店内BGM :約4000文字
――あっ。
わかった……わかったぞ。おれはここ最近ずっと胸の奥に引っかかっていた違和感の正体に、ついに気づいた。
おれはほぼ毎日のように、このスーパーに足を運んでいるのだが、ある時期から違和感を――そう、デジャヴのようなざらつきを覚えるようになったのだ。
その原因が今ようやくわかった。
――BGMだ。
おれが来店すると、店内のBGMが変わるのだ。
それまでは、子供向け番組のような明るく軽快な音楽が流れていたのに、おれが自動ドアをくぐって数分たったあたりで、曲調ががらりと切り替わった。低く湿っぽく、不安を煽るようなおどろおどろしいものに。
おれの来店時間は毎回バラバラだから、偶然の切り替えとは考えにくい。
だが、なぜだ? なぜ、おれが来ると変わるんだ……いや、待てよ。たしか、いつもこのあとに――
『業務連絡、業務連絡。瀬藤様が来ました。補充をお願いします』
そうだ。店内放送があるのだ。内容もたしか、毎回こんな感じだ。しかし、なぜなんだ。なぜおれの来店でこんなアナウンスが……。
考えながら、おれは入口脇に積まれた買い物かごを一つ取り、通路へと足を進めた。
ううむ、まったくわからん……。いや、他にも何かあったはずだ。たしか、このあとに何か……。
「いらっしゃいませー」
「あ、どうもー……」
棚の陰からひょいと顔を出した店員に、おれは反射的に会釈を返した。そのまま通り過ぎ、ふと振り返ると、その店員は笑顔を貼りつけたまま、まだこちらを見ていた。
……あ、そうだ。あの妙に作り物めいた笑顔で思い出した。そう、毎回この辺りで必ず店員に声をかけられるのだ。それも、一人じゃない。このあとに続けて――
「いらっしゃいませー!」
「いらっしゃいませ、こんにちはー!」
やっぱりだ。二人、三人と示し合わせたかのように続けざまに声をかけてくるのだ。いつもは「ずいぶん元気があるなあ」くらいにしか思っていなかったが、今になって考えると、どうも不自然だ。
『業務連絡、業務連絡。漬物のコーナーの補充をお願いします』
漬物のコーナー……この先だ。
『瀬藤様、参ります』
瀬藤様……? まさか……。
おれはぴたりと足を止めた。
『瀬藤様、休憩中です』
おれ……だ。おれのことだ……! いや、だが「瀬藤」? おれはそんな名前じゃない……。なんで……。瀬藤、せとう……せとう……せっとう……窃盗!?
『瀬藤様、お悩み中です』
……つまり、おれは万引き犯としてマークされているということか。だから、放送で隠語を回し、店員同士で情報を共有しているのだ。いや、いやいやいや、ふざけるな。なんて失礼な話だ。人を犯罪者扱いするとは!
許せん……だが、店員を捕まえて問い詰めたところで、どうせ白を切られるだけだ。向こうはおれを常習犯だと決めつけているのだ。まともに話を聞く気などあるはずがない。
『瀬藤様、沈黙』
……いや、それにしても、こんな放送を何度も流せば、当人が気づくに決まっているし、他の客も不審に思うだろうに。まったく、何を考えているんだ、この店は。いや、おれは万引き犯じゃないのだが……。しかし、なんとも気分が悪い。今日はもう何も買わずに帰るとするか。
そう思って踵を返した、そのときだった。誰かがさっと棚の陰に身を隠した。おそらくおれを見張っていたのだろう。
なんたることだ。客をここまで露骨に犯罪者扱いするとは……! カッと頭の中で炎が噴き上がり、腹の奥がぐつぐつと煮え立ってきた。
よし、いいだろう。そっちがその気なら、いつも通り堂々と買い物してやる。そしてレジでこう言ってやるのだ。「ポケットの中も見ますか?」とな。店員はぎょっとするに違いない。さらに二、三言、皮肉を添えて説教してやる。他のスーパーは遠いからな。この店に改心してもらって、これからも気持ちよく使いたい。
おれは意気揚々と店内を進み、ポケットに入れていた買い物メモを確認しながら、次々と商品を手に取っていった。
あの貼りついた笑顔の店員をはじめ、万引きGメンというやつだろう。おれを監視している連中にわかるよう、わざと大げさに商品を掲げてから堂々とかごに放り込んだ。
そして、メモに書かれた品をすべて入れ終え、おれはレジへと向かった。
「バナナが一点、ヨーグルトが一点――」
店員が淡々とバーコードを読み取っていく。ピッ、ピッという音がやけに大きく耳に残る。……そろそろだな。澄ました顔をして、まったく。奴らの仲間のくせに。よし、言ってやるぞ。ポケットの中も見ますかって――えっ。
「以上――円になります。……お客様?」
「あ、はい……」
喉までせり上がってきた言葉は、音になる前に絡まり、そのまま落ちていった。おれは震える手で財布を取り出し、中に入っていた紙幣と小銭をすべてトレーへ置いた。店員は一瞬眉根を上げたが、すぐに表情を戻し、慣れた手つきで小銭を数えていった。
会計を済ませ、おれは商品の入ったかごを胸に抱え、ふらふらとサッカー台へ歩いた。
――なぜだ。なぜ、ポケットの中に知らないものがある……。
おれは背中を丸め、ズボンのポケットを指で広げて中を覗き込んだ。影が落ちて、よく見えない。だが、指先に触れる感触が否応なく伝わってきた。平たくて細長く、紙かプラスチックで包まれている。たぶんガムの類だろう。
いつ、どうしてこんなものが……。これじゃ、本当に万引きじゃないか。いや、そもそもこれも会計してもらえばよかったんだ。……いや、ポケットから商品を取り出したら怪しまれていただろう。しかし、結果として万引き犯になってしまった。連中の望み通りに……。
あっ、まさか誰かが隙を見て、おれのポケットに入れたのか?
だとすると……あいつか? あの過剰な笑みの店員……。そうだ、あいつだ。やたらおれの近くをうろついていた。きっと、隙を窺っていたのだ。間違いない。やられた……!
だが、今はあいつの姿は見えない。別の仕事にかかっているのかもしれない。他の店員も、おれに注意を向けている様子はない。今日はもう、何も起きないと油断しているのかもしれない。
よし……今のうちだ。
おれは急いで商品を袋に詰め、かごを静かにレジ脇のかご置き場に戻した。そして、できるだけ平静を装い、背筋を伸ばす。何事もなかったかのような普通の客の顔で出口へ向かった。
あと、もう少し……もう少しで外だ……。
自動ドアの前に敷かれたカーペットを踏んだ、その瞬間だった。
背筋を冷たいものがぞわりと這い上がった。
おれは反射的に振り返った。すると――いた。
あの店員だ。一定の距離を保ったまま、確実におれを追ってきている。目が合った瞬間、店員はびくりと肩を跳ねさせ、動きを止めた。そして、すぐにあの気味の悪い笑みを顔に貼りつけた。
だが、おれは見逃さなかった。その直前、やつの顔に浮かんでいた、獲物を逃すまいとするような険しい表情を。
――捕まえる気だ。
おれは前を向き直り、歩調を速めた。
早く、早く逃げなければ――。
「すみません、ちょっとこちらへ」
「……あ、あ、あいや、あの」
喉がひくつき、乾いた音が漏れた。
店を出て数歩。視界の端に影が差し込んだかと思ったその瞬間、二人組の男が行く手を塞いできたのだ。
終わった。その言葉だけが頭の中でからからと音を立てていた。
「さあ、こちらへ」
片方の男が、おれの背中にそっと手を添え、腕を伸ばして誘導する。
足が震えて、思うように動かせない。それでも言われるがまま歩き出した。そうするしかなかった。
「あ、あの、違うんです。これは、その……」
ポケットに手を入れようとしたが、指も震えてうまく差し込めない。
もう片方の男が、「お持ちしましょう」と言い、おれの買い物袋を軽々と取り上げた。
ああ、もう、おしまいだ……。
「すみません。昨日と違う方向へ行こうとしたので」
「はい……」
「こっちです。おうちはこっちのほうでしょう?」
「え、ええ。その、逃げようと……」
「え? 今、なんて?」
「す、すみません……」
「いえ、それで昨日、あなたは買い物帰りにここで立ち止まった。そうですね?」
「……はい?」
「ここです。スーパーの横。先週、ここで殺人事件がありました」
「え……?」
「この先は行き止まりで、従業員しか通らない細い道です。事件の日、あなたがここに立ち止まり、向こうをじっと見ている様子が通りがかった車のドライブレコーダーに映っていました。それも、おそらく犯行があった時間帯にです」
「先輩……」
「いいですか、よく思い出してください。犯人の特徴を。背丈でも、髪型でも何でもいいんです。顔は隠していたかもしれませんが、何か見たはずです。よく思い出してください」
「先輩、一気に言いすぎじゃ……」
「え?」
「ほら、完全にフリーズしてますよ」
「あ……。瀬藤さん? 瀬藤さん? ……ダメか」
「やっぱり、事件の日と同じ状況を再現しようなんて無理ですよ。買い物だって、誘導してやっとだったじゃないですか。そもそも、認知症の人の証言って使えるんですかね」
「店に協力してもらったのにな……。あ、どうも、店長。ご協力ありがとうございました」
――あっ。
「……あの顔だ」
「え?」
「人殺し……人殺し!」
男たちと店員が一斉におれを見た。次いで、おれの指の先へ視線を移す。そこには、あの奇妙な笑みを浮かべていた店員――今は真顔の男が立っていた。
そうだ……あの顔だ。
あのとき、おれと目が合った瞬間の、あの青ざめた表情がはっきりとそこに蘇っていた。




