記憶の扉と選ばれた未来
また、始まりに戻った。
春霞のような光が差し込む教室。周囲のざわめきも、黒板のチョークの音も、すべてが既視感に満ちていた。
「……まただ」
僕は呟く。だが、今回は明らかに違った。
隣の席に座る紗月が、僕のほうを見ていた。その目に、わずかな気づきが宿っている。まるで、完全には記憶を取り戻していなくても、どこか深層で繋がっているような――
「……君、昨日……夢に出てきた気がする」
紗月がぽつりと言った。
「夢?」
僕は動揺を隠せず、彼女の顔を見た。
「……よくわからないけど、ずっと探してた気がするの。あなたのことを」
彼女の声は、何かを越えてきたように静かだった。前回のループでの対話が、わずかに残っている。その確信が、僕に希望を与えた。
僕は翼を探し、すぐに理科準備室へと向かった。
「またか。だが今回は、手がかりがある」
翼は、目を輝かせていた。彼もまた、わずかだが何かを覚えていたのか、いつも以上に行動が早かった。
「扉の向こうって言ってたな、あの男……仮に、記憶空間への干渉や再構築があるとして、それにアクセスするには、紗月自身の記憶の鍵が必要だ」
「鍵……か」
その言葉を聞いて、僕は前回のループの終わり――紗月の胸元に浮かび上がった痕跡を思い出した。
「あの痕……もしかしたら、身体そのものがインターフェースになってるんじゃないか?」
「つまり、彼女の記憶にアクセスできるとしたら……」
「彼女が、思い出すことでしか、開けない」
そのとき、放送室から放送が鳴った。
《……斉藤智也くん、至急、職員室まで来てください。繰り返します――》
――斉藤智也。
その名前が、まるで存在するものとして放送された瞬間、僕と翼は顔を見合わせた。
「記録が変わってる……!」
「存在してなかったはずの彼がいることになってる」
翼はすぐに立ち上がった。
「これはチャンスだ。彼に会えれば、真相に近づける」
だが、校内をいくら探しても、斉藤智也の姿は見つからなかった。
代わりに、旧校舎の裏手に回ったときだった。そこに、彼はいた。
制服の襟を整えながら、どこか、今に馴染まない静けさを纏った少年。僕と目が合うと、ゆっくりと口を開いた。
「ようやく来たか、瀬川遼」
「斉藤……なのか?」
「いや、斉藤智也は、この世界に適合するための“仮の器”だ。正確には――君たちと同じ、記憶保持者だよ」
その言葉に、背筋が凍る。
「じゃあ……君も、ループの中に?」
「違う。僕は外からこのループを監視している存在。紗月の記憶を保護し、必要なら修復する役目を持っていた」
「監視……だと?」
「君は知らないだろう。この実験が、紗月の意識治療の一環として始まったことを。彼女は幼い頃、ある事故で脳に損傷を受けた。以降、断片的な記憶喪失を繰り返していた」
「……その治療のために?」
「記憶の補完を目的とした仮想時間空間……それがこの世界の正体だ。彼女自身の意識と、周囲の情報を再構築して作られた、閉じられた世界」
僕は言葉を失った。これまでの日々が、実験のための模造世界だったというのか。
「だが、予期せぬ例外が起きた」
斉藤――いや、彼は別の存在として続けた。
「君が、このループで記憶を保持し続けたこと。それが想定外だった。君の存在が、彼女の感情と記憶を、自然な形で結びつけていった」
「じゃあ、僕が彼女の記憶に関与していることが……」
「彼女の覚醒を促している」
その時、紗月が姿を現した。彼女はゆっくりと近づき、僕と斉藤の間に立つ。
「……思い出した。あなたのことも、この世界のことも」
彼女の目は、もはや怯えていなかった。澄んだ瞳で、真っすぐに僕を見ていた。
「私は終わらせたい。このループを」
その決意に、斉藤はわずかに頷いた。
「それが君の意志ならば……扉は開く」
彼の言葉と同時に、校舎の壁が、ゆっくりと軋む音を立てて裂けた。
その向こうには、白く光る廊下。紗月の過去、忘れられた記憶、そして――未来への選択肢。
「さあ、行こう。君と僕で、本当の世界へ」
僕は紗月の手を取った。その温もりが、今までで一番確かなものに感じられた。




