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それはどこかで願われた。  作者: 津森太壱。
【それはどこかで願われた。】
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08 : どうしようもない深み。4





「あ、おかえり!」


 一仕事終え、夜の闇が王城内の証明さえも呑み込もうとしていた時間、漸く眠れると思って魔導師団棟の居室に帰ってくると、リヒトがいた。


「……まだ起きていたのか」

「勉強しろって言ったのはマルだよ」


 リヒトは、マルがそれほど座ることのない机の椅子に腰かけ、机の上に数冊の研究書を広げていた。読み書きに問題はなさそうだったが、やはり辞書は必要だったようで、マルが幼い頃に使っていた辞書も研究書と一緒に置いてある。


「歩き回っていいと言っただろう」

「弟子の世話を人任せにするのはどうかと……」

「わたしがきみに教えてやれることは少ない。だからこそ、この棟にいる間はそれを有効に利用しろと言っている」

「マルが教えてくれたことだけでいいよ、あたしは」

「それでは知識が偏る」

「いいよ。あたし、あんまり賢くないもん」


 とにかくマルに師を求めてくれるリヒトに、どうしたものかと辟易する。マルのほうでリヒトに相応しい魔導師を見つけて宛がったところで、一日も待たず戻ってきそうで怖い。

 こうなるのは魔導師の力を持つ者を見つけたゆえの責任か、とマルは項垂れた。


「……疲れてるね?」

「任務続きで休暇もないからな……きみも、今日はもう休みなさい。夜も更けている」

「動いてないからあんまり疲れてないの。それより……お腹すいた」

「……またか」

「夕食、どうしたらいいかわかんなくて。ねえ、マルは食べた?」

「いや、わたしは……」


 そういえば夕食など忘れていた。なんだかんだで昼食にもありついていなかったので、空腹感がある。だが、それよりも眠気のほうがひどく、空腹感があっても食べる気にはなれなかった。


「マルもまだなら、あたし、用意するね」

「ああ、いや、わたしはいい」

「食事は基本だよ。それとも、あたしが料理できないとでも? 残念でした、できますよ。昨日はマルに作ってもらったから、今日はあたしの番です」

「料理当番があるのか……」

「それいいね! でも、料理くらいはあたしがやるよ。マルにはこれからお世話になるし、ほかにも掃除とかいろいろ、あたしがやる」


 身の回りの世話を買って出たリヒトは、今日も少し部屋を掃除したんだよ、と言う。部屋を見渡すと、そういえば埃っぽさが消えている。ざっくばらんに散らばっていた本も、題名ごとに振り分けられて整頓されていた。自分で片づける手間は省けたが、だからといってリヒトにやってもらおうとも思っていなかったので、困ったことになりそうだ。


「そんなことはしなくていい」

「え……駄目だった?」

「わたしの世話など、する必要はない」


 便利さに慣れたときが恐ろしい。

 はあ、と、もう幾度ついたかもわからないため息をつくと、とたんに怯えた様子のリヒトが目につく。


「どうした?」

「……ご、ごめん、なさい」

「? なにを謝る」

「か、勝手なこと、して……恩着せがましいこと、まで、言って……」


 瞬間的に、マルは「失敗した」ことを知る。

 リヒトは、混血であることから、人種差別を受けていた。それはいくらリヒトが楽観主義でも、ひどく心を傷つける行為だっただろう。人の目に怯えながら、リヒトは生きてきた。明朗な姿を見せても、それはときに空元気であったかもしれない。とくに今は、リヒトにとって未知の世界が広がっている。運命に素直であっても、そこには恐怖がもちろんあっただろう。

 慣れない場所にひとりで、どれだけ心細い思いをしたことか。


「……すまない」

「え……?」

「わたしは、人がそばにいることに慣れていない。まして世話など、されたこともない」


 幼い頃、マルだって慣れない環境には戸惑った。マルは幼かったからそうだったかもしれないが、だからといってリヒトに「戸惑うな」などとは言えない。

 配慮が足りなかったと、今さらながらマルは反省する。


「ま、マルって、誰かに世話になったこと、ない、の?」

「あるように見えるのか?」

「魔導師、だし……その、見ためはカッコいい、し」

「わたしはきみが思うような人間ではない」

「え……?」

「情けないことに、ね」


 居室に戻ってきたのにいつまでも魔導師の外套を羽織っていることに気づき、留め具を外すとばさりを脱ぐ。適当な場所に放り投げ、リヒトが空腹であると言っていたのを思い出し、備えつけの台所に足を向けた。リヒトは、マルが脱いだ外套を拾って綺麗に畳むと、それを抱えたままマルについてくる。


「マル……」

「保存がきく食糧は常に備蓄している。適当に作るから、待っていなさい」

「あたしが作る!」

「なら、手伝ってくれ」

「うん! この外套、どこに置いたらいい?」

「適当に置いておけ」

「皺になっちゃう……寝室のほうに置いとくよ?」

「ああ」


 弟子だと受け入れたくはないが、それにしてもリヒトを任されたのはマルだ。リヒトが空腹だというのに、飢えさせるわけにはいかない。


 師、という自覚は持ちたくないものの、連れてこられたリヒトの心情は汲んでやるべきだと、マルは反省の気持ちを込めて台所に立ち、なにが作れるかを思案する。

 朝にもらっておいた麺麭の残りと、やはり朝のうちに調達しておいた干し肉と僅かな野菜があった。作る、というほどの料理ではないが、切った麺麭を焼いて間に生野菜を挟むくらいのことはできそうだ。


「ん?」


 流し台の上に卵をいくつか見つけて、首を傾げた。朝にはなかったものだ。ちょうどよくリヒトが台所に入って来たので、これはなんだと訊く。


「そうだった! もらったの」

「もらった?」

「卵のほかに野菜も少しもらったよ。マルを探してたみたいだったから、お仕事に行きましたって答えておいたけど」


 そんな差し入れ、いや、いろいろと心優しい魔導師には、ひとりしか心当たりがない。


「雷雲か……」


 さっそく文句を言いに来ていたわけか、と思う。出くわさなくて幸いだが、この差し入れを見るに、言いたいであろう文句は十倍に増したに違いない。逢うのも恐ろしい。


「ああうん、雷雲の魔導師だって言ってた」

「……ほかになにか、言っていたか?」

「漸く弟子を取ったか、って。マル、もしかして弟子もったの、あたしが初めて?」

「当たり前だ」


 文句を言うついで、さっそくリヒトの様子を見に来ていたらしい。どこまでも心優しい雷雲の魔導師に、相変わらず器用なお人好しだと思う。


「あ、でも、卵と野菜をくれたのは、雷雲さんじゃなくてそのお弟子さんのほうか。いっぱいもらったからあげますよ、って」

「ああ、雷雲の弟子……瞬花の息子なら、差し入れをするのもわかる」

「しゅんか?」


 いつまでも話していてはリヒトの空腹感を強めるだけなので、マルはありがたく卵の差し入れをいただくことにして、手を動かしながら説明した。


「瞬花の魔導師イチカ。その息子が、雷雲の弟子だ」

「親子の魔導師がいるの?」

「稀に、いる。現存では瞬花のところ以外に、堅氷の魔導師カヤと、アリヤ王子殿下だけだ」

「王子さま……女王さまが魔導師を口説いたって話、本当なの?」

「ああ」

「じゃあ、女王さまの旦那さん、魔導師なんだ……へえ」


 国外でも有名な話であるらしい女王と魔導師の話は、まあもちろん芝居にもされるくらいなので、リヒトが知っていてもおかしくはない。ただ、そういう噂や芝居は多く脚色されているので、真実を知る者は少ないだろう。たとえば女王が、王女の時代であったときに恋慕したその魔導師を襲った、とか、襲われた魔導師は当時成人もしていなかった、とか、そのときに授かったのが王子アリヤであるのだが自分の息子だとその魔導師は五年も気づかなかった、とか。女王に襲われたのになにがなんだかわからないうちに子どもを授かっていた、とか。女王よりも魔導師のほうに問題が多くあることを、ほとんどの人が知らない。

 昼間に逢ったカヤの姿を思い出し、あの鈍感魔導師はきっと今も女王限定で鈍感なままなのだろうなと、思う。


「親子って、珍しいの?」

「珍しいほうだろう。魔導師の力は遺伝するものではない」

「そっか……だから母さんは、あたしの力のことなにも言わなかったのかな」

「わからなかったのだろう。以前も言ったが、魔導師の力はそうだと言われなければわかるものではない」

「言わなかったんじゃなくて、言えなかったんだね、母さんは」

「そうだろうな」

「そっか……うん、そうだったんだね」


 母親になにも言ってもらえなかったことは、少なからずリヒトに寂しい思いを抱かせていたのかもしれない。安心したように頷くリヒトからは、それが具に感じられた。


「にしても、雷雲さんのお弟子さん、シュエオンって名前だって教えてもらったんだけど、ちっちゃいのにすごいしっかりしてた。あんなに小さいのに、親元から離れて……いや、お父さんが魔導師なら、近くにはいるんだろうけど」

「魔導師の教育は、幼いうちから始まる。力の善悪を知っておく必要があるからな」

「じゃあ、もしかしてあたしは遅いの?」

「遅い。力の自覚を持った時点で、保護されるべきだった」

「……保護、か」

「魔導師は、その力のせいで、よく勘違いされるからな」


 たとえばバケモノと、罵られたりする。近寄るなと、忌避される。それは幼い心を傷つけ、人間性を歪めていく。それは授かった力さえも歪める可能性がある。


「あたし、やっぱりマルと一緒にここに来て、よかったと思うよ」

「わたしもそれは思う。むしろきみの場合、よくここまで辿りついてくれたとさえ、思う」

「ねえマル、あたし、ここにいてもいい? ここにいてもだいじょうぶ?」


 真摯な眼差しが、マルを見つめてくる。

 ふと、リヒトを見下ろして気づく。自分より遥かに小さく、その肩も腕も細い。肌は少し荒れ気味で、手は女性らしさがない。少し力を入れたら折れてしまいそうなリヒトに、なぜ今ごろになって気がつくのかと、マルは自身の観察力に呆れた。


「よく、わたしを見つけたな」


 リヒトの師には不向きであるけれども、リヒトを見つけることができて、見つけてやることができて、本当によかったと心から思う。大切な同胞を、みすみす失わずに済んだ。


「ここが、きみにとって安らげる場所になることを、祈っている」


 そっと手を伸ばし、その軟らかな髪に触れ、頬を撫でる。頭ではなく頬を撫でたのはなんとなくであったが、擽ったそうに肩を竦めたリヒトはいやがることもなく、嬉しそうに頬を赤らめた。


「うん。あたし、マルに出逢えてよかった」


 頬を撫でていたマルの手に自分の手のひらを重ね、リヒトは笑った。


 そのとき、マルの脳裏を、ちらりとある言葉が掠めていく。

『おまえは魔導師を救える魔導師になりなさい』

 随分と古い言葉を、なぜ今になって思い出したのか。

 マルは誰かを救うことなどできない。そんな力はない。魔導師を救える力などない。ましてリヒトを、迫害の中から救い出したなどとは、思わない。マルはただ、見つけただけだ。そしてリヒトに見つけられた。それはリヒトが掴んだ運命であり、マルは関係ない。

 けれども。

 ほんの、僅かだけ。

 わたしは彼女を救えたのだろうかと、思った。

 そんなことはあり得ないのに。


「……よかった、な」


 力に悩んでいた少女を、魔導師の世界へ引き寄せた。

 それは救いではない。

 大切な同胞が増えた、そのことは喜ばしくも悲しいことなのだ。

 リヒトには残酷なことだろうけれども、そのことはいずれ、リヒトも知ることになるだろう。

 どうしようもない深みが、魔導師にはあるということを。

 だからこそ同胞を、いとしく大切に思うのだということを。

 そのどうしようもない深みは、魔導師にしか、理解できないのだから。

 魔導師に許された唯一の自由ほど、どうしようもない深みはない。







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