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アネモネ

作者: ふかみるる

幼い頃から、彩香は私の隣にいた。夕焼け小焼けの歌を歌いながら手を繋ぎ、秘密基地を作っては宝探しをした。


転んだ私を笑いながら起こしてくれたのも、いつも彩香だった。


家族よりも長い時間を共に過ごし、互いの心の奥底まで理解し合っていると、疑うことすらなかった。彩香といると、安心した。


それは、友情という言葉では括りきれない、もっと深く、温かいものだった。


彩香は、裕福な家庭で育った。両親は、教育熱心で、彩香には、高いレベルでの教育を受けさせようとしていた。彩香は、幼い頃から、様々な習い事をさせられていた。ピアノ、バイオリン、バレエ、英語、学習塾……。彩香は、それらの習い事を、文句も言わずにこなしていた。


彩香は、小さい頃から、大人びた子供だった。感情をあまり表に出さず、いつも冷静で、物事を客観的に見ていた。周りの子供たちがわがままを言ったり、泣いたりしているのを見て、彩香は、どこか他人事のように感じていたように私からは見えた。



しかし、彩香にも、子供らしい一面があった。それは、星空を眺める時だった。彩香は、幼い頃から、星を見るのが大好きだった。特に、夏休みの夜、祖母の家で庭に出て、寝転びながら星空を眺めるのが日課だったという。


彩香の祖母は、星にまつわる物語をたくさん知っていた。彩香は、祖母から聞く星の話が大好きで、まるで絵本を読むように、目を輝かせていたという。祖母は、彩香に「星は、みんなのことを見守っているんだよ」と教えてくれた。彩香にとって、星は、安心できる存在であり、優しい祖母の温もりを思い出す場所だった。


彩香は、祖母との時間をとても大切にしていた。祖母は、彩香にとって、唯一心を許せる存在だったのかもしれない。祖母の前では、彩香も純粋な子供になることができた。


しかしその幸せも長くは続かない。彩香の祖母が事故にあってなくなってしまったのだ。さらに不幸なことにそれは彩香の誕生日のことだった。


彩香はそれ以来、優等生を演じ続けた。



彩香は、いつも明るく、誰からも好かれるタイプだった。成績優秀で、明るい笑顔を絶やさない。クラスの中心人物で、いつも友達に囲まれている。そんな彩香の姿を見て、私は羨ましく思っていた。


私が、友達と楽しそうに話している時、彩香の表情は、一瞬にして曇る。まるで、自分だけが仲間外れにされたような、寂しそうな表情を浮かべる。その姿を見て、私は胸が締め付けられる思いだった。


彩香は、多くの人に囲まれていても、心の底では、誰にも理解されない孤独を抱えているのかもしれない。


彩香は、自分の感情をあまり表に出さない。何か辛いことがあっても、笑顔で乗り越えようとする。弱音を吐くことは滅多にない。しかし、星空を見つめる彩香の横顔は、いつもどこか物憂げで、言葉にならない感情を秘めているように見えた。


星空は、彩香にとって、唯一心を許せる場所なのかもしれない。


ある夜、私が天文台の屋上で星空を眺めていると、彩香がそっと近づいてきた。彩香は、言葉少なに、星の話を始めた。その声は、普段よりも少し震えていた。そして、ポツリと呟いた。「星って、綺麗だね。でも、遠いんだよね。でもね絶対に裏切らないんだ。」


その言葉を聞いた時、私は、彩香の心の奥底にある孤独を、初めて理解したような気がした。彩香は、誰かに自分の気持ちを分かってほしい。誰かに、寄り添ってほしい。なんて思ってなんかいない。人に期待してないんだ。


私は何も言うことができなかった。


彩香が抱える孤独の根深さを痛感した。彼女が孤独を感じるようになった原因は、単一のものではない。外面的な完璧さとは裏腹に、内面では完璧主義から来る自己肯定感の低さに苦しんでいるのかもしれない。常に周囲の期待に応えようとする中で、本当の自分を隠し、弱さを見せることを恐れているのだろう。


また、裕福な家庭環境から、親からのプレッシャーも少なからず影響していると考えられる。自分の意思よりも、両親の期待に応えることを優先し、本当にやりたいことを抑え込んでいるのかもしれない。志望大学も京都大学だと聞いている。プレッシャーは果てしないものだろう。


彩香は、社交的で多くの友人に囲まれているが、その人間関係は表面的なもので、心から信頼できる相手を見つけられていないのかもしれない。誰にも打ち明けられない悩みや秘密を抱え、孤独を深めている可能性も否定できない。


将来への漠然とした不安も、彼女の心を覆っているかもしれない。進路、人間関係、様々な問題に直面し、一人で抱え込んでいるのかもしれない。これらの要因が複雑に絡み合い、彩香の心の奥底に、深い孤独を作り出しているのだろう。


ある時から、私たちの関係に変化が訪れた。彩香は、私に何かを隠すようになった。私が話しかけても、どこかよそよそしい。一緒に星空を見上げる時も、彩香の視線は、私ではなく、遠くの星空を見つめている。


私は、その変化に戸惑い、不安を感じた。何故、彩香は私を避けるようになったのだろうか。私に、何か悪いことをしたのだろうか。様々な思いが頭をよぎった。


夏の太陽が容赦なく照りつける中、私たちは星見ヶ丘天文部の合宿で、山奥の天文台にいた。合宿と言っても、本格的な機材があるわけではなく、古びた望遠鏡と、夜空を遮るものがないというだけの施設だ。それでも、星を見るには最高の場所だった。


彩香は、いつもと少し様子が違った。何かを隠しているような、落ち着かない様子で、私の行動を気にしているようにも見えた。私が他の部員と話していると、彩香の視線が私を強く捉えているのを感じる。その視線には、困惑や、何かを言いたげな気持ちが入り混じっていた。


合宿初日の夜、私たちは星空観察会を行った。望遠鏡を覗き、星の名前を教え合い、それぞれの星座を探した。彩香は、いつものように星に詳しく、まるで星空そのもののように輝いていた。しかし、私が他の部員と楽しそうに星の話をしていると、彩香は少し離れた場所で、一人で夜空を見上げていた。


その姿は、どこか寂しげで、私はそれが気になった。何があったんだろう。そう思いながらも、声をかけることは出来なかった。


二日目の夜は、天体写真撮影を行った。彩香は、私に色々なことを教えてくれた。カメラの設定、構図の取り方、星の光を捉えるためのテクニック。彩香が熱心に教えてくれるほど、私は何故か落ち着かなくなった。何故だろう。彩香の視線が、いつもより熱を帯びているように感じたからかもしれない。



合宿中、彩香は積極的に私と話そうとはしなかった。私が話しかけても、そっけない返事をするだけだった。まるで、私との距離を置こうとしているように見えた。何故だろう。些細なことでも、すぐに顔を赤くする。どこか、私を避けているような感じもする。

少しずつ彩香の考えがわからなくなっていった。


星見ヶ丘天文台は、まるで時が止まったような場所だった。築何十年になるのか分からないほど古く、建物の外壁には蔦が絡みつき、ペンキは剥げ落ち、所々ヒビが入っている。


天文台のシンボルである大きなドームは、内部の望遠鏡を守るためにあるはずだが、そのドームの開閉機構は故障し、長らく開かれたことはなかった。


天文台の中に入ると、埃っぽい空気が鼻をつく。薄暗い室内には、時代を感じさせる木製の机や椅子が並び、壁には古い星図や、過去の天文観測の記録が残されたボードが飾られている。望遠鏡もまた、最新鋭のものではない。巨大な鏡筒を支える金属部分は錆び付き、操作盤も古めかしい。それでも、夜空を見上げるための特別な場所として、長い間、この天文台は存在し続けてきた。


天文台の館長は、気さくな老紳士で、名前は森田さん。いつもニコニコしていて、私たちに星の知識や、天文台にまつわる様々な話をしてくれた。森田さんは、この天文台を愛しており、まるで自分の子供のように大切にしていた。彼は、私たちに天文台の歴史を語り、星の美しさを教えてくれた。


天文台の奥には、資料室と呼ばれる小さな部屋があった。そこには、古い天体写真や、手書きの観測記録、様々な天文学に関する書籍が所狭しと並べられていた。資料室の片隅には、埃をかぶった古い地球儀があり、彩香はよくそれを見つめていた。彩香は、星のことになると、まるで人が変わったように熱心になる。星の知識も豊富で、まるで星と会話しているかのようだった。


天文台には、もう一つ、特別な場所があった。それは、時計塔だ。


天文台の時計塔は、ずっと壊れたままだった。誰も直そうとしない。時を刻むことのない時計塔は、まるで私たちの関係のようだと感じていた。そんなある日、時計塔に隠された秘密を知った。それは、かつてこの天文台で、恋人たちが時計塔の前で愛を誓い合ったという伝説。そして両思いになると時計は緩やかに動き出すのだと。それまではずっと、ずっと、ずっと止まったまま。動き出すことはない。


一瞬こんな考えが頭をよぎった。もし、彩香が私を恋愛対象として見ていたら? 私たちは、この時計塔のように、動かす存在になるのだろうか? 私は、彩香との関係を壊したくなかった。彼女は、私にとってかけがえのない存在なのだから。でもそれは恋愛ではない。もっと深く温かい感情なのだ。


星の道が現れる夜、彩香は私に告白した。その言葉を聞いた時、私は自分の予想が当たっていたことに関して驚いた。しかし同時に納得もした。


彩香が私に対して抱いている感情は、私が彩香に対して抱いているものとは全く違っていた。私の心は、友情という確固たるものでできていた。彩香の想いに応えることができないと分かった時、張り詰めていた糸が切れるような感覚がした。

告白の後、私は彩香との距離を置くことを決めた。彩香との関係を壊したくない、という思いと、彩香の気持ちに応えられないという思いがあったからだ。


彩香が隠していたことについて、美咲の視点から、さらに詳しく掘り下げていきます。これらのヒントを基に、彩香の心情を想像し、彼女が抱えていたかもしれない葛藤を明らかにしていきます。



彩香が隠していたこと、それはきっと、私に対する「特別な想い」だったのだろう。告白という形で伝えられたその想いは、彩香の中で燻り続け、彼女の言動を少しずつ変えていったのだと思う。合宿での彩香のよそよそしさは、私に対する怒りや不満ではなく、むしろ、傷ついた心を守るための防衛反応だったのではないだろうか。


彼女は、私に拒絶されたことで、自分の気持ちが届かないことへの絶望を感じたはずだ。そして、同時に、私との関係が壊れてしまうことへの恐れを抱いたに違いない。だからこそ、彼女は、私との距離を置こうとしたのだ。まるで、自分の心を守るために、私から遠ざかろうとしているように見えた。


しかし、それだけではない気がする。彩香は、私に対する想いだけでなく、もっと深い心の闇を抱えていたのかもしれない。完璧主義で、常に優等生であろうとする彩香の心の中には、自己肯定感の低さという、暗い影が潜んでいたのではないだろうか。


彼女は、自分の弱さを見せることを恐れ、常に強がっていたのかもしれない。誰にも頼ることができず、一人で問題を抱え込んでいたのかもしれない。そして、その孤独を紛らわすために、星空を見上げていたのかもしれない。星空は、彩香にとって、現実から逃避するための場所であり、心の安らぎを得られる場所だったのかもしれない。



彩香は、自分の心を隠し、強がって生きていた。しかし、合宿を通して、その心の鎧が少しずつ剥がれてしまったのだ。


別々の道を歩むことは、とても辛いことだった。でも、それしか彩香を傷つけずに済む方法が、私には見つけられなかった。

彩香は、私の決断を受け入れた。それからの日々は、まるで霧の中にいるようだった。学校で顔を合わせても、ぎこちない沈黙が流れる。天文部での活動も、以前のような楽しさはなく、どこかよそよそしい空気が漂っていた。それでも、彩香は私に優しく接してくれた。時々、無理をしているように見えたけれど、彩香は、私を責めることもしなかった。


時期は移り変わり大学受験が近づいてきた。

彩香はどの大学に行くのだろうか。そんなことをふいに考えては、一緒にはいられないことを思い出す。苦しい、また昔のような関係に戻りたい。けれどもそれは私のわがままでしかないのだ。


第一志望の東京大学には無事合格した。私はこの星にゆかりのある星見ヶ丘の出身のものとして天文学を中心に学んでいくつもりだ。彩香も第一志望の京都大学に合格したと本人から一応聞いていた。生まれて初めて彼女と学校が変わる。それが私たちの分断を確かなものにしてしまったように感じられた。


季節が変わり、卒業が近づく頃、私は星見ヶ丘の丘の上で、一人、夜空を眺めていた。あの夜、彩香と見た星の道は、もう現れなかった。時期的に言えば当然なのだがそれでも星の道が現れないことは今の彩香と私を結ぶ道は存在しないことを表しているように思えてならなかった。


彩香は、どこかで、同じように星空を見上げているのだろうか。彼女の心には、どんな想いがあるのだろうか。


春が来る。星見ヶ丘の桜並木を歩きながら、私は新しい学校への進学を目前に控えていることを実感した。彩香とは、卒業式の日に、少しだけ言葉を交わした。ぎこちない挨拶だったけれど、互いに笑顔で別れた。それが、私たちが選んだ未来への第一歩だった。


星見ヶ丘を離れる日が近づくにつれ、この街で過ごした日々が、まるで走馬灯のように蘇ってきた。彩香と二人で自転車を漕いだ丘、秘密基地を作った林、星空を眺めた天文台の屋上。どれも、大切な思い出だ。そして、その思い出には、いつも彩香がいた。


引っ越しの準備をしていると、あの日の夜、彩香からもらった手紙が出てきた。それは、まだ私が彩香の気持ちに応えられなかった、あの夜に書かれたものだった。もらってから何度も読もうとした。でも向き合える気がしなくて結局読めていなかった。でも今なら読める気がする。そう思い、震える手で封を開けると、便箋には、彩香の私への想いがぎっしりと詰まっていた。


「美咲へ。ごめんね。私の想いを伝えて、美咲を困らせてしまうだろうってことわかってるし、本当に申し訳なく思ってる。でも、美咲に出会えて、一緒に色んな思い出を作れて、私は本当に幸せだった。だから後悔はしてない!美咲が、これからも自分の道を、自分のペースで歩んでいくことを、心から応援している。今までありがとう。彩香より」


手紙を読みながら、涙が止まらなかった。彩香の優しさと、心の強さに、胸が締め付けられる。私は、彩香の想いに応えることはできなかったけれど、彩香の存在が、私を強くしてくれた。

彩香は最初から私が応えられないことをわかっていたんだ。それなのに伝えてくれた。大切に思ってくれた。私を尊重してくれた。


星見ヶ丘を旅立つ日、私はもう一度、丘の上から星空を見上げた。あの夜のように、星の道は現れなかった。でも、夜空には、無数の星が輝いていた。彩香の姿は見えなかったけれど、きっと彼女も、どこかの空を見上げているのだろう。


新しい学校へ行っても、きっと色々なことがあるだろう。楽しいこと、辛いこと、悩むこともあるかもしれない。でも、私はもう一人じゃない。彩香との出会い、そして別れを通して、私は強くなった。

そして、心の中で彩香に囁いた。「ありがとう。そして、さようなら」

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