星に願いを
ストレートなものが書きたくなったので書きました。
あまり構えずに読んでいただければと思います。
どうしても寝付けず、私はとうとう起き上がってしまった。深々とため息をつく。そのまましばらくぼうっとしていると、やがて庭で犬が吠え始めた。放っておこうかとも思ったが、いつまで経っても止めないので、流石に近所迷惑だろうと止めに行くことにした。親が不在で家には私しかいないので、行かないわけにはいかない。それに、外に出るのも気分転換にいいかもしれない。ちらりと時計を見ると、午前一時だった。
大学三年生の一月である。周りはもう就職活動を始めているというのに、私はまだ何もしていない。自分が何をしたいのか、どんな職に就きたいのかが分からないのだ。どうにも就職というものに対するモチベーションが低く、それでも就職はしなければならないという焦燥感ばかりが募ってくる。自分は何がしたいのか、という思考はそのうち、自分の存在意義は何かとかいう悩みに変わってきたりして、そんなことをぐるぐる考えていたらすっかり眠れなくなってしまったのだった。
犬を黙らせるためのビーフジャーキーをポケットに入れ、サンダルを突っかけて玄関を開けると、外出意欲を削ぐひんやりと冷え切った闇が出迎えてきた。冬でしかも深夜である。一応、寝巻きの上に上着を着こんではきたものの、その程度で防ぎきれる寒さでもなかった。少し気持ちが萎えかかったが、相変わらずけたたましく吠えている犬の声が戻ることを許さなかった。
ため息一つ、外へ出た。手早く済ませようと、小走りに犬小屋へ向かう。そして、家の角を曲がったところで、私は寒さを完全に忘れた。
犬小屋があって、その向こうに犬がいて、そのまた向こう、牙を剥き出して吠えかかる犬の視線の先に『それ』があった。いや、結果的には『いた』という表現の方が正しかったわけだが。
それは星だった。そうとしか言いようが無い。☆型をしていて、淡く金色に明滅している。初めは、何かしらの玩具かと思った。しかし、それにしてはその物体は大きすぎるように思えた。丈は目測で一メートルほど。厚みも三、四○センチはあるようで、大きなクッションに見えなくもなかった。
しかしそれは玩具でもクッションでも有り得なかった。その星型の物体は私が角を曲がるや、ぴょこんと背伸びするように動き(そう、まるで犬越しに私を見ようとするかのように)、そして、
「助けてください! 助けてください!」
どこぞの映画のような台詞を口走ったのだ。ちゃんと、日本語で。
ビーフジャーキーは効果覿面だった。犬にとっては、喋って動く巨大な発光ヒトデよりは食べ物の方に関心があるらしい。即座に吠えるのを止めると、ジャーキーに食らいついた。この場合は助かるのだが、しかし番犬としてはかなり問題がある気がした。まあ、番犬として飼っているわけでもないのだけど。
それはそうと。
「いやあ、さっきは食べられるかと思いましたけど、改めて見ると可愛いワンちゃんですねえ。なんていう犬種なんですか?」
「……いや、ただの雑種だけど」
「おお、雑種! いいですね、つまり世界に唯一の種類のワンちゃんってわけですね。オンリーワン、とか言っちゃったりして」
……気温が下がった気がした。どうでもいいが、星にギャグセンスはあまりないらしい。というか本当にどうでもいい。そこは問題じゃない。
問題は、何で私が星と仲良く雑談しているのかということだ。明らかに超常現象を目の当たりにしているのに、どうも緊張感がない。別に緊張感が欲しいわけでもないのだが、どうもお喋りな星のペースに嵌ってしまったようなので、ここらで仕切りなおしておくことにする。
「それでさあ、あんた何?」
単刀直入に聞いてみた。注意深く観察してみたが、どうもぬいぐるみとか着ぐるみの類では本当にないらしい。ファスナーとか縫い目とか、そういうものが無いし、動き方は生物的で滑らかだった。
「お嬢さんから見て、私は何に見えます?」
「星」
彼(?)は、惜しいですね、と右手(?)をちょいちょい動かした。人間で言う、「ちっちっち」という仕草のつもりなのかもしれない。
「星は星でも、私は流れ星なのです」
胴体(……らしき部分)を反らして言う。どことなく自慢げなのが腹立つが、とにかく流れ星であるらしい。彼が言うには、彼ら流れ星は夜空を駆け回り、人々の願いを聞いて回るのだそうだ。ここに、人類科学は完全否定された。
「私たちは生まれた時から『そういうモノ』として在るんですよ。まあ、愚痴聞き係みたいなもんです。願いというのは悩みと表裏一体ですから」
背が低いのが嫌だから大きくなりたい、とか。貧乏だからお金が欲しい、とか。不満不足があるから願いもあると、そういうことらしい。彼らは遠い夜空からそうした願いを聞いて――
「――聞いて、叶えてあげるの?」
「いえ、聞くだけです」
うわ、使えねえ。そんな思いがつい顔に出てしまったらしい。星は慌しく身体を動かして反論してきた。
「いやいやいや、大事な役割なんですよ聞き役だって。流れ星を見ると、誰もが何かしらの願い事を心に浮かべるものです。それによって、その人は自分でも自覚していなかった願いを発見するかもしれません。自覚していた人も、自分が何を望んでいるのか再確認できます。そうやって、自分の願いが何かを知ることが大事なんです。何を目指せばいいか分からなければどうしようもないんですから。陳腐ですが、願いを叶えるのは、結局は自分なんですよ」
屁理屈のようにも聞こえたが、しかし「自分の願いが何かを知ることが大事」という言葉にはどきりとした。私は今まさに、自分がどうしたいのか分かっていない状態なのだ。さっきまで考えていた、存在意義云々の堂々巡りが頭の中に蘇る。
気づくと、私は呟いていた。
「……私も、あんたみたいのが良かったな」
「ん、星になりたいと? さすが女性、ロマンチックですね」
「いや、それ遠まわしな自殺願望みたいじゃん」
そもそもあんたの姿はロマンチックとは言いがたい。
「そうじゃなくてさ。『自分は生まれた時からこういうモノだ』っていう、目的っていうか役割っていうか、そういうのが欲しかったなあ、って思って。そうだったら、きっと悩むことなんてないのに」
選ぶ余地がないくらいに選択肢が狭ければ。そう思わずにはいられない。
自分が存在する意味が最初から設定されていれば。そう考えずにはいられない。
選択肢の多さを疎むなんて贅沢なのだろうか。隣の芝生が青く見えるだけの、自分勝手な悩みなのだろうか。
星は、ふむう、といった感じで考え込んでいるような雰囲気を出していたが、やがて言った。
「お嬢さん、あなたにとって悩むというのは悪いことなのですか?」
「…………?」
「先ほど言ったように、悩みと願いは表裏一体。悩みが無くなるということは、願いが無くなるということです。そうなることはもしかしたら可能かもしれません。ですが、私はそうなったモノを人間とは呼ばないでしょうね。願うゆえに悩み、あるいは悩むゆえに願い、それを叶えるために先へ進むことが出来る。人間とは『そういうモノ』なのだと私は思います。それに、そういう人間が私は好きなんです」
つまりですね、と星は私をぴっと指差す、ような仕草をした。
「人間なら人間らしくとことん悩め。愚痴なら私が聞いてやる。と、まあ、流れ星としての意見はそんな感じですね。参考になりましたか?」
「……厳しいねえ、このヒトデは」
ふはあ、と白い息を吐く。悩んでいる私に対して「悩め」とはまた。何の解決にもなっていないではないか。
「これも先ほど言いましたよ。私は基本的に聞き役なんです。アドバイスしたり、悩みを解決してあげたりするのは私の役割ではないんですよ」
星には表情は無いけれど、なんだかにっこり笑ったような気がした。その雰囲気につられて私も微笑む。
「ねえ、お星様」
「何です」
「何で落ちてきたの?」
「……最近、空を見上げてくれる人が減ったんです。みんなネオンの光ばかり見ていて、私を見つけてくれる人も減りました。だから、確かめたかったんです。私は今でも必要とされているのか。人間は今でも悩みながら生きているのかどうか」
だからあなたを見て安心しました、と星は言った。
「人間は、私の好きな人間のままでした。あなたのような人がいるなら、私もまだまだ流れ甲斐があるというものです。また私は、私を必要としてくれる人たちの上を流れます」
そう言うと、今まで微かだった金色の光が、徐々に強まっていった。その光に照らされて、庭は昼間のような明るさになる。やがて、もう星型の輪郭も見えなくなった頃、彼は言った。
「たまには、夜空を見上げてみてください。そして、あなたがどんなことで悩み、どんなことを願うのか聞かせてください。約束ですよ」
その言葉を最後に、星はすごい速さで天へと昇っていった。そのまま、夜空の闇に吸い込まれるように消えていく。庭にはまた静寂と闇が戻り、急に寒さを思い出した。星の発熱で、今まで寒さが和らいでいたらしい。ふと脇を見れば何事もなかったかのように犬が寝そべっていた。
「……なんだかなあ」
色々と説教された気がする割には、何も解決していない。私の進路が五里霧中といった感じなのは変わらないし、何をしたいのかも分からない。でもとりあえず、今後の方針は決まった。
明日から、また頑張って悩もう。
私は一つ欠伸をして踵を返し、庭を後にした。玄関に入る前、最後にちらりと上を見上げる。そこに瞬く星たちに願うことは、とりあえず今はただ一つ。
「もう星が落ちてきたりしませんように。……犬が吠えて眠れないから」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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