どこのラノベ?
会議室を出て、三人はそれぞれの方向へ歩き出した。
「また明日」と手を振る朱音の声が、夜の空気に溶けていく。
凛も軽く手を上げて、反対側の道へ消えていった。
陽真は、ひとり残された。
空を見上げると、星はまだ出ていなかった。
そのまま帰るには、少しだけ気持ちが落ち着かなかった。
だから、足は自然とあの店へ向かっていた。
海沿いの道を少し歩いた先、ぽつんと灯りが見えた。
島内に3件しかないコンビニのうちのひとつ。
夜になると、まるで“避難所”みたいに見える。
自動ドアが開くと、冷房の風と、レジ横の揚げ物の匂いが混ざって流れてきた。
「おう、陽真。今日は“いつもの”か?」
レジに立っていたのは、たけうちさん。
定年後にこの店で働き始めてもう何年にもなる。
陽真が中学生の頃から、夜にふらっと立ち寄ると、だいたいこの人がいた。
「……“いつもの”って、そんなにパターン化してます?」
「してる。ビールは金のやつ、つまみはチーズ系、気分でレモン味の何かを足す。たまにアイス。ほれ、もう暗記しとる」
「……なんか、恥ずかしいですね」
「ええんよ。島のコンビニは、“顔覚えられてからが常連”じゃけえ」
陽真は、冷蔵ケースから缶ビールを1本。
スモークチーズと、“瀬戸内レモン味の柿の種”を手に取る。
「……やっぱり、読まれてたか」
「そりゃあな。あんた、悩んどるときほどレモン味選ぶけえ」
「……それ、分析されるとちょっと怖いです」
たけうちさんは笑いながら、レジ袋に商品を詰める。
「まあ、島は静かじゃけえ、考えごとには向いとる。
でも、考えすぎると、波の音までうるさう聞こえてくるけえ、ほどほどにな」
「……それ、前にも言ってましたよね」
「言うたか? ほんなら、よっぽど大事なことなんじゃろ」
「……また来ます」
「ほい、次はアイスも買うて帰りんさいや。チョコモナカジャンボ、今なら冷えてるぞ」
「……検討します」
店を出ると、夜風が少しだけ涼しくなっていた。
ビニール袋の中で、缶ビールがカラリと鳴る。
陽真は、ゆっくりと歩き出した。
街灯の下を通るたびに、影が伸びては縮んだ。
たけうちさんの言葉が、まだ耳に残っていた。
――考えすぎると、波の音までうるさう聞こえてくるけえ。
たしかに、そうかもしれない。
でも、考えないようにしようとすると、余計に浮かんでくるものもある。
朱音のことだ。
今日、久しぶりにちゃんと話して、
昔と変わらない笑い方をして、
でも、あのときのことには一切触れなかった。
それが、少しだけ、苦しかった。
でも、少しだけ、ありがたくもあった。
あのバレンタインのこと。
紙袋と、手作りのクッキーと、「いつもありがとう」と書かれたメモ。
あのとき、自分は――
「みんなで食べようぜ」と言って、全部を、宙ぶらりんにした。
あれから何年も経って、
何もなかったように再会して、
何もなかったように笑ってくれて、
でも、何もなかったわけじゃないことを、お互いに知っている。
それが、今の“気まずさ”の正体だ。
どう接すればいいのか、わからない。
昔みたいに話していいのか、
それとも、もう別の人として接するべきなのか。
でも、朱音は――
あえて、何もなかったように笑ってくれた。
それが、少しだけ、甘くて、
少しだけ、苦かった。
まるで、レモン味の柿の種みたいだな、と思った。
自分で思って、思わず苦笑する。
甘酸っぱさと苦さのメタファーが、まさかのコンビニつまみ。
文学とスナック菓子の融合。
島の夜に響くのは波の音と、ちょっと気取った独白。
しかも、今日出会ったばかりの凛は、
言葉を操るのがうまくて、
テンポで人を笑わせて、
でもどこか、誰にも触れさせない距離感があって――
あれはあれで、たぶん、何かを抱えてる。
なんか、独特な感性の子と、
微妙な距離感の幼なじみと、
サークル活動みたいな地域イベントに巻き込まれてる自分って――
……どこのラノベだよ。
でも、
悪くないかもしれない。
陽真は、ビニール袋を軽く揺らして、また歩き出した。
星は、まだ出ていなかった。
でも、波の音だけは、ずっとそこにあった。
明日がくるのが少し楽しくなった