夢の中で
9.夢の中で
静かな夜。
星が瞬く空の下で、セリナは夢を見ていた。
どこまでも広がる星空を見上げ、幼い自分が何度も何度も小さな手を伸ばしている。
届くはずもないのに、ひたすらに星を追い続ける。
やがて一筋の光が夜空を流れた。流れ星だ。
「…待って」
声にならない声で呼びながら、夢の中のセリナは走り続けた。
けれども流れ星の行方は分からず、ただ懸命に探すばかりだった。
気づけば、彼女は見知らぬ教会の中に立っていた。
月光に照らされ、聖堂のステンドグラスが青や赤に輝き、荘厳な光景をつくり出している。
その奥に、一人の人物が立っていた。
逆光に包まれた顔は見えない。ただ、細い腕が彼女へと差し伸べられる。
「……ようこそ。参りましたね」
男とも女ともつかぬ、不思議な声。
誘うように伸ばされたその手に、セリナもまた思わず手を伸ばした。
**********
「セリナ! いつまで寝ているの!?」
はっと目を覚ます。
耳に飛び込んできたのは、聞き慣れたメイドの声だった。
「も、申し訳ございません! すぐに支度いたします!」
慌てて飛び起き、壁の時計を見る。起床の時間はとうに過ぎていた。
「本当に、あなたは…」
呆れたような溜息に、セリナは小さく頭を下げた。
「…す、すみません」
「もういいわ。早く支度をして掃除に取りかかって」
メイドが部屋を出ていくと、セリナは慌てて服を整え、掃除道具を手に取った。
他の使用人たちはすでに動き出している。何度も謝りながら、暖炉の清掃を始めた。
煤で汚れた石をこすりながら、先ほどの夢を思い返す。
あの教会。差し伸べられた手。聞き覚えのある声。
あれは、いったい誰だったのだろう。
「朝食の準備は整っておりますか?」
「はい、奥様」
廊下から、婦人とメイド長の声が聞こえる。
セリナは作業を続けつつ、つい耳を傾けた。
「今日は来客が参ります。そのため、歓迎の茶菓子と紅茶を用意しておくように」
「承知いたしました」
婦人が立ち去ったあと、メイド長と目が合う。鋭い視線に思わず背筋を伸ばした。
「……セリナ」
「は、はい!」
凛とした足取りで近づいてきたメイド長は、彼女を見下ろすように言った。
「先ほどの話、聞いていましたね?」
「も、申し訳ありませ…」
「いいえ、それは構いません。実はあなたに頼みたいことがあるのです」
セリナはごくりと喉を鳴らす。
「来客用の茶菓子が切れてしまっていました。本来なら別の者に行かせるのですが、今はあなたしか手が空いていません。買いに行ってもらえますか?」
突然の外出の役目。断ることなどできるはずもない。
この家で叩き込まれた知識で、茶菓子の選び方も頭に入っている。
不安はあるが、やるしかない。
「承知いたしました」
「ありがとう。助かります。後で地図とお金を渡します。道具を片付けたらメイド室に来てください」
そう告げて立ち去るメイド長の背を見送り、セリナは大きく息をついた。
本当に自分で大丈夫なのだろうか。
胸の奥に小さな不安を抱えながら、掃除を終えてメイド室へ向かった。
途中、すれ違った侍女たちのひそひそ声が耳に届く。
「聞いた? セリナ、また寝坊したんですって」
「本当? この前は茶器を割ったって聞いたけど」
「まったく、あの子ほんとうになんなのかしら」
心臓を締めつけるような囁き声。
背筋に冷たいものを感じながら、セリナは早足で歩いた。
小さくノックをして、メイド室の扉を開く。
「失礼します」
「セリナね。入りなさい」
清潔に整えられた部屋で、メイド長が鞄を手に待っていた。
そして少し険しい顔つきでセリナを見つめる。
「いいですか、セリナ。私は貴女が奥様に叱られるたびに、その責を一緒に負わされてきました。……分かっているのですか?」
厳しい声に、セリナは思わず目を伏せる。
「申し訳、ありません…」
「だからこそ、今回のお使いはしっかり務めなさい。地図には細かく書き込んでありますし、お金もお釣りが出ないようにしてあります。買うものも書き出してあるわ。いいわね?」
「…はい。必ず」
鞄を受け取り、セリナは深々と頭を下げた。
胸の中の不安とともに、ほんのわずかな高鳴りを感じながら、彼女は屋敷を出る準備を始めた。