表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

--------

朱音が「そうかもね」と笑ったあと、

会議室に一瞬だけ、言葉のない時間が流れた。


その沈黙の中で、陽真はふと、

小学校の頃のことを思い出していた。


---


あのとき、俺たちは“幼なじみ”って呼ばれてた。

家が近くて、登下校もよく一緒で、

気づけば、いつも隣にいた。


周りに冷やかされるたびに、

俺は「ちげーし」とか「やめろよ」とか、

とにかく否定することばかり考えてた。


でも、朱音は――

たまに、わざと聞こえるような声で言うんだ。


「陽真くんって、けっこうかっこいいと思うけどな」とか、

「将来、誰と結婚するんだろうねー」とか。


あれは、たぶん、

本気を隠すための冗談だったんだと思う。


バレンタインの日、

朱音がくれたチョコは、

小さな紙袋に入ってて、

手作りのクッキーと、

「いつもありがとう」って書かれたメモが入ってた。


俺は、受け取った瞬間に、

周りの視線が気になって、

心臓がうるさくて、

気づいたら言ってた。


「……みんなで食べようぜ」


朱音は笑った。

でも、その笑い方は、

いつもより少しだけ、静かだった。


あれから、何もなかったように日々は過ぎて、

中学ではクラスも別になって、

話すこともなくなって――

気づけば、“知ってた”だけの関係になっていた。


---


今日、こうして再会して、

朱音があの頃と同じように笑ってくれて、

でも、あの頃と違って、

何もなかったみたいに話してくるのが――

少しだけ、苦しかった。


俺は、ちゃんと向き合ってこなかった。

あのときの気持ちも、

あのときの言葉も、

全部、宙ぶらりんのままにしてきた。



“やらかした”っていうのは、

そういうことだ。


陽真は、ふっと息を吐いて顔を上げた。

会議室の空気は、さっきと変わらず、

窓の外では蝉の声が遠くに響いていた。


朱音は、タブレットの画面を見ながら、

花飾りの写真を指でスクロールしていた。

でも、その指の動きが、ほんの一瞬だけ止まった。


そして、何気ないふうを装って、

陽真のほうをちらりと見た。


目が合う前に、彼女はすぐに視線を戻した。

けれど、その一瞬の間に、

何かを確かめるような、

あるいは、思い出すような気配があった。


凛が「ねえ、これって本番は何時からだっけ?」と声を上げ、

空気がまた動き出す。



朱音は、凛の質問に答えながらも、

どこか少しだけ、視線を泳がせていた。


「18時から。だから、17時には現地入りかな」


言葉ははっきりしているのに、

その声の奥に、わずかな“間”があった。


陽真は、その“間”に気づいていた。

たぶん、朱音も気づいていた。


彼女は、あの頃のことを忘れていない。

でも、あえて触れない。

それは、優しさでもあり、

同時に、距離でもある。


朱音がタブレットを閉じて、

紙コップの水をひと口飲む。

そのとき、ふと、陽真のほうを見た。


「……あのさ」


一瞬、何か言いかけたように見えた。

でも、すぐに言葉を飲み込んで、

代わりに、少し笑って言った。


「陽真くん、踊るときはちゃんと笑ってね。

真顔で踊ったら、怖いから」


「……踊る前提なんですか」


「うん、前提」


そのやりとりは、ただの冗談のように聞こえた。

でも、陽真には分かった。


“あのさ”のあとに続くはずだった言葉を、

朱音は、今はまだ言わないことを選んだ。


それは、たぶん――

自分だけが“覚えている”と思われたくないから。

あるいは、“覚えている”ことを、

陽真の口から聞きたかったから。


どちらにしても、

彼女は、ちゃんと覚えている。


そして、陽真もまた、

その記憶から逃げないと決めていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ