鍵を持っている者
「駄瓶先生には内縁の女性か、私生児、いわゆる隠し子が存在するのだと、私は推測します」
揺れ動く館内の空気を感じながら、私は言葉を続けた。
「先生にそのような秘密にしておきたい関係の縁者がいたとしたら、直接コンタクトをとってのやりとりは困難だったと思われます。万が一存在が発覚すれば、駄瓶先生の知名度ゆえに、双方とも遺産どころではない事態になってしまいますからね。だから先生は、あのような回りくどい方法を取ったのです」
「ま、待ってください! 駄瓶先生にそういう意図があったとしても、その渡したい人物以外の者が先にメッセージを見つけてしまっては、全てパーになってしまうのでは!?」
今まで奥に引っ込んでいた南雲館長も、私の推理にのってきた。うむ、いい感じだ。この感覚はルポライターの仕事では到底味わえないな。
「館長のおっしゃる通りです。しかしそれは、逆にある可能性を浮かび上がらせます」
「ある可能性?」
「駄瓶先生とその人物しか知りえない、特殊な解読方法があるということです」
「特殊な解読方法……」
「そう、これまでの推理が正しければ、メッセージを解読するにはただ観察するだけではダメで、ある手順を踏まなければならない。無関係の第三者が、先にメッセージを解読してしまうのを防ぐために。例えるなら、遺産が眠っている部屋を開けるための鍵を、その人物だけが持っているようなものなのです。おそらく今は部屋のドア、すなわち、メッセージが隠されている絵そのものを探している段階なのでしょう。そうでなければ、もうすでにメッセージは解読され、遺産はその人物の元にあるはずです」
しばらくの間、館内に静寂が漂う。それを破ったのは、警部が取った手拍子の音だ。
「なるほど、戸玉さんの言いたいことが読めましたよ! つまり、必死になって絵の中にあるメッセージを解読しようとしなくても、解読方法を知っているその人物を発見してしまえば、自ずと遺産の在処がわかっちゃうということですな!」
今度は、私の方から拍手をした。長々と喋って力が入っていたせいか、触れあった手のひらどうしが湿っぽく感じる。
「御名答ですよ、警部。その人物を見つけるほうが、絵の中からメッセージを探して解読するよりも、ずっと簡単だと思います」
「よーしそれならば、我々の活動は明日から大きく編成を変えてみよう。美術館で入館者の整理やメッセージの調査をするものを半分程度残して、他の人員は館外にて聞き取り調査を行う! 駄瓶先生と愛人関係にあった者や、古くから交遊のあった者などを、しらみつぶしにあたってみるのだ!」
警部は意気揚々として、調査班の面々を部屋の隅に集合させ、それぞれ役割を振り分け始めた。私はそんな様子の警部に近づいて、そっと声をかける。
「ふふ、ずいぶん元気が出てきたじゃないか。新人刑事だったころとまるで変っちゃいないな。薄暗い館内で地道に謎解きだなんて、本当は性に合わなかったんだろ? 外での活動は君に任せることにするよ、根原クン」
警部も、ゆっくりとこちらを振り返り、今度は歯を見せながら笑った。
「あなたも、相変わらず怖いお人ですよ。戸玉記者」
メッセージ解読のための道筋がはっきりしてきたところで、私は理愛を手招きした後、南雲館長に声をかけた。
「館長、今日の監視カメラの映像を調べたいのですが、管理室の入室許可をいただいてもよろしでしょうか」
「は、はい! わかりました。守衛室に連絡しておきます」
「戸玉さん、絵のほうは調べないんですか?」
「それは後回しにしよう。我々もまずは人探しだ。例の人物が絵を見つけようとして、この美術館に来ていた可能性もある。開館時間中の監視カメラ映像から、不審な人物を徹底的にチェックしてみるのだ」
「戸玉さん……すごいですよ。見事なまでに不審な人物だらけです」
監視カメラの映像とにらめっこしていた私の耳に、真希さんの落ち着いた声がそっと入り込んでくる。
「真希ちゃんのところも? こっちなんかほら、見てよ。青だったり緑だったり、いろんな色の光を絵に当てて、職員に怒られてる人がいるよ」
そして理愛の甲高い声が脳を突き刺す。いつものことだ、いつものことなんだが……私が適応するにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「こっちの監視カメラもだ。入場者が増えれば、その分だけ不審者も増えるという事か」
私と理愛、そして真希さんをはじめ館内に残って私の支援をするよう指示を受けた調査班の方々とともに、管理室にて不審人物のチェックを行っていたのだが、ざっと見積もるだけでその数は100に近い有様だった。
「あっ、この人……警備員の目を盗んでペタペタ絵を触ってるよ」
「こっちは脚立持ち出して上から写真取ったりしてる。もう何でもありだね」
「こらお前たち、この調査は人間博覧会じゃないんだぞ」
「うーん、戸玉さん、そろそろ絵の調査もしたほうがいいんじゃないですか? 隠し子の人は根原警部が見つけてくれますって」
「まだ、隠し子と決まったわけじゃないぞ。それに……」
私は監視カメラの映像に目を向けたまま、両手を組んで、その上に顎を乗せる。
「私も警部の捜査をアテにしてるんだ。絵の中から直接メッセージを見つけて解読するのは、正直なところかなり厳しいと思う」
「えっ、戸玉さんでも厳しいんですか」
「手がかりが何もないのだ。5年前ぐらいの作品に仕込まれてる可能性が高いといっても、どの絵にあるのか、その絵のどこに隠されているのか、そこから先は見当もつかない。人や物が描かれているならまだヒントになりそうなんだが、あいにく駄瓶先生の作品はすべて風景画だ。まるで太平洋に投げ出された、鍵付きのボトルメッセージを空から見つけるようなものだよ」
「はあー、私たちも写真撮って、家の中でじっくり調べてみたいな」
「写真といえば……スマートフォンで絵を撮影している人は本当に多かったですね。あまりに多いので不審者に入れていいのかどうか……ほら、ここの監視カメラだけでも5人ぐらいいます」
「5人も。ふうむ、どれどれ」
真希さんの言葉に興味をそそられ、私は彼女が指差すモニターの映像を見てみた。
その中にひとり、見たことのある顔が映っていた。
青い瞳をした男性。今日の昼前に、私がぶつかってスマホを落としてしまった人だ。彼はあの時と同じように、スマホを目の前に掲げて絵を撮影しようとしているように見える。あの顔、駄瓶先生に、どことなく……。
「戸玉さん、誰か気になる人がいたんですか」
私の無言を察したのか、理愛が話しかけてきた。
「……駄瓶先生には……海外への渡航歴はなかった。あったとしても……ほんの小旅行程度だったはず」
ほとんど独り言のように、私はつぶやいていた。
画面の向こうにいる彼は、それから十数分ほど再生してみても、ずっとスマホを掲げたままだった。