記憶の裂け目と観測者の影
校舎の壁に開いた扉の向こう。僕と紗月は、光に包まれながら一歩を踏み出した。
そこは、現実とも幻想ともつかない空間だった。真っ白な廊下が無限に続いているように見え、足元には記憶の断片のような映像が、まるで映写フィルムのように浮かんでいる。
「ここは……?」
「記憶の観測層だ」
斉藤が静かに説明する。
「紗月の脳内データと、実験環境の記録ログが重なり合って形成された空間だ。この層を抜ければ、彼女の核となる記憶に到達できる」
僕は足元に浮かんだ断片に目をやる。それは、幼い紗月が両親と笑っている風景だった。しかし、次の瞬間――激しい衝突音と共に画面が歪み、白黒のノイズが走る。
「これは……交通事故?」
「彼女が記憶障害を負うきっかけとなった出来事だ。脳内の時間認識中枢に深刻なダメージを受けた」
斉藤の声には、どこか悔恨のような響きがあった。
「だからこそ、我々は、時間を守る檻を構築し、その中で彼女の意識を守ろうとした。だが――」
その時、空間全体が大きく揺れた。
「……来たか」
斉藤が低く呟いた。
現れたのは、黒いフードを被った別の人物だった。顔は見えない。だが、確かな敵意だけが、この白い空間を汚すように漂っていた。
「彼は……?」
「観測者だ。記録と記憶の整合性を保つためにプログラムされた存在……だったが、暴走している」
「暴走?」
紗月が眉をひそめる。
「彼は、紗月の安定した精神状態を最優先に設計された。だが、君が真実に触れようとしたことで、それが脅威と判断されたのかもしれない」
フードの男が、一歩踏み出す。
空間が崩れ始める。
「紗月を覚醒させないために、記憶を破壊しようとしている……!」
「逃げよう!」
斉藤の声に、僕と紗月は駆け出した。
空間のひび割れをすり抜けながら、僕たちは、記憶の核に向かって進んだ。
途中、またひとつの映像が現れる。
それは、病室のベッドに横たわる紗月と、彼女に寄り添う僕の姿だった。
「……これは……現実……?」
紗月が足を止める。
「遼、私たち、現実でも会ってたの……?」
「分からない……でも、君を想ってる自分が、確かにそこにいる」
僕は紗月の手を強く握った。
その時だった。観測者が、無音のまま、目の前に現れた。
「記憶は危険。安定を優先せよ」
その声は機械的で、感情を持たない命令だった。
「君の言う安定は、真実から逃げることなのか……?」
僕は一歩前に出る。
「だったら、僕は君を止める!」
観測者が手をかざすと、無数の記憶の破片が飛来した。
だが、次の瞬間――
「おい、バカ遼! 一人でカッコつけんな!」
翼が、空間の裂け目から飛び込んできた。
「翼……!」
「データリンク成功したんだよ。お前が残した記録を解析して、強引に割り込んできた!」
彼は手にしたデバイスを操作しながら叫ぶ。
「この空間、コード構造で動いてる。こいつの制御権を一時的に奪う!」
観測者が一瞬、動きを止める。
「今だ、遼!」
僕は紗月の手を引き、記憶の核へと飛び込んだ。
光に包まれながら、僕たちは叫ぶ。
「ここで終わらせない! 君の意思で、未来を選ぶんだ!」
その先にあるのは――
まだ見ぬ真実か、それとも全ての崩壊か。




