過去の扉
「おはよう、紗月」
いつものように、紗月はにっこりと笑顔を見せてきた。だが、その笑顔の奥に、僕はわずかな不安を感じていた。紗月の目の奥に、何かを隠しているような気がしてならない。
いつものように日常が流れていく。しかし、僕は確信している。彼女が忘れている理由、そしてその背後に隠された真実が、僕たちのループに深く関わっていることを。
放課後、僕は結城翼に再び会った。翼は僕と同じように、記憶を保持し続けている唯一の友人だ。ループの中で何度も共に過ごしてきた。今日も、彼と一緒にこの謎を解決しようと決めていた。
「結城、今日も紗月に話してみたんだ」
僕は少し緊張しながら言った。結城はいつものように、冷静に聞いてくる。
「どうだった?」
「いや、まだ何もわからないけど……彼女、何かを隠してる。昨日、少しだけ目が泳いだんだ」
僕が言うと、結城は目を細め、真剣に考え込んだ。
「目が泳ぐ……それは大きな手がかりだな」
結城は腕を組んで、しばらく沈黙した後、言った。
「もしかしたら、彼女も何かを気づいているのかもしれない。君のことも、このループのことも」
その言葉に、僕は少し驚いたが、同時に心の中で希望が湧いてきた。もしかすると、紗月も何かを覚えているのかもしれない。もし彼女がこのループのことに気づいているなら、きっとその記憶を取り戻す手がかりがあるはずだ。
「じゃあ、今日はもっと踏み込んでみよう」
結城が続けた。
「彼女の過去を調べてみるのがいいかもしれない」
その言葉に、僕は少し戸惑いながらも納得した。紗月が隠していること、そしてその過去。それがループの謎とどう繋がっているのか、僕たちにとっては重要な鍵となるはずだ。
その夜、結城と僕はインターネットで紗月の情報を調べることにした。転校生としてこの町に来たばかりの紗月について、さまざまなデータがヒットしたが、どれもあまり有益な情報はなかった。それでも、ひとつだけ気になる事実が浮かび上がった。
「彼女が転校してきた時期……ちょうど、僕たちがループに巻き込まれ始めた頃だ」
結城が言うと、僕は思わず目を見開いた。
「それって、偶然じゃないかもしれない」
僕はつぶやいた。もし紗月がこのループの中心に関わっているのだとしたら、それは単なる偶然ではないはずだ。
次の日、僕は決心した。今日は紗月に、もっと踏み込んで聞いてみよう。
放課後、教室を出て行く紗月を見つけた。僕はその後ろを静かに追いかける。いつも通り、無防備に歩いている彼女に声をかけることをためらっていたが、今日は違った。
「紗月、ちょっと話があるんだ」
振り返った彼女は、いつものようににっこりと笑って答える。
「何か用ですか、瀬川さん?」
僕はその笑顔に、少しだけ胸が締めつけられるような気がした。しかし、今日はそれに負けずに言葉を続けた。
「君が僕を忘れてしまう理由、教えてほしいんだ」
その言葉に、紗月は目を大きく見開いた。ほんの一瞬の間、彼女の顔に浮かんだ微かな動揺を僕は見逃さなかった。
「え……?」
僕はその隙に、一歩踏み込んで言った。
「君が僕を忘れる理由、何か隠してるんじゃないか?」
その瞬間、紗月の顔が驚きと恐怖で固まった。まるで何かに怯えているかのように、彼女は目を伏せ、言葉を飲み込んだ。
「それは……私には言えません」
紗月が小さく呟いた。その声に、僕の心がざわつく。
「どうして? もし君が何か知っているなら、それを教えてほしい」
僕は焦りながらも、彼女の目をしっかりと見つめた。
「……私は、もう何度も死んでいるから」
紗月は静かに告げた。その言葉に、僕は言葉を失った。
「何度も……死んでいる?」
僕は声が震えるのを感じた。
紗月はゆっくりと僕を見つめ、さらに続けた。
「はい、私……このループに巻き込まれてから、何度も死んで、そのたびにまた最初からやり直している。だから、私の記憶は戻らない」
彼女の目に、悲しみと決意が混じっている。
その瞬間、僕はようやく気づいた。紗月が隠していたのは、彼女自身の過去。死んで、また目を覚ます。このループの中で、彼女は何度もその繰り返しを経験してきたのだ。
「だから、私が君を覚えていないのは、仕方ないことなんです」
紗月の言葉は、まるで自分を責めるように響いた。
その言葉を聞いた僕は、胸の奥で何かが崩れるような感覚を覚えた。紗月は、ループの中で何度もその記憶を失い、そしてまた新たに始まり続ける。その繰り返しが、彼女の過去を形作っていた。