プロローグ
1人の男が乱暴に拳を乱暴に叩きつけた。
「くそっ!!」
その声は苦難、苦悩を前面に出して吐き出される。
外の雷雲が漂い、時折落ちる雷が男の顔を浮かび上がらせた。
屈強な身体に一見すれば優男でも男らしい顔立ちをしている。
口髭を生やしていても、悔し気に曲げられた口元は隠せない。
「今更、魔法だと!?」
男はこの都市を守る役目を持った貴族。
腐敗漂う中で、唯一平民の事を考える善良さも持っている。
だからこそ許せないのだ。
都市へ蔓延る犯罪に。
しかも、手口は同じ。
なのに古臭い隠匿魔法を使っている。
まるで『自分を捕まえてみろ』と言わんばかりに。
思わず歯切りししてしまう程に男の心痛は強かった。
守るべき者を守れなかった事実に。
魔法が普及して一般人でも学習すれば高度な物が使える。
一方で廃れていった魔法も数知れず。
国中で使われている魔法の中で、辿り着いたのが誰でも使える隠匿魔法。
法で禁止されているが誰でも使える。
探知方法も簡単だ。
しかも個人特有の魔力痕も残る。
特定しようと思うなら簡単に出来るのだ。
しかし、今、街で横行している殺人の手法は同じでも、手掛かりが現場で途切れる。
そこから先の動向が全く分からない。
「何故だ!?」
犯人の特徴は分かっていても、どこに居るか分からない状態。
一通り怒った後、重厚な椅子に座り、葉巻を取り出す。
吸えばいくらか気分は楽になるだろう。
そう思い、火口を切り、火を付けたマッチ棒で先端を炙って息を吸い込む。
慣れた葉巻の煙をふかし、声を掛ける。
「誰だ?」
「あら、バレちゃったわ」
椅子の真後ろに在る窓から若い声が返ってきた。
男が座る真後ろに位置する窓は、何者かの仕業によって開かれ、不審者は窓際に立っている。
「ふぅ~……。今日は見逃してやる。何が目的かは知らんがさっさと消えろ」
「そんな事言って良いの? せっかく貴方に街を守る為の力を持って来たのに?」
「守る力?」
怒りを溜め込むまいと葉巻をゆっくりと吸い、大きく煙と吐き出す。
不審人物の言い様ではまるで自分に事件を解決する力が無いと言われているも同然。
男は握った葉巻を机に叩きつけて激高した。
「私に能力が無いとでも言うのか!!」
勢い良く立ち上がり、不審者へ振り返る。
見た目は華奢な少女のようにも見えた。
しかし、言われた事には一切納得できない。
男は自分の持てる全てを使って頻発する犯罪を取り締まっている。
腐敗しきった貴族社会でも煙たがられる存在になっても、市民を守る為に心身を削り続けているのだ。
不審者の言い草には到底納得出来ようも無い。
「無いとは言わないけど、足りないのは確かよね?」
「ぬっ……」
確かに事件が解決していない以上は、能力が足りていないと言われても仕方がない。
怒りに思考が染まっていても自制できる精神力はある男。
しかし不審者に言われる謂れも無いのも事実。
「貴様! そんなに捕まりたいらしいな!!」
「八つ当たりしないでよ」
握った拳は机に叩きつけられたまま、ぎりぎりと自身の手に爪が食い込んでいく。
付けられた火は消え、葉巻から出ていた煙も消えた。
男の睨め付ける先には、相変わらず飄々とする人物が仮面越しに見ている。
「今夜は貴方に力をあげに来たのよ?」
「随分と上からの良い草だな!」
「貴方の力になれるのは本当の事よ?」
身体つきと声からして、恐らく少女。
自分よりも遥かに年下の子供に言われて、はいそうですかとはいかない。
「貴様、偉ぶらないでさっさと帰って寝ていろ!」
「まぁ、そう言わずにこれを試してみなさい」
不審人物が懐から一つの黒い仮面を取り出した。
魔法を宿した道具、所謂、魔道具の類だろうか。
仮面の形はよく洗脳の魔法が掛けられている事が多い。
当然、男も警戒する。
「それで私を洗脳しようとでもいうのか」
男は街の治安を守る役目を担っている。
洗脳すれば思いのままに犯罪が出来ると言う訳だ。
「犯罪に加担する等、私が本当にすると思うのか?」
「洗脳の心配? 確かに魔法は掛かっているけど、肉体強化と魔防具の収納よ」
「肉体強化? それに魔道具の収納だと?」
「魔道具じゃなくて、魔防具ね」
不審者には重要な事であるかのように防具の部分を強調した。
それから手に持っていた仮面を男に差し出す。
あからさまに怪しい代物だが、不審者の言う事も最もである。
罠を警戒過ぎてチャンスを逃しても、悔いが残ると思ったのも事実。
怒髪天の怒りは静かに収まり、冷静な判断がより可能になった。
葉巻の煙と一緒に怒りを吐き出したのが効いたのか。
何にしろ、男の正義感は改めて燃え上がる。
もう、悔しい思いも市民が犠牲になるのも我慢できない。
たとえ怪しい者が差し出した道具でも、罪人を断罪出来るならと考えた。
「貴様が何者であろうとも、今は手段を選んでいる暇はない」
男は不審者が差し出している仮面を半ば奪い取り、慎重に顔へ近付ける。
「きっと、驚くわよ」
結果は分かっていると言うように、不審者は仮面の下で笑う。
男は覚悟を決め、顔の上半分を覆う仮面を付ける。
「ぐっ!?」
突如、襲う身体の異常。
罠かと一瞬思ったが、身体中の筋肉は大きく張り、仮面から伸びた黒い影が全身を覆って最後にマントが展開された。
「これは……」
身体の違和感はない。
むしろ若かった頃よりも肉体的に強靭になっている。
持ち上げた手をグッと握れば、筋肉がギシリと唸りと唸った。
展開されたスーツも身体に隙間なく密着していながらも、動き難さは全くない。
それどころか元々、筋骨隆々だった肉体の筋肉が2~3割ほど盛り上がり、力も速さも上昇しているだろう。
マントに至っては様々な防御魔法が掛けれらている。
良く見ないと分からないが、よく見れば見る程、素材の良さと掛けられている魔法の緻密さが分かった。
「ちなみに全身の生地にはデーモンベヒーモスの皮を使っているわよ」
「な、何だと!?」
不審者が言った素材は特級冒険者でも複数のチームが居て、はじめて狩れるかどうかの強さを誇る。
それを全身分とマントの分を確保で来るのは、よほどの大金持ちかデーモンベヒーモスを簡単に狩れる実力が在る物のみ。
男は仮面の下から不審者を見るが、どう考えても狩れるような実力を持っているとは思えない。
何処かの酔狂な金持ちの道楽か……? と、思った所、不審者が先に口を開いた。
「言っておくけど、私はお金持ちではないわよ?」
「……何?」
不審者の言う事が正しければ、直接狩った事になる。
しかし何度見ても外見からは強さは感じられなかった。
「あのね、私がここに居る事が実力の証明になると思うの」
「ぬっ……」
確かに自分の部屋を無防備にする男ではない。
犯罪を取り締まっている以上、過去の因縁で襲撃される危険性もある。
当然ながら警備も警報類も多数設置してあった。
それらを起動させずに男の部屋へ侵入して見せた不審者。
そこら辺の湧いて出るような雑多な冒険者ではないのだろう。
男の怒りは消え去り、代わりに疑問が出てきた。
「何故、それほどの実力が在りながら私に力を貸す? 貴様も犯罪が憎ければ直接手を下していても良いだろう」
当然の疑問だ。
デーモンベヒーモスを狩れる程の実力。
単独か集団で狩ったのかは分からないが、少なくとも目の前に居る不審者の実力は相当な物だろう。
デーモンベヒーモスは、それ程の化物なのだ。
もし単独で狩ったとしたのなら、この世界で不審者に勝てる者は居ない。
「私がやったら意味が無いし、面白くないもの」
「面白くないだと!? 犯罪を娯楽としてみるのか!!」
男は深く犯罪を憎んでおり、不審者の言い草に怒りを表す。
しかし相手の態度は変わらない。
「貴方はまるで張り詰めた糸だわ。ふとした瞬間ぷっつりと切れそうなのよね」
「……っ」
確かに男は焦りを感じていた。
頻発する犯罪と、その後ろに見え隠れする犯人の薄笑いに。
自分の力が追い付いていないのは鮮明。
自然と不甲斐無さで苛立っている。
指摘された男は何も言い返せなかった。
「……ふぅ~、それで? このスーツで私に何をしろと?」
「やっと冷静さを取り戻したわね」
腹の底から深呼吸をし、怒りを力尽くで押し込んだ。
「何をと言われても、特別な事じゃないわ。今のまま犯罪を取り締まれば良いのよ」
「何?」
「貴方自身がね」
「……」
確かに不審者の言う通り、このスーツを着ていれば大抵の犯罪は容易く取り締まれるかもしれない。
もしかしたら、古臭い魔法を使った連続殺人犯へも辿り着く可能性を感じる。
「私が犯罪を直接取り締まれというのか?」
「そうね。その方が確実でしょ?」
「……部下には何と言えば」
「貴方一人で犯罪を取り締まるのよ。その為の仮面」
仮面を被っている今の状態なら、誰が捕まえたかは分からない。
逆に言えば報復される心配もない訳だ。
部下にも優秀な者も居るが、仮面を付けた状態では男とは気付かない。
声も変っているので、一目で見分けるのは不可能だろう。
「分からないな」
「何が?」
「何故、私に協力する?」
「言ったでしょ。面白くないと。それに私も街に住んでるのよ。治安が良くなければ安心して遊びに行けないわ」
「……遊びに、か」
不審者の言葉に、体格と声が初めて合致した気分だった。
強力な力を提供するのは、自分が楽しむ為。
昼間はきっと学生か、それに近い生活を送っているのかもしれない。
つまり利害は一致している。
「なるほど。貴様の提案に乗ってやろう」
「賢明な判断だわ」
相手は仮面の下でくつくつと笑う。
不審者はそのまま後ろへ倒れ、窓際から去ろうとする。
男は聞きたい事と、反射的に未成年を守るべく、慌てて窓の外を見に行くが不審者の姿は消えてしまっていた。
「一体、何だったんだ?」
不思議な、恐らく少女から渡されたスーツを着たまま、再び拳を握る。
ギチギチと腕の筋肉が軋み、今まで以上の力が出ているのは確かだった。
「これさえあれば、あるいは……」
連続殺人犯を捕まえる事も出来るかもしれない。
脳裏に過ぎるのは、やはり犯人の事。
何も情報を掴めていない状態で、頻発する犯罪。
「必ず……必ず捕まえてみせるぞ!」
拳を握り、明けられた窓から雲の中で走る稲妻を睨みつけた。