現実を超えて
崩壊する世界の中、僕たちは駆けた。
階段も廊下も、かつての日常を象っていたものは、砂のように風に流され、音もなく消えていく。ただその中心だけが、奇妙な静けさを保っていた。
「あの侵入者が言ってた、出口って……どこにあるんだ」
翼が走りながら端末を操作している。だが、ノイズが激しく、画面はもはや意味をなしていなかった。
「この空間自体が制御不能になってる。プロトコルはすでに崩壊寸前。けど……」
彼は立ち止まり、ふと天を仰いだ。
「もし、出口があるとしたら、そこだ」
見上げた先――空の中央に、渦を巻くような光が現れていた。かつては青かった空が、今はどこか透明な膜のようになり、その中心がゆっくりと開き始めていた。
「……あれが、現実世界への回帰点?」
僕の問いに、翼は小さく頷いた。
「たぶん。けど、行くだけじゃ意味がない。記憶を持って抜けなきゃ、全ては無に帰す。遼、お前が鍵なんだ」
「……俺が?」
翼は、ずっと懐に隠していたデバイスを取り出した。それは、見たことのない金属製のカプセルだった。
「これは、記憶保存用のバックアップ装置。本来は実験参加者に使う予定だったものだ。だけど……お前なら、自力で彼女の記憶ごと現実へ持ち出せる」
「彼女の……記憶?」
横にいた紗月が、僕を見た。
「私、少しずつ……思い出してきた気がする。名前も、声も、ずっと忘れてたけど……遼、君といた時間だけは、どんなにリセットされても消えなかった」
「それが……データじゃなくて、本物の感情だって証だ」
僕は、手のひらで紗月の手を包む。その体温が、確かに僕の中に溶けていく。
「じゃあ、行こう。全部取り戻すために」
その時だった。
「……待て」
崩壊する空間の奥から、再び白いフードの男が現れた。彼の足元から放射されるように、空間の崩壊が逆流し、再び構造を取り戻していく。
「選択の時だ、紗月。君が出口に進めば、この空間は完全に終わる。君の意識も、統合されることなく現実に帰還する。だが、それは同時に……我々の研究の終焉でもある」
彼は、手を伸ばした。
「君がここに残れば、さらなる次元での意識拡張が可能だ。進化の先にある個の融合。我々が目指した、人類の新たな形。それを一緒に――」
「違う」
紗月の声が、遮った。
「私は、人でいたい。過去も、痛みも、迷いも、全部抱えて、それでも人として、誰かと繋がって生きていきたい」
彼女は僕の手を握り直した。
「私は、遼と行く。虚構じゃない、現実へ」
男は一瞬、何かに迷うような素振りを見せた。だが、すぐにその表情を拭い去り、静かに身を引いた。
「……そうか。ならば、見届けよう。君たちの未来を」
光が強くなる。空の渦が、まるで僕たちを誘うように輝きを増していく。
「遼!」
紗月の手を引いて、僕たちは跳んだ。
空間が裂ける。風が唸る。そして――
眩い光が、視界を飲み込んだ。
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目を覚ますと、そこは見知らぬ病室だった。
機械の音が規則的に響く中、僕は身体を起こす。そして、隣のベッドを見る。
そこには、目を閉じたままの紗月がいた。
「紗月……」
手を伸ばすと、彼女のまぶたがぴくりと動いた。
「……遼……?」
それは、確かに彼女だった。
何度消えても、失っても、それでも届いた――
僕たちは、虚構を超えた。




