、わたしは幸せだと」

「……詫びる気持ちはないのか」

「堅氷が臆病である理由を知ったはずだよ。そして堅氷はなにを恐ろしく思うか、痛感したことだろう」


 アシュリーの言葉に、ハッとする。


「陽春、まさか……」


 言葉を紡ごうとしたマルを、アシュリーは緩く首を振って遮った。


「この悲しみと苦しみは、魔導師だけに留めておくには、少し、つら過ぎるだろう?」


 ただ罪を犯したわけではないのだと、今さら知ったところで。


「陽春……っ」


 アシュリーは今日まで、誰にもなにも語らなかった。罪を犯したと責められようが罵倒されようが、謗られようがなにをされようとも、頑なまでに口を閉ざしなにかを語ることはなかった。

 それがまさか、このためだったとは誰も思うまい。

 ただ罪を犯したのではなく、その意図が、その意志が、秘められた根底にあったなど、マルですら気づかなかった。


「わたしはつらい。わたしのように、この気持ちを抱える同胞たちがいるのかと思うと……どうか理解して欲しいと思ってしまうよ」

「……っ、なぜ、今になって、わたしに言うんだ」

「おまえだから」


 じゃら、という金属音が、忌々しくも耳に入る。


「おまえなら、理解してくれるだろう?」


 同じだ、と思った。アシュリーもまた、マルが過去に救えなかった人と、同じことを言わんとしている。


「知っているのか。わたしが……」

「皆知っているとも。だからわたしは、こんな姿になっても、幸せなままでいられる」


 がちゃん、といっそう強く金属音が鳴り響く。痛々しい姿を曝しながら、それでもアシュリーは笑っていた。陽春と渾名されるには、今ばかりは皮肉など一切含まれない、鮮やかなものだ。


「妻が逝くまで時間を与えてくれたことに感謝する」


 ゆっくりと目を伏せたアシュリーが、姿勢を正し、無防備にも姿を曝す。いや、戒めの鎖が発動した時点で魔導師は力を揮えなくなるのだから、いつだってアシュリーは無防備な状態だった。誰かが逸って刃を向けていれば、アシュリーは今ここにいなかっただろう。

 時間を与えてくれとマルが進言し、常にその周りを警護し、監視していたからアシュリーは今日、マルの手で終わりを迎える。

 できない、なんて言えなかった。

 できない、なんて許されなかった。

 アシュリーは最愛の伴侶と永遠に在るために、そして自分と同じ可能性を秘めた魔導師のために、大罪を犯す選択をした。

 その心を汲むことができるのは、マルだけだった。


「……陽春の魔導師アシュリー・パドヴァン」

「ここに」


 悔しかった。


「水萍の魔導師マル・ホロクロアが、師団長ロルガルーン・ゼク・レクトに代わり、あなたを刑に処す」

「御意」


 強く拳を握った。

 こんなにも後味が悪く、心が重くなったことなど、今までになかった。


「今逝こう……ルシアン」


 アシュリーの最期の言葉が、いつまでも耳に残って。

 泣きたくて、泣き叫びたくて、けれども声すら出せなかった。







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