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4 嗤う女

「ただいま。あれ? 裕子?」


 いつもなら快適な温度に調節されている部屋が、あり得ないほど寒々しい。


「出掛けてるのかな……」


 リビングライトをつけ、上着をソファーに放り投げる。

 考えてみればこんな事は結婚以来初めてだ。

 台所に行っても食事の支度どころか、鍋の一つも出ていない。

 冷蔵庫を開けると、びっしりと缶ビールだけが詰まっていた。


「え?」


 とりあえず缶ビールを1個取り出し食卓に向かうと、やけに少女趣味なアルバムといくつかの小箱が置かれていた。

 まずは小箱を開けてみる。


「なんだ! これは……」


 婚約指輪と結婚指輪が入っていた。

 裕子の誕生石を選んで買ったルビーの婚約指輪とプラチナの結婚指輪。

 自分の左手薬指を見ると、間違いなく同じデザイン……裕子のものだ。

 もう一つの箱には、付き合っていた頃にプレゼントしたムーンストーンのペンダント。

 そして初めての旅行の時、二人で選んだ真珠のピアスが寂しそうに並んだ箱もある。

 プルトップを開けただけで口も付けていない缶ビールを置き、孝志は震える手をアルバムに伸ばした。


「うっ……なんだこれ!」


 捲っても捲っても、そこには玲子と自分のベッドシーンが並んでいる。


「これは……メモ? えっ!」


 途中から添えられたメモには、自分たちの逢瀬の記録が、業務連絡のように書かれていた。


「あいつか!」


 孝志は慌てて携帯電話を取り出した。


「あら、孝志? どうしたの? こんな時間に珍しいわね。今から来るの?」


「玲子……お前……写真を送り付けたのか! それにメモまで! どういうことだ!」


「どうって? 本当のことじゃない。私たち愛し合ったでしょ? ああ、それを見たってことは裕子さんに怒られた? そりゃ怒るわよね。だって私、あなたの子を身籠ってるんだもの」


「はぁ? バカなことを言うな。避妊はしていたはずだ。安全日だとお前が言っても俺は必ずゴムを使ったぞ」


「バカねぇ、だって計画妊娠だもん。忘れたの? あなたったら酔っぱらって部屋に来るなり私を抱いたことがあったじゃない。鞄からコンドーム出して、私につけさせたでしょ? あの時ね、実はつけなかったのよ。つけたふりだけ。ああ、破いた包装袋はあなたのポケットに戻しておいたんだけど、裕子さん気付いたかしら」


「お前……」


「あんなに酔ってたらわからないものなのね。驚いちゃった。それにあの日のあなた、すごく激しくて……ふふふ。何度も愛してるって言ってくれたわ」


「噓を吐くな! 俺が愛しているのは裕子だけだ。お前なんかただの発散相手じゃないか」


「まあ! 酷いことを言うのね。でもあなたの子を妊娠したのは私よ? 裕子さんじゃない。それにあなた、このところ裕子さんとご無沙汰だったでしょ? ああ、裕子さんが嫌がったのかな? そこに裕子さんいる? いるなら代わってよ。私から説明するわ」


「ふざけるな! 裕子は……裕子は……」


「もしかしてやっと出て行った? 結構粘るから焦っちゃった。でも良かったじゃない。これで親子三人で暮らせるわ。来週実家に行くんでしょ? 私も一緒に行こうか?」


 寝物語で帰省の話をしたことを思い出す。


「お前か! お前が裕子に言ったのか!」


「ええ、私が知らせたわ。だって可哀そうじゃないの。何も知らないなんて」


「この写真とメモはどういう意味だ! 何を企んでるんだよ!」


「企んでるとか人聞きが悪いわね。私は親切で彼女に現実を教えたの。そして私たちの幸せのために身を引いてもらったんだわ」


「バカか……俺はお前なんかと……」


「バカは浮気をしたあなたよ。でもまあ、私たちこんなに愛し合っているんだもの。男の子かしら、それとも女の子? きっとあなたは子煩悩な父親になるわね」


「いい加減にしろ……俺はお前を絶対に許さんぞ。それに妊娠したなんて噓に決まってる。裕子を追い詰めるための噓だ。ふざけたことをしやがって! 裕子がどれほど傷ついたと思ってるんだ!」


「それをあなたが言う? 笑わせてくれるわね。まあ、私はあなたの子だという証明書も持っているのだもの。私の勝ちよ」


「噓を吐くな!」


「噓じゃないわ。胎児のDNA検査なんて簡単よ? それに私のベッドにはあなたの髪の毛もたくさんあるし、なんなら一昨日使ったコンドームもあるし? ふふふ」


 孝志は眩暈を覚えて携帯電話を投げ捨てた。

 寝室に飛び込み、クローゼットを開けると自分の洋服しかかかっていない。

 片っ端から引き出しを開けても、裕子のものは何も無かった。


「そんな……」


 鏡台の中も押し入れの中も、裕子のものは何も残ってはいない。

 ふと見ると、ダブルベッドに置かれた枕も一つだけになっていた。


「裕子……裕子……裕……子……」


 部屋中を探し回り、裕子の痕跡を探す。

 1本だけ残された歯ブラシが所在なさげに洗面台の鏡に映っていた。

 裕子が使っていた空のシャンプーボトルがゴミ箱に放り込まれている。

 それを拾い上げ、台所に向かう。

 がらんとした食器棚を見た時、孝志は裕子の覚悟に息をのんだ。


 食卓に戻り、結婚指輪の入った小箱を撫でる。

 その時初めて、記入済みの離婚届が置かれていたことに気がついた。

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