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20 憎まれたかった女

「差しさわりの無いところだけでもいいので、娘が君に何を言い残したのか教えてくれないだろうか」


 この場での開封を促す玲子の父親の言葉に、孝志は頷くしかなかった。

 玲子からの遺言ともいえるその手紙を読み進める孝志の肩が震える。

 編集長がウェイターを呼び、コーヒーのお代わりを注文した。


「どうぞ、読んでください」


 孝志が便箋を差し出すと、それを手に取った夫婦は黙って読み進めていく。


『 孝志へ


 かずとは元気ですか?

 あなたは?


 もう聞いていると思いますが、私は末期がんで余命五年と言われていました。

 たくさんの薬を服用していたので、母乳を与えることはできませんでしたが、妊娠中は医師の指導のもと、胎児に影響するものはやめていたので安心してください。


 私はあなたが大好きでした。

 心から愛していました。

 でもあなたはそうではなかった。

 その傷がようやく癒えようとしていた時、ガンがみつかり余命宣告を受けました。

 もうすぐ死ぬという事実に絶望し、街をさまよっていた時、あなた達を見かけたのです。


 裕子さんと楽しそうに歩くあなたを見て、私の中で何かが壊れました。

 私を捨てたあなたがとても幸せそうで、どす黒いものが沸き上がってきたのです。

 なぜあなたは幸せなのだろう、私はもうすぐ死ぬというのに。

 あのタイミングであなたに再会しなければ、こんな事を思いつくことも無かったでしょう。


 あれからずっと私は自分の最後の望みは何かを考え続けました。

 そして私はあなたの記憶の中で生き続けたいと思ったのです。

 愛情より憎しみの方が、より深くより長く記憶に留まるのだということを、私は経験として知っています。

 だからあなたに憎まれようと思ったのです。


 最初は秘密の関係だけで良かったのです。

 あなたが裕子さんより私を選んだのだと思って嬉しかったから。

 でもそれはただの自惚れでした。 

 あなたが裕子さんの名前を呼びながら果てた時、私は悪魔になったのだと思います。


 それからの私は計画的に動きました。

 医師に出産したいと相談すると、命を削る行為だと反対されましたが、どうせ残り少ない命です。

 私は諦めませんでした。

 薬を止め、排卵日を計算し、あなたを騙して子供を授かることに成功しました。

 その代償は私の寿命です。

 出産すれば更に短くなるのもわかっていましたが、五年が三年になっても大した違いではないと思いました。


 きっとあなたは私が狂っていると思っていることでしょうね。

 そうです。

 私は狂っているのです。

 だから何の罪もない裕子さんを追い込み傷つけたことを後悔していません。

 あなたに子供を押し付けたことも後悔していないのです。

 

 あの子は私がこの世に存在していたという証です。

 あなたは優しい人だから、きっとあの子を愛してくれるでしょう?

 そしてあの子の顔を見るたびに、あなたは私を思い出すでしょう?


 あの子を産んだ時も、あなたが名前を付けてくれた時も、私は泣くほど嬉しかった。

 本当は抱きしめてやりたかった。

 その成長をずっとずっと見ていたかった。

 でもそれができない私は、かずとの心に残るべきではないのです。


 その代わり私はあなたの記憶に永遠に残るの。

 あなたはこの先ずっと悔やみながら一人で生きて行くしかないの。

 裕子さんへの後悔と、私への憎しみを死ぬまで抱えていくしかないのよ。

 あなたは私のことを絶対に忘れない。

 だからさよならは言いません。

 

 心から愛しているわ。

 


             玲子』



 

 父親が指先で目を押さえている。

 ぱらりとテーブルに投げ出された便箋を、編集長が手に取り孝志の顔を見た。

 孝志が頷くと、ソファーに深く座りなおして読み始める。


「申し訳ない……娘が……とんでもないことをしてしまった。あの子はそこまでして……残り少ない命を削ってまで……すまない」


 父親の言葉に返せる言葉を孝志は持たなかった。


「でも……でも、玲子だけが悪いわけじゃないわ……そうでしょう?」


 娘を思う母親らしい言葉だと、なぜか素直に受け入れている自分がいる。


「仰る通りです。玲子さんだけが悪いとは思っていません。かずとは私が育てます。あの子は私と……」


 孝志が一度目を閉じて息を吸い、しっかりと目の前に座る疲れ果てた老夫婦の顔を見た。


「私と……玲子さんとの子供ですから」


 最後の言葉を吐き出した瞬間、孝志の目から涙が溢れだした。

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