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仕事は、だいたい“なんとかなる”で始まる

朝の観光課は、まだ空気がぬるい。

冷房は入っているけど、湿気は抜けきらず、

窓の外からは蝉の声がじわじわと染み込んでくる。


陽真が出勤すると、すでに日良居がデスクにいた。

白いシャツに淡いグレーのパンツ。

髪はゆるくまとめられていて、指先には控えめなネイル。

見た目だけなら、都心の広報部にいそうなキャリアウーマン。


でも、手に持っているのはコンビニの紙カップコーヒーで、

椅子をくるくる回しながらスマホをいじっている。


「おはよー。昨日、三人で顔合わせだったんでしょ? どうだった?」


顔も見ずにそう言うあたり、相変わらずだ。


「……おはようございます。

 まあ、無事に終わりました」


「“無事に”って便利な言葉だよね。

 何も言ってないのと同じだけど、責任は回避できる」


「……そういう意味で使いました」


「正直でよろしい」


日良居はスマホを置いて、ようやく顔を上げた。

目元にうっすらアイライン。

寝不足っぽいのに、なぜか整って見える。


陽真は、ふと視線を逸らした。

この人は、いつもどこか“完成されすぎている”。


役場の中では、日良居は“モテる”と噂されている。

実際、男女問わず距離を詰めたがる人は多い。

昼休みに話しかけに来る職員、

やたらと差し入れを持ってくる他課の若手、

妙に親しげな年配の係長――

でも、誰も本当には近づけていない。


陽真も、たぶんその一人だ。


「朱音ちゃんとは、久しぶりだったんじゃない?」


「……はい。中学以来です」


「ふーん」


それだけ言って、日良居はコーヒーをひと口飲んだ。

そのあと、少しだけ間を置いて、さらっと言う。


「なんか、“いろいろあった”って顔してるけど」


陽真は、思わず目を伏せた。


「……顔に出てました?」


「うん。あと、“まあ”って言うときの声がちょっと低かった」


「……観察が細かすぎませんか」


「観光課って、意外と人間観察の職場だからね。

 あと、私が暇なだけ」


日良居はにやっと笑った。

その笑い方が、どこか“届かない”感じがするのは、いつものことだ。


「で、凛ちゃんはどうだった?」


「……まだよく分かりません。

 でも、言葉の使い方が面白い人だなとは思いました」


「うん、あの子はね、

 “わかってる風”の言葉を、

 “わかってないふり”で投げてくるタイプ。

 ああいうの、扱い難しいけど、面白い」


「……それ、どこで見抜いたんですか」


「勘。あと、経験。あと、たぶん偏見」


陽真は、思わず笑ってしまった。


「……じゃあ、今日も“なんとか”してきます」


「うん、なんとかして。

 島のイベントって、だいたい“なんとかなる”で回ってるから」


「それ、観光課の人間が言っていいんですか」


「観光課の人間だから言えるの。

 “なんとかする側”だからね、私たちは」


日良居は、くるっと椅子を回して背を向けた。

その背中越しに、さらっと言う。


「じゃ、いってらっしゃーい。

 今日も青春してきてね、ラノベ主人公くん」


「……やめてください」


「やめないよー」


その瞬間、彼女のスマホが震えた。

ちらりと画面を見て、すぐに伏せる。

その動きが妙に静かで、妙に慣れていて――

陽真は、何も言わなかった。




日良居が椅子をくるっと回して背を向けたあと、

陽真は自分のデスクに座り、PCを立ち上げた。

起動音が静かな部屋に響く。

まだ他の職員は来ていない。


「で、今日の現地確認って、何時集合だっけ?」


背中越しに日良居の声が飛んでくる。


「10時に現地集合です。

 凛さんと朱音さんは、直接来るって言ってました」


「了解。じゃあ私は11時くらいに“ふらっと”顔出す感じで」


「……それ、現場からしたら一番緊張するやつですよ」


「でしょ? だからいいの」


日良居は紙カップのコーヒーをくるくる回しながら、

モニターに映ったスケジュール表を眺めている。


「あと、SNSの投稿案、凛ちゃんに任せてみたら?

 昨日の感じだと、言葉のセンスあるでしょ」


「……まだ、そこまで話してませんけど」


「話してないからこそ、振ってみるの。

 “あなたの感性に期待してます”って言えば、

 だいたいの人は断れないから」


「それ、仕事の仕方としてどうなんですか」


「観光課って、だいたいそうやって回ってるでしょ?」


陽真は、苦笑しながらメールを開いた。

昨日の議事録が、朱音から届いている。

きっちりした文体。

でも、ところどころに“らしさ”がにじんでいた。


「朱音さん、仕事早いですね」


「うん。あの子は“ちゃんとやる人”だよ。

 でも、“ちゃんとしすぎる”と、

 逆に自分を追い詰めるタイプでもある」


「……そういうの、見抜くの早いですよね」


「観光課って、意外と人間観察の職場だからね。

 あと、私が暇なだけ」


またそれか、と思いながらも、

陽真はその言葉に少しだけ救われていた。


「……じゃあ、そろそろ出ます。

 現地、見ておきたいこともあるので」


「うん。

 あ、凛ちゃんには“期待してる”って言うの忘れずにね。

 あと、朱音ちゃんには“無理しないで”って。

 それだけで、だいぶ違うから」


「……了解です」


「さすが、ラノベ主人公くん。

 そういうセリフ、似合うと思うよ」


「……やめてください」


「やめないよー」


陽真は、書類をまとめて立ち上がった。

日良居は、またスマホを手に取っていた。

画面を見つめるその横顔は、どこか遠くを見ているようだった。


---


書類をクリアファイルにまとめて、陽真は立ち上がった。

肩にかけたトートバッグの中には、タブレットと昨日の資料。

それから、たけうちさんの店で買ったまま忘れていた、

レモン味の柿の種がまだ入っていた。


「……じゃあ、行ってきます」


「いってらっしゃーい。

 あ、凛ちゃんに“期待してる”って言うの、ほんと忘れないでね。

 あの子、言葉に敏感だから」


「……いや。

 自分で言ってくださいよ」


「そうそう。

 あと、あんた自身にもね。

 “無理しないで”って、たまには自分にも言っときなよ」


陽真は、少しだけ立ち止まって、

日良居の言葉を反芻した。


「……それ、誰かに言われたことあります?」


「あるよ。

 でも、言われたときにはもう遅かった」


日良居はそう言って、またスマホに視線を落とした。

画面の内容は見えない。

でも、そこに“仕事じゃない何か”があることだけは、なんとなくわかる。


陽真は、それ以上何も言わずに、観光課を出た。


---


役場の玄関を出ると、朝の光がまぶしかった。

湿気を含んだ風が、シャツの背中にまとわりつく。


駐車場に向かいながら、陽真は考えていた。


凛に“期待してる”なんて、どう言えばいいんだろう。

昨日の彼女は、どこか“試すような目”をしていた。

言葉を遊びながら、相手の反応を測っているような。


ああいうタイプは、

下手に“褒める”と逆に距離を取られる。

でも、何も言わないと、それはそれで“見られてない”と感じる。


難しいな、と思う。

でも、面白いとも思う。


朱音は、逆だ。

ちゃんと見て、ちゃんと伝えれば、ちゃんと返してくれる。

でも、その“ちゃんと”が、時々、息苦しくなる。


――どっちが楽かなんて、比べるものじゃないけど。


車に乗り込んで、エンジンをかける。

ナビの画面に、目的地の地図が表示される。


「……さて、青春してきますか」


自分で言って、自分で苦笑した。


どこのラノベだよ。


でも、

悪くない。


---




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